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線香花火



夜もとっくに更けて、世界が宵の帳に落ちた頃。

そんな真夜中も良い時間となれば、必然的に外の空気は冷えて、昼間はあんなにも暑苦しかったのが嘘のように静まり返る。

五月蝿く騒いでいた蝉達も眠りに就いたのか、鳴りを潜め、今は微かに鳴く蜩達がささやかな奏でを響かせていた。

一人遅い時間に風呂を済ませ、風呂に入った事で得た火照りを鎮める為に離れの縁側に腰掛け外の風に当たりながら涼んでいた時の事である。

もうとっくに皆寝付いたであろうと思っていたのに、不意に部屋へ訪れた者に声をかけられた。


「よ…っ、風呂上がりにお月見かい?」


誰かと思えば、悪戯大好きな吃驚爺と称される鶴丸であった。

こんな夜更けにどうしたというのだろうか。


『おや、鶴さん。こんばんは。お爺ちゃんなのにこんな時間まで起きてるなんて珍しいねぇ。何時もならとっくに寝付いてる頃だろうに、どうかしたのかい?』
「いやな、今日はやけに月が明るいと思って見てみたら満月だったんでなぁ。妙に目が冴えて眠れなかったんで、ちょっくら本丸内でも散歩しようかとぶらり出てきたのさ。そしたら、君が離れの部屋から出て涼んでるのを見付けたんで、此れは幸いと思って声をかけたという訳だ。」
『成程。確かに、満月の日は変に目が冴えたり月明かりが眩しくて眠れないって事あるよねぇ〜。でも、鶴さんや…たぶん其れだけが理由じゃないでしょ?』
「ははっ、バレたか。流石は俺達の主、よく見てるじゃないか。」


観念したように苦笑を浮かべた彼が、降参したかのように下ろしていた両手を肩の位置まで上げた。

見ると、その手にはそれぞれ何かが握られていた。


『鶴さん、何持ってんの?其れ。』
「ん?退屈凌ぎに、いっちょ花火でもしようかと思ってな。流石にこの時間に五月蝿くするのも申し訳ないんで、静かに楽しめる奴を持ってきた。ちなみに、去年使ってたヤツの残りだぜ?蔵の隅にあったヤツを見付けてくすねてきたんだ。どうせなら、主も一緒に楽しむかい?」
『線香花火とは、また風流な物持ってきたねぇ〜…っ。』
「こんな静かな夜更けにゃ、なかなかに乙な物だろう?」


ニヤリ、愉しげに笑んだ彼が、悪戯が成功した子供みたいに笑った。

どうせ涼むだけで手持ち無沙汰だったのだ。

彼の楽しみに付き合ってやらん事もない。

ちゃっかりライター(其れもチャッカマンタイプ)を持ってきていた彼に、用意周到な事だと思いつつも怒りはしない。

此れくらいの小さな悪戯ならば、笑って許してやれる程度だ。

ついでに私も共犯となって一緒に楽しもうという事になり、私は沓掛石に置いていた突っ掛けを履いて、縁側から降りた。

そして、其処からすぐの位置で地べたにしゃがみ込み、彼と一緒になって密かに遊ぶ事にする。

下へと向けた花火の端っこにライターを近付け、着火。

小さな玉がぷくりと出来て、其処から静かにパチパチと火花が飛び散り、控えめだが確かな美しさを持って色鮮やかさを放つ線香花火を見つめた。

花火とは、まこと夏の風物詩の一種である。

其れを、こんな風に鶴さんと二人きりで密かに静かに楽しむ時が来ようとは。

決して悪くはない、素敵な驚きだ。

パチパチと散る小さな火花を眺めながら、二人して童子に返ったが如く笑い合った。

偶には、こういう楽しみがあっても良いものだと思う。

何処か擽ったい気持ちとなりながら線香花火の先っぽを見つめていると、其れまで黙っていた彼が徐に口を開いた。


「…なぁ、主。君は、今、不安じゃないかい…?」
『え……っ、何で?』
「もうじき帰ってくるとは言え、この本丸が始まってすぐの頃から居た光坊が居ないのは、寂しいだろう?」
『嗚呼、そういう事か…。確かに、寂しくないと言ったら嘘になるし、もう何度と味わったこの短な期間だけども、不安じゃない事は一度としてなかったよ。一時的とは言え、完全にこの本丸から居なくなるんだもの…不安にならない方が少ないと思うよ。』
「そうかい…なら、俺と同じだな。」


