或る日、綺麗な色をした封筒を見付けた。
其れは、主の部屋の執務机の上に置かれていた物だ。
郵便物がある事なんて、役所勤めと変わらない審神者職に就いていれば、特別珍しい訳でも何でもない筈なのに、俺はその時その綺麗な色をした封筒にやたらと目が惹かれて。
手元に抱え込んでいた主の洗濯物を一度その場に下ろしてまで、其れが置かれていた執務机の元まで覗き込みに行った。
最初は、ただの封書にしてはやけに綺麗な色合いをした封筒だな、と思った。
次いで、わざわざこんな綺麗な封筒を使ってまで封書を送り付けてくる送り主が誰なのかが気になって、直接手に取って裏を返して見る。
すると…其処には既に薄く掠れて消えかかった文字で、誰かしらの名前とソイツの住処を記した住所らしき物が書かれていた。
恐らく、この宛名欄に書かれた名前が主の真名なんだという事も、うっすらと思考の端で考えた。
だいぶ時が経過した物なのか、鉛筆で小さく書かれた其れ等の文字には大して深い感情は生まれなかった。
ただ、其れよりも別な事に俺の意識は惹かれ、漠然とした感情を胸の内に繰り広げていた。
中身を見るでもなく、ただ外身の綺麗な色をした封筒を見遣る。
暫くそうして無言で見つめていると、外での用事を終えてきたんだろう主が部屋へと戻ってきて、呆然と執務机の前に突っ立つだけの俺の姿を視界に入れて首を傾げた。
『あれ…たぬさん、そんな処に突っ立ってどうしたの?何か物珍しい物でもあった?』
「…ぁ、主か…。いや、別にそういうんじゃねぇけども…ちょっと気になる物があんな、って思っただけだ…。」
『気になる物…?何か置いてあったっけ、そんなん……。あ、洗濯物持ってきてくれてたんだね、有難う。でも、何でこんな中途半端な処に?』
「え?あ、悪ぃ…っ。つい、コイツに気ぃ取られちまって……。本当は、其れ部屋の隅にでも置いてさっさと出ていくつもりだったんだ…っ。変な処に放置しちまって悪かった。」
『いや…そんな大して気にしてないから良いけども、どうしたの?』
そう言って、主は俺の元まで歩み寄ってきて、俺の手元にある物を覗き込んできた。
そして、其れが何かを確認した主が、ハッと思い出したかのように「あ…っ!」と声を上げて焦り口許を手で押さえ込んだ。
次いで、気まずそうにしながら俺へと視線をくれる。
『うわ、ごめん…っ。其れ机の上に出しっぱだったの忘れてた…!』
「…此れ、大事な物じゃねぇのかよ。」
『うん…っ、其れはそうなんだけど……急に堀川から声かけられちゃって、其れで慌てて部屋出て行っちゃったから…うっかり仕舞い込むの忘れてた。』
「其れで出っ放しのまんまだった訳か…。」
妙に焦ったように言葉を紡ぐ主が、不意に気まずそうな顔で俺を見上げてきた。
『……其れ、中身とか見てないよね…?』
「いや、流石にんな無粋な真似しねぇよ…。政府からの封書だったなら勝手に開けて中身先に確認するとかはしただろうけどさ、明らかに私信らしき物でアンタ宛の物だって解る物には手ぇ付けねぇって。…外身だけは見ちまったけどな。」
『そっか。なら、安心した……いや、完全には安心出来ないのか?』
身長差から上目遣いでそう問うてくるしかなかった主に、少なからず小さく動揺を感じながらも、平静を装って押し隠す。
中身までは見ていないと告げると、半分安堵した様子で胸を撫で下ろしていた。
「此れ、んな焦るくらいには大事な物なんだろ…?誰からの物とかは知らねぇし、深く追及するつもりもねぇけどさァ…大事な物なら、ちゃんと仕舞っておけよな。こういうの、相手によっちゃ見られたら困るんだろ?」
『…う、うん…っ。一応、現世に居た頃に貰ってた物だし…普通に私の本名だとか住所書かれてる物だしね…。何時もはきちんと箱に入れて仕舞い込んでるんだけど、急に呼ばれちゃったから、ついそのままに……っ。』
「ったく…気を付けろよな。長谷部の奴とかに見付かってたら、まずかったんだろ?」
