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片時も温もりを求めて



長期遠征から帰った時の事だった。

俺を含めた、同じく長期遠征から帰還した奴等をまとめて出迎えに出てきた主の姿を視界で認めた瞬間。

此方と視線が合ったと感覚が認識した刹那に、酷く焦燥したような気配で主が俺の元へ走り寄ってきた。

そして、その勢いのまま、遠征帰りで汗ばんで汚ない俺に抱き付いてきたのだった。

予想だにしない反応に加え、彼女の取った行動の意図が解らず、驚きつつも鍛え抜いてきた身体で受け止め、その身を支える。

同時に、それまで一緒だったであろう近侍の方を仰ぎ見て視線で問う。

が、その近侍であった大倶利伽羅さえもてんで解らないのか、突然の主の様子の変わり様に困惑しているようだった。

偶然同じ場に立ち会ってしまった奴等皆、呆然と突っ立ち此方を見つめ動揺して黙す。

当の抱き付かれた本人である俺自身が一番訳が解っていない状況だったが、一先ずこのまま何もしないままは悪かろうと控えめに声をかけた。


「あ゙ー…その、何だ。そんなに寂しかったのかよ、俺と離れてたのがさ…。」
『………ん…。』
「…いや、まぁ嫌な気はしねぇし、寧ろ嬉しいけどよ。…んな大っぴらに熱烈に歓迎されんのも、ちと恥ずいっつーかな…男としての立場もあるっつーかなぁ……っ。」
『あぁ、ごめんね…。いきなり抱き付いちゃったりなんてして。』
「お、おう……?」
『おかえりなさい、たぬさん。今日も怪我無く無事に帰還出来たようで良かった。』
「…え…?あ、おう…ただいま……。」


先程の一瞬前までは笑顔で他の刀達の相手をしていたのもあってつい動揺してしまったが、言葉の遣り取りを交わすと思っていたよりも平常とした声音で返ってきて拍子を抜かれる。

周りの奴等も同じで、俺と同じかそれ以上の様子で今の状況を掴み兼ねていた。


「と、取り敢えずよぉ…このまんま突っ立ってんのもアレだし、さっさと上がらねぇか…?あと、俺遠征先から帰ったばっかの汗塗れで臭ぇし汚ねぇからさ、ちっとばかし離れてくれっと助かるんだが…っ。ほら、せっかく綺麗なアンタの服を汚しちまうのも悪いからさ。」
『うん…?嗚呼、それもそうだな。ごめん。…では、皆疲れてるだろうし、各々荷解き等終わったら特別指示が無い限りは夕飯までの間ゆっくり休んでくれてて良いから。長期遠征お疲れ様。それと、おかえりなさい。何時も通り、皆何事もなく無事帰還出来たようで良かった。さぁ、疲れたでしょ?お風呂は沸かしてあるから、汗を流したいって人は好きにお風呂に入っておいで。他の人も各自好きなように過ごしてくれて構わないから。ただし、各部隊の部隊長だった人達は、後で遠征先での結果の報告を宜しくね。報告は私に直接、若しくは近侍の伽羅ちゃんのどちらでも良いから、報告書を提出する事。期限は二日後の明後日まで。じゃあ、解散…!』


このまま玄関先で何時までも突っ立っている訳にもいかず。

先を促して、遠征先から持ち帰った資材なんかの荷解きなどを手短に指示して、俺達は部屋へと直行した。

誰も居ない、俺と御手杵の相部屋に、主と二人きり。

御手杵は今は同じ遠征帰りだった事もあって、先に風呂へ行くとの事で不在だ。

俺はと言うと、部隊長だった事から先に報告書をまとめておこうかと思って、軽く身に付けていた装束の一部を外して身形を緩く崩す。

その間、待機し畳の上に直に座り込んだ主へ後ろ背に語りかけるように声をかけた。


「それにしても、さっきはどうした…?やけに焦ったように懐に飛び込んできたみたいだったが…俺が不在の間、何かあったのか?」
『え……?』
「“え?”って、自覚無ぇのかよ…。アンタ、ついぞさっきはやたら不安そうな、今にも泣きそうな顔で俺に抱き付いてきてたじゃねーか。まぁ、其れも一瞬だけで、その後は普通そうにしてたけどよ。何かあったから、んな風に元気ねぇんじゃねーの…。違うか?」
『……うん。やっぱり、たぬさんには誤魔化せないか。というよりは、全部お見通しみたいだね…。』