そう言って憂いのある表情を見せた、真向かいにある彼の顔を見遣った。


『…鶴さんは、みっちゃんが修行先から帰ってくるのが不安?』
「そうだなぁ…貞坊に続いて先に修行に出るのは伽羅坊だと思っていただけに、御上から光坊の修行許可が降りた時は驚いたもんだぜ。んでもって、君もそう間を空けずに躊躇無く修行に出す事を決めたんで、更に驚かされたさ。――いや、今はそういう事を言いたいんじゃないんだ。……純粋に、単純な本音を零せば…俺は、光坊が極めて帰ってくるのが怖くて恐ろしいんだ。」


彼が溜め息を零すのと同時に俯いた時、花火の先端に付いていた火の玉がぽとり、と落ちた。

線香花火は短くすぐに終わってしまう上に派手さに欠けるから、子供にとってはつまらないとあまりウケなかったりするが、その儚さが見せる輝きには人の心に魅せる物があると大人になってから思う。

終わった花火を傍らに用意した水を張った小さなバケツの中に突っ込み、また新たな物を手に取って火を付ける。

彼の手元の物から新しい火花が散り始めると、今度は此方の物が勢いを失速してぽとり、と落ちた。

同じようにして新たな物を手に取り、火を付ける。

そうして、また短な間を楽しむのだ。


『―其れは、みっちゃんが変わってしまうかもしれないから…?』
「…たぶん、そんな感じだ。漠然としたものだから、自分でもあんまり分かっちゃいないんだが……この感情は、恐らく人で言うところの“恐怖”という感情なんだろう…。」


控えめに火花を散らす花火の明かりを受けて表情を歪める彼に、私は静かに微笑みながら受け答えた。


『その漠然とした“怖い”って気持ちや不安を、私は何時も皆が修行に出て行く度に感じてるよ。…始めの頃と比べたら、幾らか慣れたけどもね。』
「この気持ちを毎度毎度感じてて、その上で受け入れてるとは恐れ入ったなぁ…っ。いやはや、流石は主といったところか。…あまり長い事感じていたくはないもんだな、この感覚は。」
『でしょ…?だけど、其れを堪えて私は何時も皆が無事に修行先から帰ってくるのを待ってるんだよ。待つのも一つの楽しみとして。彼等が己と見つめ合う時間を大切にしたいから、急かしたりはしない。だから、鳩を使ったりする事もしない。私は審神者だから…彼等が修行先で何を得るのか、その成長をただ静かに見守っていたいんだ。』
「そうかそうか…君も立派に成長してたんだなぁ。こりゃ良い驚きだぜ。」
『ふふふ…っ。でも、不安なのは一緒だから、みっちゃんが無事帰ってくるまで皆と待ってようよ。…大丈夫。極めたとしても、彼の根本が変わる訳じゃあないから。帰ってきたら、今まで通りと変わらず温かく迎えてあげよう…?』


ぽとり、先端の玉が落ちて明かりが消える。

また新しい物を手に取って、其れに火を付ける。

再び小さな明かりが灯って、月明かりが煌々と照らす夜闇の中、小さな輝きを持って火花を散らす。


「……嗚呼、そうだな。光坊が帰ってきた時は何時も通り…いや、其れ以上の驚きを持って出迎えてやるとするか…!」
『うんうんっ、鶴さんはそうでなくっちゃ…!』


小さく笑い合いながら密かに真夜中の花火を楽しむ。


「…話を聞いてくれて、おまけに此れにも付き合ってくれて有難うな、主。」


彼の表情が柔らかなものに戻った事に安堵して、目を伏せる。


『どういたしまして。此方こそ、素敵なお誘いをありがとね。』


お互いに似たような不安を抱えながらも、明日の彼の旅先からの帰還を待つ。


―短いお楽しみの時間はあっという間に過ぎて、すぐにお片付けの時間となる。

おもな後片付けは言い出しっぺの彼がやるそうなので、そのまま彼に任せて、自分は部屋へと戻って寝に就く事にした。

湯から上がってだいぶ経った事もあり、躰の火照りも冷めて寝付くには丁度良い頃合いだろう。

彼を見送って、部屋の中へ戻る手前にふと夜空を見上げたら、満月の明かりが優しく此方を見守るように輝いていた。

大丈夫、私もきっとほんのちょっと不安だっただけ。

明日の朝になれば、極めた彼が帰ってくる。

朝早くに帰ってくる彼を出迎える為にも、今日はもう寝てしまわなければ。

嘗ての主と逢ってどんな話をしたのだろうか。

帰ってきたら沢山の土産話を聞かせてもらおう。

そして、彼が大好きな政宗公の郷土料理を彼お手製で振る舞ってもらおう。

きっと、彼本人を通して学んだ味は格別なものに違いない。

今から楽しみで堪らない気持ちを抑えて、床に入る。

どうか、此れまでと変わらぬまま彼と笑えますように。

月夜に祈って静かに眠りに就いた。


執筆日:2020.08.25