この本丸が設立してから主が審神者就任三年目を迎えた節頃に、また新たな仲間が増えた。
江の刀派の刀で、先日の政府催しのイベントで報酬として獲得した奴等だった。
気付けば、この本丸の刀数も百振り近くに増え、毎日が賑やかな声と騒がしい音で絶えない。
其れ程にまで大きくまた強くなった本丸に、古参組として初期に顕現した者として嬉しく思うと同時に、感慨深く思う。
己が顕現して三年、主と出逢い主と共に歩み始めてもう三年の時が経ったのかと…人の身を得てからの年月が巡るのは本当に早いと痛く感じた。
そんな折に、「カンスト手前の子等の育成強化期間を再び設ける」だの「レベリング祭再開催じゃあ!」とか何とか言い出して、修行済みの俺達極組は暫く待機を命じられ、手隙の暇を持て余すくらいならと新刃組二人の世話係を頼むと任された。
ここのとこ、イベント尽くしで忙しい主は設けられた期限までにノルマをこなすので忙しい。
少しでも主の助けになるならとの思いで、新刃組の世話係を請け負った俺達。
内心は、まぁ暫く戦に出れる事も無ければ内番か遠征に遣わされるくらいならという気持ちが大半を占めていた事も無くは無いが。
初期刀の加州と同じく第一部隊に組まれたまま変更無く、時折近侍の役目が回ってくる中で、俺は江の二人新刃組を連れて本丸内を案内していた。
数日違いではあるが、先に来た方が五月雨江…主曰く、公式というヤツの呼び名で愛称を雨さんと認定、――で、後から来た方を村雲江…主曰く、これまた公式という名を出して愛称を雲さんと名付けた(たぶん、最初こそは名前通り呼んでいたが、二人の間での互いの呼び方に迷った結果、
此処は何処其処だ、彼処はあれそれだと伝え歩いて回る内に、一番後ろに続く雲が腹を押さえて顔色を悪くしてんのに気付いて、此処いらで一旦少し休むかと提案し、近くの縁側にそのまま腰掛けて様子を見る事にした。
新たに新刃が増えると聞いて、また今回も癖のある奴等が来たなと思ったもんだ。
二人して犬を模した装いで、片や忍を強調し、片や常に神経的な腹痛を抱えて呻く…今本丸に顕現している奴等も含めて、此処に居る奴等はほんに癖の強い奴ばかりだと思わざるを得ない。
まぁ、その癖の強さや性格も、元の主や刀その物の成り立ちから来ている性質だから何とも言えないが、其れ等全てを引っ括めて受け入れ等しく愛情を注いでくれる主には頭が上がらない。
俺達が守らねばならぬ歴史を守る為の策を練り、今を戦い抜く為に俺達と共に戦ってくれる…そんな主を側で見守っている内に、ただ歴史を守るだけ以外の感情を芽生えさせ、人一人を愛し慈しむ事を覚えた。
主へ、『自分が臣下として付き従うべき主人』以外の感情、仲間を思い慕う感情とは別の感情を持つ事は、己がこの世に降ろされた使命に背く形になるのではと…ただでさえ戦の真っ只中であるのに、そんな惚れた腫れただの恋情に
でも、人という短き有限の時間の中で、時に血反吐を吐きながら地べたに這い蹲りながらも懸命に生きようとする姿を見て、短き時の中でも自分らしく生きようと強き意志を持ち、目が眩むような輝きを放つ生き方に、今此処で側に居れる短い間だけでも此処に顕現出来た意味と喜びも込めて俺の生涯を捧げて愛し慈しんでやろうと誓った。
人の生涯は、俺達物と生きる時間が異なり、とてつもなく短く、儚い。
故に、美しき気高さすらも持って輝いて見えるのだろう。
永き時を人と共に在った俺達だからこそ思う事である。
―そんな事を、新刃二人の身が休まるまでの間、ふと考えていた。
この本丸はとにかく広い。
其れを、人の身に成り立ての人間を始めたばかりで慣れない奴等を案内しながら歩き回るのも大変だ。
何せ、各部屋の配置を覚える以外にも覚えさせねばならない事柄や知識が多い。
