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守りたいもの



ス…ッ、と静かに障子を開けたすぐその足で執務室を出てきた彼女は、明日の予定表を記した紙を片手に廊下を突き進んだ。

もう片方の手には紐状のような物が付いた小さな何かを握って歩いている。

其れが何なのかを知るには、完全に手の内に握り込まれている為、少し難しいだろう。

何処へ向かっているのか。

彼女が行くままの先を辿っていけば、其処は本丸の道場であり、今は数振りの刀達が集まって手合せしている最中なのか、中からは精の出る掛け声が聞こえてきていた。

本丸の主である彼女は特に迷う事無く道場の入口に手を掛けると、ガラリと遠慮無く戸を開いて中へと入って行った。

そして、道場に居た者達が振り返り見てくる視線を感じながら、或る一振りの刀へと声を掛ける。


『曽祢さぁーんっ、今良ぃーい?』
「ん…?俺に何か用か?」
『うん、明日の出陣の件でちょっとお話したい事があるのだけどー…っ。』


非番同士の安定と軽く打ち合いの稽古でもしていたのだろう、手合せをしていた最中だったところへ少し離れた位置から声を掛ければ、すぐに打ち合いの手を止めた彼がその声に応じる。

其れに気軽さを持って用事の件を口にすれば、快い肯定の返事が返ってきた。


「分かった。ちょっとだけ待ってもらっても良いか?話をするのなら、一度此れを片付けてきてしまいたいんでな。」
『了解でーっす。じゃあ、皆の邪魔にならないよう外に出て待ってるね。』


話をする前に己が使っていた木刀を元の位置に戻してくると断りを入れた彼に、何とも律儀な刀だと思いながらも一旦道場の外へと出て行く彼女。

寸分待たぬ内に彼女の元へとやって来た彼は、首から提げる手拭いで汗を拭いながら問うた。


『せっかく鍛練してたとこ邪魔して悪いね。』
「いやなに、構わんさ。其れで…明日の出陣の件がどうしたって?誰を編成に組むか悩んでるとかの相談だったなら、俺よりも今現在近侍を務めてる同田貫の方が良いんじゃないのか…?」
『あ、いや、悩んでるとかそういう事ではなかったから直接曽祢さんに話をしに来たんだ。まぁ、編成の件である事には違いないんだけどね。』
「はぁ…。相談ではないのなら、其れは其れで構わないんだが…俺に何の話だったんだ?」
『明日の出陣なんだけどさ、部隊長を曽祢さんに任せようかと思ってね。其れで、ちょっと渡したい物もあって単独で話したかったんだ…!』
「おっ、部隊長かぁ!此れは気合いを入れて行かねばならないな!よしっ、俺に任せておけ!…して、俺に渡したい物とは?」


そう不思議そうな顔で問うてきた彼の目の前に手を差し出し、手を出すよう促すと、その大きな掌の上へずっと握り込んでいた物をぱっ、と落とした。

其れを受け取った彼は、改めて己の手の内に落とされた物を見て、驚いたような様子で彼女の方を見遣った。


「おいおい…、此れは……っ、」
『そ…っ、御守り。明日出陣を頼む場所は、池田屋だからね…。万が一に備えて、念には念を入れておこうかなぁ〜ってヤツだよ。』
「だが、俺は贋作だぞ?こんな大事な物を貰っては、他の奴に悪い気がするんだが…。」
『良いの。俺が良いって言って渡してんだから。明日、忘れずにちゃんと持って行ってよね?』
「ははは…っ、まぁ主であるアンタからそう言われちゃあ受け取らざるを得ないか…。分かった、有難く受け取っておこう。わざわざ俺なんかの為に用意してくれて感謝する。」
『うんっ、其れでよし…!』
「…しかし、本当に良かったのか?俺達出陣する部隊の者に渡せる御守りの数には限りが有ると聞いていたが…。」
『今のところ二部隊分は優にあるから大丈夫だよ。其処んところは心配ご無用なり…っ!其れに、明日出陣させるのは一部隊分だけって予定だし、曽祢さん以外の子にも此れからちゃんと渡すつもりだから。全然おkなのですよ…!』
「そうか。なら、良いんだが…。」


未だ腑に落ちないといった風な顔をする彼に、彼女は審神者然としながらも素直な気持ちを告白するように彼の手を取りながら言葉を口にした。


『浦島君じゃないけどさ…俺は、贋作だとか写しだとか、そういう細かい事は全く気にしてないからさ。あんま気にし過ぎないで居て欲しいな、ってのが本音…。けど、曽祢さんが曽祢さんであり、“虎徹”を名乗っている以上は突っ掛かってくる誰かさんは居ると思う。…でも、其れは其れ。曽祢さんには、今と変わらず曽祢さんらしく在って欲しいと俺は思ってるんだ。』
「主…。」
『俺にとっては…、曽祢さんは“俺の刀”って事だけ分かってればだけ十分なの。だから、大切なのは変わらない。曽祢さんは“俺の刀”、“俺の刀”は誰一人だって折らせない。欠けさせたりしない。皆が俺の大事な刀なの…。皆が戦場で戦ってくれる分、俺はこういった形でだけど皆を守りたいんだ。仲間を守る事に、意味なんて其れだけで構わないでしょ…?』


