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君が空翔ぶ鳥になる夢を見た



 見知らぬ場所に来ていた。
其処は、何処かの高い建物の屋上のような場所であった。
真夏の青空が広がり、風に流されていく入道雲の景色が見事だった。
 そんな背景を背に携えた小鳥が、鉄柵の向こうに立って此方を見つめていた。
何故、そんな危ない処に立っているのか。
私は小鳥に呼びかけようと口を開きかけた。
しかし、いざ声を発しようとして音を出そうとしたら声が出なかった。
喉奥が塞がったように声を出せなかったのだ。
私は焦って自身の喉元に手を遣った。
何も起きていない、何事も無い、いつも通りの喉元が存在するだけである。
 私は混乱しながらも、小鳥の注意を此方に引き付けようと必死に声無き声で訴えかけた。
“そんな処に居ては危ない、早く此方へ、安全な柵の内側に来るんだ!”――…と。
 しかし、小鳥は優しく柔和に微笑むばかりで何も返してはくれなかった。
其ればかりか、小鳥は鉄柵を掴んでいた手を離して、私に背を向け、足場の際に歩を進めていくではないか。
私は呆然と佇んでいた場所から咄嗟に駆け出して小鳥の方へと手を伸ばした。
小鳥はその場を飛び立つ最後、徐に此方側を振り向いたかと思えば、幸せそうに微笑んで、私の方を見つめながら…――足場無き地へと翔んだ。

 一瞬の出来事だった。
私は鉄柵に駆け寄り、伸ばせるだけの腕を伸ばした。
しかし、その手は何も掴めず、空を切るだけに終えた。
 小鳥が、目の前で、屋上から飛び降りた。
例え、夢であったとしても、助けたかった。
この手で、何としても彼女の服の一部でも腕でも掴んでこの世に繋ぎ止めておきたかった。
何が彼女を其処まで追い詰めてしまったのか。
彼女の刀として顕現したならば、彼女を護る刀で在りたかった。
だがしかし、私は彼女を救えなかった。
私の腕は彼女に届きもしないどころか、掠りもしなかったのだ。
声すらも投げかけてやる事は叶わなかった。
何故、どうして…――。
後悔の念ばかりが心の中を占める。
今しがた見たばかりの光景が頭から離れない。
嗚呼…私の小鳥よ、何故自ら死を選ぶような真似をしたのか。
問わずには居られない。

 ふと、彼女が翔んだ跡を残すかのように、彼女が先程まで立っていた場所のすぐ側に何かが落ちている事に気付いた。
私は直ぐ様腰を屈めて其れをよく見る為に其れへ近付いて目を凝らした。
そして、我が目を疑った。
其処には、血塗れた白き椿の花が一輪、枝付きで転がっていたのだ。
その赤く彩られた様が、まるで地へと飛び降りた小鳥の末路のようで見ていられなくなり、私は顔を覆って叫び散らした。


「しっかりしろ、山鳥毛――…ッ!!」
「――ッ…!?」


 突如として己の耳に飛び込んできた声。
聞き慣れたその大きな声に名を呼ばれた気がして、意識が弾けて、一気に引き戻されるように目が覚めた心地で跳ね起きた。


「大丈夫か?自分が何者で、今何処に居るか、分かるか?」
「……御、前…?此処、は…本丸の自室で…自分は床で寝ていたのか……?」
「意識はしっかりしてる?どっか調子悪いとこあるようなら、遠慮無く言って。今すぐ手入れ部屋開けて準備してくるから」
「うん…?その声は…小鳥か!?」
「え…っ?――ッ!!?」


 御前と共に覗き込んできていたもう一人の方へと視線を向けたら、其処には今しがた屋上を飛び降りていった筈の小鳥の姿があった。
心配そうに此方を覗き込んでくる彼女の健在とした姿に、私は躊躇など一切無しに彼女の身を力一杯に抱き締めた。
がばりっ、といきなりの事に驚いた様子の小鳥は、「ヒュッ」と息を飲んで固まってしまった。
ついでに、同じく突然の展開に驚き付いていけなかった御前や子猫もその場で固まって私の方を凝視している様子であった。
半ば先程まで錯乱した精神状態だった為に周りの事が目に入らず、とにかく無事に生きている小鳥の存在に心底安堵の溜め息を吐き出して零す。