既に、人間始めたばかりの不安や何やらで神経的なものから腹を痛めて顔を蒼くしている雲の事だ、色々と先が思いやられると思うのと同時、アンタもまた難儀な奴だなァ…と思った。
其れを直接口にする程、俺も馬鹿ではない。
嘗ての未熟な己ならば、相手の態度や様子に構わず思った事をそのまま口に出していたかもしれないが…もう今の自分は昔みたいなヘマはしないし、弱くも未熟でもない。
そうしてくれたのは誰よりも主だし、これからの自分の為でもあるが、何よりも主の為に強くなろうと己を極めて修行から帰ってきた身だ。
物の考え方も以前よりも柔軟なものに変わったし、相手の事をより気遣えるようにもなった。
其れも此れも、全ては主のお陰だ。
俺は、加州とはまた違った立場で主の事を側で支え見守っていく。
本丸が出来て三年、主が審神者就任三年目の節目を迎えて少し経ったばかりの今、強く思う。
雨と雲の様子を見遣りながらもまた
「随分と傷だらけの姿をしている鞘ですね…」
「うん?…嗚呼、まぁな。元々俺はこんな見てくれだったが、コイツが傷だらけになる程戦場を駆け巡ってきたっていう証拠だな」
「手入れでは直らないものなのでしょうか…?」
「手入れってのは、俺達の本体、刃の部分に直接入った傷を直すようなもんだからなァ…其れで人の身の傷も治るが、鞘なんかで受けたもんは直らずそのまんま残るみてぇだな。まぁ、多少は効果あるみてぇだけど、俺は主じゃねェーから詳しい事は分からねぇ」
「そうでしたか、其れで傷だらけのままだったという訳なんですね。幾多数多の戦場を駆け抜けてきた証というのは確かな事だと見てすぐに頷けます。見るからに勇ましいもので、私も見習わねばなりませんね。いつか私も、貴方みたいに連戦連勝の猛者になれるでしょうか?」
「まぁ、アンタの努力次第さ」
「
「雨さんは凄いね…。俺なんて、戦に出なきゃいけないって事考えただけで今も憂鬱でお腹痛くなってきちゃうのに…其れ以前に、こんなにも広い本丸の事を色々と覚えなきゃいけないだなんて……っ。あぁ、そう思ってる内にもまたお腹痛くなってきちゃった…イタタタタッ…」
「あ゙ー、あんま辛ェなら薬研とこ行くか?薬研ってのは、この本丸で三番目に来た古参組で短刀なんだが、短刀には思えねぇくらい男前な性格した奴でよ。医療の知識も色々と齧ってる奴なんだ。行けば、
「え…其れは嬉しい、けど…でも、その内すぐに治まると思うから、大丈夫…。気遣ってくれて有難う」
見た目に反した反応を見せたように思われたのか、意外そうな目で見てきた雲。
まぁ、そういう目で見られんのは慣れてるから、特に何を言うでもなくその場に留まるが、後でそれとなく薬研に雲の件を話し、雲用の薬を貰ってきといてやろう。
世話係として役目を担ったからには仕事はきちんとしておこうと思考を巡らせていると、再び俺の刀の鞘に視線を落としたらしい雨が「おや、」という声を漏らした。
その声に、思考の海に沈みかけていた意識を拾い上げ、新刃二人の方に意識を移して顔を上げれば、俺の鞘を改めてまじまじと見つめる雨と雲の視線があった。
どうした、と言葉短めに問えば、雨の視線が鞘の表面の或る一点に集中したように向き、訊ねられる。
「よくよく見てみたら、何か文字のようなものが刻まれているようですね…?傷だらけなのに加えて、経年劣化でしょうか、掠れてしまってよく読めない状態ではありますが…」
「あ、本当だ…雨さんに言われなきゃ気付かなかったけど、確かに何か文字らしきものが刻まれてるみたいだね…っ。何て書いてあるんだろう…君の名前かなぁ?」
「…嗚呼、此れの事か…。よく気付いたな。もうだいぶ摩擦やら何やらで掠れちまってよく見えなくなっちまってたのによ」
「忍たる者、相手の事を観察する事には長けておりますから、当然の事なのですよ」
「へぇ、そいつぁ今後も期待出来そうだなァ」
思わぬ奴の特技・性質に感心するように頷いていたら、雨の横から興味深げに覗き込む雲に問われた。
