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素敵な一日でした



迷い子の刀が一振り、ふらりと本丸に迷い込んできた。

其れは、ただの刀ではなかった。

既に敵の能力に侵され、闇堕ちし、敵の手に堕ちてしまっていた刀だった。

不意に、緋く染まり黒く反転してしまった瞳が遠くを見つめた。

その先に映るは、この本丸の主として審神者を勤める者の姿だった。

彼女は、畑に出ている者達の様子を遠くからでも見ようと縁側に出てきたところであった。

ちょっと外に出る用に置いていた突っ掛け用の草履に足を通そうとした時、その視線に気付いた彼女が顔を上げる。

刹那、辺り一面にヒタリ、と冷たく凍るような鋭い空気が広がった。

審神者である女の目が見開かれ、恐怖の色に染められる。

血色の良かった顔はすぐに青ざめ、蒼白くなっていた。

女が急ぎ履き物を履き、手短の距離に外に出ていた者達へ鋭い声を飛ばし始める。


『緊急事態発生だ…!時間遡行軍と思われたし刀が本丸内へ侵入!!直ちに厳戒体勢、何時でも戦えるようにと戦闘準備を開始せよ…っ!!繰り返す!時間遡行軍と思われたし刀が本丸内へ侵入!!直ちに戦闘準備を開始せよ…っっっ!!』


穏やかに過ごしていた筈の時間は壊され、突如として慌ただしく騒然とした空気へと塗り替えられた。

其れまでの緩やかな空気など一切が失われ、一瞬にして殺伐とした戦場にも似た物々しい空気へと変貌する。

平和な時は前触れも無く、瓦解し崩されたのだ。

ふらり、どす黒き不浄の気を纏わせた刀が、本丸の開かれたままの勝手口へと近寄っていく。

その足取りは覚束無い様で、何を目的として何を目指しているのかという事は解らなかった。


『お前達短刀勢は建物の奥にお逃げ…っ。ついでに余裕があったら、万が一に備えて、鳩を放って遠征部隊を呼び戻しておきなさい!脇差の者は畑に出ている者を呼び戻してきて…!残りの者達は此処で武器を取りなさい!!何としてでも敵を食い止め、本丸を護り切るぞ…っ!!この本丸を侵させる訳にはいかないっっっ!!』


