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季節の変わり目



『さっむい…っ!!めっちゃ寒い!みっただぁ〜っ!!ただいまぁ〜!!』


寒々とした空気から暖かいお家の中へと駆け込んだ璃子は、帰宅早々玄関口で叫んだ。

パタパタと慌ただしく靴を脱いでいれば、キッチンに居るのだろう光忠の声が遠くから聞こえた。


「お帰り、璃子ちゃん!今日寒かったでしょ?大丈夫だった?」
『大丈夫だったらここまで急いで帰ってきてない…っ!ひーっ、さんむ…っ!!しゃむむ〜っ!』


本日も主夫をやってくれてる格好良くて優しい旦那様は、此方を気遣うように返事を返してくれる。

本当、良い旦那様を貰ったと思うよ。

私には勿体なさ過ぎるくらいに良い旦那様だ。

最早、家事能力を持たない嫁の私の存在など霞みそうだわ。

…なんて心の隅でいつも思いながら生活している璃子。

が、旦那が完璧過ぎるので、偶には努力して嫁スキルをアップしようと試みても、最終的には全て彼が掻っ攫っていく為、何も変わらないのである。


『もぉ〜っ、何でこんなに寒くなんの!?まだ衣類の出し入れも衣替えも済んでないのに、急に気温下がるなんてさ…!辛うじて、上着用の長袖は着てたけど。めちゃくちゃ風強かったし!冷たい空気纏った強風吹くとかマジ有り得ない…!!しかも、おまけに今日は雨だったから余計に寒かったよぉ…っ!!』
「今日は予想以上に冷えたからね〜。薄着な装いだと凄く冷えたと思うよ?部屋に荷物置いて着替えたら、温かい飲み物飲めるよう準備しとくねっ。ほら、これ以上身体冷やさないよう、早くあったかい服に着替えておいで?丁度、君が着替え終えるくらいにあったかいミルクティー出来るようにしとくから。」
『う〜っ!流石、みっただ…!どこまでも完璧、出来る男…っ!!』
「ハイハイ。褒めても何も出ないよ?」
『とか言いつつ、ミルクティーを作ろうとしてくれてる時点で私はオチたぜ。』
「うがい手荒いして来なよ?そしたら、晩御飯の味見もさせてあげるから。」
『そして、更には私を餌付けしようとしてくるとこ、私嫌いじゃないよ。でも、うがい手荒い行く前に、マジで寒いから一回みっただで暖まらせて…!』
「わ…っ。急に後ろから抱き付いてこないでよ〜。吃驚するじゃないか。」
『ゔ〜…っ!みっただあったかい〜っ!!』
「そんなに寒かったのかい…?」


外の外気で冷えき切ってしまった身体を温めるべく、一時的に光忠で暖を取る璃子。

文句を言いつつも怒らない彼は、寒い寒いと抱き付く私を離そうとしないどころか、ポンポンと頭を撫でてくれた。

本当出来た旦那様過ぎて泣けてくる。

普段、恥ずかしくてなかなか甘えれないのを良い事に、此処ぞとばかりに甘えてみる。

グリグリと頭を押し付けて、ついでに安心出来る彼の服の匂いも嗅ぐ。

うん、相変わらず落ち着く匂いで安心する。

ちょっとは温まったと満足し彼から離れると、いそいそと遣るべき事を済ませに移動した。

寒さ故にそそくさと済ませて戻ってきたら、先程言っていた通り、淹れ立てのあったかミルクティーが用意してあった。

そそそ…っとテーブルへと近寄り、マグカップを両の手で包み込む。


『ふわぁ〜…っ!温もるぅ〜…!』
「もう…っ、大袈裟だなぁ。」
『だってぇ…、ガチで寒かったんだもん…っ。』


ふぅふぅと息を吹きかけて冷ましつつ、チビチビ飲み始める璃子。

そんな彼女に、後ろに居る光忠はクスクスと笑い声を立てた。


「そんなに寒がっちゃって、冬が来たらどうするんだい?今はまだ秋で、それほど寒くはないけど…これからドンドン寒くなっちゃうんだよ?」
『冬は冬であったかい格好するもん。寒さに合わせて着込めば耐えられるし。それでも寒かったら、みっただに引っ付けば良いもん。』


猫舌故に熱々は飲めないからと少し早めに淹れてくれていたようだが、璃子にとっての適温にはちょっと熱かったようだ。

ズズズ…ッと啜りかけ、「あち…っ!」と小声を漏らしていた。

作業に一段落着いたのか、調理の手を止め、ちみちみ飲む彼女を後ろから抱き竦め、自身の体温を移すべく温める光忠は緩く笑んでクスリと声を上げる。


「そんな可愛い事言っちゃうのは、何処の誰かなぁ〜?」
『此処に居る璃子さんでーす。』
「僕の腕の中に居る、可愛い事言っちゃう璃子ちゃんには…こうしちゃうよ!」
『え?何…っ、んむ。』