「ねぇ、其処に書かれてる文字、何て書かれてるの…?もし、訊いても良いのなら、だけど…」
「ん?別に構わねぇぜ。隠すもんでもねぇし、寧ろ見せ付ける為に“書いてもらった”もんだしな…」
「えーっと…“書いてもらった”って、どういう事なの?其れは元々最初から刻まれてたものじゃなかったって事…?」
「おう。…実は、此れ書いてもらったのはもうずっと前の事で、俺がこの本丸に顕現したての初期で、彼奴も――この本丸の主も審神者になったばっかの頃なんだけどさ……、」
懐かしき思い出を紐解くように、お互いにまだ未熟で初々しかったあの頃を思い出しながら、無意識に綻ぶ口許すらも愛しく思いながら口を開いた。
―あれは、本当に俺達が審神者と刀剣男士という主従の関係を始めたばかりの事だったか…。
何もかも手探りで突き進んでいたが故に、見知らぬ事も多く、日々それぞれが沢山の物事を知り、吸収していっていた頃。
主は審神者を始めたばっかのぺーぺーでとにかく我武者羅に足らぬ頭を振り絞って本丸の指揮を執り、俺もまだ人の身を得たばかりで物や武器としての意識が強く戦う事以外の物事に関心が薄かった。
そんな折に、次々と増えゆく本丸の仲間達を、まだ広々としていた大広間に一同に集め、声を張り上げながら諸々を指示していた事があった。
本丸設立の初期の初期の頃にはよく見られた、人としての生活の仕方や立ち振舞い方についての説明会兼勉強会である。
今や九十を超える刀数だから、いつの頃からか先に顕現していた各々が顕現したばかりの新刃達の世話を焼くようになったものだが、当時はまだ刀数も少なく三十振りにも満たない数であった為、主自らが先頭に立ち俺達を導くように色々と細々とした事まで世話を焼いてくれたもんだ。
其れこそ、俺達の事を言い表す時に口癖のようになった“我が子”という言葉の通り、愛しき子の世話する母親の如く…。
そんな説明会の際に主が言った「まだまだ刀数は少なくとも、既にこんだけ人数居るんだから、他の子の物と自分のを取り違わないように、自分の物にはちゃんと名前を書いてきちんと管理する事ー!良いねぇーっ?」という言葉を、そのままの意味で鵜呑みにした俺は、説明会が終わった直後、主の元へとある事を頼みに自分の本体を携えて向かった。
そして、其処で俺は主にこう言ったのだ。
「俺はアンタの所有物…つまりはアンタの
俺のその発言を聞いた時の主と言ったら――今ならば“ほぁん!?”という間の抜けた声を即上げて反応を寄越してきた事だろうが、当時はまだあまり自分の素の感情を表に出さないようにしていたのか、無言で驚き固まって目を剥き俺の方を凝視していたっけか…、――今思い出しても笑っちまうくらいに可笑しかったなァ。
だって、頑なに素を隠そうとする割りには、そういう時に限って素が出ちまってるんだからな。
案外、実直で素直な奴なんだなと思ったよ。
そんでまぁ、そん時の主だが、当然の如く否定的な返答を返してきた。
元は武器でそこに宿った付喪神だろうと、今は人の身を得てるんだから人のように扱わなきゃ失礼だろって思う意思からなのか、ただの物であった時の扱いとは違う事を諭された。
「え…。や、確かにたぬさんはウチの子で俺の刀だけどさぁ…其れと此れとはちょっと話が違うと思うのですが?」
「でも、アンタ審神者始めてすぐじゃねェーか」
「そう言われちゃうと確かにちょっと不安がありますけどね〜…っ」
「だろ?なら、誰が見ても分かりやすいようにしといてくれよ」
「うーん…まぁ、分かったわ」
流されやすいのか、押し負けやすい質なのか、結局は俺の頼みを聞いてくれた主は首を縦に振り、納得してないながらも頷いて俺の差し出す本体を受け取った。
それから、取り敢えず受け取ったは良いが、具体的にどうやって名前を記せば良いのかを悩み、頭を捻る。
