ふと遣った視線に映った其れが珍しくて、妙に気になったからつい口を突くように問いかけた。
「その首の傷、どうした。」
明らかに、普通に生活していたら付かないであろうところに傷が付いていた。
何でそんな場所に傷があるんだ。
何でそんなところに傷が付いたんだ。
何をどうしたらそんな場所に傷が付くんだ。
訊きたい事が次から次へと胸の内に浮かんで喉まで出かかったが、何とか押し込めて飲み下す。
もしかして、誰かに傷付けられでもしたのか。
其れで付いた傷なのか。
相手は誰だ、どいつだ。
何処の馬の骨とも知れない奴がアンタの柔肌に傷を付けるなんて許さない。
アンタを傷付けるような奴は俺が斬ってやる。
そんな感情が荒々しく沸き起こり、冷め切っていた筈の脳味噌を沸騰させる。
ザワザワとした暗く嫌な感情がすぐに俺の内に渦巻いた。
だが、そんな俺とは打って変わって平然とするアンタは、事も無げに答を口にした。
『え…?あー、これ……?ちょっとしたヘマでガリッてやっちゃってさぁ〜。切っても掠り傷程度だろうと思ってたら、案外切れちゃってて…気付いたら瘡蓋になってたんだよね〜。偶にやらかしちゃったりしない…?作業に集中してて思わぬところで怪我しちゃうとかって。まぁ、瘡蓋にまでなっちゃったのは、単に傷出来てた事に気付かなくて、痒くて掻いちゃって血ぃ出したからなんだよね。阿呆やらかしたなぁーと自分でも思ったわ、あっはっは。』
良い意味で予想を裏切った返答に内心ホッと安堵しながらも、何やってんだかと半分呆れた反応を返した。
変に心配して損した気分だ。
だが、其れと同時に何にも無くて良かったという感情が暗く渦巻いていた感情を収めてくれた。
俺は其れに安堵して、改めて主の首裏に出来た瘡蓋を見遣った。
本当に何でも無いように出来たその傷は、何故か非道く俺を誘った。
あんまりにも馨しく思えるから、触れてみたくなって、俺は主に問うた。
「…なぁ、その傷触ってみても良いか?」
『え………?べ、つに良いけども…大して面白くも何ともないよ?触ったってただの普通の瘡蓋があるだけだし。』
「何か気になるから触ってみてぇだけだ。」
『はぁ…まぁ、構わないけどさ…。』
そう言って主はまた俺に背を向け、机に正面を戻した。
そんで、俺が触れやすいようにと邪魔になる余り髪を横に流すように避ける。
そうして露になった項が、妙に艶かしく俺の目に映り込んだ。
無意識に生唾を飲み込んでから、壊れ物に触れるかのようにそっと手を伸ばした。
「……痛むか。」
『うんにゃ?全然。うっかり引っ掻いて血ぃ出しちゃった瞬間は痛かったけども、後は全く。』
「そうか。…まぁ、これぐらいの程度なら大した傷じゃあねーわな。」
『いやぁ、まさかこんなとこに傷作るとは思わなかったから、自分でも驚いちゃったよ〜。普通に生活してたら、こんなとこ怪我したりしないって。』
「何してたか知らねぇが、気を付けろよな…?」
『あはは…本当それな。我ながら馬鹿やっちまったってウケるわー。』
「いや全然ウケねぇよ。大事に至ってねぇから良いが、首っつーのは人間で言う一番の急所なんだからな…。作った傷が大した怪我じゃなくて良かったぜ。」
『…ハイ、すいましぇん……っ。』
「ったく…人間は脆くて簡単に死んじまうんだから、もうちょっと周りに気ぃ配ったり何たりしろ。アンタは少し注意が足り無さ過ぎる。特に何かしらの物事に集中してる時はやらかしやすいから気ぃ付けろ。」
『へい…仰る通りで。』
「真面目に聞けよ。」
『おぅふ…っ!すいませんごめんなさい、巫山戯てはないです許してください…!』
人が真面目に話してやってたら、茶化すような反応を取るもんだから。
仕返しに後ろから頭を鷲掴みに掴んでやると、慌てた様子で謝ってきた。
俺も本気で怒ってる訳じゃなかったからすぐにその手を離して解放する。
思った以上に痛かったのか、離した瞬間小さく愚痴を漏らされたが、あまりに小さな声だった為拾えなかった。
これくらいの戯れ合いは何度かした事があるから、たぶん気にしなくても良いだろう。
意図せず触れた主の髪の感触が手に残って、其れが俺の内側をザワつかせるから、触れた手の内側を見つめて眉間に皺を寄せる。
そうして一寸の間、己の硬い掌を閉じては開いてを繰り返していたら、ぽつりと主が何事かを呟いた。
