「…あれ。主、ちょっと手ぇ止めてこっち向いて?」
『んえ?』
執務の最中、仕事を手伝ってくれていた清光から声をかけられて、言われるままに手を止めた。
すると、顔を覗き込む様にして見られ、どうしたの、と訊ねると顔を顰めて渋面を作られた。
「左眼…何かやたら真っ赤だよ。めっちゃ充血してんじゃん。大丈夫なの?」
『あー…やっぱなってる?なぁんかさっきから左側だけ妙に痒いとは思ってたんだけどさぁ。何となく重くなってるというか熱持ってる感じはしてたんだよねぇ。』
「何か変だとか違和感に気付いてたなら言ってよ、もぉ〜。嗚呼、ほら、痒いからって擦っちゃ駄目だって!眼ぇ傷付いちゃうし、悪化しちゃうから…っ!」
『うえぇ……っ、だって痒いんだもん〜。』
「駄目なものは駄目…っ!――やげぇーん!!ちょっとヘルプゥー!!急ぎ来てぇーっ!!」
そう返した清光は閉め切っていた部屋の戸を開けて其処から声を大にして薬研の名を呼んだ。
離れから薬研達粟田口が居る部屋までは大分離れていた筈だから聞こえる訳もないのでは…と思ったのだが、意外にも意外、案外近い場所に居たのか、比較的そう離れていない場所から返事をする彼の声が聞こえた。
程無くして、母屋の方から離れの方へと近付いてくるトタトタ、という足音がして内番着の白衣に身を包んだ彼が顔を見せた。
「呼んだかい?旦那。」
「うん。ちょっと主の左眼調子悪いみたいだから診てやってくれる?」
「お安い御用だ。――さっ、ちょっくら大人しく俺に両眼見せてくれねぇか、大将?何、すぐに終わるさ。寸分だけ我慢してくれりゃあ良い。」
『ぅあ〜い…っ。』
むず痒さを訴える左眼を擦りたい気持ちを抑えて彼に向き合い軽い診察を受けると、ぱぱっと診察を済ませて診てくれた彼が診断を下してくれた。
「うん…、こりゃめいぼだな。所謂“ものもらい”ってヤツだ。ちなみに、悪いのは左眼だけで、右眼はどうもなっちゃいない至って健康な状態だから安心しな。今すぐ目薬
「良かったね、主。大した事なくて。」
『んー…まぁ、大体分かってたんだけどね〜。子供ん頃しょっちゅうって程ではなかったけどもよくなってたから、めいぼ。故に慣れてるのよねぇー…嫌な慣れだが。』
「あー、だからあんまり気にしてなかった感じだったの…?」
『ういっす。だって、普通の目薬ならよく点してるし。だからいっかな?…って。』
「いや、其れと此れは違うでしょ。」
「そーいうとこだぞ、大将の悪いとこぉー…っ。変に無精というか適当に流すの良くないぞ。眼は一生使う部分なんだ、ちゃんとしとかないと失明なんかしたらどうするんだ?大事な時はしっかりする、此れ、肝に銘じとけよー大将。」
『うぃーっす…、すんませぇーん……っ。』
「あんまり痒くて擦る様なら、アレ付けるかぁ…。でも、単なるめいぼだけにすんのは衛生上あんま良くねぇ上に、ただでさえ視界悪くなるからなぁ…慣れねぇ大将に大丈夫かね?」
『うん…?アレって、何の事っすか薬研さんや?』
「眼帯の事だよ。」
「嗚呼…、」
「つっても、俺が処方に出すのは、ごく一般的の医療用の白いヤツだけどな。あんまりにも真っ赤に充血してるんで、こりゃ大層擦ったなぁ〜と思ったんで…一応、な。悪化させないに越した事は無いし、つい痒くて眼ぇ擦っちまうのを防ぐには丁度良い。――っつー訳だ、大将。ちと不便な身にはなるが、治るまでの暫しの辛抱だ。我慢してくれ。」
『にゃんと、まさかの眼帯デビューとな。』
