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境目に寄らば拐われ消える



※Log肆収録の『空蝉が誘う』の続編。
※単体でも読めます。


 蜩の鳴く黄昏時、手招き呼ぶ声と影に誘われ、本丸と外界とを隔てる境目に寄っていく。
己を呼ぶ声に導かれるように誘われるまま手を伸ばそうとしていたところ、お小夜に引き留められた。


「“また”貴女は誘いに乗ってしまおうとしてたね…?アレには付いて行っては駄目と言ったでしょう。耳を貸しては駄目だよ。ほら、此方側へ戻って」
「…どうしてそんなに引き留めるの?」
「彼奴に付いて行ったが最後、二度と此方側には戻れなくなってしまうからだよ。貴女は、この本丸になくてはならない存在でしょう?」


 彼のその言葉に、私は卑屈にも捻くれた事を返してしまった。


「…私の代わりなんて、世の中探せば幾らでも居るじゃない。私みたいな人間に拘らない方が良いよ」
「…本気で言っているの?」
「だって…私なんて人間、この世に必要無い人間だもの。人を不幸にしか出来ない塵屑ごみくず、居ない方がマシだわ」


 全ての事柄に自信を失ったが故に出てきた感想であった。
そう言った私に、彼は真っ直ぐと見つめてくる目と共に返した。


「其れは、誰かに言われた言葉なの…?」
「さぁ…どうだったかしら。言われたような、言われなかったような…既に曖昧な記憶だから分からないかな。…でも、私のせいで誰かが不幸になった、お前のせいで人生が狂わされたんだ、みたいな事を言われたのは確かだよ」
「復讐は望まないの…?貴女が望めば、僕はいつだって力を貸すのに……っ」
「復讐する価値すらも無い事だから、お小夜が気にする必要は無いよ。だって、全部私が悪いんですもの。最早生きている事こそが罪…のうのうとのさばり息をする事も烏滸がましく許されちゃいないくらいに、ね。…そう、反対に復讐される側なのよ、私は」


 そう自らを嘲り笑うかのように愚痴を零せば、彼は神妙な顔付きで問うてきた。


「…貴女は、この世から消えたいの…?」


 ハタ、と我に返るような、目が覚めるような問いだった。
私は其れに少しの間を以て答える。


「……そうだね…私は、今すぐにでも死んでこの世から消え去りたいんだと思う…。だけども、一人は寂しくて厭だから、私の存在を望んでくれる者が居るのなら…其れが人であろうとなかろうと構わずに委ねてしまっても良いとも思っているの…。…ね、何とも中途半端でしょう?滑稽だと笑ってくれても良いのよ」
「…笑わないよ、僕は。だって、僕は、まだ貴女に此方側に居て欲しいって望んでる一振りだから…。御免なさい、此れは貴女にとっては辛く苦しい答えだよね。でも…それでも、僕はこの思いを諦める事は出来ないよ」


 そう言って、一瞬俯きかけた視線を再び此方へと向けてきた時の彼の目は、ほんに真っ直ぐで迷いの無い目をしていた。


「貴女の存在を望む者が誰か一人でも居たら良いのなら…僕がその存在になるよ。だからお願い、まだ其方側へは行かないで。誰も貴女を望まないと言うのなら、僕が代わりにその手を取って一緒に居てあげるから…。どうかお願い、こっちへ戻って」


 その言葉に、“嗚呼、未だ私の存在を望んでくれる者が居たのか…”と思う反面、“まだ私は彼方側には行けず、しがらみに縛られたまま自由な身にはなれないのか…”と思えてしまった。
何ともちぐはぐで曖昧且つ矛盾に満ちた感覚だった。
 其れでも、誰か一人でも私を望んでくれるというのならば、まだ“この場所”で生きる道を選んでも良いのかと思えた。

 彼が、私の手を引いて境目の内側へ下がりながら影に向かって告げる。


「……御免ね、この人は僕の主でとても大切な人なんだ。だから、まだ其方側へは行かせられないよ。諦めて消え失せて」


 ギラリ、と煌めいた鋭き刃の切っ先を向けられた黒い影は恨めしそうな声を残して綺麗さっぱり消え去った。
後には何も残らず、ただ傾いた赤い夕陽の光が影を作るだけの景色が広がるのみなのであった。


執筆日:2021.09.08