「私ね、最近思うんだけど…“死にたい”って意識が強く働いてる時に実家の台所で作業してるとね、何でか背中の辺りが凄くザワザワするの。何でかなぁ?」
本丸の自室で皆とは個別に御飯を摂っている時に、ふと気になったから、思い出した風に訊ねてみた。
「さぁ、何でだろうねぇ…?もしかしたら、君に死んで欲しくないと思っている誰かが引き留めようとしているのかもしれないよ」
軽く米のよそわれた茶碗を渡されて、「有難う」と返しながら手を伸ばして受け取り、卓上に並ぶ膳と一緒に目の前へ置いて腰を据え直す。
「…まぁ、そんな事を考えるよりも、今は御飯を食べてしっかりと栄養を蓄える事を考えようか。君はただでさえ躰が細いんだ、もっと食べれるようになるくらい力を付けなくてはね」
今日一日お仕事お疲れ様でしたと労うように、明日もまた頑張れるようにと精の付く料理を用意された手前で頷く。
「頂きます」
「どうぞ、召し上がれ」
きちんと手を合わせて食前の挨拶を述べて箸を取れば、“よく出来ました”と言わんばかりににっこりと笑顔を浮かべるのだった。
上手くはぐらかされたようだ。
まぁ、彼に言われた通り、今は深く気にしない事にし、目の前の食事に集中する事にした。
私が食事に集中している間、彼は終始今日のどの料理は誰が頑張って作ったんだと嬉しそうに話して聞かせてくれた。
作っている最中こんな事が起きたんだよ、とか。
此れは誰々の自信作さ、とか。
ともかく私が何も喋らずとも、食事の間も退屈せぬようにと楽しそうに話して聞かせてくれた。
その間、先に口にしたような事を考える隙は無かったように思える。
夜、寝る支度を整える為に、そろそろ布団を敷こうと考えていると、手伝いに来たと言う前田君が部屋へとやって来た。
「そろそろお休みの時間かと思いましたので、床を整えに参りました」
「いつも有難うね、前田君」
「いえ、主君の床を整えるのも僕の大事なお仕事ですから」
私の懐刀として顕現した彼は、毎晩私が眠ろうとするくらいを見計らって私の寝床を整えにやって来る。
今日も、早過ぎず遅過ぎずの程好い頃合いであった。
寝支度を整え終えて後は寝るだけの状態で読書をしていたので、何となく彼の好意を受け取って甘えておく。
「お待たせ致しました。どうぞ、横になられてください」
「うん、いつもご丁寧にありがとね」
「主君が安らかにお休み出来るよう努めるのも、僕達刀剣男士の望みですから、主君はお気になさらないでください」
そう言って頼られる事が嬉しい彼は、にこにこと優しい笑みを浮かべていた。
其処でいつまでも遠慮したように控えていたら、
「さぁ、どうぞ横になってお休みください。今日もお疲れでしょう?明日も早いのですから、早く休んで、明日も元気にお勤めを果たす為にも英気を養いましょう」
…と、言われて床へと寝そべるよう促される。
確かに、今日もしっかりと働いて疲れているし、何よりも眠気が来ている。
彼の言う通りに横になって枕に頭を置けば、風邪を引かないようにと丁寧な手付きで躰の上に布団を掛けられた。
此処まで来れば、後は私が寝付くだけである。
しかし、彼は私がきちんと寝付くまで側に付いていてくれる子だ。
寝物語の代わりに、ふと思い出した事を彼にも問うてみる事にした。
「ねぇ、前田君…完全に寝てしまう前に少し良いかなぁ?」
「はい、何でしょう?気になる事でも何でも仰ってください」
「…あのね、現世の実家に居る時の話なんだけど、台所で作業してる時に“死にたいな”って意識が強く働いてるとさ、何でか背中の辺りが凄くザワザワとしたりするの。…何でだと思う?」
「ザワザワ、ですか…?」
「うん。それも、一度感じたら暫くはずぅーっと離れない感じでざわついてるの」
「不思議な感覚ですね」
「だよねぇ。よく分かんなくて…御飯時にふと歌仙に訊いてみたりしたんだけどさ、はっきりとした事は言わなくて上手くはぐらかされちゃった」
