唐突に目が覚めて意識を覚ました。
先程までしっかりと夢見心地だったのは確かなのだが、ほんに唐突として意識が覚めてしまった。
夢を見たのだ。
悪い夢というには些かまだマシと言えるのが、まことに夢見が悪い時は魘されたり、果てには寝ながら泣いてしまったりするからだ。
そんなのと比べてしまえば、“怖い”という感情すら抱いたものの、悪い夢とするには微かに何かが欠けている気がした。
だが、確かに変な夢を見たのだ。
己の右眼が、突如としてその白眼の部分が一部溶けたように爛れ落ち、有るようで無いような肉の部分を見え隠れさせている…そんな内容の。
ずっと眠り続けていた訳ではないが、其れなりに結構長く眠っていた中、ぷつりぷつりと途切れるように様々な夢を見た気がする。
その全てが繋がっているようで全くの別物のようだった気もする。
中には、悪夢ではないが、物悲しい内容もあった気がして、その夢を見ていた最中は心の奥底が揺さぶられて、寝ながら何時もの如く泣いてしまうかと思った。
其れとは異なるが、幾つか見た夢の中に、つい“怖い”と思ってしまう其れがあった。
実際はただの夢だろうし、夢の中でも瞬きの際に目蓋に爛れた白眼がくっ付くような引き攣る軽度の痛みはあった気はしたが、意外にも其れ以上の痛みは襲ってこなかった。
代わりに、目に映る…鏡に映った光景があまりに生々しくリアルだった事に、恐ろしく思ってしまった。
起き上がりに反対の目を擦った際に、思わず何も無い事を確認してしまったくらいには動揺してしまっていた。
そして、軽く身形を整えた後、己の閨を後にし、母屋へと赴いた。
そのまま厨へと向かって、其処に居るだろう彼に声をかけた。
『…みっちゃんみっちゃん、ちょっと良い?』
「おや、おはよう主。起きてきたんだね。今日は何時もよりか比べて早いね。朝からどうしたんだい?何か僕に用かな?」
『…うん、おはよう。…ちょっとだけ話、良いかな?』
「…うん。分かったよ。ちょっとだけ待ってね。歌仙君に火の番の事を頼んじゃうから。」
喋り出しの口調から察したんだろう。
一度、私に断りを入れると、火の番を共に食事当番をこなしていた歌仙に頼む台詞が中から聞こえてきた。
特に険も無い様子で了承した彼の短い返答も聞こえてきた後に、暖簾を潜り出てきた光忠が姿を現した。
「朝からどうしたのかな。…もしかして、また怖い夢でも見ちゃった?」
『…ううん。私の中では、怖い夢、っていう程のものに分類する程ではなかったのだけど…何となく、誰かに聞いて欲しくて。…子供っぽいって笑われるかな…?』
「そんな事無いよ。君は、ただでさえ夢見が悪い事が多いんだ。君自身が話せると思うのなら、吐き出しちゃった方が良いんじゃないかな。ほら、悪い夢を見た時は喋っちゃった方が良い、ってよく言うだろう?其れで…今回はどんな夢だったのかな?」
『その…右眼が……白眼の一部が、溶けたみたいに爛れて中の肉みたいな部分が見えてるの…。痛みは大した事なかったけど…瞬きする目蓋の内側に引っ付いて引き攣るような感覚はあった。…夢って分かってるけど、起きた時不安になっちゃって……。一応、自分でも鏡で見て確認してみたけども、どうしても気になっちゃって…みっちゃんに声かけちゃった。…ねぇ、私の目、大丈夫だよね…?ちゃんと何時も通りの目で映ってるよね…?何ともない筈だよね?私にだけまともに見えてるとかの幻影とかではない…よねぇ?』
「うん…っ、大丈夫だよ。落ち着いて、君の両眼は何時も通りの目をしているよ…?あんまりにもグロテスクというか、生々しい内容だったから吃驚しちゃったんだね…っ。大丈夫、君は何時も通りの君だよ、安心して。」
『……御免、ちょっとだけ取り乱しちった…。たぶん、つい最近めいぼとか結膜炎が出来た事で、目に強く意識がいってたからだと思う。めいぼ出来たのは逆の目だし、もう治っちゃったけども。その翌日か翌々日くらいに、今度はお姉の目にめいぼ出来ちゃったって話聞いたからかな…確か、お姉がめいぼ出来たのって右眼だったなぁ…。』
「……………。」
朝から語る夢の内容にしては重たい其れに、思わず閉口して口を噤んでしまった光忠。
己の身の事や、自身に纏わる元主についての話題があった故に、ただの他人事として括るには憚られる思いだったのだろう。
途端に努めて意思をはっきり乗せたような声音に、気遣わしげな視線を受けた。
「…大丈夫かい?痛んだりとかはしていないかい…?」
頬を優しく撫でるように伸ばされた彼の掌が、僅かにだが震えてしまっている事に気が付いた。
無理もなかったかもしれない。
彼の根底にあるトラウマを抉ってしまったか…予測はしていた事だったが、申し訳ない事をした。