単純に名前を記すにしてもどの辺りに、どうやって、何で書けば良いのか。
そんな風に悩んだ末に、手短に置いてあった先程の説明会時に使ったマジックペンを手に取り、徐にキャップを外して黒いペン先を真っ黒な色をした鞘に向かって沿わせようとした。
たぶん、あの時の主は、特に何も考えずに俺が頼むがままの事をやろうとしたのだろう。
流石の其れじゃ意味が無いってんで、マジックのインクが付く前に俺は制止の意味も込めて主に呼びかけた。
「なぁ、ちょっと待ってくれよ。まさか本気でそのまま其れで名前書こうと思ってねぇよな?」
「え?違ったの?」
「いや、其れ、墨みたいなもんなんだろ…?黒に黒で書いたってパッと見分かんねぇし、目立たねぇし、意味無ェだろうよ」
「あ…っ、そっか。それもそうだったわ…ついうっかり」
「…アンタって、しっかりしてそうに見えて意外と抜けてるっつーか、阿呆だよな…」
「あははぁ〜っ、すまんね。言われるまで気付かなんだや。御免ねぇ、俺ったら時折ポンコツになるみたいでさぁ」
「まぁ、良いけどさぁ…書くなら書くで、直接傷付けるみてぇに刻み付けて書いてくれよ。その方が手っ取り早いし、誰がいつ見ても分かりやすいしさぁ。…ほら、こないだ万屋の買い出しのついでで寄った金物屋で買ったっつー小刀、此れ使えよ。雑用に使う用で持ってんだけど、何か切ったり削ったりする作業すんのには便利だからさ。文字彫ったりすんのにもこっちのが向いてんだろ」
「えっ……直接此れに名前彫るの…?俺が?」
「アンタ以外誰が居んだよ」
「えぇー…っ、マジっすかぁ……地味に責任重大やないですか、ソレェ…。しかも、名前彫んのに使うのが小刀て…俺大丈夫かな…?手ぇ切りそうで地味に怖いんだけど」
「心配すんな。刃物の扱いにゃ慣れた俺が見といてやるからよ」
「いや、そういう問題でもねぇんだが…まぁ、いっか。…彫り物するにしても、せめて専用の道具あれば良かったなぁ…実家になら直し込んでるのがあんだけど」
「あんのか、そんな代物が…意外だな。…って事は、彫り物すんの初めてじゃねェーのか?」
「うん。子供の頃、小学生の時に図工の授業で版画を作るって体験事があってね。其れで、お姉やんが使ってたお下がりを貰ってたのよ。俺とお姉、歳がそんな離れてないからさ、度々そういう事があったのよねぇ〜。まぁ、実際は俺のっていうよりは共有で使う用の物だったし、そん時の授業以外で普段使う事も無かったから棚に仕舞い込んだまんまだったと思うけど…」
「へぇ…」
「そんな訳だから、彫り物すんの自体は初めてじゃないにせよ、当時の記憶から十年以上は経過してるから、どうなるか知らないよ…?しかも、今回扱うのは専用の道具でもないし、おまけに文字を彫るなんてまともにやった事無くて初めてだから完全イメージでやる事になるけど。ギリ自分の名前の判子作るので、苗字の頭文字を専用の石に彫った経験は無くも無いけどね?でも、其れも最低十年くらい前の中学ん頃の記憶だし。版画作りん時は、板に描いた絵の部分を地道にガリガリ削ってただけだったし」
改めて確認を取るようにそう念を押して言葉を重ねてくる主に頷けば、主は顰めっ面で手元に握る俺の本体を見つめ、唸った。
一先ず、真剣の中身が入ったままは危ないのと重くて作業中に支えにくいからとの事から、本体その物は俺が預かり、鞘だけを主に手渡して名前を彫る作業に移ってもらう。
その際、安全の為にも抜き身の本体には鞘の代わりに布を纏わせ
彫る時に粉が出て部屋に散らかってはいけないと、部屋のすぐ前の縁側に出て新聞紙を広げ、その上に作業スペースを作る。
いざ作業が整い、名前を彫るとなった時になって、ふと主が俺の方を窺い見るように首を傾げて見た。
「そういえば、名前彫ってくれって言われたけど、何て書くのが正解なの?単純に、“猫丸本丸の同田貫正国”ってな感じにすれば良いの?」