『あ゙ー、うん…長谷部の奴に見付かってたらやばかったかも……っ。ほら、あの子、独占欲強い系男士だし…如何にも神隠ししそうなタイプじゃない?』
「………まぁ、俺も大概独占欲は強ぇ方だとは思うけどな…。…彼奴と違って俺は立場弁えてるし、自分の領分ってのを履き違えないよう努めてるからマシだが。」
『え…………っ。』
そう、意味深にも取れる言葉を呟き落としてやってから、手に持っていた綺麗な色の封筒を主の手元へ返す。
主は、俺の落とした呟きに一瞬反応を示しかけたが、其れを遮るかのように封筒を渡せば素直に受け取って視線を落とした。
主の手元へと戻ったソイツは、不思議と主の手に馴染んだように見えて、嗚呼やっぱりソイツは主の為を想って届けられた代物だったんだな、と思わざるを得なかった。
少しだけ、主に大切そうに握られるソイツの存在を羨ましく思えた気がしたが…そんな感情は俺が向けるに値しないと抑え込み、無理矢理飲み下した。
俺は、主の刀で、ただの一介の臣下に過ぎない立場だ。
そんな俺が、立場以上の、領域を越えた余分な感情を主に向けたりなんて駄目なんだと、勝手に顔を出してこようとする感情に蓋をした。
『……実はね、この手紙…私の大事な友達で先輩だった人から貰った物だったの…。あ、前以て言っておくけど、相手は同じ女の子で男じゃないからね…!……まだ高校生だった学生の頃…その学校に転学したばかりでなかなか周りと馴染めずに居た頃にね、一番最初に仲良くなった友達でその学校で初めて出来た友達だったの。その人は、とても優しくてさ…色んな事に不安で怯えてた私を輪の中に迎え入れてくれて、色んな話を私に教えたり聞かせたりしてくれたんだ。…その時の事、今でもしっかり覚えてる。あの時、その先輩が声をかけてくれた事が凄く嬉しかったのと同時に、涙が出る程感謝したって事…。懐かしいなぁ……随分と逢ってはいないけど、元気にしてるかなぁ?』
主が、そう、ぽつり言葉を零し呟いた。
うっすら目に水の膜を張るくらいには、大事な人からの物だったんだろう。
年月が経って、文字は薄く掠れ、紙は褪せて少しだけヨレていたとしても…。
其処に大事な想い出も言葉も詰め込まれているから、繰り返し読んでは大切に仕舞っていた物なんだろう。
僅かに色褪せてしまっても尚、綺麗な色合いを保ったままのソイツは、主の手に大事に握られていた。
…俺も、何時かそんな風に想われ、大事にされる日が来るんだろうか。
下らない過ぎた感情が、また胸の内に落ちてきて、必死で振り払う。
今の俺には、まだそんな物は不相応だ。
一介の刀に過ぎない、今の立場じゃ、到底叶わぬ事だった。
だけど、今すぐ主と恋仲になりたいかと言われたら、其れは否だ。
もう少しこのまま曖昧な関係のままで居たいから、今にも溢れ出てきそうになっている感情を伝える事はしない。
…其れは、ただ主から返される反応と言葉が怖いからわざと避けているに過ぎない事であっても。
今は、まだ、此れで良いんだ。
俺は自身に言い聞かせるように、心の内で独白を零した。
主が、潤んだ目をそのままに封筒から顔を上げ、俺の方を見た。
そうして視線を向けられるだけでも、今の俺は非道く満たされるんだと妙に納得したように自覚する。
嗚呼、本当、俺は主が好きで好きで堪らないんだなァ…。
その内、主から貰ったこの躰が意識を飛び越えて勝手に主の身を抱き締めちまいそうで恐ろしい。
そんな事を今本人を目の前にして考えているなど、露も知らないだろうが。
「…随分と逢ってないって、どういう事だ?」
『先輩って呼称で呼ぶ通り、その人は私よりも学年一つ上でね、私が卒業するより先に卒業しちゃって…。卒業してからも暫くは文通してたんだけど、お互い進学なり就職なりで忙しくてなかなか返事を書けなくなっちゃったんだ。其れで、なかなか逢う機会無くてそのまま…かな。一応、年賀状とかは遣り取りしてる間柄だよ。私、昔っから交友関係狭いから…ずっと続いてる関係の人としてきた遣り取りってのは大事にしてるんだ。だから…この手紙もその内の一つ。偶に思い出したりした時とかにね、懐かしくなって読み返してたの。この手紙には、沢山の想い出の欠片が詰まってるから…色々と行き詰まっちゃったりなんかした時の励みにしてるんだ。』
