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気もそぞろに疲れた時は一休み



 仕事部屋と寝室とが在る離れの間から出てすぐの縁側でころりと横になって伸びていたら、ふと通りすがった刀より声をかけられた。


「やぁ、気持ち良さそうだなぁ」


 その声は頭の真上から降ってきて、“女人が床に直に寝転ぶとははしたない”等と咎めるでもなく、ただ純粋な好奇心と興味心からの声音に軽く閉じていただけの目蓋を開いて見た。
すれば、その刀とは、の天下五剣様の一振りで、この世で最も美しい刀だと言わしめ国宝と定められている、三日月宗近…その者であった。
 我が本丸では階位や称号などに囚われる事無く、親しみを込めて“お爺ちゃん”や“みかち”と気安く呼んでいる。
勿論、本刃ほんにんが許した上での事であるが――その三日月が、自身の真上…逆さの視界から覗き込むように此方を見下ろしてきていた。


「昼寝か?」
「まぁ、そんなところかな」
「はははっ、此処は風通しも良くて休むには丁度良い場所だからなぁ。昼寝をするには向いておる処であろ」


 他本丸で過ごす個体の事は知らぬが、平安生まれのお貴族様であらせられる彼にとっては今の時代の夏の暑さは堪えるらしく、元々暑さ自体を苦手とするウチの“お爺ちゃん”は、この季節非番の日は決まって着流しか甚平さん、または軽装の装いを着る事を好みとした。
故あって、夏の暑い盛りは越したものの、まだまだ夏の厳しい暑さの残る日々に彼は楽で涼しげな服装を身に纏っていた。
今日は甚平さんを選んだのか、軽装とは違ったラフで青みがかった色みの物を着ていた。
 軽装でも内番着でも戦装束でも無い時、彼は決まって頭に付ける装飾品は付けなかった。
だから、今覗き込んできた顔の横を飾る房が無かった。
飾りが無いだけでだいぶ印象が変わるのは面白い。
…個人的な感想に過ぎないが。

 声をかけてきたくらいだ、何かしら用があったのかもしれんと身を起こしかけると、無言で制され、代わりに今しがたまで頭を置いていたすぐ側に腰を下ろし、緩く笑って膝を叩いた。


「何、特に用があって声をかけた訳では無い。ただ、俺も此所で共に一休みしようと思ってな。ついでに、色々とお疲れ気味な主の事を労ってやれればと思って来たのだが…お邪魔ではなかったか?」
「…お気遣いは有難いけど、心配される程疲れちゃいないからお構い無く。まだ大丈夫よ〜…っ」
「そうか、邪魔にはなっていなかったのなら安心した。…だが、主はそう言うが、俺から見たら少々疲れの色が見える顔をしておるぞ?」
「あ゛ー…まぁ、ここ最近、悩みの種が地味に多くてねぇ…今に始まった事でもないんだけども。…其れで、ちと、神経磨り減らしてる気はしてる……ってとこかな」
「うむ、正直に吐き出せる者は偉いぞ…!」
「…つって、こんなん愚痴にしか過ぎない事だがねぇ〜…」
「愚痴も不満も、内に溜め込み過ぎれば毒となる。偶には吐き出してやらねば、主とて参ってしまうやもしれぬぞ…?そうなっては元も子も無いではないか。そうであろう?」
「んー…まぁ、そうかもしれないけどもさァ……“此れくらいの事で甘えんな”って言われそうな気がして、あんま好きじゃないんだよなぁ…」
「今、この時にそう言う者は居らなんだて…。御主の胸の中、御主の過ごしてきた記憶に在る声がそう咎めるやもしれぬとも、我等主の元から顕現した者達は皆、主が身も心もゆるりと休める事を咎めたりはせんよ。故に、そう気負わずゆるりと身を任せるが良かろ」


