ウチは古くから建てられた家で、そこらかしこに傷みが出てきているようなボロい家だった。
だが、そんな家でも、生まれ育ったからには、最も心落ち着く居場所なのであった。
そして、古いが故に、夜は玄関に雨戸を入れるという作業をしなければならなかった。
世の中、都会の方がよっぽど物騒だが、田舎ながらも、きちんと防犯対策をしていないと怖いもので…。
毎朝、一部だけ残して開ける雨戸を、毎晩、あまり遅くならない内にと、今度は内側に仕舞った雨戸を引き出し、閉めるのだ。
玄関自体の鍵も掛ける為、たまに雨戸を閉め忘れる事もあるが、基本的には毎日行うものだった。
別段、この雨戸を閉める係などは決まっておらず、その時頼まれた時は自分が。
そうでなかった時は、基本、いつも父が閉めていた。
今日も、父が閉めるのかと思っていたら、偶々玄関のすぐ隣の部屋でPCを弄っていた為に、玄関の戸締まりを任されたのだった。
単純な作業だが、何となく面倒くさいと思いつつ、重い腰を上げ、玄関の戸を開け、夜の更けた外の空気を吸った。
この時間帯になると、流石に家の前の通りも人通りが無く閑散としていて、薄暗く不気味な雰囲気の通りになる。
薄暗いというのは、田舎故に街灯が少ないからである。
こんなに暗いと、夜という事もあり、何か出そうだと思ってしまうのは、人として生まれてきた故に持つ、暗闇への恐怖心だろうか。
ぼんやりと頭の隅でそんな事を考えつつ、さっさか閉めてしまおうと、些か乱暴に引き出し、ガシャンと音を立てて閉めた。
(―まぁ、何か出そうだと思うから、そう感じてしまうのであって…実際に出る訳なんてないんだから…。)
と、僅かに速まった鼓動を落ち着けて、玄関の鍵も閉め、部屋の中へと戻っていく。
家の目の前を山が囲っているというのも、恐怖心を煽る要素なのかもな、とポツリ思った。
『さぁて、寝るとするかな…。』
欠伸を漏らして、その日はもう布団に入ってしまったのだった。
とある日、また玄関の戸締まりを頼まれていたのだが、携帯を弄るのに夢中になっていて忘れていたのか、閉めようとした時間は、とっくに深夜を迎えていた。
『やっば…っ、この時間になると、あんま煩い音立てらんねぇじゃん…。』
雨戸を閉める際、立て付けが悪くなっているのか、はたまたレールの滑りが悪くなっているのかは解らないが、内から引っ張り出す時に必ず引っ掛かり、その時に鳴る音が煩い。
その為、深夜帯になる時は、なるべく音を立てないよう、静かに閉めなくてはならなくなるのだった。
これまた面倒な事この上ないのだが…。
取り敢えず、いつものようにさっさと閉めるべく、これまたいつものように乱暴な手付き(しかし静かな手付き)で閉めようとしていた時だった。
ふと、目の前の通りに何か居るような気配がして、何の気なしにそちらへ目をやった。
すれば、薄暗い暗闇の中、ぼんやりと黒のシルエットが立っていた。
軽く目をやっただけだったので、全貌を見る事はなかったが…。
明らかに、異質な雰囲気だったのを感じ取り、直感的に見てはならないモノだと判断し、視線を雨戸の方に戻し、いつにないスピードで戸締まりを終えた。
アレは、きっと気のせいだ。
偶々、夜の散歩に出てた通りすがりの人か、恐怖心から生み出された幻覚だと思い込ませ、さっさと寝付いた。
またある日の事。
またしても玄関の戸締まりを頼まれていた私は、面倒くさそうにしながらも、さっさと閉めるべく玄関へと向かった。
(今夜は月夜だから、少しは明るいかな。星は見えるかな。)
などとくだらない事を思いながら、玄関の戸を開け、雨戸を引っ張り出す。
その日も、また気配を感じて、そちらを見てしまう。
すると、先日と同じ、黒いシルエットが居た。
何故か、こんなド田舎に似合わぬ燕尾服を身に纏った男の人っぽかった。
(いや、可笑しい可笑しい。こんな時間帯なのもあるけど、そんな格好をしている事自体可笑しい。)
やはり、人ではなかったのか。
ゾワリと全身鳥肌が立って、慌てて残りを閉めて、玄関の鍵を閉めた。
確実にやばい。