「…そうか。」
『手紙で遣り取りする連絡手段って、今の時代じゃだいぶ時代遅れというか、アナクロ過ぎて廃れてきちゃってる手段だけど…私は好きだよ。一字一句想いを込めて書かれた手紙って、素敵だと思わない?…手首痛めちゃってからは、ちょっと不便な方法ではあるけども。文通するのって楽しいよ…!相手を想って便箋や封筒の柄を選ぶのも、その内の楽しみだし。』
「…だから、アンタの部屋、新品の手紙道具が置いてあったのか…。」
『えへへ………っ。でも、アレ…文通途絶えた後に買い揃えちゃった物だから、使い道無いまま仕舞い込むだけに終わってたんだよなぁ…。偶々お店で目に留まって、柄が可愛くて気に入ったから…何時か使うかもしんないって体で、つい買った物だったけど…。』
そう、ぎこちない笑みを浮かべて言った主の寂しそうな空気を感じたから、俺は思わず柄にもない事を口走ってしまった。
「……そんなに使い道無い事気にしてんのなら…俺とでも手紙での遣り取り、してみるか?」
『……………え?』
言った後にしまった、と後悔した。
此れでは、主の事をそういう意味で好き慕っている事がバレてしまう。
主が驚いた表情で俺の目を見た。
俺はすぐに誤魔化しの利く言葉は無いかと探した。
そうして、不自然に目を泳がせ狼狽えていると、主が俺の内番着の袖を引っ張ってきて俺の方を伺い見るようにして見てきた。
『……逆に良いの?そんな風に遣り取りしてくれるの…。』
「え………っ?」
『たぬさんが良いって言ってくれるんなら、私は嬉しいけどさ…本当に良いの?迷惑とかになったりしない…?』
思わず、俺は言葉を失って、唖然と口を開けたまま主の事を見遣った。
主は、俺の方を見つめながら、何処か気恥ずかしげにはにかんだような表情を浮かべていた。
そんな反応を返されるとか思わなかったし、何よりも…そんな、期待しちまうような態度でもって返ってくるとか、俺はどうしたら良いんだ。
此れは…主も、そういう意味を持ってして俺にそう問いかけてきてるって思って良いのか。
主も、俺と同じような意図を含めて、そう言ってきたと考えても良いのか。
…俺の事を、そういう意味で好いてくれてるのかと、期待しても許されるのか。
そんな想いを込めて、主の目を見つめ返してみた。
主の目も、俺と同じように不安に揺れていた。
俺は喉に出かかった言葉を飲み込んでから、再び口を開く。
「……あ、アンタがやりたいって望むんなら、やってやっても良いけど…?」
『本当…っ?やったぁ…!じゃあ、早速今日から始めよう!手紙に書く内容は、小さな出来事を綴るでも、ただの連絡事項でも何でも有りね…っ!其れこそ、一筆箋に一言なんかでも良いよ。新品のレターセット、幾つかあるから好きなの選んで…!』
「…今日からって、幾ら何でも気が早くねぇか…?」
『だって、嬉しいんだもん…!また誰かと文通して、手紙で遣り取り出来るの…っ。』
そう言って主は嬉しそうにはにかみ笑った。
その笑みが、あまりにも心に刺さってきたから、胸が締め付けられるみてぇに苦しくなった。
…今、素直にアンタに想いを告げる事が出来たら、どんなに楽か。
アンタは知らないで笑いかけてくれるだろう。
いっその事、手紙で一言簡潔に想いを告げるのも有りかと考え、すぐにその思考を振り払う。
いや、手紙じゃ駄目だ。
告げるならやっぱり直接面と向かって言ってやりたい。
そして、驚きはにかんだ後、嬉しそうに微笑むアンタのかんばせをこの目に焼き付けてやるんだ。
きっと恥ずかしがりながら、吃りながらも、俺の告白へ必死に小さく肯定の返事を返してくれるのを…。
執筆日:2019.11.09