「そうだったんですね」
部屋の電気は消灯し、枕元の小さな灯りのみを点けて小声で交わす。
ぽそぽそと交わす会話は、眠ってしまうまでの声量としては丁度良い。
私が穏やかな気持ちで寝付けるようにと話に付き合い、髪を撫でてくれる優しさが心地好くて、段々と意識は深く遠いところへと落ちていく。
「歌仙さんがどのようにお答えなさったのかは存じ上げませんが、そのざわつきの正体はきっとそう悪いものではないと思いますので、安心して今は眠りに身を任せて良いですよ。大丈夫です、何かあれば僕や本丸に居る皆様がすぐに駆け付けますから、其れが例え夢の中だろうとも怖くなんてありません。…ですから、どうか今はお休みくださいませ」
懐刀である彼にそう言われて一先ず安心したのか、促されるように深く眠りに就いた。
それでも、やはり何となくはぐらかされたような気がして、腑に落ちない感覚はいつまでも胸の奥に残ったのだった。
翌日、朝起きて、しっかり御飯も食べて、今日のお仕事に取り掛かっている時だった。
またもや例の話を思い出して、斜め向かいで一緒に仕事をしていた近侍に訊いてみた。
「ねぇ、松井君、今ちょっとお話しても良い…?」
「うん?何かな…?」
「お仕事とは全く関係の無い話でも大丈夫?」
「別に構わないけれど…それで、どうしたの?」
「えっとさ…私が現世の実家に帰ってる時の話なんだけどね、“嗚呼、今すぐ死にたいな、死ねないかなぁ”って意識が強く働いてる時に台所で作業してると、何でか不思議と背中の辺りが凄くザワザワしてくるんだけど…何でだと思う?」
「其れは、包丁だとかの刃物に触れた時限定の話かな…?」
「ううん。寧ろ、そういう時こそなるべく刃物とかの事を考えないように、って包丁置いてる方とかも見ないようにしてるんだけど…」
「うーん…其れって、仮に刃物の存在が少しでも視界にチラついたりでもしたら、手に取って自分自身に当てたくなっちゃいそうだから…だったりする?」
「あー、うん…たぶんそんな感じかな」
「そっか…なら、心配無いんじゃないかな?」
「え?」
「その妙なザワザワとした感覚の事だよ。僕にも偶に似たような感情が起こったりするから。そういう事を考えてたりしたら、誰かしらが止めてくれるし…と言っても、その誰かってのは大抵豊前とか篭手切だとか、桑名だったりって面子ばかりだけれどね。たぶんだけども、そのザワザワとしたものは、ある種、主にとってのストッパーみたいなものなんじゃないかな?」
「ストッパー…とな」
「うん。僕で言うところの、江の仲間みたいなものだね。気になるなら、他の誰かに相談してみても良いと思うけれど…聞くからに悪いものじゃあないみたいだから、たぶん皆して“大丈夫だ”って言うと思うよ。僕個刃の意見は、だけれどね」
そう言ってクスリ、と笑った松井君は私の方を見て穏やかに微笑んだ。
私がその後も不可解そうに首を傾げていれば、ぽんぽん…っ、とリーダーこと豊前君がしてくれるみたいに頭を撫でて宥めてくれた。
すると、不思議と落ち着いてきて、余計な事を考えないで済むようになった。
成程、少しこの妙な感覚への理解が進んだように思える。
中断していた仕事を再開して、目の前の端末と向かい直った。
再び仕事に集中し始めた私の様子に満足したようで、彼も自分の仕事に戻り、書類を捌く事に集中していった。
その日のお昼過ぎ頃だ。
午前の部の仕事を勤め終え、お昼も食べてお茶の時間までは少しのんびりしていようと皆と共に休んでいた時、こんちゃんが政府からの指令を持ってやって来た。
「現世への出張命令…?」
「はい。ここ近辺、主様の現世の方で何やら不穏な気配が漂っているとの報告が上がってきてまして、調査も兼ねて一時的に現世の方へと派遣したいとのお願いです」
「其れは一刻も早く調査しなくてはならない問題だな。如何されますか、主…?」
「う〜ん、特に断る問題も無いから勿論受けるけども…具体的にどの周辺を当たれば良いかの詳しい情報をくれないかな?」