声高々に伝令を飛ばすと、女審神者も腰元に下げていた刀を手に取り構えた。


『敵数が少なかろうと油断するな…!!せめてでも遠征に出ている者達が帰還するまで持ち堪えさせよ!!』


敵影を視認し確りとその存在を認めても、怯まず的確に必要最低限の指示を飛ばし、自らも刀を取り啖呵も切るとは…流石は女主人を任せられただけはある者である。

しかし、見えた敵は相変わらず一振りのみで、一向に他勢の影は見られない。

彼以外の敵気配は無く、不思議にも不気味にも感じられる空気であった。

牽制を仕掛けようと、最も前衛に居た数振りの刀が己が本体を振り翳し近付いた。

その瞬間、其れまでふらふらとした動き以外の動きを見せなかった敵刀が動いた。

その動きは一瞬で、放たれた一閃は前衛を固めていた者達を一振りに薙ぎ払ったのだった。

刹那、時が止まったかの様な錯覚を受け、その場に居た皆が皆して固まる。

女主人である審神者も例外に漏れず、瞠目したまま硬直し、その身の時間を止めていた。

ぐらり、一閃にて薙ぎ払われた者達の躯が傾ぎ、地へ臥せた。

すぐにドクドクと赤黒い鮮血が地を広がり、血溜まりを作った。

喉の奥をヒュッと息が音を鳴らした同時、近くに居た者達から悲痛な悲鳴が上がった。

怒りに身を焼かれた者が、怒号を口走りながら次々と敵へと襲い掛かっていく。

だが、初めから変わらぬ空気で佇む敵刀は、一ミリも怯まず、迫り来る自衛の刀共を薙ぎ払っていった。

その様は風を撫で斬るように軽々しいのに、その一太刀は見た目よりも重々しく強い一振りであった。

彼に斬り込み突っ込んでいった者達は、皆次々と一閃で薙ぎ払われ地に臥せていく。

そんな緊迫した状況に、建物内に身を隠し温存するつもりだった短刀勢も我が主の身を守らんと姿を現し、その小さき身を敵前に躍らせた。


《…そんなひ弱な一振り、無駄だ。この俺には届かん。》


禍々しい障気を放つ敵刀が、ぽつり、そう零して自身の本体を振り翳した。

宙を舞って敵へ斬りかかろうとしていた小さき身が斬り裂かれ、鮮血の飛沫が飛び散った。

あっという間に、視界に映る限りの辺り一面が赤き血の海と成り果てる。

彼女の悲鳴とも怒りとも取れる大きな叫び声が発せられた。

我を失いかけた彼女が無我夢中に飛び掛かろうとその場から先へ出ようとすれば、周りに居た刀達が慌てて必死に食い止めた。


『おのれ…っ。よくも、よくも我が大切な刀達をぉ……っ!赦さん…ッ、殺す…!!今すぐ私自らその身斬り刻み地獄の業火に燃やしてくれる…ッッッ!!』
「駄目ですっ主様…!!危険過ぎます!!」
「此処は俺達が抑えて時間稼ぎしときますから…っ、主さんは今すぐ此処から下がって逃げてください!!」


敵に飛び掛かろうとする彼女を必死の形相で押さえ込み、活路を見出だそうと諭す残り少ない刀達がそう告げた。

どうやら、敵刀は居合いの範囲に近付く者のみにしか反応しない様で、このまま一定の距離を保てば審神者である彼女だけでもこの場から逃がす事が出来るかもしれない。

そんな一縷の希望染みた考えに到達した者達がその思考に頷き、それぞれが役割を決め、その立ち位置に付く。


「…僕が退路を切り開こう。」
「なら、俺はその大将の護衛を。」
「わしは、その殿を務めるかの…っ。」
「そんじゃ…っ、俺は此処に残って遠征組の帰還を待ちますかね…!」
「俺も此処に残ろう。…俺のような者でも、少しは戦力になろう。」
『…そんな……ッ、主の私だけ逃げるだなんて………ッッッ!!』
「主君だけでも無事でいなきゃ駄目なんですよ……!!」
「お願いですから…っ、主さんだけでも此処から逃げてください…ッ!!」


強い力で手を引かれ、その背を押された審神者は、強く後ろ髪を引かれながらも前後に付く護衛の者に急かされその場から逃げようとした。


《あ…るじ…、今……行きます。》
「ッ…!?コイツ…っ、何を………!?」
「不味い…っ!そっちは主が逃げた先だ!!意識を逸らさせろ…っっっ!!」


彼女がその場を離れた瞬間、敵刀が初めて意思を持った動きを見せた。

彼は、彼女が逃げたであろう先へ向かおうと進行方向を変え、進み始めたのだ。

禍々しい障気を纏わせた刀を地に付け引きづらせたまま歩を進める姿はおぞましい以外の何物でもなかった。

身の毛のよだつその様に、警戒心を強めた彼女の刀達は、牽制を強めつつも遠征組の帰りを待つのである。


《嗚呼…待って、クダさい…っ。あるジ、…今…其方へ行キまスから………。あるじ、アルジ、待っテ……。》
「コイツを主の元に行かせるな…ッ!!何としてでも此処で食い止めろ!!」
「「「「「応ッッッ!!」」」」」