私は謝罪の気持ちも乗せて言葉を紡いだ。
『其れは大丈夫…でも、あまりにリアルというか、精神衛生上には良くない感じに生々しかったから……ちょっと動揺しちゃった。御免ね、朝から話すような話じゃなかったね。朝餉作ってる最中だったのもあるし…もし、気分悪くさせたようなら、代わりの子に声かけて変わってもらうようにするよ?』
「僕なんかを気遣うよりも、今は君自身の精神を心配した方が良いんじゃないかい…?」
『……でも、みっちゃん嫌だったでしょ、こんな話題。何でよりにもよって僕に話したのか、って思ったよね?意地悪だって思ったでしょ、こんな話題を敢えてみっちゃんに振るなんて…。でも、御免ね…こんな話、みっちゃんにじゃなきゃ話せない気がしたんだ。…全部、私の我が儘。私の勝手なエゴなの。』
「ううん…全然そんな風には思ってないよ。寧ろ、僕を頼ってくれて有難う。僕に話した事で君の心が落ち着きを取り戻せるなら、幾らでも聞くよ。きっと君は僕の右眼の事を気遣って言ってくれたんだろう…?その気持ちだけで、僕は十分に救われてるよ。だから、大丈夫。元の主である政宗公の事も含めて気遣ってくれて有難う。でも、だからと言って君が無理をしてまで全てを抱え込もうとしてくれなくて良いんだからね…?君は君だ。時には僕達の事ばかりじゃなくて、自分の事も大事にしてあげてね。」
『……うん。本当、朝から色々と嫌な思いさせて御免ね、みっちゃん。その…本当に代わりの子、声かけて来なくて大丈夫…?』
「…うーんっと……実のところ、白状しちゃうと…今の話は、かなり精神に来ちゃったかなァ……。せっかく話してくれた君には申し訳ないんだけどね?御免ね。君が悪い訳じゃあないんだ。でも…ちょっと気持ちが落ち着くまでは、仕事に戻れないかも…。」
『その件に関しましては、本当誠に申し訳ございませんでした…っ。分かってはいたのだけど…無神経過ぎたよね、御免。ちょっと今からでもすぐに誰か別の子探してくるから…、』
「いや、大丈夫だから…っ。其処まで心配しなくとも、少し休めばすぐ仕事に戻れるから…!」
『で、でもでも…っ、やっぱり私が変な話したせいでみっちゃんの精神をやっちまったかもだし…!話したからには責任は取るよぅ…っ!』
「いやいや、本当に僕は大丈夫だから…!他の子の手を煩わせる程の事じゃ……っ、」
「何時まで二人してそうして同じような言葉を繰り返しているつもりだい?そのままでは、何時まで経っても埒が明かないよ。」
『か、歌仙………っ。』
似たような台詞を繰り返して押し問答を繰り広げていると、痺れを切らせた歌仙が中から出て来て顔を覗かせた。
たぶんだが、聞き耳くらいは立てて話を聞いていたんだろう。
呆れた様子で溜め息を吐いた彼に、お叱りを受けてしまった。
しょぼんなう。
「全く…主の夢見の悪さには恐れ入ったね。最早折り紙付きと言っても良いくらいの悪さだろう。今の内容を聞いて、何処が“まだ悪い夢と分類する程じゃない”って…?十二分には悪い夢に入るじゃないか。今の何処をどう見て“変な夢”で片付けられるんだろうねぇ?今日辺りにでも早速石切丸殿にお祓いや祈祷を受けた方が良いんじゃないかい?」
『す、すみません…っ。個人的な感覚では“まだ入ってない”感覚だったんですぅ〜……っ。』
「そもそもの君の基準自体が可笑しいんじゃないかな。普通、そんな夢を見た時点で恐れ慄いて当然だよ。平気で居られる方が可笑しいんだ…!……其れと、燭台切もだが…自身の顔色を見て物を言った方が良いと僕は思うよ。」
「え……っ、僕…今そんなに酷い顔してるかい…?」
「君が思う程酷くはないと思うが…明らかに具合が悪そうな顔付きをしているよ。調子が悪いようなら、後の事は全て僕に任せてくれて構わない。一先ず、今は君も少し休んだ方が良い…。代わりの者なら、適当に見繕っておくから心配は要らないよ。朝餉の時間が遅れてしまうかもという気遣いも無用だ。何時も通りの時間に間に合うよう作り上げて見せるからね。どうせ、もうほとんど作り上げていたものだし、此方の事は気にせず気兼ね無く休んでいると良い。」
そう言って、彼は怒り顔から柔和な顔付きに戻してやんわりと微笑んだ。
私達を気遣っての事だろう。
本当、私の元から顕現したとは思えない気遣いっぷりだ。
諺にあるように、爪の垢を煎じて飲んだ方が良いだろうかと真剣に考え出すくらいには思ってしまった。
そうこう朝から厨の前であーだのこーだのと言い合っていたら、騒ぎを聞き付けたのか、比較的本丸内では早起きの中の面子に入るたぬさんが起きてやって来た。
「何、朝から騒いでんだ…?」
