▼▲
寂しがり屋の神様



夜、ふと目が覚めて眠気が醒めてしまったから、月見でもしてから寝直そうかと縁側を歩いていた。

そしたら、ここ最近本丸に所属したばかりの三日月(政府出身)が一人ポツン…ッ、と縁側に腰を下ろし佇んでいた。

こんな夜更けにどうしたのかと首を傾げ、気になったもので取り敢えず一声かけてみようかと声をかけてみた。

夜も深い事から、勿論そこは小さく小声で潜めた声音で…、だが。


『こんな時間にどうしたのかな、お爺ちゃん?』
「ぅん…?おや、此れは此れは、主ではないか。やぁ、こんばんは。主こそ、こんな夜更けにどうした…?」
『んー、俺はちょっとばかり目が覚めてしまったのでね…寝直すにもちと目が冴えてしまってたからお月見でもして暫く時間潰して過ごそうかと。そっちは…?』
「ふむ、俺も似たようなものさ。夜になったと言えど、少しばかり目が冴えてしまっていて、このままでは眠れぬものと見て、さてどうしたものかと思ったのち…月見でもしたら良いかと思ったでなぁ。こうして縁側に腰掛け月を眺めておったのだ。」
『そっか…。まぁ、顕現してから日が浅いから人の身に慣れないんだろうね。その内慣れてくと思うから、心配しなくても良いよ。』
「うむ、其れは安心した。…にしても、今宵の月はまこと美しいものだなぁ…っ。」
『ふふ…っ、今日は天気が良かったからね。今夜はよく月が見えるでしょ。』
「嗚呼…月も星もよく見える、まこと美しい夜だ…!御主という素敵な女人が側に居るというのもあるかな?」
『もうっ、上手い事言っちゃって…!そんな事言っても、俺からは何にも出ないからね?』
「はっはっは…!其れは残念だ。」


他愛ない言葉を交わしつつ、何となしに彼の隣に腰掛け一緒になって月を眺めた。

静かな夜という時間がお互いを心地好く包み込んでくれてる感覚がして、絶妙に心を落ち着けてくれる様だった。


『あんまり眠れない様なら…ちょっとだけお酒でも飲む?ちゃんとした睡眠を取りたいのなら、本当は寝酒ってあんま良くないのだけども…。』
「おぉ、其れは良いな。もしあると言うのなら、是非戴こうかな…?」
『ん、じゃあ、ちょっと厨に行って用意してくるね。皆には内緒でこっそり、ね…!』
「ふふふ…っ、相分かった。“二人だけの内緒”、だな…?了解した…!」
『常温のままのを飲むのも良いけど、其れじゃあ寝酒にして飲むにはちょっと冷たいだろうからね。飲みたい分だけのを少しだけ火に掛けて温めてくるよ。…ついでに、上着も着ないでこんな処に居たお爺ちゃんの為に何か掛ける物取ってくるね?』
「あなや。ははは…っ、此れはすまなんだや…!つい、うっかりしておったなぁ〜。助かる。」
『んじゃ、ちょっと此処離れるね?俺が離れる間も含めて躰冷やしちゃ元も子もないから、代わりの上着持ってくるまで俺の着てたの着てて。俺のだからサイズちっちゃくて肩に掛けるぐらいしか使えないけど、無いよりかはマシでしょ。』
「うむ、有難うなぁ。御主は、ほんに優しい子だな。」
『褒めても何も出ないったら。』


そう言って己の上着にしていた袿を彼の肩に掛け、「じゃ、ちょっと行ってくるから、大人しく待っててね。」と告げて厨へと向かった。

こっそり音を立てぬ様に移動し、酒飲み連中が仕舞っている棚から一本一番度数の低そうなお酒を失敬し、少しだけの量を徳利へと移し、鍋に水を張って其処に酒を移した徳利を入れて火に掛ける。

温まるまで盆の上に二人分のお猪口を用意し、酔い冷まし用の水も一緒に用意しておく。

程好いくらいに生温くあったまってきたら火を消し、鍋から外して余分な水気を拭って盆に載せ運ぶ。

元の場所に戻るまでの途中、彼へと宛がった部屋へと寄って彼用の上着を取る事も忘れない。

そうして彼の待つ縁側へ戻ると、彼はとても上機嫌な様子で待っていた。


『お待たせぇー。ハイ、上着持ってきたよ。もう…お爺ちゃんの部屋にちゃんと用意して置いてたんだから、無精しないで持ってきなよねぇー?』
「ははは…っ、すまんすまん。つい、うっかりしておったでな。お陰で助かった。代わりに御主のを借りてしまって悪かったな。寒くはなかったか…?」
『大丈夫。俺火元に居たから、そんなに冷えてないよ。お酒、此処に置いとくね。寝酒用にちょっと用意しただけだから、此れ一本分しかないからね。故に、おかわり欲しいって言われても此れ以上は用意しないから、そのつもりで。』
「はっはっは…、主は手厳しいな。分かった、飲むのはこの一本だけとしよう。しかし…其れでは御主の方が物足りなくなるのではないか?」
『そこんとこについては無問題モーマンタイネ。元より俺はあまり酒が飲めない質の下戸でね、故に飲めてもちょこっとしか飲めないのだよ…。だから、此れぐらいが丁度良いのさね。』
「そうだったのか…。いやはや、此れは参ったなぁ。御主に気を遣わせてしまったという事か…。」
『ふふふっ、そんな気にしなくても良いよ。俺が好きでやった事なんだから。其れに、お互い眠れなくてこうしてお月見しようとしたとこは同じなんだし、小さな事には目を瞑って楽しく月見酒でもしようよ…!何事も楽しんだもん勝ちだよ?』


