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臆病者の吸血鬼



此れは、とある館に棲まう吸血鬼の御話である。

或る山奥にひっそりと在る洋館の一部屋に、彼女は住んでいた。

その館には或る噂があった。

“とある部屋のとある時間になった頃に、人為らざる者がやって来る”のだと…。

昔ながらの子供を早く寝付かせる為の言い聞かせた際の嘘っぱちか、単なる昔から建つ古い館故に付き纏う逸話物の類いか。

真相は不明だったが、確かにそういった噂話は存在していた。

だがしかし、実際にそんな者を見たという証言は全く無いのだ。

不思議な事だが、誰もそんな者を見た事は無かったのだった。

逆に其れが不気味な雰囲気を醸し出す要因となったのかもしれなかった。

まぁ、古くから在る洋館であるから、居るとしたら吸血鬼というものだろうか。

幼い頃、その館に越してきたばかりの頃の少女はそんな風に思っていた。

そして…その考えは大きくなってからの今、正しいものだったのだと証明される事となる。


―ここ最近、誰かが真夜中に部屋に訪れている気配がする。

恐らく、件の吸血鬼なんじゃないかと思う…。

朝や昼間の日が出ている間ではないから。

そして、決まって私が深く眠っている時に気付かぬ間に現れ、こっそり少量だけの血液を飲んでいくみたい。

本当にここ最近の事だけれど、朝起きたら首筋辺りか手首に小さな咬み痕みたいな傷が残っているのだ。

そんなのが続いていた、或る晩の時の事…。

真夜中にふと左の首筋辺りに何か鋭い物が刺さっているような感覚と鈍い痛みを感じると共に、何とも言えない甘やかな痺れを感じて意識が覚めた。

甘い痺れに、意図せず漏れた「ん゙……っ、」という吐息に吃驚したのか。

其れは慌てて身を離し、アワアワと慌てて何処かに身を隠すように動いた。

ごくごく小さな音だが、僅かな足音が部屋の隅で聞こえた。

目を閉じたまま、隠れた相手に向かって語りかけた。


『…大丈夫よ…。貴方の事、誰にも言ったりしないし、脅かしたりなんて事もしないわ。ただ…今夜はちょっと眠りが浅かったのと、ちょっと擽ったかったから目が覚めてしまっただけ。驚かせてしまってごめんなさい。…貴方が自分の姿を見られたくないとかだったら、目は閉じたままでいるし…何だったら、このまま黙って二度寝しておくわ。』


声をかけてみたものの、相手からは何も返事は返ってこない。

私は気にせず、小声で語りかけるのを続けた。


『…貴方、吸血鬼さんなんでしょう…?私、別に嫌ったりなんてしないし、今すぐ出て行けなんてそんな冷たい事言わないから、大丈夫よ。黙って血を飲んでた事を申し訳なく思ってるなら、吸血鬼ならしょうがない事だし、気にしないで。』
「………………。」
『…良かったら、貴方の姿を一目だけ見ても良いかしら…?駄目なら駄目で構わないわ。貴方が嫌がる事を無理にしようとは思わないから。』
「…………俺が、怖くないのか………?」
『貴方の姿を見た事が無いから何とも言えないけれど…少なからず、今は怖いとは思っていないわ。』
「………なら…ちょっとだけ見せても良いぞ…。」
『有難う。…貴方、優しいのね。優しい人は好きよ、私。じゃあ、目を開けるわね。』


了承を得て、ゆっくりと目蓋を開き、部屋の片隅にある窓際のカーテンの方を見た。

其方を見つめると、不自然にカーテンが揺れており、暗闇に目を凝らしてよく見れば、一部に誰かが隠れているような不自然な膨らみがあった。

じっと其方を見つめていれば、恐る恐る姿を見せた吸血鬼は、ビクビクと怯えた様子で此方を見た。

人に姿を見せる事が怖いのか、はたまたあまり姿を見せる事に慣れていないからなのか、情けない程に眉を下げていた。

見た目は、何処かのお坊っちゃんといった感じの風貌な顔付きの優しげな青年だった。

自信無さげに口をもごもごさせていた彼は、小さく言葉を漏らした。


「………せ、せっかく寝てたとこ起こしてごめんな…。何時もこれぐらいの時間になったら此処に来て、少しだけちょこっとずつ血を分けてもらってたんだ…。そんな毎日飲む必要は無いし、時々飲んでる感じだったんだけど……やっぱり吸血鬼らしく、ちょっとは飲んどかないと何処かで急に吸血衝動に駆られたりするから…。そうなると、ちょっと面倒だからさ…勝手にだけど黙って血をもらってたんだ…。気ぃ悪くしちゃったよな…ごめん……。」


