当該本丸に配属された一文字則宗には、とある特殊な例が見られた。
其れは、その本丸の主である審神者と監査官になる前に逢った事があった、という事例だ。
正確には、その時の彼は政府勤めではあったものの、まだ正式に監査官となる前の段階の頃であったらしい。
では、当時の彼は何をしていたのか…。
その答えは、審神者候補者を選定する役目を担っていたのである。
審神者の素質があると判断した者には選定の儀として、本人の記憶には残らぬ形で本丸へ召喚、後の事は全て政府の遣いである管狐――こんのすけが引き継ぐ形で審神者就任の流れとなる。
しかし、術の施しが甘かったのか、はたまた彼女に対する術の効き目が弱かったのか…詳しい事は不明だが、選定の儀として本丸へ召喚(という名の神隠し、悪く言えば強制拉致)された時の記憶がうっすら残っていて、彼と逢った時の事を認識していたのであった。
故であろう、彼が当該本丸へ配属された時、彼女は彼を一目見て告げたのだ。
「あら…?私、貴方と一度何処かでお逢いしたかしら?何だか初めて逢った気がしないのだけれど…」
そう配属してすぐに言われた彼は一瞬髪から唯一見える片目を見開いたが、しかし、気を改めたか平静を装って飄々とした空気に戻りこう返す。
「其れは、偶々見掛けた別個体じゃないか…?監査官となる前、公にはまだ未実装という形で顕現を秘匿されていたが、普通に政府で幾振りもの僕達が政府職員として働いていた訳だしな。中には、本丸への定期巡回調査員として派遣されていた者もいたからなぁ……君が見たのは、そんなところの一振りだろう。――何せ、此処に来た僕は“今、初めて君と正式に逢った”のだからなぁ。監査官時に画面を通して僕や君の処の部隊との遣り取りを見ていたのもあって、初めて逢った気がしないのは頷けるが…晴れて僕もこの本丸の一員になれたという訳さ!まぁ、これから色々と宜しく頼むぞ、主。…うははは!」
何とも掴みどころの無さそうな雰囲気を纏う爺である。
確かに、彼の言う言葉にははっきりとした重みと説得力があった。
彼の述べた事もまた事実、故に彼女も其れもそうかと頷き、喜んで彼を本丸の一員として受け入れた。
しかし、彼女との会話を終えてすぐ一足早く本丸配属となっていた山姥切長義より、「先程の態度はどういった事かな?」と意味深に訊ねられた。
一文字則宗は、彼女がその場から去った際にボソリと零す。
「あの娘…もしかしたら、もしかするかもしれん」
「はぁ?どういう事かな…?詳しくお聞かせ願おうか」
「お前さんなら、同じ監査官という役職に就いていた身で知っているだろう…?特命調査時に派遣された監査官や先行調査員が、其れ等に就く前に“審神者候補者の選定”を行っていた者達が居る事を――…、」
「まさか……っ!」
長義は、彼の言葉に驚きを隠せないとばかりに目を瞠って彼を見た。
彼は言葉を続け、重々しくその口を扇の裏に隠して開く。
「――そのまさかだよ。僕は、監査官になる前、審神者候補者となる者の選定を行う選定者の役を担っていた。そして、審神者の素質がある者へ選定の儀を行い、本丸へと連れていっていた。…僕は、選定者として働く中で、とある審神者候補者に選定の儀を行って本丸へ連れてきた事がある。…ふふっ、僕が言っているこの意味が分かるか…?――そう、彼女は…この本丸の主は、僕が選び連れてきた子だったんだよ。おまけに、彼女はその時僕と逢った時の事を憶えている…朧気ではあるが。忘却の術を掛けていたにも関わらずにだ。どうして彼女が僕との記憶を憶えていたのかは知らんが、偶然とは言い難い展開だとは思わんか…?」
彼は実に愉しげだと言わんばかりに髪より覗く目を弓なりに歪ませて呟いた。
