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赤が移る



ふと、皆と共有スペースである居間で一人寛いでいると、離れからやって来たのだろう主が鼻先を赤くしてやってきた。


「ひゃあ〜っ、寒い…!暫くの間は我慢出来たけども、あまりの寒さに冷え凍って仕方なかったから、こっち戻ってきちゃった…!うぅ〜、寒くて無理、手ぇ動かせない〜っ」
「大丈夫か、主。鼻先が赤くなっているが…」
「ん、平気ぃ〜。コレ、寒いとよくなっちゃうヤツなの。こうも寒いとすーぐ鼻頭真っ赤になっちゃうから、お陰で小さい頃よく弄られたもんよ〜…っ。“赤鼻のトナカイ”にもじってさぁ?本当やんなっちゃうわぁ〜」
「アンタの部屋にも、暖房器具とやらは在るんじゃないのか?」
「まぁ、在るには在るんだけど…炬燵とカーペットに火鉢だけじゃなかなか温もらないというか、此れだけ寒いとそんだけじゃ物足りない感じでね。…はうぅ〜っ、お陰でちっとも仕事が進まないし捗らないよぅ…」


共有スペースである居間の部屋は、厨のすぐ隣に位置しているからか、広くはないがそこそこゆっくりと寛げるし、何より人が一番集まりやすい場所だからか他の部屋よりも暖かく、茶もすぐに飲める。

だからこそ、母屋から離れた位置に在る離れから此方までわざわざ移動してきたのだろう。

よく見たら、茶を飲む為に湯呑みに添えた手の指先も赤く染まってしまっていた。

主はというと、湯呑みの熱で手を温めている最中のようだった。

試しに、何れだけ冷え切っているのかその手に触れてみると、確かに随分と冷たい温度をした肌に触れた。

女の身は冷やしたらすぐに体調を崩すと聞く。

このままでは不味いのでは…、と思えた俺は、そのままそっと触れた手を己の手で包むようにした。

そうすれば、次第に俺の体温が移って温かくなってくるだろう。

少しでも早く温かな熱を取り戻せるよう手の甲を擦っていれば、擽ったかったのか、ふと吹き出すように笑みを零した主が口を開いた。


「ふふっ…、気遣ってくれて有難う十文字君」
「此れくらい、気遣いの内に入らない。気にしないでくれ」
「うん…っ。でも、純粋に嬉しかったから…御礼言っとこうかなって」
「そうか…。アンタが嫌でなかったのなら、もう少しこのままで居よう」


湯呑みを握っていた主の小さく柔らかな手を軽く握るように包み込む。

俺の手が随分と温かったからか、思っていたよりも早く彼女の手はあったまってぽかぽかとしてきた。

此れで、少しはマシになるだろうか。

仕事をする上で、手が指先が上手く動かないのは大層困る筈だ。

特に、我が主の場合、ノートパソコンという端末を使用しての作業だから、キーボードを打つ時、指先が悴んでいては支障が出るだろう。

もっと快適に過ごせるように別に新たな暖房器具を配備出来ないのか問えば、主は困ったように笑って返した。


「いやぁ、そうしたいのは山々なんだけどねぇ〜。刀剣数が増えまくって部屋数も増えたからさ…光熱費嵩んじゃって……。なので、節約の為にもちょっとくらいの寒さは我慢しなくちゃなぁ、って」
「だが、其れでアンタが風邪を引いて寝込んだりしては本末転倒だろう…?」
「いや、此れくらいで風邪は引いても寝込んだりまでなんかしないから!私、其処まで貧弱じゃないっす…!」
「しかし、薬研藤四郎から、“女人は躰を冷やすのが一番不味い事だ”と聞いたが…」
「うん、まぁ、間違っちゃないっちゃー間違っちゃないんだけどね…!うーん、どう言ったものか…」


すっかり温まった手を離せば、にぎにぎと感覚を確かめた後、腕を組んで悩ましげにそう零した。

此処は、常に人口密度の高い部屋だから温い。

主の部屋が在る離れは母屋から少し離れた位置に在る上に、基本的に人口密度が最も低い場所だから寒いのだろう。

ならば、少しでもその密度を上げればマシになるのではなかろうか。

そうと決まれば、俺も彼女の部屋に移動する事としよう。

そして、仕事をする彼女のすぐ傍らに引っ付いていれば、先程までよりもきっと仕事も進めやすくなり捗る筈。

俺は茶を飲む主に進言した。


「主、その茶を飲み終えたら仕事に戻るのだろう?なら、その時に俺も共にアンタの部屋へ移動しても良いか」
「え…っ?別に其れは構わないけれども……どうして?」
「離れの部屋は、此処と違って、人口密度が低いからより寒く感じるんだろう。ならば、その条件を満たせば良いだけの事。…アンタが仕事をする間だけで良い。俺を側に置いてくれ。決して悪いようにはしない」
「はぁ…?まぁ仕事の手伝いしてくれるってなら、そりゃ助かるけどもさぁ。…んー、まいっか。細かい事はどうでも」