『……あー、にしても違和感あるなぁ…。』
「は……?」
『いやね、手とか足とかを擦り剥く事は有れど、首の後ろを怪我するとか傷作るとかって事故にでも遭わない限りあんまり無いなぁって思ったからさ。…あ、武道やってる人とかは別よ?空手とか柔道とかやってたら怪我する事なんて普通かもだし。そんな感覚だから、首裏に瘡蓋があるのって何か慣れないなぁー…と。』
「…そーかよ。」
『うん。何か気になるよね…。首の裏触ったらざらついてる感じがするの。』
大した事無い小さな傷だが、普段何も無い筈のところに何かがあるというのが気にかかるんだろう。
俺が触れていた先の瘡蓋に後ろ手に触れて、小首を傾げながらざらざらと指先を這わせていた。
そんな珍しい傷が、俺の内側をザワつかせて堪らないから、衝動に任せて顔を寄せた。
たぶん、人の肉を纏った事で得た欲求的なモンの一つなんだろう。
今は、非道く内が渇いて欲している。
好いてる女の熱を、感触を。
今度は別の感情で熱く沸騰してくる頭に、思考は奪われて余計な感情が切り捨てられていく。
ただ情動に流されるまま、肉欲に飢えたみたいに主の瘡蓋に触れる。
机に向かって仕事をしていた主の身を抱いて、乾いてかさついた唇を押し付ける。
そしたら、いきなりの感触と行動に驚いた主がビクリと肩を揺らして声を上げた。
『え…っ?ちょ、なん……っ、何してんの、たぬさん…ッ!?』
「……うるせぇ。変に手は出さねぇから、ちょっとの間大人しくしてろ。」
『いや…っ、もうこの時点で手ぇ出してるのでは…!?』
「騒ぐな。…口塞ぐぞ。」
その言葉が意味する意図がただ口を塞ぐだけの意味ではない事は主も解ったようで。
俺の腕の中で小さく縮こまった主は、黙って羞恥に堪え震えるだけになった。
俺は其れを良しと解釈して、首裏の瘡蓋に舌を這わす。
血の固まりで出来た瘡蓋はやはり血の味がして、何とも言えない感覚を味わった。
鉄の味がする。
だがしかし、其れはただの鉄の味ではない。
好いた女の鉄の匂いだった。
堪らず気持ちが昂ってきて、抱く腕に力が入り、掴む柔肌に手指が食い込んだ。
腹の奥が熱くなってきて、下肢の付け根にぶら下がる逸物が覆い被さる布を押し上げてくる。
『…………っン、……んうぅ…ッ。』
快感を堪えるように押さえられた声が小さく主の口から漏れた。
その鼻にかかったような小さな声がどうしようもなく俺の内側を煽るもんだから、下を俯いていた主の顔を己の方へ向かせ、口付ける。
熱く滾る何かを発散させたくて、噛み付くように主の口内を荒らす。
気付けば主の事を組み敷いていて、荒く熱い呼吸を繰り返す主を見下ろしていた。
『………ったく、お前って奴は……ッ。まだ私仕事中なんだけどな……っ?』
「…悪ぃ。何か知らねぇけど、滾ってきちまって仕方ねぇんだわ。…なぁ、この熱いのどうにかなんねぇか?熱くて熱くて、脳味噌焼き切れそうなんだ…ッ。」
『と、言われましてもねぇ……っ。私経験無いからどう対処すりゃ良いのか、解んないんだわ。』
困惑したように眉を下げる主が、優しく労るように俺の頬を撫ぜる。
何処までも優し過ぎる主は、此処までの異常を平然と受け入れてしまっている。
その危機感の無さが危ういのだと、先程忠告したばかりだというのに。
首裏の傷が艶かしくも馨しくて俺を誘うから、堪らず男の性が疼くんだ。
「…どうせ急ぎの物でもねぇんだろ?だったら、少しくらい仕事サボったって悪かねぇだろ…?」
『た、確かに急ぎの物じゃあないけども……っ!まだ昼間だし、明るいし………ッ。』
「アンタが欲しくて堪んねぇんだ。…なぁ、頼む。この猛りを鎮めさせてくれ…っ。非道くはしねぇって誓う。」
『……ッぐ、……………触るのは胸だけだからね………!』
既にはだけた衿元と逸らされた赤く染まった顔が意地らしくて、頭の奥を焦がす。
「……あーあ…、どうして受け入れちまうかなぁ…。」
いっその事、拒絶して突き飛ばすなり何なりしてくれりゃ、俺は主と刀との境界線を踏み越える事も無かったのに。
アンタは俺を受け入れちまうから、俺も其れに甘えて求めてしまう。
もっともっとと餓鬼みたいに。
無意識に煽られんのが悔しくて、乱れた袂の内側に手を差し込むのと同時に、熱く起ってしまった己の物を布越しに柔肌へと押し付けるのだった。
執筆日:2019.09.11