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下手な世話焼き



 俺がまだ本丸に顕現したばかりの時の話で、本丸が出来て間も無く主も審神者業を始めたばかりで日の浅い頃の話である。

 人の身の器を手に入れて初めて目にした人間は、どうにも生き辛そうに何かに雁字搦がんじがらめとなったような若い妙齢の女だった。
生娘なのだろう、何処となくあどけなさの残る面影をチラつかせながらも、色事を知っているように時折艶のある表情かおを覗かせる、そんな人であった。
しかし、言動や一々取る仕草を見るに、実年齢とは何処かちぐはぐしたような感覚を覚えた。
妙に年寄りくさい口調で喋る事があるせいだ。
あと、俺達刀からしたら赤子の如く幼きわらべのようだと思って見ていれば、此方がハッと驚くように大人びた発言をしたりもするせいか。
まぁ、彼女の実年齢を思えば、うに成人した身の上故に当然なのかもしれないが。
其れでも、ほんに此方がつと驚くような表情をする事があるのだ。
若者には似つかわしくないような苦く渋みのある表情を。

 主は、審神者になる前は何をしていただとかの事も含め、己の事はあまり語ろうとはしなかった。
もしかすれば、踏み入られたくはないから敢えて触れられぬ限り語らずに居るのかもしれないし、此方が気遣って触れぬからわざわざ自らひけらかすように語る事も無いだろうと控えているのかもしれない。
何方とも見当の付け難い話であったが、恐らくは前者が強いかもしれないと思えた。
容易には踏み込んでくれるなと言うばかりに張られた予防線の如き壁は、見えないようではっきりと此方側とを隔てるように築かれていた。
いっそ、その壁は境界線とを敷くようなひずみにさえ受け取られた。
無意識に敷かれた其れ等に、俺達は何も指摘する事無く、下手に触れる事もせぬよう努めた。
その方が主も接しやすいだろうし、何より、無駄な干渉でせっかく築いた主との主従の関係が崩れてしまうのも避けたかった。
だから、主から此方側へ踏み込んでくるような素振りが見られない限りは控えていた。
 俺達は主の刀、武器は武器らしく使い手の意思に寄り添うべく、命じられた命に従っているだけで良い。
余計な詮索は返ってこの戦の邪魔になる。
戦に勝利する為の本丸運営に弊害が出ては元も子も無い。
 ――そう、思っていた筈だったのだ…。


 或る時、晴れていると思っていた空から大量の雨粒が唐突として降ってきた。
主曰く、ゲリラ豪雨、とか言うものらしい。
通り雨のようなものだろうと、一時的にザアッと降るだけで後は止む筈だと告げられ、俺は急ぎ屋根の下にと駆け込んだ身のまま縁側に上がらされ髪を拭かれた。
 主は時折俺達を童に対する如き扱いで以て俺達へ接してくる事があった。
短刀の奴等ならまだしも、俺みたいな主よりも身の丈のあるデカイ奴でも構わずにだ。
普段はスン…ッ、と澄ましたような顔を張り付けたみたいな顔をしておいて、ふとした時にだけ子を持つ親のような顔を覗かせる。
確かまだ主には身請け話など無かった筈だし、既に子が居るとの話も耳にした事は無かったから、恐らくはただの元より持つ気質によるところから来るものだろう。
変なむず痒さから自分でも拭けると振り払おうとする俺の手を遮ってまで、その時の主は俺の世話を焼きたがった。
「人の身は濡れると途端に冷えて体温が下がっていく一方になるんだから、しっかりと乾き切るまで拭かなきゃ風邪引いちゃうでしょ?」と言って、強引なまでに俺の髪をわしわしと拭った。
そうやって世話を焼く主の表情には、妙な慈しみのある愛情深さを感じて、ふと洩らしてしまったのだ。


「…アンタって、偶にそういう顔するよなぁ」
「ぇえっ?どういう顔よ、“そういう顔”ってのは」
「何っつーか…子供の世話を焼く、母親みてぇな顔…?」
「あらまぁ、私ったら今そんな顔してたのねぇ。全く自覚無かったから知らなかったわ」
「今みてぇに俺達の世話焼いてる時は、大抵そんな顔してるぜ、アンタ」
「へぇ、改めて言われなきゃ分かんない事よねぇ。でも、実質君達この本丸に居る子達は皆私の元から顕現した子達なんだから、我が子のようなものと大して変わらないさね。そりゃ、たぬさんの言うような顔してたって当然だわにゃ」
「そんなもんかね」
「そんなもんよ、大抵の審神者わね」
「俺達の事を“我が子の如く”と言うが、アンタまだ未婚じゃなかったか?子が居るとかの話も一切聞いてねぇし…」
「結婚もまだだし、子供だって一度として産んだ経験無いわよ、まだ」
「だがしかし、俺達はアンタにとっちゃ我が子同然という訳か」
「気に入らない、という事なら次からは改めるけども…?」
「いや…アンタが其れで良しとするなら異論は無ェよ。俺はアンタの刀で武器だ、アンタが好きなように使えば良い」
「そう。じゃあ、これからも変わらずのままで居るわ」