「主様が担当なされるのは、おもに主様のご実家周辺で構わないとのお達しです。ですので、この機にご実家で過ごされては如何でしょう?主様には、まだご健在のご家族の方々が居られますし、偶には顔を見せてあげたりなさっては…?」
「あー…其れもそうだねぇ。じゃあ、特別どっかのホテル取ったりしなくても済むって話か。そりゃ変な手間無くて楽だし、宿泊費も掛からなくて良いね」
「じゃあ、一緒に付いていく護衛を決めなくちゃね!誰が良いかな?」
「主!俺が行きましょう!俺ならば、主の警備も万全にこなせますよ…っ!!」
「うん、まぁ長谷部は極めてるし強さにも十分自信あるから信頼出来るんだけどね〜。実家ってなると室内戦の事考えちゃうから、なるべく小さい子が望ましいんだよねぇ。だから、申し出は凄く嬉しいのだけれど、御免…今回は別の子に頼むわ。次の機会の時にお願いするね」
「主命とあらば、その通りに…!」
「そういう事にゃので…薬研、一緒に付いてきてもらえる?」
「俺か?」
「薬研なら、極めてから一年は経ってるし、強さも十二分に信頼出来るからさ。頼める…?」
「そういう事ならお安い御用だ。護衛事なら任せな、俺が絶対にアンタの事は守ってみせる」
「決まりだね。薬研君なら、短刀だから、いざとなれば懐にでも忍ばせられるから警察の人にも見付かりにくいかな?」
「俺達程デカイと本体隠しづらくなっちゃうから、どうしても職質引っ掛かりやすくなっちゃうもんね〜。その点、短刀の奴等は便利だよなぁ」
「まぁ、薬研ぐらいの見た目なら、刀の姿に戻らずとも主殿と近い見た目をしておりますから、弟くらいに思ってもらえるでしょうし、今回の任務に付く相手としては適任ですな」
「仮に俺じゃなくても、どうせ俺達護衛の刀達への認識に対しての策は考えてあるんだろう?」
「はい、勿論でございます。毎度の如く、一般人に溶け込めるよう且つ後々記憶には残りにくいようにとの術式を施した御札をお配り致しますので、刀剣男士の方が人の身で顕現した状態で現世へ行かれる際は肌身離さず持ち歩くようお願い致しますね」
「分かってるって」
現世への出張派遣に付いていく護衛役はすんなり決まり、薬研が務める事に決まった。
忘れないようにとスケジュール帳を出して予定を書き込もうとし、出張の日程はいつなのかを問うた。
「んで…その出張派遣の日程はいつなの?」
「明日には向かってくださいとのお達しです」
「随分急な話だな…」
「其れだけ、上も警戒を強めているという事なのです。はっきり言って、何があるかは分かりません。十分警戒した上で任務に当たられる事を推奨致します」
「時間遡行軍の奴等が何処で襲い掛かってくるかも分からねぇしな、気を付けて行ってくるさ」
「今のところ、明確に敵影が確認された等の報告は上がってきておりませんので、警戒レベルは低〜中といったところになります。しかし、万が一も見込まれますので、護符などの装備を万全にした上で臨まれてくださいね。必要があれば、政府から追加の支給を致します故、申請をお願いします」
「了解。取り敢えず、手持ちの護符掻き集めてくるから、足りなければ連絡する。皆も、明日から私暫く本丸空ける事になるけど、留守の間の警備、宜しく頼むね」
「まぁ、何事も無い事が一番でございますがね。主様にも少しはゆっくり羽根を伸ばす機会が必要でしょうから、ご実家に居られる時くらいは気を休めてきては如何でしょう?」
「其れだと矛盾してない…?」
「“言葉の綾”というやつではないかい…?大丈夫さ、彼が付いているなら、きっと何にも起こらないよ。だから、この機会にでも主はご実家のご両親達と話しておいで。色々と積もる話もあるだろうから」
皆の促しに納得して、明日のお出掛けの準備に取り掛かった。
護符の枚数を確認したが、特に使う事無く仕舞い込むだけになっていたので、必要数はあって事足りるようだった。
