時折、不思議な夢を見る。
昔からごく稀に変な夢を見る事はあったが、その中でも特殊な夢では、夢で起きた事が現実と繋がっている事があるのだ。
そして、何の因果か…そんな不思議な夢を見ている内に、妖達の棲まう世界に迷い込んでいる事も有り得るのだった。
だから、きっと今日もそんな夢なんだと思った。
―気付いたら、不思議な処に居た。
辺りは夜が近いのか薄暗く、転々と続く灯が通りの路を照らしていた。
その灯の下を歩きながら、宛も無く彷徨うみたいに進んで行ってみる。
すると、屋台や出店なんかが立ち並ぶ通りに出た。
其処は人か獣か妖かは分からなかったが、一括りには出来ぬ者達で溢れ賑わっていた。
宛ら、旧き昔の時代にあった光景のようだった。
そんな賑やかな喧騒に惹かれつつ、とある通りの真中に在った出店の前を通り過ぎ行きかけた時である。
その店は、見世物小屋なのだろうか、幾つもの商品なる“見世物”が籠や檻に入れられて並べられていた。
つと、何かに惹かれた気がしたので、ふらふらとその見世物小屋の方へと近寄って見に行ってみた。
すると、或る檻の中に入れられている“物”と目が合ってしまった。
特別何かが起きるとかは無かったが、何故だか無性に気になって、目の合った彼が入っている檻の方へと近寄って行った。
見ると、随分と暗い虚ろな目をして此方を見つめている事に気が付いた。
其れでいて、檻の中は彼には何処か窮屈そうにも見えた。
彼が虚ろな目でジ…ッ、と此方を見遣っている。
何かを、誰かを待っているのか。
はたまた、この場を脱する機会を窺い待っているのか。
ただだ黙ってジ…ッ、と此方を見つめてきていた。
その様子が何だか可哀想に思えた私は、早く其処から出してあげようと考えた。
次いで、懐から財布を取り出して中身を確認し、近くに居た店主へ呼びかけた。
『ねぇ、其処な店主さん。此方お幾らぐらいするのかしら…?』
「へい、らっしゃいませお客さん。ソイツはですねぇ、特に幾らだとかは決まってねぇんですわ。」
『そうなんですか…?』
「お客さん、その商品を気に入ったんで…?良かったら、良い値でどうですかい。好きな額を言ってくださって構いませんぜ?」
『良い値、…ですか。…う〜ん…。』
「お好きな額で構いやせん。どうぞ、お好きな値を仰ってくだせぇ。」
『……じゃあ、壱万でもイケますか?今の手持ちが其れくらいしか無いので…っ。』
「逆に、壱万で良いんですかい…?もっと御安くも出来るんですよ?」
『…壱万で良いです。…あ、現金払いって出来ますか?』
「ええ、ええ、出来ますとも。毎度あり〜。…にしてもお客さん、此処らで現金使うなんて珍しいですねぃ?」
『そんなに珍しいんですか…?』
「へぇ、まぁ…こんな生業の処ですから。…其れより、本当に壱万で良かったんですかぃ?お客さん。もっと御安く出来たんですよ…?今からでも値下げしたって構やしませんですぜ。どうせ、大した商品じゃあねぇですから。本当にこの値で良いんで…?」
『…はい、壱万で結構です。』
「毎度ぉーっ!ほい、此れが其処な檻の鍵でさぁ。たぶん、噛み付きはしませんが、一応歯も牙も有りゃ爪も有りやすんで。お気を付けてぇ〜。」
『有難うございます。』
「いいえ〜、此方こそお買い上げ有難うございやす〜!どうぞ、またウチの店にいらしてくだせぇ。そんで、宜しければ、今後もウチを御贔屓に〜…!」
陽気な店主から代金と交換で受け取った大きな鍵を、檻の閂に掛けられた古くさい錠前へと挿し込む。
簡単に外れた錠前を取り外し、閂を引き抜き鍵を開ければ、ギィ…ッ、と重苦しい音を立てて檻の戸が開いた。
鍵と錠前とを店主へと返した後、再び開いた檻の前へ歩み寄り、中へと手を差し伸べた。
