「…髪、随分と傷み切ってますねぇ」
「えっ、何…急に」
「いえ、別に。ただふと目に付いたものですから、何となく」
今レベリング中の子等の経過を纏めた資料を持ってきた宗三が、部屋に来るなりそう口を開いて言ってきたので、「何だ突然藪から棒に」と振り返り見る。
すると、彼自身には特段普段と変わった様子は見受けられず、拍子抜けしてしまった。
アレか、彼はカンスト――つまりは、レベルが上限に達してから長く暇を持て余しているから、退屈が過ぎているのか。
故に、目に付いたものに興味を抱いたのかもしれない。
ほら、日常に変化が見られなかったら、自分以外の何かに変化が無いか求めたり探し回ったりしてしまうから…きっと、今の彼もそんなところだったのだろう。
近くまで来た彼に手に在る資料を手渡され、其れを一言礼を述べながら受け取る。
たぶん、私が数日本丸を空けていたのから戻ったばかりなのもあって、様子を見に来たというのも含まれるんだろう。
数日不在の間に溜まった報告書や書類の束をこなしつつ、定期報告書を仕上げていたら、ふと彼がまた口を開いて零してきた。
「女は髪が命と言うでしょうに…貴女という人は、適当な人ですねぇ」
「はははっ…耳が痛いお言葉だなぁ」
「手入れ、なされないんですか?ご自分の刀の手入れはなさるのに」
「そこまで自分の身に気をかける気が無いからなぁ…。まぁ、程々な程度だけで済ませてるかな」
「呆れた……其れでも女なんですか?歳若い娘が言う台詞じゃないでしょうに。…全く、貴女という人は仕方のない人ですね」
そう言ったキリ彼はてっきり呆れてさっさとこの場を去るかと思えたのだが…、てんで予想違い。
意外や意外にも、そのままこの場に残り、すぐ傍らの背後に腰を落ち着けて座り込んだ。
どういう風の吹き回しだろうか。
彼の用ならば、今しがた終えたので、もう無いと言えば無い筈だが…。
そう内心首を傾げてぱちくりと彼の事を見遣っていれば、徐に手を伸ばしてきた彼に結った髪の毛の房を前触れ無く掴まれた。
ちょっとだけ心臓がぎゅっと縮んだように跳ねる。
いきなりどうしたんだ。
言外にそんな意を込めた視線を送ると、気怠げな視線が此方に真っ直ぐと向けられて困惑した。
暫し意味の分からぬ謎の無言の空気が流れた。
そして、つと、また私の髪へと視線を向けたらしい彼が漸く口を開く。
「…髪の毛、何だか随分ときしきししているようですが」
「え……っ?あ、あー…まぁ、うん、そうだね。ここ最近はずっと碌すっぽまともに手入れなんてしてこなかったから、当然っちゃあ当然だわな」
「長さも伸ばし放題ですし。切ろうとかって考えたりはされないんです?これだけ伸び放題ですと、さぞ邪魔くさいでしょう」
「うーん、まぁ…鬱陶しいのは事実なんだけど、何か色々と面倒くさくなっちゃって…っ」
「ずぼらも過ぎれば品格を落とすだけですよ…。せめて見目くらいは拘って整えれば、ずっとずっと美人ですのに…勿体ないですよ」
「ははは…っ、よく言われる」
「当たり前じゃないですか。僕の主は、見た目こそきちんとしていればそれなりに目を引く美人なんですから。もう少しご自分の性別が如何なるものか、自覚を持ったらどうなんです?」
手厳しいご指摘に頭が上がらない思いで乾いた笑みを浮かべていれば、不意に何も無い掌を此方に差し出されて首を傾げた。
此れは、何の意図を以てしての手だ…?