一応、効力の程を御神刀達に確認してもらった上で、問題無く使えるとの事らしいので安心だ。
その日は次の日からの任務に備える為に早めに床に入って眠った。
翌朝、いつもより早めに起きて身支度を整え、現世用の私服を身に纏って大広間へと向かった。
「よぉ、大将、おはようさん。今日は一段と早いな」
「まぁね。今日は早くからお出掛けする予定なのもあって、余裕持って動きたくて早く起きた」
「こんのすけから何か追加の情報はあったか?」
「転送ゲートについての話だけども、転送先は最寄りの駅の外トイレだってさ。駅構内付きトイレよりは外の方があんま利用する人居ないし、人目に付きにくいからだとよ」
「理屈は分かる…が、便所からってのがなぁ……」
「ちなみに、転送ゲート潜る時は一緒だけど、出てくる先はトイレだからってんで、男女別だそうです」
「うん、其れは安心した」
「まぁ、自宅の座標特定されないようにの配慮も含まれた上での事だから、我慢我慢。最寄りの駅から自宅までの距離もそう離れてないし」
お互いに微妙な気持ちは残るものの、現世への出張自体会議を除けば稀なので、仕方なしと諦める事に。
審神者不在となる為、改めて暫くは出陣も遠征も演練も無しで内番のみをこなす事の指示を出して、皆本丸での待機を命じる。
そうして政府からの指令だと現世への出張任務に薬研を伴って赴いた。
転送ゲートを潜った先で目に入ってきた見慣れた地元の風景に、特に何も思う事は無いな、という風に思って転送先の出口から出てすぐの辺りで立ち止まる。
すると、すぐ側の別の出口から出てきた薬研から声がかかる。
「おっ、大将の方が先に着いてたか。無事合流出来て良かったよ」
「んじゃ、早速実家へ向かいがてら辺りの調査を始めるとしますかね」
「応」
現世用にと私服を纏った薬研を連れて、実家までの短い帰路を歩き出す。
私にとっては見慣れた場所でも、普段本丸や刀剣男士達が往き来可能と決められた場所でしか過ごしていない薬研にとっては物珍しいのだろう。
控えめにだがきょろきょろと辺りを見回す様子は可愛かった。
極めた後の風格もあり、一度は確実に来た事のある場所と言えども、やはり見慣れぬ土地というのは興味がそそられるらしい。
「取り敢えず、ざっくりとウチの実家周辺と言われたけども…何処ら辺まで見りゃ良いのかねぇ?」
「さぁなァ…手っ取り早く、大将が徒歩で行動出来る範囲で良いんじゃねぇのか?
「歴史修正するのが目的で、その為の特異点とするなら、審神者に纏わる時間軸とか関係者を該当に当てるのが妥当だろうしね。其れなら、私の通ってた学校周辺とか辺りも見に行ってみる?中学なら、此処から自宅までの反対方向の位置に在るけど。距離も駅までの距離とそう変わらなかったと思う。…当時おもにチャリ通してたから曖昧だけども。あ、でも、中学の隣にウチが氏子やってる神社在るから、丁度良いかも!神社を基点に一部結界を展開するとか出来るし…!」
「うん、そいつは良い考えだな。しかし、神社ならすぐ其処の位置にも在るみてぇだが…?」
最寄り駅の通りから出てすぐの道中で、自宅とは反対方向の方角へと指を差す薬研に私は頷きながら返した。
「そっちはウチが信仰してるのとは別の神社だよ。私が住んでるこの地域、探すと結構大小問わずに神社仏閣がそれなりに在るんだよ。だから、比較的離れてない位置に神社が一ヶ所、二ヶ所と在るし、お寺も近くに在ったりするのよねぇ〜。ちなみに、ウチが時々世話んなってる寺は、実家の近所に在るよ。ウチの爺ちゃん婆ちゃん等の墓もそのすぐ側だし」
「歩いて行けれる程の近所なら、一遍見に行ってみっか。で、結界用の札っつーか、浄化用の護符貼っときゃ、奴さん等への牽制にゃ十分だろ。どうせ、政府謹製の札は一般人にゃ見えねぇ代物だし」
「其れでもまぁ、札貼る時は不審者と間違われないよう、周辺に誰も居ない時にするけどね」
一先ずは、今日見て回る場所と明日以降見て回る範囲を取り決めつつ、実家へと向かった。