目線こそ合わせなかったが、向き的に此方を見ていたに違いない。
(どうしよう…。どうか何の祟りもありませんように…。)
結局、その日はあまり眠れなかった。
そして、またしても玄関の戸締まりを任されたある日、雨が降っていた。
それなりに降っており、ザアザアと音がしていて、家の中に居れば、屋根を打つ雨垂れの音が聞こえた。
天気が悪い分、今日はいつもより暗いだろうなと考えつつ、玄関の部屋へと向かう。
ざり…っ、と靴を浅履きして、玄関の戸をガラリと開ける。
空を見上げれば、真っ暗な空から雨粒が幾つも降ってきていた。
流石に今日は何も無いだろうと、何枚の雨戸を入れれば良いか、出ている分を確認しようと視線を右へずらした時だった。
『ぅわ…っ!?』
思わずギョッとして声を漏らしてしまったが、慌てて口を塞ぐ。
しかし、既に声を発してしまった後な為、遅い。
まるで雨宿りするかように、軒下で空を見上げるようにして立っていた真っ黒いシルエットは、ゆっくりと此方を向いた。
合わせてはいけないと思っていたのに、視線が合ってしまった。
終わった…。
これは、呪われてしまうんだ、きっと…。
内心、死を覚悟して、口を開いた。
『あの…、雨宿りするなら、別の家に行った方が良いですよ…?ウチは、風向き的に濡れてしまうと思うんで…。あと、雨戸、閉めちゃうんで………、じゃ…っ。』
ふいっ、と数秒間見つめあっていた視線を瞬間的に外し、さっさと閉めるべく、内にある雨戸に手をかけた。
瞬間、ぱしりと掴まれた手首。
あまりの冷たさに、背筋が凍った。
まるで、金属そのものに触れているが如く、彼の手は温度を感じさせない程冷たかった。
ビクリと盛大に肩を揺らして、慌てて身を引くべく、足を玄関の中へと後退りさせる。
そこで初めて、彼の声を聞いた。
「待って…。別に君を斬ったりなんてしないから…。」
「斬るってなんだ…!?」と至近距離の彼を見遣れば、腰の辺りに刀らしき物をぶら下げていた。
(ひぇ…っ!?物騒極まりないじゃないか、コイツ…!!)
怯えて声も出せずに居ると、彼は勝手に喋りだした。
「君…、少し前から僕の事見えてたよね…?一度も目は合わせてくれなかったけれど…。漸く見える人に出逢えて、嬉しかったんだ。だから、いつも声をかけるタイミングを図ってたんだけど…ささっと閉めちゃうから、話しかけるタイミングが無くって…っ。でも、今日は君から話しかけてきてくれた…。何だか驚かせてしまったみたいだけども。良かった…、ちゃんと声が聞けて…。」
雨戸にかけていた手を取られ、するりと両の手で握られる。
現状に頭が追い付かずに、混乱して動けない。
完全にフリーズしてやがる。
(あ、コレ、駄目なヤツだ…。)
そう思った時が最後だった。
「君に、逢いたかった…。」
握られていた片手は、頬に持っていかれ、すりすりと確かめるように頬擦りされる。
ゆっくりと瞬きされて、開かれた金色の瞳が、私を射ぬく。
「僕と一緒に来てくれないかい…?これからを生きるのに、番が必要なんだ…。だから、君をお嫁さんにさせて…?」
呼吸すらも忘れたように、私の時は止まった。
は…?
お前の嫁になれと…?
何じゃそりゃ。
意味が解らん。
だが、思考すらも奪われた私は、それを口にする事も出来ない。
何故ならば、いつの間にか、彼に口を塞がれていたからだった。
それも、彼の口で。
(え、口付けって、こういう事だっけ…?)
遅れて理解した脳味噌がクソ過ぎて、何だか笑えた。
少しだけ冷たい人の温度の唇が離れて、腰を引かれる。
ちょっと待て。
そんな事したら、家から出る羽目になるだろう…!
しかし、今思えば、彼の狙いはそれだったのだろう。
「きっと幸せにするよ…。僕の大切なお嫁さん…?」
蕩けるように笑んだ彼の瞳を見つめていた後の記憶は、もう無い。
ピュウピュウと冷たい雨風が、開けっ放しの戸から入り込む。
部屋の中は、僅かな蛍光灯の光のみで、薄暗い。
真っ暗闇に溶けてしまったのであろうか…。
彼女の姿は、何処にも無かった。
執筆日:2017.10.30