『…お出で。其処は窮屈で狭かったろう?外は広くて空気も美味しいよ。早く出ておいで。』
「……………。」
『お前はもう自由だよ。だから、何時までもそんな処に居ないで、此方へお出で。』
二度目に呼びかけて、やっと重い腰を上げた彼は立ち上がり、その身をのそりと動かして私の手を恐る恐る取った。
私はその手を確りと握って手前へ引いてやり、檻の外へと出してやった。
よくよく見れば、彼の全貌は私よりも背丈が高く、がっしりとした体格をしていた。
しかし、その身は元々なのかは分からぬが傷だらけで、纏う衣もぼろぼろのみすぼらしい穴ぼけだらけの着物だった。
思ったよりも確りと地に立てている様子の彼を見上げ、言葉を投げかける。
『私が、お前を“買った”主人になる人だよ。主人になる人が、こんな小娘で御免ね。でも、偶々目に留まったのが私だったんだ。許してね。』
「……別に、俺を買ってくれた事自体に文句は無ェよ…。アンタが小娘であろうがなかろうが、俺には関係無いね…。俺は、刀だからな。物に主人を選ぶ義理は無ェし、使って貰えるだけで五体満足だ…。」
『お前、刀だったの…?人の姿をしてるから、てっきり人なのかと思った…。』
「…俺は、正真正銘、ただの刀だぜ?今は、仮に人の身を写しているだけで、本当の姿はただの武器に過ぎねぇよ…。力尽きて行き倒れて刀に戻ってるところをどっかの商人に拾われて、そのまま見世物として売られてる内に転々と店をたらい回しにされてきた、価値の低い代物さ。元より、見てくれもこんなだしな…。だから、今まで誰かしらの御目に掛かりはしても、誰の御眼鏡には叶わなかったもんだ。…アンタが初めてだぜ。此処に引き取られて以来、まじまじと覗き込むように見てきたのは。おまけに金まで払って買ってくれた相手は、アンタだけだ。…前に俺を此処へ売り飛ばした奴なんかは、値段すらも付けねぇで売り飛ばしやがったからな。ハ…ッ、傷物には値段を付ける価値も御座いませんってかァ…?良い頭してやがるよな。…つって、もう顔も覚えちゃいねェけどなァ。」
やはり、檻の中は大層ご不満だったのだろう。
檻の外へ出られて清々したとばかりな口調と態度で彼は口を開いた。
『なら、今まで出逢ってきた相手は見る目が無かった、って事なんだろうね。気にしないでおきなよ。…少なくとも、私にはお値打ち物な代物だと思えたから。たった壱万で買った身としては、そう大口叩いて言える事じゃあないけどもね…。今持てる手持ちが其れだけしか無かったんだ…重ね重ね許してね。』
「…そうやって言ってくれた奴も、アンタが初めてだ…。しかも、俺なんかを買う為に今持つ有り金全部叩くとか…アンタ、変わり者とかって言われたりしねぇか?」
『さぁ。まぁ、夢でこうして不思議な事が起きたり、こうして不思議な出逢いがあったりするなんて事が普通じゃないとしたらば、たぶん変わり者の内に入るんじゃないかなぁ…?自覚は無いけれど。』
「夢…?俺とアンタが今出逢ってるこの時が、夢だって言うのか…?」
『うん。私にとってはね。だって、現実の私は、きっと今頃まだお布団の中でぐっすり寝入ってる頃だから。不思議な話でしょう?でも、私にとっては夢の中のお話でいて、現実のお話よ。あべこべ且つ可笑しな話に聞こえなくもないでしょうけど。』
怪訝な表情で見返されたが、恐らく事実で間違いない事だから嘘は言っていない。
ともかく、何時までも店先で佇んだまま居ても仕方がない。
取り敢えずはその場から移動する事にした。
此処が夢の中の不思議な場所である以上、向かうべき場所も無ければ宛がある訳ではない。
ただ気ままに赴くまま惹かれる方へと歩み進んで行ってみるだけだ。