そう返した主の方を首だけ振り返り見遣ると、眉尻を下げて「あはは…、」と乾いた笑みを浮かべていた。

そんな無理したみたいな笑みを浮かべる彼女を放っておける訳がなく、手早く身形を整えると彼女の方を向き直って腰を下ろした。


「…で?どういう事なんだ?」
『へ……?』
「だから、アンタのさっきの反応についての事の話だ。さっき出迎えで出てきた時、俺を見付けて目が合った途端、急に俺に抱き付いてきただろ…。どうしてそんな風になったのか、聞いても良いなら聞いてやるって言ってるんだ。…アンタが話せる体ってなら話してくれ。」
『…別に、特別、大した事なんて何も無いんだけど…。』


そう告げた後、「たぬさんには敵わないな…っ。」と言葉を続けて、主は口を開いた。


『たぬさんが長期遠征で丸一日不在の間、本当に何も無かったんだよ。近侍にしてた伽羅ちゃんに意地悪されたとか、悪戯好きな鶴さんの変な罠に掛かって怪我したりだとか、そんな事も一切無い。それこそ、政府の人に冷たくされたっていう事でもなくてね…。本当に何も無い、平々凡々とした平和な一日だったんだよ…?平和で何も、何も無かった、んだけど……ただ、ふとした時に寂しくなっちゃって…。』
「寂しくなった…?」
『うん…。何でか私もよく解ってないんだけど…急に無性に酷く寂しくなっちゃって、誰かに縋って引っ付いていたくなっちゃって…。一番信頼出来て、側に居ると安心出来る人に寄り添っていてもらえたら、きっとこの変にザワザワして不安で落ち着かない気持ちも落ち着くかなって。…それで、帰城したばっかのたぬさんに抱き付いちゃった。驚かせちゃってごめんね。迷惑だったりしたなら、尚ごめん…謝るわ。』
「いや…そういう理由だったんなら、別に怒ってる訳でも迷惑がってる訳でもないから、気にすんな。あと、アンタは主なんだから…そう気安く臣下に謝んな。示しが付かねぇだろ。」
『其れこそ何かごめん。』
「だから謝んなっつってんだろ…。」
『ああ、ごめ…っ、…うゔぅ゙……ッ!』
「…つい口を出たって解ってっから一々言わねぇよ…。けど、アンタのその染み付いちまってるような謝り癖、どっかで直さねーとな。何時か政府の奴等なんかに下に見られるかもしれねぇぞ?」
『うん………気を付ける&直るよう努力する…っ。』
「まぁ…謝り癖については、アンタの自信の無さげなトコから出ちまってる事だからなぁ〜…。今暫くはどうにもなんねぇだろ。アンタが自分自身に自信を持たねぇ限り直んねぇだろうからな。此ればっかりはしょうがねー事だし、ゆっくり変わっていけば良いんだ。何も焦る事はねぇさ。」


そう簡潔に述べて、彼女の頭をポンポンッと撫でた。

其れだけで、主は酷く安堵したように表情を和らげた。

…良いのか、アンタは其れで。

一介の刀に過ぎない俺に、そんな風にまでに心を砕いて。

だが、そうまで信用されている事を悪くは思わないし、心なしか好いてしまっている女に慕われ頼られるのは存外心地が良い。

若干どころか、だいぶ臣下と将の領分を越えた関係になりつつあるも、主を支える為なら厭わないとさえ思う。

己の部を弁える事は忘れちゃいねーから。

そうやって互いに依存し、何時か破滅の道を辿るとしても…其れは其れで構わない気がするし、最悪、俺の事は折るなり炉にぶち込むなりして破壊してくれたら良い。

…ただ、主の事だけは、何が何でも守り切ってやらなきゃ気が済まねぇだろう。

まぁ、今は、何時か訪れるかもしれない未来なんか放っておいて、不安の渦中に飲み込まれようとしている我が大切な主様を安堵させてやろうか。


「…取り敢えず、今しがたまでの話は他所に置いといて。……ん。」
『…うん…?な、何…?』
「アンタが不安で寂しいっつーから、ほらよ。俺の身で良いなら、貸してやるから。気が済むまで好きにしな。」