「嗚呼、同田貫、丁度良いところに来た。すまないが、燭台切がちょっと気分を悪くしてしまってね。代理で悪いが、急遽朝餉の用意を手伝って欲しい。」
「何かあったのか、アンタ…?」
「朝から聞くには堪えない内容の話を主から聞かされてね!また彼女の夢見の悪さが出てしまったそうだよ…!何処からどう聞いても悪い夢なのに、其れを“変な夢”と語って平気で居られるんだ。僕なら、同じ夢を見たら跳ね起きて身震いを起こす程におぞましい内容だったよ…っ!」
『そ、そんなに言うか……ッ、』
「アンタ、また悪い夢見たのか…懲りねぇなァ。ついこの間も見たばっかじゃなかったか?アンタの頭ん中どうなってんだよ…。普通、そんな頻繁に悪夢見てたら精神ぶっ壊れるんじゃねーのか?よく平気で居られんな。」
『…平気で居られなかったから話聞いてもらいに来てたんだが…、まさか其処まで責められるとは思わなんだや…。』
「別に、僕は責めたつもりは此れっぽっちも無いよ…!だけれど、諸々の件も含めて全て抱え込むような真似はしないでくれというつもりで忠告したんだ…っ。さっき燭台切にも言われただろう?君は何かとヨイショし過ぎなんだよ。少しは自覚を持ってくれ…でないと、何時か本気で精神を壊す事になるぞ。」
『……と、言われてもなぁ…既に何度か壊れた後に、再生を繰り返して今に至るんだよなァ…。』
「となると、アンタ鋼の精神力だな。俺達よりよっぽど強い精神持ってるんじゃねーか?」
『そうじゃないから何度も悪夢見て魘されてんだろ…。所詮、私は弱い人間、力も弱けりゃ精神も弱いのさァー…。』
彼等から言われた事に、軽く不貞腐れていると、隣に立つみっちゃんから頭をぽんっと撫でられた。
「大丈夫、君は弱くなんかないよ。今でも十分強いくらいさ。だって、今こうして僕は顔色を悪くさせているのに、君は何時も通りの顔付きだろう…?ちょっと元気が無い程度には翳っている様子だけれども。」
『…まぁ、私の場合は、慣れっていうのが多分に含まれてるだけだけどね…。たぶん、今が梅雨時期なのもあるんでしょ…ここんところ、ずっと雨続きだから。其れでちょっと夢見が悪くなってるだけ…今回のはまだマシな方。過去に見た夢の方がもっと怖くてビクッ、て跳ね起きる程だった。』
「嘘でしょ…今のをまだマシと捉えられる君の精神、だいぶヤバイ感じなんじゃない…?」
「取り敢えず…話は分かったから、俺が燭台切の代わりに飯作んの手伝えば良いんだな?」
「嗚呼、宜しく頼むよ。もうほとんどが彼と作り上げてしまっているけども、味噌汁と和え物の方がまだでね。他は全部出来ているから、残りの分を頼むよ。」
「うーっす。了解したー。」
「御免ね、急遽僕の代わりを頼む事になっちゃって…。」
「別に、飯作るくらい朝飯前さ。言葉通りの意味でな。其れと…アンタの代理になっちまった事に関しちゃ俺は大して気にしてねぇし、あんま言うと其処に居る主の奴が逆に気にし始めるだろうから…面倒な事なる前に口閉じちまった方が良いぜ。」
「あっ、御免…!完全に無意識だった!」
「ん。其れで良いんでねぇーの…?俺の主様は“気にしぃ”だからなァ〜…変なとこで落ち込んじまうから、発言には気を付けないとな?」
『…何か微妙に棘がある物言いですね?』
「ウッセェ。もう用が無ェんなら服着替えてこい…。アンタまだ寝間着のまんまだろ。顔洗って髪と身形だけは整えてきたつもりみてぇーだが、寝起き感丸出しだぞ。さっさと服着替えて燭台切と居間で待ってろ。」
鍋の方に取り掛かりながらそう口にしたたぬさんは、粗暴そうに見えて案外ちゃっかりと周りを見てくれている。
おまけに、敢えて皆が集まる大広間でなく居間と言ったところにも、彼なりの気遣いが見て取れる。
今の私達が、あまり他の者達には顔色を見られたくないと思った事を察したのだろう。
本当良い子に育ってくれて審神者嬉しい&感謝感激雨あられ。
「其れじゃあ、僕達はお言葉に甘えて先に居間の方に行ってようね。」
「燭台切ー、気分悪ぃんだったら後で水一杯持っていくが、要るかァー?」
「有難う、同田貫君。じゃあ、せっかくだからお願いしようかな…?」
「分かった。んじゃ、後で持ってくなー。」
其れとなく気を回してくれる彼に、二人して何だか擽ったい気持ちに駆られ、顔を見合わせてクスリと笑みを零す。
口でははっきり言わないが、彼なりに心配してくれているのだろう。
その気持ちを有難く受け取りながら、私達はこっそり笑いつつ厨を後にした。
―雨は少しだけ弱まっている。
皆と話していれば、きっと少しはこの心に巣食う暗く重たいものも、その内晴れてくれるだろう。
執筆日:2020.07.08