『…うーん、君を“買った”は良いけれど…特に目的がある訳じゃあないんだよね。私は何れ目が覚めて起きるから意識的にちゃんと帰る場所があるけども、君もせっかくこうして自由の身になれたんだ。ちゃんとした帰る場所があるのなら、私の事は気にせず其方へお帰りよ。』
「……無ェよ、んなもん。俺には、もう帰る場所なんてとっくに無くなってる…。仕えてた主は居ねぇし、嘗て居た本丸も敵に襲撃を受けてほぼ壊滅状態…命からがら無駄に生き延びちまった俺は、他に生き残った仲間が居ねぇか探し回ってずっと彷徨い続けてた。…そうやって野良刀やってる内に力尽きて行き倒れてたところを拾われて、誰かに使ってもらえるかと思いきやそうじゃなくて…。結局のところ、刀としても武器としての価値も見ぃ出してもらえねぇまんま時だけが過ぎた…。もし、この先もこのままなら、誰にも使ってもらえねぇまんま錆びて朽ち逝くのを待つだけだな。」
そう、彼は非道く寂しげな声でそう零した。
彼は、きっと武器であり物である意識が強く、其れでいて、誰かの側に在る事を強く望んでいたのだろう。
今零された彼の言葉にそう感じ取れた私は、次の瞬間にはこう口を開いていた。
『…なら、帰る場所が無いのなら、一時的にでもウチに来るかい…?帰る場所が無いのなら、一時的なものだとしても居場所を作ってあげる事は出来るからさ。私の処で良いなら…ウチに来るかい?』
その言葉に、彼は一瞬迷い躊躇うように暗い色をした瞳を揺らした。
「良いのか?逆に…。」
『武器としての本当の意味で置いてあげる事は出来ないかもしれないけども、御守りだとかそういう意味で良いのならウチにお出で。…君が本当に帰るべき場所が見付かるまでの間の仮宿としてで良いのなら、ね。』
そう言って、私は彼へと手を差し伸べた。
今度は躊躇う様子を見せずに、彼は私の手を取って告げる。
「其れでも良いから、俺をアンタの側に置いてくれ…!漸く使ってもらえそうな人間に巡り逢えたんだ…っ。御守りとしての意味でも、俺を武器として刀として扱ってくれるなら何だって良い。何の役に立たないまま朽ちるのだけは、もう厭なんだ…!」
何が彼の琴線に触れたかは分からぬが、何処か必死さを滲ませてまるで縋るように私の手を掴んだ彼はそう告げた。
意志を固めた様子の彼に、私は頷いてそっと握り返す。
『…分かったよ。今日から君は、私の家の守り神だ。少しの間かもしれないけども、宜しく頼むよ。』
「嗚呼…俺は、同田貫正国。刀に宿りし付喪神であり、刀剣男士としてこの世に降ろされた一振りさ…。俺を買ってくれた礼に、アンタの側に居れる間…今有るこの命が続く限りの間は、アンタの事を守るとこの刃に誓おう。俺は今日から、アンタを守る為に刀を振るう…。アンタの事は、何があっても絶対に死なせねぇよ。今、この時を以て、アンタは俺の主だ。こんな見てくれだが…見捨てないでいてくれてありがとな。この恩は、決して忘れねぇ。んでもって、何時かどっかでこの恩を果たしてみせるから、待っててくれ。」
『…うん、君がそう望むのなら、待つよ。何時までも、その時が来る時まで…。』
彼と誓いを交わすように手を取り合い、向かい合わせになって額を付き合わせる。
彼が静かに文言を告げるのを、私はそっと頷きながら耳を傾けた。
「…今日から、俺はアンタの守り刀だ。俺の主となるアンタの名は、何て言う…?」
『私の名前は…、ね……――――…。』
其処で意識が薄れたのか、自分が何と彼へ告げたのかはっきりと認識する前に夢から覚めてしまったようだ。
―眠りの淵から覚めて意識が浮上していく感覚に、私は目蓋を震わせた。
ぱちり、開いた視界に映ったのは、何時も見ている自室の天井で、現実の物だった。
という事は、やはり、先程までの出来事は夢の中での出来事で。