 そう言って、彼は床から浮かせていた私の頭を膝に置いて、猫の其れにするが如くにゆるゆるとした手付きで撫でできた。
彼の其れには抗う事が出来ず、起こしかけていた身を据え直し、改めて縁側に寝転び直したのだった。
 彼が初めに零した通り、此処は風通しが良くて涼しく、とても過ごしやすい場所だったから一人身を休めるには丁度良いと寝転んでいたのである。
見る者に見付かっては良くて小言、悪くて説教が飛んでくるところではあったが。

 時折、こうして気儘に気兼ね無く一人でのんびりゆるりと時に身を任せるように過ごしたい時があるのだ。
特に、思考がとっ散らかっている時だったり、神経を詰め過ぎて疲れ切っているような時は。
一度、余計な事は何も考えずに、ただ己の傾けたい思考だけに囚われて浸っていたいと思ったりする。
たぶん、きっと、今がそんな時なんだろう。
他人の事は放っておいて、自分だけの世界に囚われる。
なんて素敵な余暇の過ごし方だろうか。
 本当は、暇な程時間が空いている訳では無いのだけれど。
現実では大切なお仕事が積み重なっていて、唯一片付ける事の出来る私の事を待っているのだけれど…。
仕事にまともに集中出来ない程、片付けるべき書類に手が付けられない程、頭の中が本当は考えたくもない事に囚われてしまいそうになるから。
其れを避ける為、防ぐ為にも、こうして一休みと称して堂々とサボろうとしていたのだった。


「…ねぇ、みかち、」
「うん…?どうした?」
「…仕事、本当は詰まってるんだけどさ…何か思考が色々とアレで身が入んないからって理由で“サボタージュ”したら、駄目…かなぁ?」
「ふむふむ…成程、思考が色々とアレなのだな…?だったら、尚更良いのではないか?」
「良いの…?逆に」
「思考とて煮詰まれば判断力が鈍る。其れで虚ろになったり、上の空であったりなどして、いざ戦場への采配をしくじっては御主は殊更に気を病むであろう?そうならぬように、今は休まれよ。主自身、己が休息を求めている事を自覚しておるのだろう?」


 肯定の代わりに無言の頷きを返した。
そしたらば、彼は「素直で良い良い」と褒めてきた。
別に褒められるような事は何もしていないが。
寧ろ、今まさに真逆の事をしようとしているのだが…しかし、彼は其れを良しとして笑顔で促してくる。
彼は大概私に甘いが、その甘やかしに甘えているのも事実か。


「……少しだけ寝る」
「うむ、そうだな。其れが良かろ」
「…誰か来たら起こして。そうじゃなくても、躰が冷える前には起こして」
「相分かった。御主が寝ている隙の守りは俺が承ろうなぁ。存分に眠るが良いぞ」
「……そんじゃ、ちょこっとだけ俺の事預けるね」
「嗚呼…おやすみ、我が主…良い夢を」


 彼の天下五剣という称号を与えられし刀…という事なぞ気にもせずに、委ねるも良しとされるまま眠りに身を委ねた。
守りと見張りを同時に任せられた彼は、気楽に鼻歌を口ずさみながら猫でも相手するように私を膝に置いて撫ぜた。


「嗚呼、気持ち良い風だなぁ…夏の終わりを感じさせるような、そんな涼しさを纏った風だ」


 一人呟いた彼は、膝元で寝息を立てる私を見下ろして思う。


「そう焦らずとも良いさ……生きてさえいれば、きっと良き巡りや転機が訪れる。人の子の人生は長きようで短い…己が後悔せぬように生きよ。其方も周りで生きる人の子とそう変わらぬ。…大丈夫、心配せずとも、主には我等がいつでも付いておるからな。安心して、夢の中くらいは幸せな時を過ごされよ…」


 彼の穏やかな手付きが、頭の上を行き交う。
其れが酷く思考を暈すから、余計な事を考える間も無く夢に落ちた。
 夢に落ちた先でも、彼の子守唄のような鼻歌は続いていた。
ゆるり、ゆるりと、永き時を過ごしてきた彼が手招くように。


執筆日:2021.08.18
公開日:2021.08.21