「いや、其れじゃちと長過ぎんだろ…“アンタの”ってのが分かれば良いんだからさぁ、其処はアンタの名前で良いんでねぇの?」
「えー、其れじゃ俺が何かやだよ…端的に言って恥ずくね?」
「何でだよ」
「いやぁ〜…何となく」
「ふぅん…まぁ、他所様の本丸の奴等が見ても分かりやすいようにしてくれりゃ何だって良いからさ。最終判断はアンタに任せる」
「えぇー…っ、結局全部丸投げですや〜ん…嘘やん。……っもぉー、俺もよく分かんないから適当に決めちゃうかんね?」
そう言って主は手元に集中し出して、仮書き用にやっぱりさっき持ち出したマジックペンも使って下書きをして、削る文字の
最初こそ恐々と小刀を握り締めて少しずつ下書きした部分に沿って削っていたが、その内慣れてきたのか、無言で作業に集中し始め、最終的には俺の呼びかけにも応じない程に真剣になって文字を彫り進めていた。
そうして、主の手によって刻まれた――“俺の”という文字。
少し不恰好に歪んだ文字が俺らしくて、黒地に小さな刀傷が所々付いてるだけの飾りっ気の無ェ見た目だった鞘に映えて大層気に入ったものだった。
悩んだ結果、最終的に主が彫ると決めた言葉は至極シンプルなもので、主自身の名前でもなく俺の名前でもないとは…始めに言った、“名前を書く”という当初の目的は何処に行ったのやら。
其れでも、他には無い、主から賜ったもんに、俺は内から溢れ来る嬉しさと感動に興奮気味で感謝の念を述べた。
「ははっ!“俺の”か…!こんなに分かりやしぃのは他にねぇだろ…っ!!ありがとよ主、気に入ったぜ!!」
「うん、まぁ、何はともあれ…お前が気に入る出来になってんなら良かったよ。直接文字彫ってくれって言われた時はどうしたもんかと思ったけど、まぁなるようになって安心したわ」
「へへっ、此れで他の奴のと俺を取り違う事もねぇだろ!」
「入れる文字、本当に適当に決めちゃったけど…其れで良かったの?」
「おうっ。此れなら、パッと見でアンタの俺だって分かるだろ?」
「うん、分かる分かる。間違えようが無いくらいめっちゃ分かるよ。もし、これで間違えようものなら、俺どんだけポンコツやねん!って話になるだけやから。仮にそうなった時は、たぬさん、遠慮無くブチ切れて良いと思うよ。ぶん殴るなり何なりしてくれて構わんぜ」
「いや、仮にも自分の主ぶん殴るなんてするかよ…。あと、俺は女子供に手ぇ出す程落ちぶれちゃいねェーっての」
「はははっ…そうかい。お前が良い子であって本当に良かったよ。どうか、これからもその素直さを真っ直ぐ貫き通してね。お前は何事に対しても真っ直ぐなのが取り柄だから……、――いつか、俺が道を踏み外しそうになったら、その真っ直ぐさで止めて、俺を正しき道に引き摺り戻してね」
曇り無き目でそう真っ直ぐに俺の目を見て告げてきた、あの時の主の瞳の色を…強き意志の現れた目を、俺は今も忘れず鮮明に覚えている。
―そして、時は流れて、気付けば三年もの月日が流れて、今に至る。
あの時とは比べ物にならない程強くなった俺は、身も心も極めて此処に居る。
主や本丸の皆を守る為、主という存在を取り巻く時間を――正しき歴史を守る為に、俺はこの鞘に刻まれた祈りと願いを胸に戦場に出て戦い、敵を斬る。
“主に仇なす者は、鬼だろうが仏だろうが皆纏めてぶった斬ってやるよ”という意志を宿して。
己の鞘に刻まれた古い傷みたく掠れて読みづらくなった文字の部分を柔く撫ぜながら、懐かしげに目を細めて語った俺は、その辺りで話を締め括って切り上げた。
「――…とまぁ、この鞘に彫られた文字の経緯はこんな具合だ。満足したかい…?」
「はい。ご親切に教えてくださり、有難うございました。…成程、だからただの刻印にしては何か特別な気配らしきものを感じると思った訳ですね。我が頭の霊力が知らず知らずに込められていたのなら、頷ける説明です」