今日はおもに自宅周辺のみの警戒に当たる事にし、基本的に私は家の中で待機する事となった。
予め帰省する旨を伝えていた私は、いつも通りを装って帰宅する。
実家の両親達には、今回の現世へ帰省した本当の理由は話していない。
変に伝えて不安を煽るような事があっても面倒だからだ。
その為、表向きは護衛の刀を伴っての一時的帰省という形である。
そういう意味では、薬研は怪しまれにくい対象なので、正直助かった(長谷部まで行くとちょっと弁解しなくてはならなかったかもしれないから)。
何気無い風に「ただいまぁ」と口にして、家の中へと上がり込んでいく。
薬研も其れに倣って、本丸に居る時と何ら変わりないように付いてくる。
歌仙が言う程積もる話なんて無かったけども、まぁ、其れは其れとして適当に会話を繋いでいった。
元気にしていたか、変わりなかったか、仕事の方はどうだとか上手く行っているのかなどの当たり障り無い程度の話から始まって、最終的には私が家を空けていた間の出来事を延々と聞かされる流れとなる。
その内に、良い相手は出来たか、お前も早く同級生の子達みたいに結婚して子供が出来たりすれば良いのになぁ…、だなんて余計なお節介だと言いたくなる話もちょいちょい挟まれるも。
両親達の言う良い相手を作る気も結婚して子供を作る気も無い自分としては、甚だ関係の無い話だとばっさり切って流したのには、側で聞く薬研のツボに入ったらしく吹き出された。
薬研曰く、「大将らし過ぎる返しで面白かった」との事。
本丸に居る時と然して変わらない様子だったのが逆に安心した、とも言われた言葉だ。
まぁ、私にとって、今や実家に居る時も本丸に居る時もそう変わらないと思っているし、何方かと言うと本丸に居る時の方が遠慮とかしなくて済むので楽なくらいに思っている。
そう伝えたら、薬研は大層嬉しそうに目元を綻ばせていた。
「…そうかい、そら何よりだよ。大将の心が安らげる場所になってんなら、良かった」
最古参組として就任初日からずっと付き添ってきた身だから故の感想なのだろう。
互いに信頼を預け合っていられる身というのは、なんと頼もしい事か。
其れだけの絆を築き、年月を過ごしてきた相棒的存在の薬研へ微笑み返す。
本丸という場所は、今や私の第二の故郷と言える場所だ。
その本丸を守る為にも、大事なお役目を果たさなくては。
両親達との会話も程々に、一人ゆっくりと自室で躰を休める体で一度部屋へと引っ込み、薬研を自宅周辺の偵察へ飛ばし、待機する。
数分程度で戻ってきた彼の報告を受け、“敵影無し、今のところ報告にあったような不穏な気配は感じられない”と記録を付け、政府へ定期連絡として報告した。
一通りの下準備等を終えたら、御飯時だと呼ばれる。
其れに従って、私達二人も一旦仕事の事は置いて、食事タイムにする事にした。
本丸に居る時みたいな程豪勢ではないが、田舎の実家あるあるの郷土料理を並べられて、久し振りに慣れ親しんだ実家の味に舌鼓を打った。
薬研の方は、見た目に反して大食らいなのがウケたのか、「男の子はいっぱい食べて力付けなきゃね!」と母に言われていた。
完全に一般の子供扱いであるが、彼の本性は見た目に反して飛んでもなくめちゃくちゃ歳上且つ力持ちな神様なんだぞ…、という事は敢えて口にせず黙っていた。
パッと見、細っこく儚げ美少年の見た目してるけれども、その実は全くの正反対な気質の持ち主だ。
我が母よ、見た目だけで相手を判断してはアカンよ…。
たぶん、薬研自身も内心分かってたし思ってただろうが、私と一緒で“必要以上の事は喋りまい”と口を噤んでいた。
その後、御飯を平らげ、洗い片付けくらいは自分がやると名乗り出て、台所での作業に移った。
そうしていざ私が席を外すと、いつもながらに聞こえてくる、私と誰かを比べた陰口。
この世に生まれてきて二十数年、幾度となく繰り返されてきた流れに、私は慣れたように聞き流していた。
