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道標の陽光



鳥居のすぐ側に在る石段の一番高い処に腰掛けて眼下に広がる景色をただ惰性に見下ろしていた。

柔く吹き抜けていく初夏の匂いを滲ませた風がさわさわと木々や枝葉を揺らし、頬を撫ぜていった。

何をするでもなく、ただ其処に居座り、視界に映る遠い景色を眺める。

小高い山の片隅に社を構える小さな神社であるが、参拝するでもなく居座る小娘など、ただの邪魔者でしかないだろう。

何かしらの貢物、供物を捧げに来たとかならまだしも、参拝するでもなくただ其処に居るだけの者は稀有であろうし、其の地を守る神様からは余程の変わり者と思われている事だろう。

さわさわと吹き抜ける風に、一つに結い上げていた髪が弄ばれる。

彼女は、何をするでもなく、石段の一番高い処のど真ん中を陣取り、膝を抱えて座り込んでいた。


「―なぁにやってんだ?こんな人気の無いような処で。」


ふと突如として背後に気配が降り、上から誰かが彼女の顔を覗き込んできた。

ふ…っ、と顔に影が射した事で、初めて彼女は頭を動かす。


『…御手杵か。』
「ん…?俺が来ちゃ不満だったか?」
『別に、特にそういうのは無いけど…。』
「そっか、それなら良いんだけどさ。…さっきも訊いたけど、アンタ、此処で何やってるんだ?」


繰り返し同じ問いを口にした者は、男だった。

しかし、その実、姿形は人の其れでも、中身は全くの別物であり、人ではなかった。

其処の地の神よりは下級であるし、神と言えど末席に座す者であったが、正しく神であり人外の者であった。

名を“御手杵”といい、其の本性を槍とする。

槍らしく、其の身は長身で長い四肢を持つ。

だが、彼の持つ空気は風体と同じくし、見た目に反して穏やかだ。

只今も其れは同じで、緩い空気を持ってして彼女に接し、語りかけていた。


『別に、どうもしない…。』
「何もしてないのか…?じゃあ、何で神社なんかに来てるんだ?何か目的があって来た訳じゃないのか?」
『…特別用があって来たとかではないよ…。ただ、誰も居なさそうな処だったから来てみただけ。目的なんか無い。』
「あれ、そうだったのか。神社なんて場所に居たから、てっきり何か用があって来たのかとばかりに思ってたんだけど…。何だ、違ったのか。」
『そうだよ。…今は何をする訳でもなく、此処に座って上の空で考え事しながら景色を眺めてただけ。』
「ふぅん…。なぁなぁ、此処の神社って何を祀ってあるんだ?」
『え…?そんなの知らないけど…何かしら祀ってあるから神社になってるんじゃない?』
「うーん、まぁ…そうなんだろうけどさ。何となく気になったから訊いてみただけ。ほら、一応俺達も神様だからさ。…付喪神だけど。」


男はカラリと笑ってそう言った。

次いで、後ろの本殿を見遣り、誰に言うでもなく一人何言かを呟く。


「…うん、確かに神様らしきヤツが祀ってあるみたいだな。小さいし、力もあんまり強くないみたいだけど。…まぁ、そりゃそうか。神社なんかに祀られてる神様ってのは、其の地に住まう者達が参拝する事で成り立つ力な訳だし、誰も参拝する者が居なくなっていけばその力は弱まっていくモンなんだもんなぁ…。あんまり人気が無いところを見ると、今は栄えてない神社って事なんだろう。きっと、昔は栄えてただろうに…時とは惨いモンだよな。」


誰に言うでもなく呟かれた其れには、酷く何かを滲ませていた。

男は彼女の元を離れると、何を思ったのか、本殿の方へ歩み寄ると徐にズボンのポケットに手を突っ込み、小銭を取り出してそのまま賽銭箱の中へと投げ入れた。

そして、次いでガラガラと鈴を鳴らし二拍手を叩いてお参りした。

最後に一礼をし、彼女の元へと戻る。

その一連の流れを彼女は座り込んだ場所から一歩も動かず呆然と眺めた。

戻ってきた彼は、何処となく自慢気ですっきりしたような雰囲気を纏っていた。

しかし、今の一連の行動の意図が読めない故に、彼女は敢えて問うた。


『何やってんの…?』
「ん…?この神社の神様にお参りしてきた。何の足しにもならないだろうけど、しないより少しはマシかなって。ついでに、主の健康長寿も祈っておいたぞ。」
『はあ……。つか、そこは自分の願いとかを言うところなんじゃ…?』
「俺なんかの願いより、主の此れから先を願った方が良いだろ?どうせ俺なんかが願っても無欲だから大した願い事なんて無いし。それなら、主の事をお願いした方がよっぽど良いだろ。」