胡座をかいた膝の上に置いていた掌を開いて、両の腕を広げて先を促す。

主が、俺を更に頼って、その身を俺の懐に埋めれるように。

彼女が、彼女としての本心を晒け出せれるように。


『………ははっ。やっぱり、たぬさんには敵わないや…。たぬさんには何処までも見透かされちゃうから、立場が無いなぁ。』
「は…っ。んなモン、今更だろ…?俺の前では、つまんねぇ意地や虚勢は張る必要無ぇ。んなのは、本丸の将として…審神者として皆の前に立つ時だけで十分だろ。俺の前では、アンタはアンタで居れば良い。誰も咎めたりなじったりなんてしねぇーんだから…アンタ自身のまま居れば良いんだよ。」


そう語調を和らげて告げれば、彼女はやっとというぐらいに保っていた顔を崩して涙を滲ませた。


『…もう…っ、何でたぬさんったらこういう時に限ってそんなにも優しい声で言葉を紡ぐかな…。そんなに優しくされたら、何とか保ってた縁も瓦解して崩れちゃうじゃないか……っ。』


ぐりり、胸元に寄せられた頭が胸を突いて押し付けられる。

弱々しく震えた声は、言葉を言い終えるにつれて尻萎みに縮んでいった。

恐らく、彼女が次に顔を上げた時には、彼女の目には透明な雫の膜が張られている事だろう。

その雫が溢れても受け止めてやれるよう、彼女の身を引き寄せて懐に閉じ込める。

彼女を追い詰めようとする不安を掻き消し溶けるように、腕の中に閉じ込めて隙間無く身を寄せて抱く。

そうして自身の鼓動を聞かせ、自身の熱を移してやって、彼女の不安を無くすに努める。

そしたら…ほら、次第に我を取り戻してきた彼女が気恥ずかしくなって顔を上げるのだ。


『……ぇへへっ。ちょっと汗臭いね、たぬさん。』
「あ゙ぁ゙〜…っ。そういや、報告書先に済ませちまおうと風呂後回しにして、汗まだ流してなかったからな…。格好も戦装束のまんまで、防具解いただけだし…汚ない身体のまんま抱き寄せられて、嫌だったろ?」
『ううん、全然。私にしてみれば、たぬさん全く汚なくないと思うし。まぁ、たぬさんの匂いが何時もよりちょっと濃いなって思う程度だったから。気にしてないよ。』
「…少しは気にしてくんねぇかなー…。アンタ、女だろ。」
『女と言っても、其れは生物学上の事であって。実質は、女としての欠片も無い、跳ねっ返りの男勝りなお転婆さんに過ぎないぞ。』


まだ目元には透明な膜が滲んだままだったが、その表情自体の翳りは晴れて、にこやかな笑みを浮かべれる程には回復したようだった。

そんな様子に心の内で安堵し、一人ひっそりとごちるのであった。


「…そうやって笑えてる内は、まだ安心出来るってモンだよな…。」
『ん…?たぬさん、何か言った…?』
「いんにゃ、何でもねぇよ。それよか、俺やっぱ先に風呂入って汗流してくっから、アンタは自分の部屋にでも戻っとけ。このまま俺等の部屋に居ても良いが…風呂上がった御手杵のヤツがパンイチとかで戻ってくっかもしんねーからさ。」
『おおぅふ…っ、其れは其れで目のやり場に困りそうだから、大人しく自室に戻る事と致しますかね…!途中のままだった仕事も残ってるし。』


そう言ってからからと笑って出て行こうとする主の背に小さく声をかける。


「…大丈夫だ。俺は、アンタに黙って何処か遠くに消えたりなんてしないから。ちゃんとアンタの元に戻ってきてやるから、そう心配すんな…。アンタを独りにはしない。俺は、アンタの守り刀だからな。何があっても、アンタが嫌だと言っても守ってやるさ。」


彼女が瞬きの一瞬だけ、俺の方を振り返り見た。

俺は、ただ緩やかな笑みを湛えて、慈しみの意図を織り混ぜて彼女の眸を見つめ返すのだった。


執筆日:2019.06.12