※一部、虫の描写が出てきます。
※虫が苦手な方はご注意ください。
実家に居た時の話である。
秋というには蒸し暑く、まだ夏の名残を強く残すせいか。
大層古き家であったせいか。
外に秋雨が降り始めて暫くしてから、畳の隙間から蟻が湧き始めた。
湧き出たと言えども、気付けば視界に入る辺りに、一匹や二匹がぽつり、ぽつり、間隔を空ける風に数匹畳の上を這っていた…というだけである。
しかし、人が暮らす住居を侵害するには十分な話で、見付けた内にぷちり、潰して殺した。
蟻は小さいが、害虫には変わりない。
潰した蟻はそのままティッシュに包んで塵箱にポイと捨てた。
此れにて駆除作業は完了。
私は、まだ起きていた母に言った。
「この間、家の周りに薬撒いたのにね。外が雨降って気温下がって冷えてるから、暖かい室内であるこの部屋に出てきたのかしら?」
「今日一日蒸し暑かったからでしょ」
「やぁね。ちゃんと薬撒いたのに、意味無いじゃない」
其れから暫く後も私は起きていたが、寝る直前だった母はその会話を終えた後、寝に二階へと上がって行った。
母が二階へ上がった後、私は殺虫剤のスプレーを畳の隙間に噴射して入口を塞いだ。
古いせいで、畳と畳の間に隙間が出来てしまっているから、蟻などの小さな虫が下から這い出てきたりするのだろう。
ならば、その隙間を塞いでしまえば良いだけの事。
塞いでいたとしても、家その物が歪み傾いているせいか、所々ズレが出てどうしても隙間は出来てしまうのだけれども、応急措置が出来ていれば十分である。
毒となる殺虫剤を撒いておけば、数日は効くであろう。
今度、蟻専用の殺虫剤でも買っておくべきか。
そんな事を考えている時だった。
(あら、彼方此方に蟻の死骸が……)
視界に入った其れ等に溜め息を
恐らく、母が見付けて潰した後そのままにしたものだろう。
全く、潰したら潰したでちゃんとティッシュで取るなり何なり始末してしまわないといけないじゃないか。
でないと、人が通る足場の邪魔になる。
あと、いつまでも虫の死骸を転がしておくのは精神衛生上宜しくないし、あまり視界に入れたくはないものだ。
何より、単なる蟻と言えど、ついさっきまでは生きていた小さき命だ。
どんな命とて粗末に扱うのは、衆生――生きとし生けるもの達の魂への冒涜である。
仮に、同じ人間だったならば、絶対に放置などはしないだろうし、犬や猫などの家畜においても同じ事が言えるだろう。
まぁ、例えが極端過ぎたかもしれないが…要はそういう事なのだ。
見付けた其れ等を纏めてティッシュで取り、包み、改めて塵箱へと捨てた。
此れで良し。
蟻とて小さな命、人間の勝手な都合で殺したのだから、せめて後始末くらいはきちんとして弔わねば…。
エゴかもしれないけれども、そう最後までやってあげなくては倫理観に欠けてしまう気がしたのだ。
個人的な事かもしれないが。
―そんな事があった日の朝、本丸へと帰って近侍だった行平にその話をすれば、彼は柔らかな表情で微笑んでこう述べた。
「やはり、我が主は優しい心の持ち主だな…吾はそんな主の元へ来れて本当に良かったと思うぞ。主は、ほんに優しい子だ。その優しい心は決して忘れてはならぬぞ」
「でも、単なる優しさも過ぎればただのエゴに過ぎないよねぇ…」
「そうなのだろうか…吾には、現代を生きる者達のような考えは分からぬが、無駄な殺生を嫌う精神は良い心掛けだと思う。小さな命とて粗末に扱わずに尊ぶは、其れ
「まぁ、僅かでもそういう気持ちが過ったからやった事だったんだけどさ…。別に、私は御釈迦様でもなければ聖女様でもないし、そんな大層な思考を持ってる訳でもないんだけどなぁ…今、行平に言ったような話を他の人にすると、変な顔されるのよねぇ。前に諭すような話をした時、“貴女みたいな仏のような考えは出来ないわ”って突っ返されたし。かと言って、私だってそう大層な者でもないわよ、ってね。…たかが二十数年生きただけの小娘よ、何を語ったって陳腐なお綺麗事にしか聞こえないさね。聞いたら最後、右から左に抜けてハイ終わり。後にゃなぁーんも残りゃしないって。其れだけの話」
「…しかし、吾にとって、主は主だ。若き者ながら一種の達観したような思考を持ち、仏のように穏やかで優しい御心を持った御人である事は変わらぬ。小さき命をも尊び、また弔う気持ちを忘れぬその優しさは大事にすべきだ。吾は、主がそんな優しき者であって嬉しい…。優しき事は何も悪い事ではない。誇って良いのだ、主よ。後ろめたく思う必要は無い」
「そうかな…?」
「あぁ、そうだとも。少なくとも、吾はそんな風に思った主を嬉しく思うぞ。そのように優しき心を持った主の元に顕現出来て良かった、と…」
「…有難う、行平。何か自分一人だとモヤってたから、行平に聞いてもらえてスッキリした」
「主の話ならば、いつでも聞こう。悩みでも、どんな話であろうと、吾は耳を傾けよう。吾は、主にとっての菩薩でありたいからな」
菩薩のような心をしているのは、やはり行平の方だ…という感想は、言わずに胸に留め置く事にした。
わざわざ口にするまでもない事であると思えたから。
行平は、終始如来像のように柔和な笑みを浮かべて話を聞いてくれた。
御釈迦様みたいな仏の心を持っている人というのは、行平みたいな人の事を言うのではなかろうか…。
実際は、人ではなく刀であり、付喪神であったが。
執筆日:2021.10.11