己がそう言うと、彼はきょとんとした後にくしゃりと笑って表情を崩した。


「…そうだな、では有難く戴こうとするか。」
『うん。じゃ…乾杯っ。』
「うむ、素敵な今宵に乾杯。」


かちん…っ、と小さく控えめに互いの器を当ててから、くぴりと酒を一口、口にする。

瞬間、温かな酒が喉を通って、胃に流れ込んだ途端にカッと熱を伝えてきた。

慣れない日本酒独特の辛みと度数に、忽ち躰が火照ってきて顔が熱くなってきた。


『ッ…、っはぁ〜……やっぱこりゃまだ慣れねぇや…っ。一口飲んだだけだってのに、もうカッカしてきちゃってら…。ふはぁ〜…っ、皆お酒強いなぁ〜……。』
「くふふふふふ…っ、御主にはまだちと早かったかな?」
『ぅ゙〜…っ、情けないですが、俺にはまだ日本酒の強さは早かった様ですぅ〜………っ。うぅ゙ぅ゙…、一応成人してからだいぶ経つから、慣らす目的も含めて少しずつ酒飲んでみてんだけどねぇ〜。ゔ〜ん、やっぱ俺にはまだチューハイかノンアルなお酒で十分ですぅ〜……っ。』
「そうかそうか…っ。では、残りの全部は俺が戴くとしよう。慣れぬ者が無理に飲む事はないさ。御主はそのお猪口一杯分だけにしておけ。悪酔いして明日に響いても悪かろうからな…?」
『うん…、そうしますぅー……っ。』


喜んで残りの分の酒を美味しそうに飲み干していく彼の横で、私はあっさりと真っ赤に茹で蛸となってしまった顔を扇ぎながら、ちみちみと舐める様にしてお猪口の酒を口にした。

そうして、二人して暫く静かに酒を片手に夜空を眺めていたが、少し経ってから口を開いた彼がぽつりと零した。


「…そういえば、こうして月を眺めようと思ったのは……少し前に、月が見えるのは夜だと誰からか聞いてな。眠れぬまま夜を過ごすよりかは良かろうかと、試しに眺めてみたのがきっかけだったのだが…月とは、何とも美しいものだなぁ。―俺は、こんなにも美しいものの名を貰えたのだなぁ…。そう思うた途端、胸の内がこう…、ぽかぽかと温かくなった感じがしたのだが…きっと、此れが人で言うところの“嬉しい”という感情なのだろう。しかし、何故ゆえだろうか……感情に反して、何やら腑の奥底辺りがすかすか空いて敵わんのだ。此れは、一体何なのだ…?」
『すかすかする、とな…?うーん……いまいち分かんない感じだねぇ…。其れはどういった時になる事が多いのかな?何となくで構わないから教えて欲しいな。そしたら、何か分かるかもしんないから。』
「うむ……。そうだなぁ…思えば、人の身を得て初めて夜というものを知り、月が何れ程美しいものかを知れたが…夜とは、こんなにも静かで寂しいものだったのかと思うたり考えたりした時だろうか…。…人の子は、永き時代、何時もこのような寂しい時を過ごしていたのかと…。いやはや、この事に関しては恐れ入った…!物としてではあったが、随分と永き時を生きてきた俺でさえ、此れ程にも寂しいと思えるのに…。人とは、凄いな。何と強いんだろうなぁ…。」


そう言った彼は、口端を苦く歪め、自嘲するように笑み、目を伏せた。


「……夜は、静か過ぎて寂しいなぁ…。寂し過ぎて、一人では眠れんよ…。」


ぽつり、そう零した美しい神様は、泪を溢して泣いた。

月のように美しい姿を貰ったが故に、その孤独は人知れず…と言ったところなのだろうか。

月を目にしながらぽろぽろと泪を溢す彼に、私は何がしてやれるのだろうか。

小さなお猪口片手に思案し、考え抜いた先に出た答えを静かに口にした。


『…そっかぁ。夜の静けさに慣れずに寂しくて堪らなかったんだね。大丈夫、怖くないよ。俺が隣に居るから、寂しくもないよ。お爺ちゃんは、今は一人じゃないんだよ…。だから、安心して眠っても大丈夫よ…?』