 ざっくりさっぱりとした感じでそう受け答えた主の表情は、やはり我が子を想う母の其れだった。
慈愛に満ちた風な其れが、きっと主の本来の顔なのだと思えた俺は自然と口を突くように台詞を吐いていた。


「さっきの話に戻るが…、」
「うん?」
「アンタ、“まだ”ってのを強調してたが、結婚だとか子供持つだとかって事に憧れがあんのか?」
「いやまぁ、一応私も女の身だし?歳も歳だから考えない事もない話題ってだけよ?」
「ふぅん…なら、審神者になったものの、やっぱ結婚してぇとか子供を産みてぇとかって気持ちはあんだな」
「うーん、少し前まではちっとも欠片程も身近な話だとは思ってなかったのだけどねぇ……仲の良い友達がね、同級生の子なんだけど…つい最近めでたく旦那と結婚して、子供も出来たんだって。純粋におめでとうって御祝いしたよ。その友達の相手の旦那も私と同級で同じ学校出身だったからよく知ってた身だったし、そういう間柄同士で結婚って話になるの、何か良いよなぁ〜って思ってたから、普通に嬉しかったんだ。だって、今の世の中、普通の幸せを掴み取る事だって難しくて儘ならないなんて事ザラにあるからさ…私もいつかそんな風になれるのかな、ってちょっとだけ感慨深く考えたりなんて?今までの私からしてみちゃ、珍しい事もあるもんだわ〜。ははっ、やっぱそんだけ歳取ったって事かしら…知らない内に大人になるのって何かやんなっちゃうわぁ」


 主が自ら己の事を語り出すのは珍しい事だったから、俺は興味を引かれるまま話の先を促した。
少し聞くだけに留めておけば良かったのに。
俺は、敢えて今まで踏み込まずに居た境界に触れてしまった。


「成程なぁ…って事は、やっぱアンタも一端いっぱしの女だったって訳か」
「どういう意味よ…?」
「あ?アンタもただの女に変わりはなかったんだな、って意味だよ」
「あぁ、そういう意味か…。まぁ、そりゃそうよね。この歳にもなってみりゃ、自然とそんな風になっていくのかも。審神者やってる身だけども、女として生まれた事実は変わらないんだし、周りの人達の影響も受けちゃう訳だしさ?以前よりも身近な話題になったってしょうがないのかもねぇ」
「という事は、近い内に身請け話でも受けるのか?」
「いや、好い人居なけりゃ何も始まらないでしょ、そういう話は」
「居ねぇのか、アンタにはその“好い人”っての」
「今まで一度として居た事が無いんだよなぁ〜、此れが…!まさしく彼氏居ない歴=年齢ってヤツよ。別に悲しくも何ともないけれども。この先も変わらず好い人との素敵な出逢いも無けりゃ、今のまま喪女続けていく事になるでしょうね〜。まっ、其れもアリだとは思うけどさ。女の生き方だって一つとは限らないのよ、ってね!…ちょっと格好付け過ぎたかしら?」
「要するに、色恋の“い”の字もアンタは未経験って事か」
「さぁ、其れはどうかしらね…?敢えて言わないでおくわ」


 そうやって意味深に含み笑む主は、女の顔をしていた気がする。
色事を知らぬように見せかけて、実のところは知り尽くしているような…そんな匂わせだ。
ちぐはぐでいて、複雑な空気を纏っていて、触れ難い雰囲気であった。
だが、俺はそんな垣根を越えるように、俺の頭を拭き続けていた主の細腕を掴んで言ってしまった。


「相手が居ねぇで困ってんなら、俺達がその代わりになってやろうか…?子が欲しいと望むのなら、仰せのままに。俺達は武器だが、今や仮の身としての器がある……アンタが望むと言うのなら、手籠めにしてやっても良いぜ?ただの物だった頃と違って、今は人の女とまぐわう事だって可能だからなぁ…その気になりゃ子を孕ます事だって出来んだろ」
「…今の、本気で言ってんの?」