自信満々にそう言い切った彼女の言葉に、彼は唖然と口を開く。

そして、言われた言葉の意味を遅れて解し、噛み締めるように頷き笑った。


「…嗚呼、そうだな。らしくない態度を取った、謝ろう。すまなかった…。其れと…、やはりアンタには敵わないなぁ。」
『ふっふっふ…、何せ俺はこの本丸の主ですからね…!当然の事なのですよ!!』


そう言ってからからと明るく笑う彼女にだって、後ろめたい過去など五万とある。

だがしかし、其れに飲まれないよう、落ちてしまわないように短い生の中精一杯に生きながら抗い、時には心折れそうになりながらも這ってでも突き進んでいる。

そんな彼女だからこそ、今この時を生き抜き、本丸を築きその頂点の主として君臨しているのだ。

刀とは違う彼女は、人間として物とは異なる思考を持ち、葛藤する。

其れを知っているからこそ、彼等刀剣達は、陰から支え共に道を歩もうとしているのである。

彼もその例外ではない。

故に、彼も同じように笑みを浮かべ、応えるのである。


『そんじゃ、改めて宜しく頼むよ、明日の出陣…っ。池田屋攻略の為、第二部隊の部隊長として皆を宜しくね!』
「嗚呼、任された…っ!」


強く頷き返した彼の背を、細い腕ながらも力強い力で叩いた彼女。

その力を受け、また背中を押された彼は明日に微笑む。


『さっき言った事とはちょっと違うんだけどさ…実は、俺、曽祢さんには“俺の刀”っていう以外の意味でも大切に思ってる理由あるんだよねぇ。』
「うん…?其れは…、敢えて聞いても良い事なのか?」
『良いよ?だって、また明日もちゃんと無事に帰ってきて欲しいって思ってるからね。』
「そうか…では、改めて聞こうかな?その別の理由とやらを。」
『うん…っ。実はね、俺…曽祢さんの事、歳の離れた兄ちゃんみたいに思ってるんだ…!だから、ちょっとした家族みたいな感じ?まぁ、本丸に居る皆俺の家族みたいなもんなんだけどさ!だから…明日も、ちゃんと無事に帰って、またこうしてわちゃわちゃお話出来たら嬉しいな、って…。俺、まだ弱いからさ…どうしても心配になっちゃうんだ。はは…っ、本当は、こんな風に弱気で居る事だって臆病なのだって情けないからあんま良くないと思うんだけどね…っ。』


自嘲染みた笑みを浮かべて無理して笑おうとした彼女に、彼はぽん…っ、と頭に触れて言った。


「情けなくたって良いじゃないか…っ。時に弱気になったりしたって、臆病なのだって良いんだぞ…?其れは、アンタが人間で短い人生を懸命に精一杯生きようとしている証拠なんだからな!アンタが不安に思うのなら、其れを支えるのが俺達の役目だ。遠慮せずにどーんっとぶつかってこい…!俺達が其れを受け止めてやるから、心配するな。」
『…うん。っへへへ…、何かさっきと逆になっちゃったにゃあ〜。ま、いっか…!』
「はっはっは、諭すのは本来俺達の仕事みたいなもんだからなぁ〜。だが、まぁ…そう心配せずともちゃんとアンタの元に帰ってくるさ。“歳の離れた妹みたいな存在”のアンタの事が心配だからな…?」
『ははは…っ、そうかい!なら、俺は待つとするよ。明日も、その明日も、曽祢さん達が無事に帰って来れるように。』


審神者である彼女が居る本丸が、彼等刀剣男士達の帰る場所である。

ならば、その場所を守るのも、また審神者である者の義務なのだろう。


『………。(守るよ、俺は。絶対此処を失くさせたりなんてしない…っ。皆の帰る場所は、俺が守る。そして…、皆の事も、俺が。)』
「………。(俺達は、主を、“主が今此処に居るという歴史”を守ろう。誰よりも優しく脆い主の為に、誰一人として欠けぬよう強くなって…。)」


志を同じにする者は、互いに明日を目指して突き進む。

例え、何者かに道を阻まれようとも。

意志さえ折れなければ、共に歩みを止めずに突き進み続けるのだ。

…其れが、刀と人間の小娘という関係であれど。


執筆日:2020.03.02