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死神の花嫁は微笑む



何もかも上手くいかないなぁ…。

そう、ぽつり一つ思った。

毎日同じような事の繰り返しばかりで、何も良い事なんて無い。

生きている筈なのに、死んだように日々を過ごしている。

自分は、一体何がしたいんだろう?

漠然とした問いが頭に浮かんでは、己へと突き付けてきた。

自分は、一体何を目指し、何処へ向かって行けば良いのだろう?

己では最早解らなくなってしまった問いを投げかけられても、何も答えられないどころか、ただ空しい無言という虚無が返ってくるのみだ。

今の自分は、驚く程に何も成せない。

今の自分には、哀しい程に何も無い。

どうすれば良いのか。

今更過去に成してきた事や過ぎた事を思い、恨み妬み、呪っても、何ら良い事など起こらない。

強いて有るとしたら…其れは、人との間の溝がただ深まっていく事か、遣る瀬無い気持ちが生まれて何処にも遣り場の無い感情を持て余す事になるだけだ。

つまりは、無駄な足掻き、不必要な事に過ぎないという事である。

ならば、もっと有意義な事に頭を働かせた方がマシか。

しかし、今の自分は、哀しい事に驚く程何も無いのだ。

其れは、何をしよう、何を成そうという事が何も浮かばない事を指していた。

あまりにもちっぽけな自分という人間が、今の世の中を生きていくには、少し生き辛いものがある。

ならば、その命を擲つか、と言われればノーであった。

なるべくなら、生きていたい。

出来る事なら、死にたくはない。

死んだように生きてはいるが、自ら死ぬ度胸も無いので、ただ勝手に過ぎていく日々を屍のように貪り、世界の隅っこで息をし這い摺り生きている。

其れだけの毎日だ。

そうやって虚無に日々を生きていた或る日、不思議な奴と出逢った。


「アンタの魂、美味そうだな…。要らないなら、今すぐ俺にくれよ。」
『………は?』


意味が解らない言葉を、出逢い頭の一発目に貰った。

言っておくが、彼とは此れまで一度も逢った事の無い赤の他人で、初対面の筈の相手であった。

しかし、彼という人は、臆す事無く開口一番にそう口にしてきたのだった。

何なのだろう。

世の中には変な人が居るものだな…と思った。

暢気か。

いきなりの事に答えを得兼ねて呆けていたら、目の前に佇む人はまた口を開いた。


「アンタさぁ…生きてるけど、死んだような面してるよな。死ぬ気なのか…?」
『え………いや、まだ死ぬ気は無いけど…。』
「“まだ”って事は、近い内…もしくはその内死ぬ気だって事だな?」
『え…?や、まぁ…そう捉えられる事も出来るだろうけど……。出逢っていきなりする会話じゃあないよな、コレ…って、普通に受け答えしちゃってる私もどうかと思うけど。そもそもが、私既にまともな思考持っちゃいなかったか…そうだったか……。』


飛んでも会話に、思わず返した言葉に自身で呟きを返してしまって内心笑ってしまった。

いや、無いだろ…今のは。

どんな返しだよ。

つか、何だよこの会話。

出逢って最初にする会話じゃないよね…?

何で普通に会話しちゃってんの。

とうとう頭イカれて可笑しくなっちゃったか?

自分で自分の言った事に対して突っ込むとか、どうかしちゃってるよ。

最早独り言になってるし。

そんな風に一人脳内で繰り広げていたら、また目の前の人が口を開いた。


「…なぁ。もし死ぬ気ならさぁ、アンタの魂、俺にくれよ。アンタの魂、其れなりに上質だし、喰ったら凄ぇ美味ェだろうし絶対腹満たされる気がすっからさ。」
『えっと…申し訳ないんだけど、私、まだ暫くは死ぬ予定無いんで。もしアレだったら他当たってもらえません…?』
「ん〜…別に急ぎって訳じゃねぇから、今すぐにって事じゃなくても良いんだけどなァ…。まぁ、アンタがそうまでして言うんなら、少し間を空けてまた来るよ。」
『………え、っと…さっきから謎の発言繰り返されてるんでちょっと訊きますけど、貴方…何者なんですか?』
「あ?俺か?俺は、所謂死神って奴だ。人の魂を刈り取ったりお迎えしたりなんかして喰う奴の事な。一回くらい、何かしらで見聞きした事あんだろ…?俺はソレだよ。」
『え……………。』