「ただの文字を彫っただけで力が込もっちゃうなんて、やっぱり審神者って凄い人なんだなぁ…っ。……あ、でも、その鞘に彫られた文字を見るに、君と主の関係ってやっぱりそういう関係なんだ…?」
「あ?何だって?」
「嗚呼…確かに、雲さんに言われて気が付きましたが、恐らくはそういった解釈で間違いないかと」
「は…?アンタ等さっきから何の話して――、」
意図の掴めぬ会話の応酬に、何の事を言っているんだと問い質そうとした瞬間、少し離れた場所から俺を呼ぶ主の声が聞こえてきて、咄嗟に其方の方へ意識を移し、声を張り上げて呼び声に応える。
すると、思ったよりも近場に居たのか、曲がり角の先からひょっこりと顔を覗かせてきた主が俺に呼びかける。
「あ…っ、丁度今、新刃組二人の本丸案内とか諸々してくれとった最中やったんやね。そんなところ呼びかけて御免なぁ〜」
「いや、良いよ。んで…?俺に用ってのは何だ?」
「うん、今日たぬさんも鍛刀当番の日やったから鍛刀すんの手伝ってもらおうかと思うてにゃん、其れでたぬさん何処に居るんか皆に訊いて探し回っとったんよ。思ったよりすぐ見付かって良かった良かった!」
「あぁ…そういや、もうそんな順番になってたっけか。分かった。此奴等の世話は、他の暇持て余してるような暇刃共に引き継がせりゃ良いし、手短に其処ら辺に居た獅子王とずおばみ達に声かけてくるわ」
「うん、お願いしやっす。んだば、俺は鍛錬所の方に先行って待っとくね?雨さんと雲さんも、また後でね〜!」
本当に呼びかけしに来ただけだったんだろう、用が済むなりにこやかな笑みを浮かべて小さく手を振って鍛錬所の方へと去っていった主。
イベント事が続いていて忙しいだろうに…他の奴を使わす事はせず、わざわざ自ら自分の事を探しに来るとは。
そんなに俺が側に居なきゃ不安かねぇ、と苦笑いを浮かべつつ主が去った方を見つめ、しみじみ思うみたいに考えていれば。
俺の様子を黙って見ていたらしい二人が顔を揃えて一言呟いた。
「やはり、そういったご関係でしたか…此れは失礼」
「…俺達、お邪魔みたいだね…。すぐにでも退散するから…俺達の事はお気になさらず、ごゆっくりどうぞ」
「ぁあ…?アンタ等、さっきから一体何の話してやがんだァ?まどろっこしい事してねぇではっきり言えよ」
「ヒッ!?ご、御免…っ!余計な事言っちゃって…これ以上、何も言わないから怒らないで……っ!!」
「落ち着いてください、雲さん。彼は貴方を威嚇した訳ではありませんよ。どうか、心を落ち着けて、一度深呼吸をしましょう。ハイ、吸ってー、吐いてー…ゔーっわんわん」
「ぅ…ゔー、わんわん……っ!」
「わんわんっ、わふ、わぉんっ」
「わんわん、わふ…っ、わぉんっ。………っふぅー、有難う雨さん、もう大丈夫だよ!」
「それは良かったです」
「……アンタ等、人間の身してんだから人語喋れよ…。つか、今のでよく会話伝わったな…?」
「まぁ、いつもの事ですから」
「マジかよ…そりゃ、そんだけ犬みが強けりゃ主が気に入るのも無理ねぇわ…。疲れた時の主も似たような言語喋り出すし」
「なんと、其れは初耳な情報です…!して、頭はどのような言語で喋るのでしょうか?」
「猫語」
「…犬ではないのですね、残念です…」
「いや、残念がるとこソコかよ。もっと人間みのある部分で嘆けよなァ。――って、彼奴は元々人間なんだが……ったく、変に人間辞めて人語以外喋ろうとすんのは一人だけで十分だっつの」
今や掠れて読めなくなりはしても大事な文字を刻まれた物である事には変わりない鞘に納めた刀を肩に担ぎながら先を歩き始め、先程名を挙げた面子等が居る場所へと足を向かわせながら、今しがた顔を会わせたばかりの主の事を思い浮かべつつ俄かに口角を緩めるのだった。
執筆日:2021.07.08