しかし、直接耳を塞いでいる訳ではない為、嫌でも聞こえてくる話し声。
私を嘲笑する笑い声、私の存在を否定してくるかのような言葉の数々。
平気な風を装っておきつつも、私は段々と嫌気が差してくると同時に胸中に或る感情が占め出すのを感じた。
すると、次第にザワザワとざわつき始める背中の辺り。
思考が暗く虚ろなものに塗り潰されかけていたら感じるこのざわつき。
松井君はストッパーのようなものではないかと言っていたが、果たして本当にそうなのか。
疑心暗鬼に捕らわれていると、不意にそのザワザワとしていた背中にとん…っ、と温かな感触が触れて、我に返る如く振り向いた。
すれば、いつの間にか薬研が斜め後ろの位置に立っていて、私の背を支えるように触れていた。
次いで、感情の窺えぬ目で真っ直ぐと見つめられて問われる。
「大丈夫か、大将?」
一瞬、何で此処に…とか、どうして部屋に戻ってなかったのとかって思ったりしなくもなかったけど、今この瞬間余計な事を考えるのも口に出すのも憚られて。
代わりに、一言だけ、絞り出すように告げた。
「…大丈夫、何でもないよ」
「本当に大丈夫か?」
「うん。心配してくれて有難う、薬研。たぶん、色々聞こえてきてるだろうから言っとくけど…アレはいつもの事だから。慣れてるから、気にしなくて良いよ。聞くだけ無駄だし。どうせ分かり切ってるし。言ったって変わりゃしないよ、どうせまともに取り合っちゃくれないから。…アレは“そういうもの”だって受け入れた方が楽だし早いよ」
そう口にする傍らで、ザワザワとする感覚が増していくのを感じた。
其れが、少ししんどくなって、一つ深く溜め息を零したら。
す…っ、と彼に優しく背中を摩られて手を止めた。
そして、彼の方を振り向いたら、先とは違う表情で私の事を見つめ返していた。
「本気でしんどくなったら俺に言え。あんなのを聞こえなくするくらいなら簡単に出来るからよ。大将はいつも一人で抱え込み過ぎなんだ…しんどい時はしんどいって言って良いんだぜ。吐き出したいもんあるなら吐き出しちまいな。全部俺が受け止めてやるから。……だから、な?」
ザワザワとしていたものを落ち着かせるみたいに、憑き物を祓い落とすかのように背を撫ぜる手に、目の縁に
頬を静かに伝い落ちた其れを、彼がもう一方の手で拭ってくれた。
私は再び手を動かし始めて、食器の洗い片付けを進める。
その内、聞こえてくるのは、食器の立てるカチャカチャとした音と水道から流れる水の音だけになった。
集中したお陰か、思ったより早く終わった洗い片付けに、タオルで濡れた手を拭きながら思った。
「何か、いつもよりスムーズに終わったな…」
「うん?」
「あ、うんにゃ、何でもない」
「そうかい。水仕事お疲れさん。あとは、部屋に戻ってゆっくりするんだろ?」
「そうだね。家に居る間は特にそう遣る事も無いし。本でも読みながら時間潰そうかなぁ」
「なら、俺も其れに付き合うとすっかねぇ。暇潰しになるような何か良い感じの本、貸してくれや」
「ん〜…薬研が読むのに向いてそうなのかぁ。……学生時に使ってた教科書とかでも良い?保健体育系の教科書とか、医療系の勉強してた時の専門書とか」
「おっ、そいつは丁度良い。じゃ、其れ等一式貸してくれ」
「了解。確か、本棚に仕舞ったまんまだったのと、箱に仕舞ってたのがあるから、ちょっと待ってて。出してくるから」
「そんな急がなくても良いって。無理なら別な物でも構わん」
洗い片付けを済まして台所から移動し、二階の自室の方へと向かう。
その後を彼も付いてくる。
その時には、其れまで感じていたざわつきは落ち着いていたし、胸中を占めていた感情も鳴りを潜めていた。
聞こえていた雑音も聞こえなくなっていたのか、気にならなくなっていた。
彼が何かしたのかは不明だが、彼が背に触れた事で不安や不可解だったものが打ち解けたのは確かだ。
執筆日:2021.08.13