一瞬、相手の頭を疑ってしまった。

この人大丈夫だろうか、と…。

もしかして、痛く重症なレベルの厨二病を患ってしまった方だろうか。

其れなら、紹介するは他者の存在ではなく、病院の方だろうか。

私は少し迷った。

変な方向に頭を使っている自覚はあるが、まさかリアル現実でこんな現場に出くわすとは普通思わない。

実際、当事者にならなければ、ただのお笑い話で済まされていたと思う。

つくづく私には運が無いようだ。

はぁ…思わず溜め息を吐いてしまうが、此れまで一体何れだけの溜め息を吐いてきたんだろう。

きっと数え切れない程の数の溜め息を吐いてきたのだろうな。

でも、不思議と何度吐いても減る事は無いのが溜め息というものである。

…話が逸れてしまったな。

閑話休題。

私が一瞬でも訝しげな表情を返して見てしまったのだろう、彼が少し不貞腐れたような顔をして返してきた。


「……言っとくが、今言ったのは嘘じゃねぇからな。冗談でもねぇ、本当の話だ。…事実、俺以外の奴もこの町に居るみてぇだしな。」
『え…っ。そんな普通に居るもんなんですか…死神って。』
「あ゙ー…まぁ、俺達もなかなか最近は住み辛くなってきた世の中だがな…。其れなりに生きて細々と人間達に紛れて生活してるぜ。俺と昔からつるんでる馴染みの仲間の一人も、同じくこの近くに住んでる。其れこそ、人と同じように暮らしてな。」
『マジすか…。死神も苦労してるんですね…。』
「ま、此れでもだいぶマシな方だと思うがな。地域によっちゃ、死神ってだけで祓われたり何たりで退治されるケースもあるし。特別変な事仕出かさなけりゃ法にも触れねぇし、掟にも違反しねぇしな。昔よりよっぽど楽に生きれるってもんだ。便利な世の中になったのもあるしな。死神と言えど、時代の流れには乗るぜ?そうしなきゃ、なかなか生活も儘ならなくなるしよ。」


どうやら、この方…本物の死神をやってる方らしい。

そういや今更になって気付いたが、彼の背中には何やら大きな物が背負われている。

鞘らしき物が被せられ、更にはその上に大きな布らしき物が被せられ覆われているようだが。

恐らく、死神という職業には付き物の大鎌なる物じゃないだろうか。

成程、改めて彼の姿を見遣れば、死神宜しく全体的に真っ黒い装いをしている。

頭をすっぽり覆い隠せる程のフード付きの真っ黒なパーカーに、ダボッとした暗い色をしたズボン、そして極め付きに真っ黒なハイカットタイプのスニーカーとは…凄く現世に馴染んだ格好である。

一見見ただけでは、ただの全身真っ黒い人という印象を持つだけで終わりそうだ。

ただ人外の其れを表すかのように、顔に浮かぶ金色の双眼だけは夜闇の中でも解りそうなくらい爛々と煌めいていた。

私は、その眼を見遣って、不意に固まった。

とても不思議な色をした眼だったから、つい魅入られるように見つめてしまったのである。

何か魔力でも宿っていたのだろうか?

不思議とその眼から逸らせなくなった。

彼が再び口を開く。


「…だからさァ、アンタの魂…要らねぇってんで捨てるくらいなら、俺にくれねぇか?きっと大事に喰ってやるから、安心しろよ。」
『いや…まだ死ぬ気無いんで、安心しろって言われても困ります……っ。せめて、私が死ぬ時になってからにしてくれませんか?今すぐ死ぬってのは、流石に勘弁なのです…。』
「ふぅん…そっか。…なら、待つよ。アンタが死ぬその時まで。」
『え…良いんですか本当に?…言っといてアレですけど、そんなあっさりと決めちゃって…。』
「別に今すぐ喰わねぇと死ぬ程飢えてねぇからなァ…ま、アンタのが喰えねぇってんなら、其れまでは他を当たるつもりだ。精々今よりも美味く熟すのを待つだけさ…。」


そう言った彼は大きく腕を上に伸ばして盛大な気伸びをした。

その際に思い切り躰を仰け反らせたから、大きなフードに隠れていた顔が少しだけよく見えた。

そしたら、彼の顔に大きな切り傷みたいな線が二本、真ん中から左頬へと走っているのが見えた。

正しく、男の勲章とでも言うべきか。

その傷痕を忌み嫌うでもなく晒して見せる彼に、何故か格好良いなと思うと同時に好感を持ってしまった私は、きっと変わり者だと思う。

だから、私は口に出してこう言ってみた。


『なら…私が死ぬその時まで、見守っててください。』
「は…………?」
『私が命尽きるのを待ってくれるのなら、その日を迎えてしまうその時まで、どうか見守っててくれませんか…?この先、何れだけの時を生きれるかは解りませんけど…地味で役立たずな人として成り損ないな奴なりに、精々世界の隅っこで細々と這い摺りながらも頑張って必死に生きてみますんで。…どうか、見守っててくれませんか?』


一陣の風が吹いて、二人の間を凪いでいった。

風に揺らされた前髪が乱されて顔に掛かる。

反対に、彼の方も風に吹かれて頭に被っていたフードが脱げ、顔が露になっていた。

今度は彼がきょとん、とする番だった。

彼が一瞬言葉を失ったように此方を凝視して見てくる。

しかし、次の瞬間には金色の双眼を柔らかに細めて告げてきた。


「…解った。アンタが其れを望むのなら、俺はその意思に従ってやるさ…。」
『有難うございます、心優しい死神さん。』
「同田貫…。」
『はい…?』
「俺の名前だ…。“死神さん”じゃなくて、呼ぶなら此方を呼んでくれ。」
『…同田貫さん、ですね。解りました。じゃあ、此れからはそう呼ばさせて頂きますね。』
「嗚呼…精々宜しく頼むぜ、“死神の嫁さん”?」


真っ黒な装いをした死神の彼が優しく微笑む。

向かい側で、その彼の生きる糧として見なされた魂を持つ私がはにかんだ笑みを浮かべて笑った。

私が死ぬその時は、きっと、その背に背負われた大鎌を振るわれるんだろうな。

そうして刈り取られた魂は、彼の命の糧となるのだ。

嗚呼…なんて素敵で絵空事のような物語なのだろうか。

そんな結末が控えているのだとしたら、もう少し頑張って生きてみるのも悪くないのかもしれない。

其れこそ、彼が言う“今よりも美味く熟す”まで。


執筆日:2019.11.04