―結末を語ると…、彼に敵う者など誰一人として居なかった。

まず始めに呼び集めようとした畑に内番で出ていた者達は、既に彼の手に掛かり、事切れてただの鉄屑と成り果てていたのである。

次に、ギリギリのラインで死の境界線の攻防を続けていた者達の元に遠征組が何とか合流するも、皆纏めて彼の一閃に薙ぎ倒され、一様に地に臥せる事となった。

そのすぐ側で、パキリ…ッ、と厭に耳障りな音がし、折れた鉄屑が本丸中の彼方此方に転がった。

だが、敵の気配は消えていない。

しかし、味方の気配は消えてしまった。


『……ッはァ…ッハ、……はァ…ッ、ハハハ………ッ。可笑しな悪夢みたいだな…ッ、まる…で……っ。』


腹部に一太刀を食らった彼女が、地に蹲るように臥せ、寝転んでいた。

彼女の身を抉った傷は深く、手当てをするにはもう手遅れな具合だった。

審神者としての力を行使しようにも、残った力は僅かしかなく、自身の傷を治癒する程の力は最早残っていなかった。

ヒューッヒューッ、と酷い喘鳴のする呼吸も、直に息の根を止めるだろう。

其れ程にも手遅れで、致命傷を負っていたのだった。


《…あ゙、ァ゙…あるジ……ッ、スミまセン…。…今、オ側に………ッ。》


不意に、斬り付けた本人である敵刀が彼女の側に膝を付き、寄り添ってきた。

そして、まるで大切な物を慈しむかの様に血に濡れた彼女の手を取ったのである。

歪な異形の姿に遂げてしまった刀が、彼女の手を大事そうに触れ、撫でた。


《…ア゙ぁ゙…ッ、オレのせ…いデ……。お赦シ、くだサイ…お赦シクだサイ……アルジ、》


彼の緋く澱んでしまった瞳から、透明な雫が溢れ落ちた。

その色に、彼女はふと気付いたのだ。


(―嗚呼…この者も…元はとある主の下に居た一振りの刀だったのか……。だから、“この本丸の主”である私を追って来ていたんだなぁ………。)


ごぷり、不快な音が口許から溢れ、地を赤い血が汚した。


(元が私の刀達と同じ刀剣男士だったなら…辛かったであろう。独りで淋しかったであろう…。ならば……、)


もうとうに力の入らなくなっていただろう腕を伸ばして、彼の頬に手を伸ばす。


『…せめて……これ以上苦しまぬように、お前の穢れを…祓ってあげよう………。さ…すれば、辛さも軽くなろ…ぅ……っ。』
《あ゙ア゙…アルジ、アるじ……ッ、俺ヲ置いテイかナィ…デ……。》
『安し…せよ……、私は、お前の側に…居る……ッ。な、…にも、恐がる事は…ない。…私が、付いてる…。』
《ヴ、ぁ゙……ッ、ある…じ、アルジ、…お、レの、アルジ………!》
『おうとも、さ………私は、此処の主だ…。……ッゴフ、ゲホ…ッ、……だい…じょぅぶだ………っ。お前を…独りには、さ、せな……ッゲッホゲホ…ッ!が、ッは…!!………ッは、ァ…、ハハハハ……ッ。……本当、笑えない状況だな…。』


噎せ返る呼吸に口から吐き出された血で汚れた顔では、お世辞にも綺麗な死に様とは言えないだろう。

だが…。


『…せめてもの手向けとして……ッ、お前を折って一緒に死ねたのなら……少なくとも孤独に苛まれて死を迎える事は無くなるだろう………ッ!』


最期の力を振り絞って、彼女はその手に渾身の力を込めた。

刹那、彼の内に在る穢れた核が砕かれた。

彼のどす黒い障気が薄れ、醜くく歪んだ姿形は残りつつも元の彼そのものに近い姿へと戻る。

その姿は、主に忠誠を尽くし仕える刀として有名な彼の国宝の、彼…へし切長谷部だった。

歪んで鋭く大きくなってしまった棘だらけの爪を生やした腕が、血泥に塗れた彼女の身を僅かに抱き上げた。


《…ァ゙ア゙…、やっと……アルジの元に帰れたのデスね…俺は……ッ。オレは…ちゃんと、アナタのお役に立てましたタカ……アルジ?》


ポタポタ、冷たい雫が、もう温度を失ってしまった彼女の頬に降り注いだ。


『……えぇ…そりゃ、もう十分に………っ。だから……もう、休みましょ…?…ずっと動き続けるの、も……躯に悪いから……ッ。』


開いている力も失った目蓋が閉じかける。

彼の澱んだ緋も、もう光を失ってしまっていたのだった。


《ア、ルジ…アル…ジ………、》
『…さぁ、もう眠りましょう……?…おやすみなさい、へし切長谷部……お疲れ様。』


バキンッ、鋼の折れる大きな音が響いた。

せめて死ぬ時ぐらいは独りで淋しくないように、一緒に朽ち果ててあげよう。

さすれば、孤独という苦しみからは解放されるであろうから。


(―…嗚呼…呆気ない終わり方だったけれど、其れなりの期間を彼等と共に……審神者として、勤める事が出来た…。…死に際は残酷なものだったかもしれないけども…悔いは無いわ。)


雨雲の晴れた蒼空に走る雲が湿気た風を吹き抜けさせた。


(素敵な一日だった…。)


薄らに掠れた視界が完全に見えなくなった後には、静かな暗闇が彼女を包むのだった。

奇しくも、審神者を始めた日と同じ日であった。


―とある現世で、二人の男女が立ち並んでいた。


「――さん、どうかされましたか?」
『…ううん、何でもない。』


彼の二人は何時かの如く寄り添い歩いていくのだった。


執筆日:2019.06.29