戦以外の事でも俺が役立つというのなら、喜んで手を貸そう。

そして、俺の語り種が増えるのなら万々歳だ。

すぐに茶を飲み終えた主が腰を上げたのと同時に、俺も腰を上げて後ろを付いていく。

いざ彼女の後を付けて部屋へと向かえば、成程、確かに此れは冷えると思った。

一度渡り廊下を挟んでいる分、此処だけ空間を切り離したかのように温度が異なる。

さっきまで居座っていた居間とは大違いの寒さだった。


「こんなに寒い部屋でずっと作業をしていたのか、アンタは…」
「ね、めちゃくちゃ寒いでしょ?この部屋。本当に寒くなったら、無理して此処に居なくて良いからね。我慢の限界になったら、自分のお部屋かさっきの暖かい居間にお戻り」
「いや…仕事に励んでいるアンタだけを残して別の温い部屋に移動したりなどしないさ。そもそも、俺は槍であり、普通の人間であるアンタよりは寒さに鈍い造りになっている。其れに、俺の逸話の元となる元主、真田左衛門佐信繁が御座おわした地は甲斐の山岳部近くの寒冷地…つまりは、此れくらいの寒さなど慣れている。よって、気遣いは無用だ」
「お、おぅ…っ。そういう事なら…手伝い宜しくね?」
「嗚呼、任せておけ。…して、俺は何をしたら良い?」
「えーっと、じゃあ、この書類を種類別に仕分けといてくれるかな…?項目はこの紙に書いてるから、此れを参考にお願い」
「分かった」
「それじゃあ、お仕事再開しまーっす!」


そう言ってやる気を出した彼女が端末と向き合い、キーボードを打ち始める。

俺はその横で渡された紙を見ながら、言われた通りに書類を仕分けていった。


―暫く経った頃だろうか。

だいぶ進んだらしい仕事に一つ溜め息をいて、俺の方を振り返り見た。

途端、彼女は小さく笑って口許を隠すように手の甲を押し当てた。


「ははっ…、十文字君、鼻の頭赤くなってる!…ふふっ、可愛い」
「む…っ、そうか」
「ふふふっ…、さっきの私とおんなじだね!」


そう楽しげにクスクスと笑う彼女は、どうしてかやけに愛らしく見えた。

二人揃って鼻の頭を赤くして仕事に努めていると、何処からか聞き付けたのか、俺と似た出で立ちの薙刀が揃って主の元へと訪ねにやって来るのだった。


「主、側仕えなら俺に言えと言ったろう。何故本丸に来て日の浅い奴に任せる?其奴では何かと不安も多かろう。そもそもが其奴は戦向きではあるが事務仕事向きではない。俺が代わりを努めよう」
「そうだぞ、主ぃ…!俺達という者が居りながら、何故槍などを側に置くのだ!?」
「其れは俺が自ら主に進言したからだ。此処は主一人では寒い。だから、暇をしていた俺が側に付いていただけの事。別に、彼女の事を独占したくて居る訳じゃない。勘違いするなよ」
「槍の癖して生意気な…っ、此れだから槍は好かんと言うのだ。主ぃ、一人が寒いと言うならば、俺も側に居よう。俺は主よりデカイ身だからな。此奴が側に居るよりはずっとマシだろう?」
「主、側仕えならば俺が。新刃如きに主の大事な仕事の補佐を任せてはおれん。何が欲しい?温もりが必要ならば、俺が直接主の事を抱いて温めてやろう。…嗚呼、このままではまだ主には寒いか。暫し待っていろ、何か肩に掛けられる物を取ってこよう。ついでに、躰を温めるのに効果的な温かい紅茶も淹れてくる。何、心配は無用だ。すぐに戻ってくる」
「…急に騒がしくなったな」
「ははは…っ、この子等のコレはいつもの事だから気にしないで」
「アンタも苦労が多いんだな…」
「あはははは……っ」


苦く笑う主だったが、しかし、奴等にしつこく構われても嫌そうではなく満更でもなさそうに受け入れているのだった。

その事に少しだけ妬けた風に思えたのは、きっと気の迷いだ。


執筆日:2021.03.03