この刀、実に食えない爺である。
長義は、彼の纏う空気に警戒の色を滲ませながら感情を隠す事無く顔を顰めさせ、胡乱気に見つめ返した。
「それで…?仮に其れが事実だったとして、君はどうする気なんだ。彼女にその事実を…今俺に話した事をそっくりそのまま告げるのか?」
「いいや…?審神者候補者を我々のような者達が選定している事も、また一部の者達に限られるが選定の儀と称して“強引にも此方側へ連れてきている”と審神者達に知れたら、我々の存在の根本を疑われる事になるだろう?そもそも、この件は一部の者等を覗いて公にはされておらん、絶対に秘匿せよと堅く話す事を禁じられた機密事項だぞ。そんな事柄をおいそれと安易に話す訳が無かろう」
「…まぁ、そりゃ当たり前だけれどね。でも、今しがたの主の発言で何振りか疑いの念を持った者達が居るかもしれないから、暫くの内は己の行動に注意を払っておいた方が良いんじゃないかな」
「年寄りに向かってなかなかの口を叩くじゃないか、監査官の坊主よ?一足先に本丸への配属となったが故の先輩気取りか?うん?」
「警戒するに越した事はないぞ、という体で悪まで同僚だった者のよしみで忠告しただけだよ。……あと、言っておくが、俺は“元”監査官であっただけで、現状は一本丸に配属となった一刀剣男士に過ぎないからな?重ねて言うが、俺は“監査官の坊主”などではなく山姥切長義だ。俺達にとって、名前というものは己の体を顕すものとしてとても大事なものなんだ。よって、変な渾名で呼ばないでくれないかな…?一文字則宗」
「“名前は己の体を顕すもの”か…。確かに、其れは言えているかもなぁ……。しかし、名前ばかりに囚われて己の存在意義を喰われてちゃあ意味が無いな」
「何だと…ッ」
「名前なんてもんは、ただの一つの足枷…記号に過ぎんものだ。僕等器物は、人の手に在ってこそ初めて存在意義を見出だせる。名前なんてもんは、人が勝手に付けていくものだからな…持ち主が変われば名も変わる。源氏の刀がそうだろう…?故に、名前なんてものに対した意味は無いのさ。大事なのは中身だ。――分かったら、ほら、先に顕現した者として僕を案内してくれ。僕はこの本丸に配属されたばかりで何も知らんぞ?おまけに年寄りだ。勝手にあちこちと彷徨されたくなくば、しっかりと教えてくれんとなぁ…?うははは!」
米神をヒクつかせ不服そうながらも、一応は本丸の先輩だという立場を立ててもらった事に頷きつつ、彼を案内する役目を引き受ける長義であった。
しかし、やはり、その態度には苛付きが隠されておらず、言動からもムカついている様が見てとれるのだった。
「ほれほれ、さっさと行くぞ長義の小僧!次だ次…!次は何処を案内してくれるんだ?」
「ッ〜〜…、その“小僧”っての止めてくれないか?腹が立って仕方がないから…!」
「若造なのは合ってるんだから良いじゃないか。其れより、ほら、次へ案内してくれ。でなきゃ、勝手に見に行くぞ?」
「ああもう、分かったよ!!クソ…ッ!!」
「おーい、其処の爺ィーっ。あんまり長義の事揶揄ったりしないであげてよ…?可哀想だから」
「若い者を弄って何が悪い…?年寄りの特権だろう?」
「いや、長義がキレた後の矛先、全部まんばの方に行くからやめたげて。彼奴、極めたからあんま気にしなさそうだけど、その分長義が荒れるし、主も気にしちゃうからさ。程々にしてよね〜」
「なら、お前が案内役に代わるか?」
「やだ。アンタ相手すんのクソ面倒くさいから」
「つれないなぁ」
何であれ、彼は彼で本丸の生活を楽しむ気でいるようだった。
彼もまた、人から授かった定めにより存在意義を移ろうた刀である。
執筆日:2021.09.11