そう告げると、彼はすぐにカーテンの内側へと引っ込み、姿を隠してしまった。

どうやら随分と気弱なタイプの吸血鬼さんらしい。

何だか微笑ましくなってしまって、口許を押さえてクスクスと小さく笑い声を上げた。

其れに対し、ビクリと大袈裟に反応した彼は、また怯えた調子で小さな声で喋った。


「……な、何だよぅ…。俺、何か変な事とか言ったか……?」
『ふふふ…っ、いいえ、そういうんじゃないの。ただちょっと、貴方があまりにも怯えた調子で物言うものだから…何だか可笑しくなってきちゃって…。だって、普通私が怖がる側の筈なのに、全く逆なんですもの…っ。』
「し、仕方ないだろう……っ!俺、他の奴に比べたら弱いし…臆病だし、自分に自信持てないからさ…。他の奴みたいに強気になれないんだよぉ…!」
『そうだったのね…。其れはごめんなさい。貴方の事を馬鹿にするつもりで笑った訳ではなかったの。許して頂戴ね?』
「…その点に関しちゃ、別に気にしてないから良いけどさ……。アンタ…俺が怖くないのか…?」
『姿を見ても、声を聞いても、私はちっとも怖いとは思わないわ。例え、此処へ来ていたのが貴方以外の吸血鬼でもよ。そりゃ、もし来ていたのが私を殺すくらいの勢いで血を飲みに来たとかの相手だったら怖かったでしょうけどね。だから安心してくれて構わないわ。』
「……アンタって、凄く肝が据わってるって言われたりしないか…?」
『言っておくけど、貴方が相手だったからこう言っているのよ…?他の人相手だったら、こんな風には言わないわ。』
「………そうか。」


少しだけ信用してもらえたみたいで、彼が顔だけを此方側に出して見せてくれた。


「……それで、その…これからの事なんだけど…。」
『ええ、構わないわ。これまでと変わらず、私の血を飲んでくれても大丈夫よ。貴方の事、怖くないし嫌ってもいないから。勿論、今日あった事や話した事も誰にも言わないでいる。約束するわ。』
「…何で、アンタは、俺みたいな異質な存在にもそんなに優しくしてくれるんだ…?」


至極不思議そうに訊いてきた彼に私は言った。


『実はね…私、子供の頃から吸血鬼とかがこの館に居るって噂を聞いていて、とても興味があったの…!私、昔から好奇心旺盛だったから、そんな素敵な存在が居るなら逢ってお話してみたいなって思ってたのよ。そして、出来たらお友達になってもらえないかしらと思っていたの…!こういう人里離れた静かな場所に住んでいるから、お友達が少ないの。だから、運が良かったらお友達になってもらえるんじゃないかと考えてたのよ…?可笑しいでしょ?普通は気味悪がるのにね。』


そう笑って言うと、彼は表情を緩めてカーテンの隙間から出てきて近寄ってきた。

だから、此処ぞとばかりに言ってみた。


『…ねぇ、貴方さえ良かったら…私とお友達になってくれる?』
「……アンタは良い奴なんだな。俺なんかな奴でも友達になってくれって言うなんて…。」
『もしかして…私のお友達になってくれるの…?』
「うん…良いよ。俺なんかで良ければ、幾らでも話に付き合うなり何なりするよ。」
『有難う、心優しい吸血鬼さん。』


そうして私達は友達となった。

秘密の不思議な関係だったけれど、何の変哲も無い変わり映えのしない毎日を送る私にとってはとても嬉しい変化だった。


『ねぇねぇ、貴方って何時からこの館に来ているの?何処に住んでいるの?もしかして、この館に住んでいるのかしら…。時間はまだたっぷりあるわ。夜が明けるまで、たくさんお話しましょう…!』
「…俺なんかの話で良ければ、幾らでも話すさ。先ずは、俺が何時から此処に来るようになったか、からだな?それはな………。」


―それからというもの、彼女は毎日を楽しそうに過ごしていた。

話を訊くと、どうも新しい友人が出来たとの事らしい。

夜にしか逢えないという相手らしいが、果たしてその相手とは一体…。

そして、とある日を境に、館の噂に新たな噂が加わった。

“とある館に住む女の子は、夜の世界の住人に囚われている”…と。


執筆日:2019.08.29