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ささやかな温もり



干していた洗濯物を取り込み、部屋で片付けていると、ガラガラと玄関の戸を開ける音がした。

この本丸の主であり、僕の大切な人でもある主が現世の仕事を終えて帰宅したのだろう。

主が帰還するのを心待ちにしていた僕は、浮き足立ったような気持ちで玄関の方へと足を向けた。


「おかえり、主っ!現世のお仕事お疲れ様!」


ひょっこりと先に頭を覗かせれば、視線の先で彼女の姿を捉える。

しかし、期待していた様子と違って、僕は思いの外驚いてしまった。

その理由は、彼女の表情という表情が抜け落ちていたからだ。

分かりやすく言えば、完全なる無表情…何の感情も読み取れない表情だった。

僅かに不安を抱き、一先ず彼女を出迎え、彼女の返事を待った。


「おかえり。荷物は僕が持つから、上がって?あと、主…何か疲れてる?」


再度帰宅の挨拶を口にしたが、彼女からの返事は、それから一拍置くようにしてから返ってきた。


『……あぁ…。ただいま、光忠。』


心なしか、声にも覇気が無いようで。

いつもより暗く、トーンも低い…。

僕は心配になって、彼女の顔を覗き込むように腰を屈めた。


「主…?どうしたの……、っ!」


すると、彼女は何も言わぬまま、僕の胸元へ頭を預けた。

顔は俯いた状態で、少しだけ体重を掛けるように、寄り掛かる形で。

突然の事に吃驚して、思い切り動揺してしまった僕は思わず言葉を詰まらせ、その先を告げれずに終わる。

外の気温で少し冷えた彼女の身は、余計に元気のなさを強調させた。


「あ、主…っ?いきなりどうしたんだい?帰った時から元気ないみたいだけど…仕事先で、何かあった?」


あまりにもいつもと様子が違って、訊いてしまうのも気が引けるが。

何かあったのなら、早くそれを解決してあげたいし、出来る事なら、いつだって支えてあげたい。

僕の主は、彼女だけだから。

君に惹かれている想いも込めて、寄り添っていたい。


―だから、そんな暗い顔しないで…。


彷徨っていた手を彼女の頭に置き、もう片方の空いた手を彼女の肩に置いて、中途半端な態勢の彼女の身体を支える。

そして、彼女の内に抱えるものが少しでも軽くなるように、もたげられた頭を優しく撫でる。

すると、ぽつりぽつりと、彼女は小さな声で吐露し始めた。


『………疲れた…。』
「うん…。」
『仕事で、ちょっとしたミスしちゃった…。』
「うん。」
『それも何度も…。』
「うん。それで…?」


ゆっくりと紡ぎ出される言葉に、僕は急かさずにただ相槌を打って、彼女の言葉に耳を傾けた。


『まだ社会人になって経験が浅いってのは、分かってる…。でも、こう何度も小さいけどミス重ねちゃうと、何だか自信無くなってくる…。』
「うん…。」
『それに、至らない点が多いのか…かなり指摘を受けた……。』
「成る程ね。それで、落ち込んでるって事かな?」
『…うん……。何か、めちゃくちゃヘコんだ…。まぁ、理不尽な事とか、仕事してる上で付き物だけど…本当に理不尽な世の中だなって思うと、何か自信持てなくなった…。』
「僕は刀だから、人間の世界観の事は解らないけど…そこまでヘコまなくても良いと思うな…?確かに、主は今、凄く自信が無くて落ち込んでいるけれど…精一杯頑張ってるんでしょ?しかも、主は審神者もやりつつ、現世のお仕事も勤めてるんだから、覚える事が多くて戸惑ってるんじゃないかな。大変なのに、手を抜かず頑張ってるんだから、立派だよ!」


ぽんぽんっ、とリズムを刻みながら、幼子をあやすように背中を叩く。

刀であり、今は人の形をした刀剣男士だけれど、彼女の傷付いた心を慰めるぐらいは出来る。

僕達刀剣は、謂わば付喪神。

そう簡単には現世へと付いていく事は出来ない…。

だから、主が現世でどんな事をして何を感じているかなんて、分からない。

だけど、本丸に…気を許せる居場所に帰ってきている今は、無理はして欲しくない。

強がらずに意地を張らず、甘えて欲しいと思うのは、我が儘なのかな…。

そう思いつつ、主の頬を撫でると、主が俯き気味に顔を上げた。

見ると、少し鼻をグスリと啜らせ、目元を赤く染めていた。

瞳も僅かに潤んでいて、涙を溜め込み、必死に堪えているのが分かった。


「…お疲れ様、主。今は、ゆっくり休みなよ。此処に居る時くらい、気を緩めても良いんだからさ。いつも気を張ってたら、辛いでしょ…?だから、今は休もう?たまには、心を休めるのも大事な事だよ。」


優しく髪を撫でながらそう伝えると、涙こそ流さないが、目を伏せて、再び僕の胸元に寄り掛かった主。

ただ、先程と違うのは…僕の服を掴み、甘えるように額を擦り付けてる事だ。


『……光忠…。』
「うん…?」
『…ありがとう…。』
「うん、どういたしまして。僕が出来る範囲なら、どれだけ甘えてくれたって良いんだからね?」
『……うん…っ。』


そうやって、数分間玄関先で突っ立ったままでいると、いつまで経っても部屋へと来ない主を心配してか。

鶴さんと伽羅ちゃんが僕等を呼びに来た。


「お?何だ主、帰ってたのか!帰ってたのなら、早く部屋へ来れば良いのに…。」
「ごめんね、鶴さん。主、ちょっと色々疲れちゃったみたいで、甘えたい気分らしいんだ。」
「そうかっ。だから、帰って早々、光坊に抱き付いてるのか!」
「うん、まぁ、そんなところかな?ぶっちゃけたら、僕が先にぎゅーってしたかっただけなんだけど。」
「……………。」


聡い伽羅ちゃんは、何かを察したのか、無言で主を見つめるだけで何も訊かないでくれる。

鶴さんも何事も無いように装ってるけど、年の功なのか、空気を悟って、敢えて茶化すような言葉を選んで笑っている。


「まぁ、何にせよ。早く着替えて、飯にしようぜ!俺は腹が減ったぞ、光坊!!」
「はいはいっ。今食べる準備するから、伽羅ちゃん手伝ってくれる?」
「…分かった。」
「主も、早く化粧落としてきちゃいなよ。そしたら、皆でご飯食べよう?」
『……ん…。』


然り気無く、今の顔をどうにか出来るように、自然な形で顔を洗いに行けるような空気を作る。

主も、漸く僕から離れて、ゆるゆると自室の方向へ足を向けた。

他の二人もその場から離れる際、伽羅ちゃんだけ一度足を止めて、主の頭を通り過ぎ様に撫でていった。


「…あまり抱え込むなよ。」
『……!』


嗚呼、あんなにも馴れ合いが嫌いな伽羅ちゃんでさえ、主を想って声をかけている。

鶴さんも、僕が持っていた主の荷物を何気に持っていっている。

きっと、主が洗面所から戻る前に、部屋へ置いておくつもりなんだろう。

ついでに、驚きも添えて。


―主は、いつだって一人じゃないんだよ…?

だから、もっと僕等を頼ってね。


執筆日:2016.11.24