彼と夢の中で繋がっていた証拠に、目を覚ました横のすぐ脇に見慣れぬ黒き鞘に覆われた刀が一振り横たわっていた。
どうやら、稀に見る不思議な夢が時に現実と繋がっていたのは確かであったようだ。
彼の存在が此処に在る事がその確証に至る証拠である。
私は身を起こして、彼の身へとそっと手を伸ばし触れてみた。
そしたらば、まるで鼓動が脈打つみたいに指先が温かな熱に触れ、彼が生きているのだと感じ取れた。
其れと同時に、視界に桜の花弁らしきものがちらつき舞っていったのを認め、何かと意識を傾け瞬きをした瞬間、夢の中で見た彼の姿が其処に在った。
しかし、先の夢とは違って、今目の前で顕現せしめている彼の双眸が覗いた先で見えた瞳は、光を取り戻したように煌めく黄金色を映していたのだった。
なんて美しくも力強い綺麗な目をしているのだろうかと思った。
そんな美しく綺麗な瞳をゆっくりと瞬かせた彼が、小さく口角を上げて此方を見た。
「―まさか、本当に彼処から俺を連れ帰っちまうとはなァ…恐れ入ったぜ。アンタ、実は凄ェ力持った奴なんでねぇの…?そうでなきゃ、こんな芸当出来る訳がねぇからな。さっきも思ったが、やっぱりアンタ凄ェよ。」
『…ふふ…っ、偶々だよ。此れは、稀に起きる偶然が重なった現象に過ぎない。私は何もしてないに等しいんだよ。』
「俺をこうも簡単に連れ帰っちまった事自体が既に凄ェ事だって自覚無ェな?アンタ…。ま、良いけどよ。アンタが其れで良いってんならさ。」
『うん…君を連れ帰った事に後悔は無いからね。此れで良いんだよ。…ところで、仮宿となるウチに来た訳だけど…何か違和感だとか、そういう事はある?』
稀に起こる現象であって決して私の力ではない事を伝えても尚私を凄いと賞賛する彼に、擽ったい気持ちで含み笑んで誤魔化すように話題を変えてそう訪ねてみた。
すると、彼は改めて室内を見回し眺めてから、ぽつり、目を細めて零した。
「…いや、違和感だとかそういうもんは特にねぇよ。逆に、前居た本丸って処の空気や雰囲気によく似てて懐かしいくれぇだ。アンタん家が、古き良き昔の感じの造りで安心した…。」
『そっか…。其れなら良かった、…のかな?』
「嗚呼…俺を此処に置いてくれる事、感謝するぜ…我が主。」
『……ふふふ…っ。何か、其れ…慣れないから擽ったいわ…っ。』
思わず苦笑いを浮かべてしまったが、彼は非道く優しげに目を細めて私を見遣るのだった。
「…此れから暫く世話になる…。宜しく頼む。」
『此方こそ、君の主として恥じないような振舞いを努めるね。短い間かもしれないけども、宜しくお願いします。』
お互いに向かい合って一礼し合う図は、端から見たらちょっと面白い光景だった。
だけども、私達には此れくらいの関係さが丁度良かったのだと思う。
其れからというもの、私の部屋の隅には一振りの黒い刀が居候する形となった。
姿形は見えていないが、何故刀なんて物が在るのかを疑問に思った父が問うてきた際は、こう答えた。
『彼ね…、帰る場所が無いんだって。だから、帰る場所が出来るまで、一時的にウチに置いてあげる事にしたの。所謂、仮宿って話さね。そういう訳だから、暫くの間、彼を此処に置いてあげてね。』
父は不思議そうな顔を返してきたが、何だかよく分からないながらも頷き了承してくれた。
私は、其れに小さく微笑んだ。
彼も控えめながらに喜び、ホッと安堵していた。
―其れから、幾月が過ぎた頃の事である。
其れまで何ともなかった筈の私の躰が、急に虚弱化したように段々と弱っていき、気付いた時にはもう床に就いており、寝込んでしまう程にまでになっていた。
一体どうしてしまったというのか。
力弱くしか発せない声を懸命に振り絞って私は彼へと謝った。