「嗚呼…っ、アレはやはり夢だったのだな…良かった……!小鳥が無事で、本当に…………ッ!」
「……えぇっとぉ…何が何やらでどうしたものやら…??」
「お、お頭ぁ…だ、大丈夫かにゃ…?」
「こりゃ相当重症だな。どういう訳でこうなったかは、一先ずは此奴が落ち着いてからにしよう…。まぁ、大方今の反応から流れは読めたが…落ち着くまではそのままにしておくのが良かろう。すまんが主、其奴の世話を頼んでも良いか…?代わりに、僕は茶でも淹れてくるとしよう。なぁに、その状態もそう長くは続かないさ。奴は恥ずかしがり屋だからなぁ…そう経たぬ内に正気に戻るだろうて。…さて、茶を淹れてくるついでに、まだ起きていて話の聞く上手い奴を連れてくるとするか。場合によっては、僕達より専門な奴がいた方が良い事もあるだろうからな」
「えっと…俺も付いていった方が良いっすかァ?」
「南泉の坊主、お前は此処で主と共に山鳥毛の様子を見ていろ。何かあれば近場の者を呼べ。必要ならば叩き起こしてでもな」
「ウッス…!」


 私が未だ落ち着かぬまま小鳥の身を抱き締めたまま譫言を繰り返している最中、彼女は文句も言わずに私に付き添い、私が落ち着くまでの間、優しい手付きで背中や頭を撫で竦めてくれたのだった。


 ―暫くして、正気を取り戻した先の視界に映ったのは、私を心配そうに覗き込みつつも安心させてくれるような表情を浮かべた小鳥と――…、ニヤニヤとニマついた表情を隠しもせずにニッコリ笑む御前に、ひたすらその横で小さくなる子猫という図だった。
其処で初めて私はハタ、と自身の状態が今どうあるのかを確認した。
互いに寝間着姿、且つ混乱していたとは言えど女人である小鳥の身を抱き締めていた己の両腕、不可抗力にも泣き顔を見られたという羞恥。
全部が全部一気に理解して、勢い良く小鳥から身を離した。


「あ、や、あの…すまない、飛んでもない醜態を曝したな…っ。色々と混乱していたとは言え、いきなり抱き締めたりなんかして悪かった。気を悪くしたなら謝ろう。そもそもが、夢を見た如きでこうも心乱されていたようでは示しが付かないな……情けない姿を見せてしまってすまない、今ばかりはお許し頂けないだろうか…?」
「うははは…っ!坊主が一丁前に気取ろうとしておるぞ!顔が真っ赤な状態では全く説得力が無いがなぁ!!」
「こら、クソ爺、茶化さないの…!」
「えっ、と……?いつの間に、加州も此方に…?」
「俺は、偶々厠に起きて部屋戻ろうとしてるとこ、何かよく分かんない内にこの爺に捕まって此処まで引き摺り連れてこられたって訳。事情は取り敢えず何となくだけど把握したよ〜」
「他にも俺達も居るぜ!君が気付くまでの間ずっと気配を殺して隅で待機してたんだ、驚いたかい?」
「俺も居るぞ?今宵はなかなか寝付けなくてな。縁側で風にでも当たりながら酒でも飲んでいれば、その内眠くなってくるかな…と起きていたら、則宗に声をかけられてなぁ。ちなみに、小烏丸も一緒だぞ」
「ほほほ…っ、我は子が良くない夢を見たと聞き及んだ故、参ったまでよ。悪い夢を見た時は、昔から誰ぞ人に話せば良いと伝え聞くぞ。話せばそぞろであった気持ちも落ち着こう…少しずつで構わぬ、話してみるが良い」
「……こうも集められては、話さぬ訳にはいかんか…」
「まぁ、取り敢えずお茶でも飲んで一息吐いてからで良いからね。お話はそれから。はい、どうぞ」
かたじけない…有難く頂戴しよう」


 小鳥から手渡されたお茶はよく冷えていて、寝苦しい夜にはぴったりなのど越しだった。
小鳥の言う通りに一息吐いて落ち着いた後、改めて口火を切った。


「…して、お前はどうして彼処まで錯乱する程の状態に陥ってたんだ?夢で何を見た?――否、“何の夢を見た”…?」
「……話す前に、一つだけ言い添えておいても良いだろうか?」
「何だ、言ってみろ」
「…此れから話す事で、恐らくだが、小鳥の気分を害し兼ねん。其れだけは予めお許し願おう…」
「という事は、つまり…俺に纏わる内容の夢を見たって事でおk?」
「まぁ、飛び起きてから主に声をかけられてさっきまでの流れに至るまでを思えば、十中八九そうじゃないかとは思っていたが……主の方は良いのか?」
「別に構わんよ。初めから話聞く為に此処に居たのだし」
「気遣いに感謝する……では、私が小鳥達に起こされるまで魘されていた夢の内容を語るとしよう。――夢の内容はこうだ」


 そう告げて、つい先程まで見ていた厭な夢の内容を包み隠さず語り伝えた。
夢の中で己が見た物を、光景を、目の裏に焼き付いて離れない情景を、事細かに話した。
皆、静かに黙って私の話に耳を傾けてくれた。
単なる夢如きの話に真摯にも付き合ってくれる仲間達には、感謝してもし切れない思いだった。