そんなこんなから、左眼のめいぼが治るまでの数日間、片眼眼帯生活をする事になったのである。
元々そんな視力が良い訳ではないが、更に片側の視界が塞がれ視界が利かないというのは大変不便だという事を身を以て知った。
眼帯で塞がれた左側は真っ白な以外何も見えず、完全なる死角。
そして、其方側に誰かが居ても上手く気付けずぶつかってしまう。
最悪、段差や物に足を取られて転けたり縁側から転げ落ちたり。
酷い時は、柱や戸に思い切り頭や顔をぶつけてそのまま揉んどり打って壁に激突し悶絶したりした。
そんな私の様子を見兼ねたたぬさんが近侍を名乗り出て、視界の利かない私の左眼の代わりになると言ってくれた。
余程目に余る光景だったのだろう。
めっちゃ呆れた様子で言われた言葉だったから、私の方もすんなり受け入れ、寧ろ宜しくお願いします、と頭を下げる程に感謝した。
其れから何処かへ移動する時は常に彼が死角の左側に付いて手を引き導いてくれた。
自室を出る時も、御飯を食べに大広間へ移動する時も、ずっと付かず離れずという具合に。
お陰で、初めの頃みたく縁側から転げ落ちる様な事は無くなった。
何せ、段差に差し掛かる度に彼はご丁寧にも優しく教えてくれた上で手を引き導いてくれるのだから。
「其処…低ぃけど段差あっから、気を付けろよ。」
『あ、うん。ありがとねぇ〜、たぬさん。』
「いや。次、其処の通路の角曲がるからな。そんまま俺に付いてこい。」
『ういっす、了解っす〜。』
武骨で決して柔らかくはない掌をした温かな手が、そっと私の左側を支えてくれている。
その手にすっかり安心した様に身を委ねて手を引かれていたら、ふとそんな様子を見ていた兼さんがニヤニヤとした顔で此方を見てきて言った。
「おーおー、随分と身を任せちゃってまあ、お熱いこって!」
「んなんじゃねえっての…。」
「お前がそのつもりじゃねぇっつーのは、わーってるよぉ!」
『要は揶揄いたいだけなんだねぇ、兼さん…暇人かよ。』
「事実、カンストしてから暇こいて仕方ねぇよ。」
「そらドンマイ。極修行に出れるまでは精々我慢強く待ってるこったな。」
『ははっ。こんだけで揶揄ってくるとは、兼さんったら若いのぅ〜!』
「アンタの方が若ぇだろうが…っ!!」
「ハイハイ、同田貫さんのポジションが色々と羨ましいんだよね?拗ねない
「う、うう羨ましくなんかねぇし僻んでもねぇーし!?適当な事抜かしてんじゃねーぞ国広ォッッッ!!」
堀川君のツッコミにあからさまに動揺した様子で狼狽える兼さんの反応が予想通りというか、如何にもな反応過ぎて曖昧な笑いが漏れる。
堀川君、極めてからより兼さんの手綱握ってる感増したなぁ。
ヤキモチかどうかは知らないが、一人動揺した様に騒いでいると、その煩さに怠そうに眉間に皺を寄せたたぬさんが溜め息混じりに呟いた。
「一々デケェ声で騒ぐんじゃねぇよ、うるせぇ。」
「勝ち組の余裕か此奴ゥ〜ッ!!」
「そもそも、同田貫さんが主さんにくっ付いてるのは、一時的に半分視界利かない主さんが怪我しない様フォローする為だからね?燭台切さんみたく慣れてる訳じゃないから、片側視界が塞がってるだけでもかなり不便してあちこちぶつかったり転んだりしてたの、兼さんも知ってるでしょ。」
「知ってるけどよぉ……、」
「なら、余計な茶化しは今必要無いって分かるよね、兼さん…?」
「はい…、すみません…。」
「うんうん、分かれば宜しい!」