『……ごめ…ね…、私が弱ってしまったばっかりに…ゲホッ、……変に心配、…掛けちゃって………。』
「いいや…、悪ぃのは俺だ…。アンタが弱っちまったのは、俺が此処に来ちまって以来、アンタの霊力を吸い取っちまってるせいだ…。全部、俺のせいだ……っ。すまねぇ、主…俺の、せいで………ッ!」
『…ゲホッ、……君の、せいじゃないよ…。君は、何も悪くない…だから、自分を責めないであげて……?此れは…、私の躰が、元々そんなに丈夫じゃなかったからなった事なの…。だから…君は悪くないから、泣かないで何時もみたいに笑っててよ……ね?』
「ッ………!」
私が床に臥せってしまってから、彼は毎日のように自身がこの家に来たせいだと己を責め、枕元で涙した。
何時しか見れなくなった笑顔が寂しくて、私は喋るのも辛い癖に無理して笑みを作って彼に笑っていてくれと告げた。
すると、より一層悲しそうな表情をするものだから、困ってしまう。
だが、疲れて眠ってしまう前には、必ず私の手を握って小さくとも笑みを見せてくれていた。
大丈夫…ちょっと臥せってしまっているだけで何も死んでしまう訳ではないのだから、其処まで不安そうな顔で心配しなくても良いのよ。
或る日の眠る手前、寝惚け眼にそう告げると彼は優しげな声で返してくれたのだ。
「嗚呼…嗚呼、そうだな…っ。アンタは生きてる…こうして、ちゃんと、さ……。分かってる、分かってるよ…っ。けど、すまねぇな、俺が不甲斐ないばかりにアンタに苦労掛けちまって…。次、アンタの元に逢えた時は、もっと尽くしてやるからさ…だから、此れからも元気にやっててくれよ。」
まるで別れの言葉のようだった。
そんな風に聞こえたのが妙に思えた私は、朧気に霞みゆく意識を無理矢理繋いで彼を仰ぎ見た。
すれば、彼は自身の本体だと言う刀を手に持ち構えるようにして私に背を向け、部屋の外を睨み見つめていた。
何か異常さを感じ取った私は、小さく「…どうしたの…?」という声を絞り出し訊ねた。
其れに、彼は首だけで此方を振り返り見て言った。
「…大丈夫だ。アンタはこのまま静かに大人しく寝てりゃあ良い…。そしたら、明日の朝になる頃にゃ、きっと全部良くなってるからさ。外の事は全部俺が片付けて来てやっから、何も心配すんな。…俺はアンタの守り刀だからな、最期までアンタの事は守り切ってみせるさ。例え、この身が折れちまったとしても…アンタだけは絶対に守ってみせる。…だから、アンタは俺の分まで生きてくれよな。」
そう、儚く笑って頬を撫でていった彼は、私の目を早く瞑らせるように覆い隠し、眠らせた。
何がとは明確には分からなかったが…彼がこの夜の内に全てを終わらせてくれると言うのなら、きっとそうなのだろう。
彼の言葉を信じて眠りに就いた私は、意識が深い処へ沈んでいく狭間で、何か硬い物が砕けるような音を耳にした気がしたのだった。
翌日、目が覚めたら、本当に何もかもが嘘だったかのように躰が軽く楽になっていた。
あんなに重怠く辛くて仕方がなかった躰が、羽のように軽くなっていた。
まるで肩の荷が下りたかのような其れに、私は首を傾げて「はて…?」と思った。
身を起こした先で何やら傍らに転がっているのを視界の端に留め、其方の方へ目を遣ると、一振りの刀が刃を剥き出しにした状態で床に転がっていた。
丁度、私が眠っていた枕元近くだろうか…。
寄り添うようにして転がっていたその刀の刃先は、無惨にも途中で折れてしまっていた。
なるべく安全そうな柄の付いた方を手に取りよく見てみると、刀はぼろぼろに傷付き刃毀れしていた。
随分と傷んでしまうまで、懸命に…武器として、物として生きていたのだろう。
酷く傷の付いた箇所へそっと指を這わして労った。