軽く触れる程度にちゅっ、とキスされた璃子。

唇が離された途端、キョトンとする。

反対に、光忠は彼女の唇の冷たさに驚いていた。


「うわっ、璃子ちゃんの唇冷たい…!どれだけ身体冷えちゃってるの!?」
『みっただ…。』
「ん…?なぁに?」
『…いや、何でもない…。』
「?」


一瞬、光忠の事を可愛いと思った璃子は、それを口にしようとしたが、止めた。

光忠には、可愛いより格好良いが似合うからと思った事は内緒である。


「ところで、その“みっただ”って呼び方、何…?」
『あ、嫌だった…?』
「いや、そういう訳じゃないけど…何でその呼び方なのかな、って。ほら、いつもは“みっちゃん”って愛称か普通に名前呼ばれてたから。」
『ん〜…何となくだよ。特に意味は無い。単純に普段呼びの“光忠”と愛称呼びの“みっちゃん”を混ぜた感じ。もうちょっと詳しく解説してみると、“みつただ”の“つ”を省略した呼び方。』
「え!?僕の名前、そんなに長いかい…!?」
『いや、たったの四文字だから長くないよ?ちょっと遊んでみただけって。普通にいつも通りの“光忠”って呼ぶって!』
「もぉ〜…っ、人の名前で遊ばないでよ璃子ちゃん…。」


呆れた声で溜め息を吐いた彼は、彼女の頭の上に顎を乗せ、グリグリする。

おいソレ、地味に痛いぞ。

そう思って、マグカップをテーブルに置くと、グリグリを止めさせる為に頭の方へ手をやった。

しかし、彼の頬をぺちぺちする前に伸ばした両の手は掴まれ、動きを封じられる。

更には掴まれた片手に口付けられる始末だ。

グ…ッ、上を見ようにも、彼の頭が自身の頭上に乗っかっている為に、見る事も叶わない。

というより、この体勢、確実に私が不利だから嫌だ。


「む…っ、唇だけじゃなく、手も冷たい。」
『嫌なら離せー。』
「離す訳ないじゃないか。こんなに冷え切ってるんだから、僕の体温であっためてあげないとね!」
『さっきまではあんまりの寒さにアレだったけど…別に、そこまでしてもらわんで良い。』
「照れなくても良いんだよ…?君は普段からあまり甘えようとはしないから、もっと甘えてくれて良いんだから。甘えたい時に甘えてくれって、いつも言ってるだろう?僕達はもう夫婦なんだから、気にせず遠慮なんかしないで、グイグイ来てくれちゃって構わないんだよ?」


相変わらず不利な体勢から抜け出せずに居れば、これ見よがしに体格差を駆使して抱き込み、腕の中へと閉じ込めてくる光忠。

くそぅ…っ、自分の身長が高いからって図に乗るなよ…!

悔しげな気持ちを押し隠しつつ、彼の腕の中でもごもごしていたが、やがて疲れ果て諦める。

ちぃ…っ、意外と強固だぞ、このガード…ッ!

光忠の腕はビクともしない。

寧ろ、抱き込められる力が増したような気がして、仕方なくそのまま彼で暖を取る事にした。


『むぅ〜……っ、それがまだ慣れないから、時偶のノリでやってるんじゃん…っ。あと、恥ずいし…。』
「でも、今や璃子ちゃんの苗字は、“長船”だよ?何を遠慮する必要があるの。」
『う…っ!そうだったね…!職場じゃ元のまんまだから未だに意識薄いけど、確かにそうだったね…っ!!ふぐぅ…っ!!』


嗚呼、もう…っ、意識しないようにしていた事を持ち出されたら無性に恥ずかしくなってきたじゃないか…っ!!

みっただの馬鹿…っっっ!!

心の内で悶えていると、心中モロバレなせいか、更に抱き締める力を強めてきた光忠。

すまんが、これ以上締められたら、私死んじゃうからな。

イケメンに添ぐわず怪力な光忠は、偶に力加減を間違えて私を潰す。

やめて、マジで冗談抜きだから。


「もう…っ、恥ずかしがり屋な璃子ちゃんも可愛いけど!偶にはもっとデレデレに甘えた璃子ちゃんが見たいんだよ…っ!!」
『残念ですが、私のデレはそう簡単には引き出せませ〜ん。猫だからね。』
「猫でも、ツンとデレの比率は璃子ちゃんよりバランス良いからね…。とにかく、寒がりで猫な璃子ちゃんには、今日は特別フルコースね。」
『特別フルコース…って、何なの?』
「璃子ちゃんをこれでもかってくらいに甘やかすコースだよ。ちなみに、拒否権は無いよ。」
『無いんかい…っ!かなりの強引な甘やかし方だな…!!』
「だって、そうでもしない限り、璃子ちゃん絶対甘えてきてくれないもの。口で言っても駄目なら、実力行使しかないよね?」
『実力行使の仕方、確実に間違っとるぞ。』
「あ、言っとくけど、夜までもがセットだからね?」
『!??』
「璃子ちゃんが嫌というくらい、たっぷり甘やかしてあげるから、覚悟しといてね?」


そう告ぐ彼は、甘やかな空気を纏いつつ、妖艶な笑みを浮かべて口許に人差し指を当てた。

そして、するりと顎下のラインから首に沿ってを撫でられ、ぞわりと粟立つ肌。

態とらしいソレに、変な気を起こしそうになる気持ちを抑え、ジトリと睨む。

そんな小さな照れ隠しさえも彼にはお見通しで。


「可愛い…っ。」


と呟かれ、背中越しに頬へとキスを落とされ、漸く解放された。

途端に人肌恋しくなるのは、季節感故だろうか。

それか、彼の体温が残る故だろうか。

どちらにせよ、この季節は、彼の甘やかしっぷりに拍車がかかるのであった。

彼に、骨の髄まで絆されるのは、あと何秒…?


執筆日:2017.10.27
加筆修正日:2020.04.03