 俺の発言を受けた途端に、主からピリリとした空気が走った。
穏やかな笑みを浮かべていた筈の表情もいつの間にか引き攣ったようにいびつに固まってしまっていて。
だが、その時の俺は主の変化に気付かぬまま口を開き続けた。
後から思い返せば、なんて愚かな真似をしたのかと嘆くような話であったのに…。
顕現したばかりの当時の俺は本当に莫迦ばかだったらしい。


「俺はアンタの刀だ、アンタが望むままを俺は望む…望まねぇなら其れまでの話、今までと変わらぬ関係で居るさ。まぁ、仮に俺と主がつがろうが大して主従の関係性は崩れねぇだろうから心配すんな。俺は公私混同する程上手く出来てねぇからよ」
「私は、何もそんな心配してる訳じゃないんだけど…」
「別に相手が人でなくとも良いんでねェーの…?審神者とかやってる時点で、既に俺等人為らざる者を相手にしてんだからな」
「そういう話を言ってる訳でもない……っ」
「なら、何が不満だ…?」
「今の話の何もかもよ。いつ、私がそんな事を望んだ?いつ、そんな事を頼んだ?…違うでしょ。たぬさんが言ったような事、何も望んでないし、勝手に話を決めて進めないで頂戴。不愉快だわ。話題が話題だけに、女の身を軽視するような発言、失礼にも程がある。仮にも女である私に対してそんな話投げるだなんて、何の恨みがあるの?子供を産む事が何れだけ尊く、大変な事が成り立っての流れの先で起こる事か、知らないからそんな薄情で残酷な事が言えるんだわ。そもそもがそんな容易に誰とでも番れて子供孕んでちゃ道徳的にどうかとも思うわ。扱い的に非人道的よ。私は戦の為の道具じゃない。戦に勝つ為の戦力を嘗てよりそうやって増やしてきた歴史は知っているけども、私、そんな簡単に出来てない人間よ。好意も無い内からそんな話、軽々しく口にしないで頂戴。其れと、金輪際、私を家畜みたいに扱うのはして。万一にも再び口にしようものなら破門、直ちに刀解もしくは他本丸への譲渡・政府への返還を検討します。良いですね?加えて、今の話は他言無用に願います。以上。……私は仕事に戻るから、貴方も持ち場に戻りなさい」


 俺が下手な口を利いたから招いた出来事であった。
俺は、主の琴線に触れる事を不躾にも口にしてしまった。
途端、主は其れまで浮かべていた表情を削ぎ落として、鋭利な表情で以て俺を見つめ返した。
酷く冷めた視線に腹の底から冷え凍りそうだと思った。
侮蔑とも取れる感情を滲ませた主は冷たい口調で其れだけを言い切ると、さっきまでの空気が嘘みたいに霧散して、俺を置いて部屋へと戻っていってしまった。
ピシャリと閉められた戸が、遠回しに俺を拒絶したかのように受け取られた。

 偶々、急な雨に降られて駆け込んだ軒先が、離れの間である主の部屋の軒先だった。
雨は次第に弱まり、晴れ間を覗かせていった。
だが、俺は暫くその場から動けずに置き去りだった。
 俺は、きっと、選択を間違えたんだ。
要らぬ世話を焼こうとしたが故に、主の怒りに触れ、せっかく築き上げてきた筈の主従の関係にもひびを入れてしまった。
敢えて触れずに踏み込まずに居た境界の内側を覗き込もうとしたのがいけなかったのだ。
 ぱさり、頭の上に掛けられたままだった手拭いが空しげに床に落ちる。
やはり、俺は心底武骨者だったらしい。
ほとぼりが冷める頃合いになるまでは距離を置いておこう。
其れが、主にとっても最善の選択であろうから。
 余計な事を言わなければ良かった。
そしたらば、去り際にあんな悲しげな顔をさせずに済んだのに…。
俺は莫迦だ。
いっそ、今すぐ折れて儚く散ってしまえば良い。
…けど、其れだけは主が絶対に望まぬ事だからとかぶりを振った。
 ただ、今思う事は、俺は主に謝りたい。
面と向かって謝って、そして…気付いてしまった僅かな好意を認めてもらいたい。
許してもらえなくとも良いから、アンタに言った言葉の裏にはちゃんと好意が滲み隠れていたのだと告げる為に。


執筆日:2021.10.26