「神隠し、ねぇ…」
政府から届いた知らせの中に書かれていた近況報告に一つの文言を見付けて呟く。
其れを、すぐ側で聞いていた近侍のたぬさんが顔を上げて此方に視線を投げかけてきた。
「“神隠し”がどうかしたか?」
「いや、なぁ?政府からのお知らせん中に書いてあったんだけど、つい最近“また”どっかの本丸で神隠し案件が起きて、一人の審神者と一振りの刀が居なくなったんだと」
「あぁ…そういう話な」
「まぁ、本丸というある種閉鎖された空間に閉じ込められてりゃ、そういった事は起こり兼ねないんだよねぇ…。何せ、ウチ等が相手してんの、曲がりなりにも神様なんだし。政府の考えが甘いんだよ、“我々は絶対にそんな事にはならない”とか高括って。“絶対”という事そのものが間違ってる事自体に気付けよ。世の中いつの時代にも“絶対”という言葉は当て嵌まらない。…神様相手に人間の考えがそう通る訳ねぇっての」
「随分はっきりと物言うじゃねェーの。どうした、何かあったのかアンタ?」
「別に、何も無くたって思う事はあるよ」
目を通していた政府からのお知らせ物の文束をトントンと揃えて、初めに在った状態に戻すように綺麗に折り畳んで仕舞う。
そして、政府からの封書系を纏めたファイルやら何やらの場所に仕舞い、片付けた。
躰の位置を机の前に戻して、途中だった仕事に戻った。
その一連の流れを静かに見守っていたたぬさんの視線も、手元の帳簿に落ちて仕事を再開させた事が分かる。
気にせず中断していた書類作業に再び集中し始めると、暫くしたタイミングでまた彼に話しかけられた。
「……さっきの話、」
「うん…?」
「“神隠し”についてのアンタの見解は分かったけど…アンタ自身の考え的には、どう思うんだ?」
「……どう、って?」
「“俺達”に神隠しされたいのか、否か、って話だ」
暫し、無言の応酬という沈黙が続いた。
何て答えるべきか、言葉を考えあぐねている隙に、持っていた筆を置いて片肘頬杖を付いた彼が此方に手を伸ばしてきて頬に触れる。
その感触が厭に優しいものだったから、一瞬背筋をゾクリ、としたものが走ったような気がした。
其れを誤魔化すように僅かに身動いで彼の金の鋭い目を見つめ返して、彼の手に自分の掌を重ねた。
「…たぬさん的には、どう答えてもらいたいと思ってる?」
「どう、って」
「俺の本心からの答えか、審神者として本丸の将を勤める者としての答えか、その何方かだよ」
するり、頬を撫ぜてきた彼の温い手に頬擦りする如く擦り付いて目を細めて見つめ返してみた。
そしたら、触れていた手を浮かすような動作を感じたから、重ねていた掌を離して様子を見守っていたら。
私の肌の上を滑るように移動させた彼の手は、その位置を唇下に移して、私の下唇の血色を確かめるように親指をなぞらせ、触れた。
誘うかのような艶かしい手付きに、むず痒くなって触れてくる彼の親指を制止するように食めば、唇を見つめていた目が真っ直ぐと私に向けられる。
「俺は、いつだってアンタの本心の方を知りたいと思ってるし、尊重したいと思ってる」
彼の金色の目が彼の心を雄弁に語っていた。
私は嬉しくなって、彼の手を一度私の口許から引き離すと、弛く握り込まれた彼の手に向かって優しく口付けを落とし、口を開く。
「じゃあ、教えてあげるよ、俺の本心としての感想」
内緒話を話すように机から身を乗り出して彼の方へ顔を近付けて言う。
「俺の事を本当の本当に大事に思ってくれてるんだったら――、俺が壊れてしまう前に、俺を誰の手も届かない処に連れてって、――って思ってるよ」
端的に、彼や彼等が自身を“神隠し”する事を肯定した。
「…まぁ、その後も審神者のお仕事は続けたいから、“形としては”そういう形を取って欲しいなぁ…って話だけどね」
後付けとしてそう言葉を付け足して離れ、元の位置に腰を据え直すと、自身の耳元を名残惜しそうに触れながら視線を此方に投げてきたたぬさんが何処か不服そうに口を開いた。
「“今すぐに”じゃなくて良いのかよ…」
「全ての準備が整ったら、で良いよ。変に急いで上に目を付けられたくもないし。俺が本気で駄目になりそうになったタイミングで頼むよ」
「……本当に良いんだな?」
「俺的には最初から構わないと思ってるけど、逆にそっち的にはどうなの?」
審神者本人の署名が必要な箇所に、端末越しにサラサラと真名を記名しているところで顔を上げて問うた。
彼の鋭い視線が直に私へと突き刺さる。
