彼女は、現世と本丸を行き来する、兼業審神者だった。
世間一般的には知れ渡っていない職業故に、世間様への体裁の為にも一般職との兼業である。
しかし、兼業審神者程大変な本丸運営は無い。
現実との狭間で生きる過酷な厳しさに揉まれ消耗してしまった彼女は、とうとう口を零してしまったのだった。
「ねぇ、もし私が“首吊って死にたい”って言ったら、どうする…?」
その一言に、近侍として雑務をこなしていた俺は顔を上げて彼女を見た。
「……其れを本気で言ってんだったら、ちと考え物だがなぁ…どうしてんな事訊いてきたんだ、大将?」
本心からの問いかけだった。
彼女は濁り切った目をして端末を弄りながら応じた。
「何となく、訊いてみただけ…。仮に訊くけど、今の聞いて怒った?」
「いや、今ので怒る事はしねぇよ」
「じゃあ、幻滅した…?」
「其れも無いな」
「そっか…」
そう返したキリ、口を閉ざそうとしかけた様子なのを見て、間を空けずにこう返してやった。
「まぁ、強いて返すなら……とうとう“こっち”に来る気になったんだな、って感じか」
「…そう」
一応、相槌を打てるくらいの正気はまだ保てているようだ、と今の反応から窺い見る。
内心だけで難しい顔を作り考え込んでいると、彼女が再び口を開いて小さく本音を零した。
「…薬研は私に甘いし、優しいよね」
「“何を”とは直接口にする気は無いが、最初の頃からずっと付き添ってきた身だ、全てとは言わずとも大将の事は理解してるつもりだぜ」
「…今の戯言、怒ってくれても良かったんだよ?」
そう言って漸く端末から顔を上げた彼女は、今にも泣きそうなくらいに顔を歪めて感情を抑えた声を漏らした。
「怒ったりなんかしねぇさ。これ以上、大将の事を追い詰めるのも傷付けるのも避けたいからな」
「……時には優しさが棘として刺さってる事は知らないんだね…」
必死に思いを堪えた風に俯き視線を落とした彼女が、とうとう仕事の手を止めた。
思い詰めている様子の彼女を下手に刺激してやらないよう、努めて優しい声で答えを返してやった。
「今の大将に必要なのは、何よりも優しさと温もりと癒しだろ?」
「……これ以上、優しくしないで。色々と辛くなってきちゃうから…っ」
「…そうなるまで気付いてやれなくて、すまん。……でも、大将を其処から連れ出す役目を担ってるのは俺じゃないんでな、悪いがもう少しだけ待っててくれ。大将を連れ出す力を持った奴にちゃんと話通してくるから…それまで辛抱強く待てるか?」
そう問うて彼女の方を真っ直ぐに見遣れば、彼女から虚ろな視線をもらうも意思のはっきりした返答が返ってきて安心した。
「うん……きっと、連れ出してくれるんだって信じて待ってるから、もう少しだけ頑張ってるね」
力無いながらも笑みを浮かべてそう笑って言った彼女があまりにも痛ましくて、これ以上見ていられないと内心固く決心した。
「嗚呼…必ず迎えに行ってやるさ。大将が本当にその気になってるんなら」
そうして、束の間の本丸での仕事を終えた彼女が明日の現世の仕事の為に帰宅した後、夕暮れ時の黄昏時に紛れるようにして縁側にぽつりと存在していた彼女の恋刀に告げる。
「旦那…大将がもう限界みてぇだ。迎えに行く役目を頼んでも良いかい?」
「…彼奴本人が望んだのか?」
「嗚呼。大将の真名を知ってるのは旦那だけだろ…?出来るだけ早い内にこっち側に連れてきてやってくれねぇか」
「……他の奴等も異論がねぇってなら、な」
「異論はねぇよ。大将が本気で自殺する事を考え出す前に連れ出してやってくれ。大将が俺達を置いて一人勝手に死に逝くなんて事は、誰も望まないだろ?」
「………分かった」
此れで、彼女は今の現状から少しでも救われるだろうか。
そう願うように託した思いを、受け取った
―俺達二人が彼女の知らぬところでそんな会話を交わした日の真夜中、寝ようとしていた直前の彼女の元へと現れた一人の刀が泰然と己の手を差し伸べて言う。
「よォ、主、迎えに来てやったぜ」
暗闇の中からそう言って手を伸ばすのは、彼女の恋刀である同田貫であった。
彼女は突然の事に驚きはすれど、拒絶の意思は全く見せる事無く向かい合っていた。
「アンタを“こっち側”へ連れ去る用意が整ったから、来た。…アンタの方はどうする?俺の手を取るか、否か、好きにしな」
「…貴方に付いて行けば、今ある苦しみから救われる?」
「現世の方の
「そう………なら、私の名前を呼んで、攫って、連れていって」
「――仰せのままに、俺の愛しい主、■■」
彼女が願ったままに、俺達が望んだ通りに彼女の存在を
目論見は大成功となった。
現世に在った筈の審神者の座標が瞬間的に無くなり、本丸の在る空間の方へ移動したせいか、彼女等のセコムとして動いていた時の政府の監視課が調査へと動き、本丸へ直接訪問しに来たのが数日後。
その頃には、既に今までの明るい表情を取り戻していた彼女の様子に、調査部隊も事情を把握、現状はそのまま本丸で保護する事を通したのであった。
知っていた事ではあったが、上が望むのは、彼等・彼女等審神者がその職務を放棄する事無く存在する事だ。
其れが満たされているならば、仮に現世でなくとも存在は許されるのである。
執筆日:2021.08.01