素直に視線だけを向けて問えば、少しだけ機嫌を損ねたように眉を寄せた彼が小さく零す。
「…櫛か何かを貸してくれないか、という意味でのものだったんですが…分かりませんでした?」
「いや、そういう事は口で言ってくれないと分かる訳ないじゃん…」
「僕がずっと片手に貴女の髪を掴んだままだったの気付かなかったんですか…?本当、貴女って人は察しも悪く物分かりの悪い人ですねぇ」
急な言葉の切り返しに、直情的な私は分かりやすくムッと顔を顰めてぶすくれた雰囲気を醸し出す。
「……へっ…。どうせ私は気も利かなければ要領も良くない女ですよーっだ。…んな事ァ今更言われずともとっくの昔に自覚済みだっての。嫌味な奴め」
言い返しながらも、素直に求められた物を差し出された手の上に乗せてやれば、端的に「有難うございます」と返された。
そして、何をするのかと目を向ければ、一瞬だけ、手渡した櫛という名のブラシに目を遣って、せっかく結っていた髪を断りも無く解いてきた。
いや、まぁ…別に其れくらいで怒ったりとか気分を害するとかはないけれど。
何かこう、一つリアクションというか、クッション的間を挟んでくれても良いんじゃないかとは思った。
思うだけで、口には出さぬまま留めていたけども。
それから寸分、黙ってされるがまま髪を梳かれていると、彼がぽつりと一人ごちるように呟いた。
「…この櫛も、随分と年季が入ったようにボロボロですね…」
「え……っ、あぁ…まぁ、うん。そうだね」
「プラスチック製の安物だか何だか知りませんけど、結構思い切り罅入って長いようですし…買い換えたりするおつもりはないんですか?」
「あー、まぁ何回か取り落としたりして傷だらけではあるけども…まだ普通に十分使えるし、いっかなって。かと言って、別にそこまで思い入れがある程気に入った物でもないけどね」
「はぁ…物持ちが良いんだか、はたまた貧乏性なだけなんだか、分からない人ですね」
「あっはー。肥前君が見たら絶対ェ微妙な顔するヤツだよねぇ〜、分かる」
決して今のはディスるという意図は無かったのだと思いたい。
かと言って、褒め言葉かと言われても頷き難い台詞、物言いであったが。
さらさらと長い伸ばしっぱなの髪を滑らかに通り良くするように、努めて丁寧に優しい手付きで梳かれる。
このまま大人しく髪だけ彼に預けて仕事に向き直っても良かったのだが…何となく、今は何もせず、ただ静かに動かず座ったままで居た方が良い気がして、されるがまま彼に身を委ねていた。
彼もまた少しの間口を閉ざして静かに私の髪の手入れに集中していた。
…穏やかな風景だな、と、ふとそんな事を思った。
こうして彼等刀剣達とのんびりゆっくりな時間を過ごせる意味では、私達は余裕を持てる程強くもなり、また大きくなったのだな、と。
其れは、物理的な意味だけでなく、内面的な意味も十二分に含む。
私も、彼も、すっかり強くなったものだ。
本丸設立初期の頃とは大違いの風格や貫禄さえ見受けられる。
それだけの時を、彼等と歩んできた証拠である。
そう思うと、今何気なく自身の髪を
彼の細長く女性らしいように思えてやはり男の掌をした其れが、私の髪を梳く。
手から零れ落ちた髪を、傷付けぬように優しく掬われ、櫛を通される。
そこでふと、何でこんな流れになってるんだっけかと頭に過った。
始まりは、切っ掛けは何だったか。
ちょっと前まで交わしていた会話を、記憶を遡ろうと思い出していた。
そんな時、再び口を開いた彼に、またまた予想だにしていなかった言葉をかけられた。
「…髪、結ぶのお止めになっては如何です?」
「え………、何で?」
「顔に掛かるのが邪魔で括ってただけなんでしょうが…ずっと上に上げたままなのも疲れるでしょう。髪の重みで頭も痛むでしょうし。…その仕事が終わるまでは結っておいて、終わった後特に何もする事がないんでしたら、少しの間下ろしていてはどうです?そしたら頭の痛みも少しは引くんじゃありませんか」
「……まぁ、そりゃそうでしょうけども…」
「だったら、そうしましょうよ。もうじき片が付くのでしょう?其れ。」
「え?あー、うん。そうだけど…」
「じゃ、取り敢えず今は綺麗に梳いて軽く結い直しておきますが、後でまた解き直しにきますね。」
「え…あ、おぅ……?」
はっきり言って、よく分からん。
ただ、まぁ、彼の好きなようにさせとけば、機嫌も損なわせずに済むかと、そんな感じで受け答えておく。
当たり障りのない程度の受け返し。
果たしてどう返すのが正解だったのかなんて事、察しの悪い私には分からなかった。
無言の間の内に髪は綺麗に結び直されて、頭の下の方で揺れた。
さっきまでは頭の中程で結い上げていたものだが。
気付いたら、気遣われてか、結い上げる位置を調整されていた。
結い方もキツくではなく、少し緩めな結び方で。
確かに、これなら頭の痛みも少しはマシになるというもの。
何が、とは言外には言わぬが多分な意味を含めて「有難う…、」と告げれば、彼は何て事無さそうに受け答えてきた。
「では、僕は一旦これで…。後で茶菓子の一つでも持ってきますから、一緒にお茶でもしましょうか。今日はよく晴れてますし、庭で花でも眺めながら一休みしません?――…本丸に帰った時くらい、気を抜いてゆったりしなさいな」
たぶんだけども、
あまりに女子力を欠けさせる程身形に気を配っていなかったから。
…そんな余裕は、少し前に失って癖付いたように忘れてしまっていたから。
思い出したように脳裏に影が差そうとするから、まるで其れを払ってくれるかのような優しさが、古傷に沁みて、少し痛んだ気がした。
彼より返された櫛が、私の身を写したかのように思えたのだろうか…。
分からないが、この櫛同様に慰められた気がして、ほんの少し胸が詰まって、涙が目に滲んだのだった。
執筆日:2021.03.11