「俺は、アンタが望む限り、アンタの望む事を叶えてやりてぇと思ってる…。だから、アンタが俺に“隠されたい”と願うなら、今すぐにだって叶えてやるさ。誰の目も声も届かぬ処へ逃げてぇってんなら、そうする。俺は其れだけアンタの事を大事に思ってるし、慈しんで俺だけのものにしたって良いとすら思ってる……其れじゃ、駄目か?」
「いや…駄目じゃないと思うよ。括弧、俺個人の話ではね。他は知らないよ。たぶんじゃなくても、確実に咎められる事だとは思うけど」
「だが、アンタ自身は其れを望むんだろ?」
「“君達”が許してくれるならね」
私は意味深に微笑んだ。
そうして、書面へと視線を落として、己が直接書き記した真名を眺めて、そのすぐ隣の位置に捺印を押した。
此れで、この書類は提出出来る。
記入漏れが無いかを確認して、他の提出書類と一緒に纏めて茶封筒に入れてしまい、封を綴じた。
あとは、こんのすけのこんちゃんを喚んで提出作業は終わりだ。
机に手を付いて立ち上がり、縁側の方へと向かってこんちゃんを喚ぼうとしていると。
彼の側を横切った際に、クンッ、と服の裾を掴まれてつんのめり、足を止めて彼の方を見遣った。
そしたら、彼は片手は筆を持ったまま視線も帳簿へと向いたままから、もう片方の空いた手で私の服の裾を掴んでいた。
その不可思議な行為の意図を読めずに、“どうしたの”と問う代わりに別の言葉を吐いた。
「俺、こんちゃんに提出する用の書類を提出しようと思っただけなんだけど…?」
ついでのおまけに首も傾げてそう言ったら、遅れながらも漸く此方に視線を向けた彼が普段の気怠げな目でこう呟き返してきた。
「別に、今すぐじゃなくたって良いんだろ?其れ。提出期限もうちょい余裕あったの知ってっし」
「…でも、出来たなら、提出期限ギリギリになるまでよか仕上がった時点で出した方がミスも少なくて良くない?」
「そりゃ分かってるこった。俺が言ってんのはそういう事じゃねェーよ」
「え…じゃあ、どうしろと…?」
分からずにまたも首を傾げて訴えれば、彼が複雑そうに呆れた風に溜め息を吐いて俯いた。
次いで、顔を上げてこっちを見つめてきたと思ったら、またさっきの雰囲気を滲ませた目で私を射抜いたのだった。
「…せっかく好きな奴と二人きりだってのに?わざわざ邪魔者呼びに行く必要ねぇだろって事だよ」
「…………っあー、そういう…!」
「ったく、相変わらず鈍いなアンタは…。――が、流石の事に関しちゃァ聡く鋭いようだから安心したがな。ちゃんとそういう事に対しての危機感は持ってるって点でさ」
筆を持ったまま器用に頬杖を付いた彼が口角を上げて此方を見る。
「もう少し時間に余裕あんだからさ、休憩に入るまでの間くらいは許されたって良いよなァ?」
好きな人を前にした状態での蕩けた甘い視線に、断れる程の理由を持たない甘い神経は彼の意思に従う事を受け入れたようで…。
――というのは建前で、本当はそんな彼の視線を受けるのに堪え切れなくなったから…というのが本音である。
部屋を出ようとしていた躰の向きを変え、彼の方へと向き直れば、筆を置いた彼が此方に向かって両手を伸ばしてくる。
其れに応えるようにして、手に持つ書類を机に置き、彼の胸元へ飛び込むように倒れ込んだ。
其れを、後ろに倒れる事無く受け止めた彼が私の背後に腕を回して抱き締める。
途端、密着する互いの身と、より強く感じるようになった彼の匂い。
自然と鼻をすんっ、とさせ、彼の匂いを吸い込んだ。
今や嗅ぎ慣れた、愛しき彼の匂いである。
同時に彼の方も私の匂いを嗅いでいたようで、猫吸いするみたく深く息を吸い込んでいた。
今の季節、汗をかきやすいからあまりそんな風に真剣匂いを嗅がれたくはないのだが…。
そんな思いなどお構い無しに匂いを吸う彼に、ぽつり呟く。
「幾ら好きだと言えど、其処までされるとちょっと引く…」
「良いだろ、ちっとくらい。減るもんでもなし…。ここのとこ戦不足or雑用こなすばっかで退屈してっし、おまけに脳味噌疲れてんだよ…少しは癒させろよ」
「…はぁ。まぁ、好きにしたら良いけどさァ」
そう言って、大人しく彼の腕の中に収まっていると、突如牙を向いてきた獣の如く無防備にしていた首筋を噛み付かれて吃驚する。
色気の欠片も無い短い悲鳴を上げて彼を見上げると、またも不満そうに
そして、彼はその顔でこう言ってきた。
「アンタさァ…そんなんだから甘く見られるんだぜ?」
「はぇ…?」
「俺達“神様”に向かって“好きにしろ”なんて言ったら、本当にその通りにしちまうぜ。…それこそ、“神隠し”なんて事もさァ」
そんな事を苦々しく言って忠告してくるも、その実、本心ではいつも私の事を第一に思ってくれてるのだから、優しい事この上無い神様である。
執筆日:2021.07.30