そう、慰めにもならぬ細やかな言葉をかける事しか、今の己が出来る術は無い。

しかし、其れでも彼の心にほんの少しでも寄り添えてやれたなら、其れで良いのだ。

持っていたお猪口を盆に置き、そ…っと彼の肩に手を置いて、ゆっくりと背中の方へ回して撫でる。

夜を怖がる子供を宥めるように、そっとそぉっと、優しく背中を擦ってあげた。

物として人が生きるより永き時を生きてきたとしても、人として顕現したのは初めてなのだから…生まれたての赤子と変わらぬ感情を抱いたとて可笑しくはないのだ。

だから、此処はそっと優しく寄り添いながら彼を安心させるべく声をかけていくだけでも構わないのである。

そう、思考の隅で考えていると、ふと彼が空いた手で私の夜着の端を控えめに掴んで引っ張ってきた。

其れに、子供と同じ仕草だと思いつつ、微笑んでその彼の手を取った。


『どしたの、お爺ちゃん…?』


私はそう、努めて優しい声音で問うた。

そしたらば、彼は震える声でこう告げてきたのである。


「……手を…手を握ってはくれぬか………?」


泪ですっかり濡れてしまった顔を子供の様にくしゃくしゃと歪めて此方を見遣った彼の目は、水面に浮かぶ月の様だった。


『…うん、良いよ。お爺ちゃんが落ち着くまで、手握っててあげるね。』


両手できゅ…っと緩く包んであげた彼の手は、夜風に当たって冷えて冷たくなっていた。

反対に、自身の手は、酒を口にした事で火照り熱く温まっていた。


『お爺ちゃんの手は、夜風で冷えてすっかり冷たくなっちゃってるねぇ…。何時から此処でお月見してたのかな…?』
「………はて、何時からだったろうなぁ……?もう随分と長い時間、こうして月を眺めているなぁ…。しかし、一向に眠気が来ななんだで困っておったところに、主が来てくれた…。世話を掛けてすまなんだ…。」
『此れくらい、どうって事ないから気にしないで?…其れよりも、こんなに躰冷えちゃってるから、もう部屋の中に戻ろうか。もうちょっとお酒飲んでたいなら、一緒に持ってってあげるから…部屋に戻ろう?じゃないと風邪引いちゃうよ。』
「……そうさな…。では、今日のところはもう戻るとしようか…。月見ならば、また明日も出来るものな…。」
『そうそう。明日も一緒にお月見したいってなら、また一緒にしよう?だから、今日のところはお終いにしようね…?』


そう諭して、彼を部屋へ返すべく片付けをして、部屋へ戻るよう促した。

すると、夜着の袖の袂をちょん、と摘んで引き留めてきた彼に振り返る。


「すまぬが…眠る時も一緒に居てはくれぬだろうか…?まだ、一人きりで夜を過ごすのには慣れなんだで、寂しいのだ…。だから…今夜は俺と一緒に寝てくれぬか?もし、御主が嫌でないのなら…頼みたい。」


本当に子供と同じ様だと思った。

彼は、元は政府から賜った刀と言えど、もうすっかり私の本丸の刀なのだ。

だとすれば、其れは最早我が子と同じ様に思えても仕方のない事であるのではなかろうか。

そんな風に思えた私は、不安に思っているであろう彼にこう言った。


『…うん、勿論良いよ。お爺ちゃんがよく眠れる様、側に居てあげようねぇ。』


袂を摘んでいた彼の手を取って、引いてやりながら縁側を後にする。

彼の部屋を目指すよりも、どちらかと言うと私の部屋の方が近かった為に、離れの方へ連れて部屋の中へ引き入れてやる。

さっきまで寝ていたから敷きっ放しの布団が部屋の中央付近を占拠している。

其処へ彼を案内して、冷え切ってしまった躰を温めるべく、まだ温もりの残った布団の中に押し入れ寝かし就けてやる。

持ってきた酒の類いは、部屋の隅の文机の上にでも置いておけば良いだろう。

ちゃんとした片付けは明日の朝にでもやれば良い。


「ほんに、余計な世話まで掛けてすまなんだや…。」
『良いから良いから…っ、お爺ちゃんは気にせず目ぇ瞑って寝て…!俺が側に居るからさ。』
「うむ……。一つ、我が儘を言っても良いか…?」
『なぁに…?』
「その…俺が眠ってしまうまで、手を握っていてはもらえぬだろうか?…どうも、まだ不安で心許ない気がして仕方ないのだ…。すまんが、宜しく頼めぬか…?」


そう伺いを立ててくる彼に、私は小さく柔く笑って返した。


『はい、どうぞ。此れなら、もう心配ないでしょ…?』
「うむ、まこと温い手だ。此れで…俺も安心して眠れるだろうなぁ。」


眦に残っていた泪を優しく拭ってやってから、ぽんぽんと彼を包む布団の上を叩いてやった。

其れは、子供の姿をした短刀の子等を寝かし就けてやるのと同じ様に。


『…おやすみなさい、お爺ちゃん。良い夢を見なよね…。』


―寂しがり屋な神様は、夜に泣く。


執筆日:2020.04.25