『見事なまでの尻に敷かれ様…ウケるな。つーか、転びそうになってたの気付いてたなら助けろよ。アレ、マジで危なかったし地味に痛かったんだから。下手したら、縁側から転げ落ちかけた時もあったんだぞ?見てないで手ぇ貸せや。』
「たぶん、何時も以上に鈍くせぇアンタの図が端から見て面白くて楽しんでたんだろ?」
『他人が苦労してるとこ見て面白いか?そんなにリアル怪我して血味泥になるとこ見たい…??』
「安心してください、主さん…!そんな非情な真似する様な心無い人居たら、僕が成敗しときますから!」
『あー、うん。じゃあ、宜しく頼んだよ。』
返答に面倒くさくなってきて適当に流す様に返せば、兼さんは微妙な顔をして私の方を見るのだった。
取り敢えず、一度は私が転けたりしてたところを笑って見てたらしいので、兼さんには堀川君から笑顔の制裁が加えられたそうな。
ざまぁみやがれ。
―その後も暫く数日めいぼが治るまでたぬさんの世話になった。
元々一緒の部屋で寝起きしてたから、朝からずっと一緒とか最早日常で普通過ぎて慣れ過ぎてたけど、やっぱり片方視界が利かないだけでも変に不安で仕方なかったから、付かず離れず側に付いていてくれた事はとてつもなく安心出来た。
だからだろうか、眼帯に慣れてないor誰のフォローも付いてなかった初日の頃と比べて圧倒的に落ち着けている調子だった。
故に、その様子に安堵したかの様に言葉を漏らしたみっちゃんが御八ツ時の休憩時にぽつり、と呟く。
「一時はどうなる事かと思ったけど…思ったよりもすんなり慣れたみたいで安心したよ。」
『まぁ、ただ直接眼ぇ擦らない様にの防止で付けてるだけの代物だからね。眼が視えなくなった、とかって事ではないから、その内取れるよ。』
「うん。でも、片方だけ視界利かないの、慣れないと不便でしょ…?」
『んー、確かにまだ慣れないけど…私が不安がる前にたぬさんがすぐにフォローしてくれるから、あんま苦じゃないかな?』
「まぁ、アンタの思ってる事くらい、見てりゃ手に取る様に分かるからな。当然のこったろ。」
『こんな風に答えちゃうくらいには頼れる
「ふふ…っ、愛が成せる技だね。」
「アンタが言うとマジで其れっぽく聞こえるから止めてくれ……っ。」
「あははっ、御免ね。揶揄った訳じゃあないんだ。気を悪くしたのなら御免。」
「いや、まぁ…別に構わねぇんだけどさァ…。」
照れ隠しからか、ガシガシと頭を掻いた彼があらぬ方向を向く。
片っ方だけの視界からも赤く染まった耳はチラリと見えていたので、私はひっそり微笑ましい気持ちでこっそりと小さく笑むのだった。
『にしても…初め、眼帯、つって真っ先に思い浮かんだのは“厨二病”という単語だったよ。』
「嗚呼…うん、まぁ、確かにそう思うのも仕方はないのかもしれないけれども…他に思う事は無かったのかな……。」
『ん〜、右眼なら政宗公っぽくもなったんだろうし、みっちゃんとお揃いみたくなったんだろうけど…実際付けてんのは逆なんだもんにゃあ、私。アニキはアニキでも西海の鬼の方になっちゃうっすわ、左眼だとね。』
「西海の鬼って…?」
『長曽我部元親。四国を治めてた武将だよ。まぁ、コレ、独眼竜繋がりの婆娑羅ネタからですけどね!』
「意外と楽しんでるよなァ…アンタ。」
『何事も楽しんだもん勝ちよ…っ!』
「流石は主、一時的なハンデさえも物ともしないとは…やるね!」
何ともお気楽な短い眼帯ライフであった。
執筆日:2021.01.30