「―成程…其れは散々な夢だったな、としか言い様が無い話だな…」
「主が己の目の前で飛び降り自殺するとは、生きた心地のせぬ事であったろう…夢とは言えど、なんと寝覚めの悪い夢か」
「内容が内容だっただけに縁起でもねぇ、にゃ…っ。お頭じゃなくても、そんなん誰だって混乱するっての…」
「うむうむ、よくぞ話してくれたぞ、山鳥毛。其方も我が子等の一人よ、我が居るからには現実にはさせぬ。皆も居る故、其方一人ではない。いざとなれば、本丸に居る皆全員が力を貸そうぞ。大丈夫、主は今こうして其方の目の前で息をして生きておる。気が落ち着いたらば、安心して寝直すが良かろ」
「僕達は暫くは起きて様子を見といてやるから、眠れる内に寝ておけ」
「いえ…っ、何も其処までして頂く訳には……!」
「お前はまだまだ若い。若い内は年寄り連中の言葉に甘えておけば良いのさ」
「そーそー!どうせ俺達は眠れず起きていたような暇刃共だからな!ちなみに、俺は早くに寝過ぎて早くに目が覚めてしまったショートスリーパーだ!!」
「アンタ、だから最近夜な夜な徘徊してたの…?良い迷惑なんだけど」
「まぁ、鶴さんの事情はさておき…っ。俺のせいで変な夢見させちゃって御免ね。たぶん、今回ちょもさんが変に厭な夢見たの、俺のせいだ…。ちょいちょい俺が自殺願望抱いちゃったりとかして、“死にたい”とかリアルに口に出しちゃったりしてたから…きっと、其れが影響しての事なんだと思う……。本当に御免、心配かけて。夢に魘される程不安な気持ちにさせて御免。こんなどうしようもない審神者だけど、君達を置いて勝手に一人居なくなるような事はしないからさ、其れだけは安心して欲しい…っ」
「…其れは、真か…?」
「嘘じゃないよ。心配なら、誓ったって良い!神様との約束は絶対だからね」
「…ならば、約束して欲しい……頼むから、私の目の前で死に逝くような真似だけはしないでくれ………ッ。此れ程肝が冷えた事も生きた心地がしなかった事も無かったのだから……!」
「うん、絶対しない。もし、俺がこの世から消える時は、皆と一緒だから…大丈夫、そう簡単には死なないよ。だから信じて?俺も、ちょもさんの事信じてるから」
「あぁ…嗚呼、信じるともさ。君は、一度我々と交わした約束は違えたりしないと…!」


 宥めすかすように私の手を握って安心させてくれる彼女の手を、今度こそ離しはしまいと掴んで握り返す。
手の内にあるか弱き掌は、ちゃんと温かい、血の通った生きる人の掌だった。
夢のような結末にはさせない。
私の目が届く内は絶対にそんな事はさせぬと誓おう。
この身に、この刃に誓って。
か弱き大事な人の命が自分の預かり知らぬところで失われる事など無きよう、この身を賭してでも護り抜く。

 ――そう、誓っていた他所で、私達の様子を見守っていた御前達は密かに口を零していたのだった。


「―なぁ、今の主の発言、聞いていたか…?」
「嗚呼、聞いていたなぁ。其れがどうしたって…?」
「とある文言が引っ掛かってなぁ…僕の気のせいだったならば其れで済むんだが」
「…聞こう」
「あの主…山鳥毛の奴を安心させる為とは言え、一人勝手に死に逝く真似などはせんと言ったところまでは理解出来た。しかし、その後、あの娘何と言った…?僕の耳が正しかったならば、“もし、俺がこの世から消える時は、皆と一緒だから”的な事を口にしておったぞ…――はてさて、どういう意味だろうなぁ?」
「死ぬ時は我等と共に、という意思表示か…」
「――或いは、“我等に神隠しされてでも共に居る事を誓う”…、という意味かもしれぬなぁ……?ほほほほっ…愛い事を言うものよ。だからこそ、我等は人の子を慈しんで敵わぬというものぞ」


 彼等がボソボソと交わす会話を拾う事は終ぞ出来なかったが、私が再び眠りに就くまで小鳥が側に付いていてくれると言うので、有難かった。

 その後、寝直してからは厭な夢を見る事は無かった。
代わりに、本丸ではない何処かの…本丸に似通った如き場所で、花のように笑い鳥のように歌って舞う小鳥が此方を振り向き笑いかけてくれる夢を見た。
其処には、私達以外の本丸の皆も居て、幸せそうに笑い合っている光景が広がっているのだった。


『―夢と現実を間違えるなよ…その事を、努々ゆめゆめ忘れぬようにな。其れと…“彼方側”に飲み込まれ過ぎぬように気を付けてな』


執筆日:2021.08.10