…とまで言ってくる始末だ。

この神様、何処まで優しくお人好しなのか。

まぁ、だから今代に至るまで大切にされてきた神様…基、槍なのであろう。

彼は、代々有名な一家の宝として今世まで受け継がれてきている物である。

其の身一度は空襲に焼け失われた身であれど、再度写し身を創られ、其れは今も尚大切に保管され受け継がれている。

故に、彼は永き時を人と共に在り続けた。

だから、人という存在を好いているし、興味の対象なのだ。

古き時代を知る者だからこそ、新しい物も好み、受け入れる。

そうやって人の側で時代を歩み、生きてきた“物”なのだ。


「なぁ、主。何か悩んでる事とかあったら教えてくれよ。小さな事でも良いからさ。何か気にしてるような事があるんなら、教えてくれ。」
『…え……?』
「アンタ、何だかずっと浮かない顔してるからさ…心配なんだよ。」


言われた事をすぐに理解出来なくて、一拍遅れて反応を示した。

男は、眉を八の字に下げ、主である彼女の目の前へ屈み込み、その大きな掌で彼女の頬をそっと包み込んだ。

自然と上向きになる視界に映る彼は酷く心配そうな顔であった。

再び、彼が口を開く。


「アンタが、元々は普通の何処にでも居るような平凡な奴で、今は審神者っていう職業に就いていて歴史を守る為に大変な役割を背負ってる奴なんだ、って事は知ってる。だから、現状と戦争の事で心ん中せめぎ合って葛藤したりしてるんだって事も解ってる。アンタは強かだけども、弱い…。偶に息抜きして肩の力抜かなきゃいけないくらいには、頑張り過ぎるきらいがある。アンタの元に顕現してからずっと見てきたけど…アンタは少し無理してる。たぶん、自覚はしてるんだろうけども。」
『………………。』
「なぁ…何にアンタは焦ってるんだ?何をそんなに恐れてるんだ?」


沈黙が静寂を呼び、静まり返る境内。

聞こえるのは、互いの息する音と風のざわめきだけだ。

さわさわと吹く生温い風が、彼の横髪を浚った。


『……時折、どうしようもないくらいに不安に陥る事があるんだ。特に理由も無く、ただただ何か不安で堪らなくなる時が。…そういうの、情緒不安定って言うんだろうな。時折、自分の事がよく解らなくなる…。そういう時、決まって一人になりたがるんだよ。だから、今日も其れで一人になりたくて此処に来た。此処は、人気が少なそうだったから…。誰にも逢いたくない、顔を合わせたくない、誰にも触れられたくない…って。』


彼から視線を外した彼女が俯いて、頬に触れていた彼の手を剥いだ。

本当にただ触れるだけに添われていた掌は、簡単過ぎる程に外れたのである。

彼女は、頬から外した彼の手を取ったまま、言葉を続けた。


『私は気紛れだから…偶に一人になりたがるんだ。独りぼっちになるのは厭う癖にね。』
「…でも、ちゃんと迎えに行けば、独りぼっちじゃないだろ…?」


取ったままだった片手の掌を優しく握り込まれ、頭の上に彼のもう片方の手が添えられる。

緩く撫でてくる其れに力は入っておらず、柔らかだった。

穏やかに笑んだ彼が柔に目を細めて言った。


「俺は、アンタが何処に居ようとも、ちゃんと見付けて迎えに行ってやるよ。他の誰にも見付けてもらえなくても、俺が必ず見付け出す。俺は此処い等に居る誰よりもおっきいからな、きっと見付けてアンタの側に居るよ。アンタの気が済むまで、ちゃんと皆が居る本丸に帰り着くまで…。」


何時になく真剣な声で言うものだから、面食らって、暫し呆然とそのよく整った顔を見つめた。

次いで、何故か可笑しくなって吹き出し、今の発言にて足らぬ欠けていたであろう細かな事柄を小さく指摘した。


『…っふ、ははは…っ。いや、何…今のじゃあちと抜けてる箇所が一つあるぞ?お前の偵察値だと、短刀や脇差みたく高くないから、そう容易にゃあならないんじゃないかな…?』
「あ…っ、そ、そうだった……ッ。で、でも、意地でどうにかこうにか最大限まで引き出せば、俺でもまだイケる…!……筈。」
『っふは…!何じゃそりゃ…?はははは……っ!』


少し薄暗かった空気も破けて、すっかり笑いを湛えて腹を抱える彼女の表情は、今や明るい。

静かに彼女知らぬところでホッとした彼は、同じく笑みを浮かべ穏やかに微笑む。

悲しく自嘲するように笑む彼女は影を潜めたようだ。

先に腰を上げた男はそっと掌を差し出し、彼女へ視線を投げた。


「さ…っ、そろそろ本丸へ帰ろうぜ?あんまり此処に長居しちゃ、名も知らぬ神様に失礼だ。」
『…うん、そうだな。帰ろうか、私達の本丸に。』


幾許か晴れたような表情で彼の手を取った彼女は歩き出す。

境内を出る最後に、一行は本殿の方へと向かって一礼し、頭を下げた。

其れは、ほんのちょっと其の場所に失礼したとの挨拶であった。


―彼女等が居なくなった後の境内には、再び誰一人居ない静かな静寂が戻っていた。

しかし、先程よりも少しばかり光が射して明るく見えたのは気のせいか、或いは真昼の夢が見せた幻か、はたまた真実か…。

物事とは、何時だって受け止め方次第で良き方にも捉えられるし、悪い方にだって捉えられるものだ。


執筆日:2019.05.25