『………私の負荷を、厄を、全部持って行ってくれたのね…。有難う。そして、お疲れ様でした…。長き間彷徨い続けた君に、安らかな安息が戻る事を…。』
かちゃり、折れた刃先の破片が寂しい音を立てて私の元を去ったような気がして、一滴の涙が頬を伝った。
きっと、彼は元の帰るべき場所に帰れたのだ。
だから、もう心配しなくて良いのだろう。
私の元を去る一瞬前、空耳だろうか、微かに風音のようなものが私へと告げていったのだ。
“達者でな”、と…。
故に、彼とはまたきっと何処かで逢える。
そう思う事にして、私は折れた黒き刀をそっと布に包んで家の裏手に在る庭に埋葬した。
物であったとしても、一瞬たりとも人の姿をしていたのだ。
人が亡くなった時の其れと同じようにして黙祷を捧げ、冥福を祈った。
どうか、この先も彼に幸多からん事を祈って…。
―其れから、また幾月が過ぎた。
あれからすっかり成長してしまった私は、小娘だった姿から大人の女性へと変化を遂げていた。
あの時の一件より以降、あまり不思議な夢を見る事は無くなってしまったけれども、時折彼と築いた短くも小さな想い出を思い出すように夢で見る事はあった。
成人してから暫く経ち、其れが何度と続いた折だっただろうか。
或る日、時の政府とやらの遣いだとか言う使者がやって来て、“審神者になりませんか?”と勧誘を受けた。
どうやら、私のような特殊な力を持った者は稀少らしく、そう多くこの世に存在していないのだと言う。
丁度、地に足を着ける意味でも手に職をと思っていたところだった。
とても大変な仕事であると同時に、場合によっては命にも関わる危険な仕事でもあると説明を受けたが…何時かの彼のように、世の誰かの力に立てるのならとその誘いを受けた。
そうして、私は審神者となるべくして幾つかの研修や訓練を受け、必要な知識や技術を学び、晴れて審神者へ就任する事が叶った。
審神者となった者には、一つの本丸が与えられ、其処で歴史を守る為の力を増やしていくのだと言う。
先駆者達が築いた例に則って、私も審神者となって一番初めの仕事をこなす為、初期刀なる刀を選ぶ儀式を行った。
しかし、其処で判明した特殊な事例。
私には、既に初期刀とされる刀を励起させる前から、初期刀組に属する刀剣等とは別に顕現する事の出来る刀が居るとの事だった。
此れは、珍しい事ではあるが、前例が幾つか有るとの事らしく、異常な事ではないと前置きされた。
して、その私が審神者となり本丸を初め、最も最初に顕現すべき刀剣が保管された処へと案内された。
其処に在った刀は、確かに見覚えのある、夢に見て直に見るには久しい物であった。
その真っ黒な鞘に納められていた刀身へ触れ、懐かしさを覚えつつ顕現の儀を行う為、己に宿る力を流し込んでいく。
そうして顕現した黒き刀の付喪神を前にして、私は綻んで告げた。
『……貴方とは、きっとまた何処かで逢えるんじゃないかと思ってたよ。』
目覚めてすぐの彼は一瞬逡巡するように押し黙ったが、次の瞬間には笑みを浮かべて応えた。
「…まさか、またこうしてアンタと相見える事になろうとはなァ…。しかも、正式な俺の主として顔を合わせる事になるなんざ、誰が想像出来たかよ。」
『顕現しての挨拶は、まず名前を名乗るのが倣いなんじゃないの…?』
「嗚呼…、そうだったな…。」
彼は苦笑を零して、居住まいを正すと此方を真っ直ぐに見据えて口上を述べた。
「俺は同田貫正国。俺達は武器なんだから、強いので良いんだよ。質実剛健ってやつ?…改めて宜しく頼むぜ、璃子…?」
凛として、且つ力強く美しき光を放つ瞳を煌めかせた彼は、黒き襟巻きを靡かせ、正真正銘私の刀として、私の元へ舞い戻ってきたのであった。
今度は、きっと貴方を耀かせられる導とならん事を、この命捧げて祈る。
執筆日:2019.12.31