▼▲
いつか涙が枯れるまで



 啜り泣くような音が聞こえた気がした。
音の出所を探ってみると、どうやら離れの間に位置する審神者部屋の方角かららしい。
 手前の仕事部屋をそぉっと通り抜けて、奥の間になる審神者の寝室部屋の前に来てみた。
襖に耳を付けて窺ってみると、やはりこの部屋の中から聞こえてくるようだ。
 中で誰かが泣いているのか。はたまた、何かが人知れぬ処で泣いているのか。
 十中八九、答えは前者であろう。
この部屋のヌシであり、今現在進行形で部屋を使用している者が、啜り泣く音の正体だ。
 という事はだ、泣いているのは必然的に当本丸の主という事になる。
何故泣いているのだろう。理由は本人に直接問い質してみなければ分からぬ。
 偶々偶然にも近くを通りすがって音を耳にした刀の男は、僅かな隙間程静かに襖を引き、中の様子を窺うように覗き込んだ。
見れば、部屋の中央辺りにこんもりと丸くなった布団が敷かれてあった。
部屋のヌシは未だ布団の中に籠ったままのようだ。
 襖を開けた事で、より耳へと届く音は鮮明になり、啜り泣く声が布団の中から発せられている事が分かった。
起き抜けに何ぞ嫌な事でもあったか。其れとも、単に夢見でも悪かったのか。
 後者はよくある事と言うくらい頻発的にある故、対処も慣れたものだが、しかしやはり、幾ら夢のせいだとは言えど、おのが主が泣いている姿というのは、あまり見たくはないものである。
 か弱き女子おなごであるが故という理由もあるが、何よりも一番に思うのは、己が大切にしている人を泣かせたくはない、という事だ。
 泣き声のヌシが主であると確証を得てからの行動は早かった。
 男は静かに現場を離れ、元来た道を戻るように迷い無く厨を目指すと、暖簾の先へ分け入り、朝餉の準備をしている者達の傍らで何やら始め出した。
 「ちょっと失礼するぜ」との一言断わりを受けるも、いまいち彼の目的が理解出来ていない者達から声がかけられる。
「おはよう、同田貫君。差し支え無かったらなんだけど…今、何をしてるのか訊いても?」
 右目に眼帯を着けた色男が、朝餉を作る手を止めぬまま彼に問う。
“同田貫”と呼ばれた男は、ぶっきらぼうな口調で答える。
「主が目ェ覚ましたみてぇだったから、寝覚めの白湯持ってってやろうと準備してただけだよ。あと、朝飯のパンを一個先に焼いてやってやろうかなって」
「あぁ、主起きたんだね。それじゃあ、主の分のおかずも、いつも通りよそっておいて良さそうだね」
「味噌汁はあったけぇ内に飲ましてぇから、食べる直前で構わねぇぞ」
「了解。じゃあ、その通りにしとくね」
 理解の早い男は話が早くて助かる。
 眼帯を着けた方の色男も含め、この本丸に居る者達は皆、刀や槍などの刀剣より生まれし付喪神であった。
彼等付喪神の化身は、歴史を守る為に、時の政府より集められた審神者なる者達の力から顕現し、現界している者達だ。
本丸は、そんな付喪神である刀剣達と唯一人である審神者が集う場所なのだ。
 その審神者であり、この本丸の大将を勤めるは、女人であった。
歳は妙齢の程、大体二十代も半ばといったくらいの者である。
性格は真面目で神経質、見た目はまんま臆病で気弱そうに見えるが、中身は意外と男勝りだったりな感じの者だ。
 彼女の唯一の欠点は、メンタルが豆腐並みに柔く脆いという点だった。
忍耐強いというか、我慢強くはある方だとは言えるのだが、その分内面は弱いようで、子供の頃より内気でネガティブだったらしい。
 まぁ、今程昔は脆くはなかったそうだが、審神者となる前に酷く消耗してしまうような事があって以来、何かあったらすぐに泣いてしまう程メンタルが弱ってしまったそうな。
 本人の口から語られた事のみしか伝え聞いていない為、其れ以上の事は知らない。
 だが、そんな御人おひとだからこそ、守ってやらねばとの庇護欲のようなものが掻き立てられるのか。
本人に口にしたら跳ね返されそうではあるが。
 しかし、事実弱っている時に優しくしなくてどうする。
古来昔より、男は女に優しくせよと云われてきたものなのだ。
自分は其れを実行に移す時であるというだけ。
 同田貫は、程好く冷ました白湯と焼き立てで香ばしい匂いを漂わせるパンを一つ乗せた皿を並べた盆を持って、再び離れの間へと引き返していった。


 戻ると、離れの間は彼女が居る以外は閑散としており、冬の冷たさが凍みるように寒かった。
 自分の他に誰も訪れていない事に安堵したところで、先程来た時と同様に静かにそっと手前の部屋の戸を開けて入っていく。
 次に待つ寝室の間の襖に手を掛ける前に、その時ばかりは一言入室の断わりを入れるように口を開いた。
「…入るぞ」
 仕事部屋の入口である障子戸を開ける時より慎重に優しくそっと横に襖を滑らせ、中へと足を踏み入れる。
入ってすぐ外の冷気を遮断するように開けた戸をしっかりと閉め、彼女が横になる枕元へと移動した。
 再び部屋の前を訪れた時には、もう啜り泣いていた声は聞こえていなかったが、最初に覗き見た時と変わらず彼女はこんもりと山のように積み重なった布団の中に籠ったままであった。
 枕元の脇から少し離した位置に盆を下ろした同田貫は、その傍らに静かに腰を下ろして口を開く。
「起きてんのは知ってる。だから、寝覚めの一杯用の白湯、持ってきた。猫舌なアンタが飲みやすいくらいの温度で持ってきてやってるから、冷めねぇ内に飲め」
 喋っているのは、彼一人だけであった。
しかし、彼は気にせずまた口を開いて、必要最低限の言葉のみを告げるように彼女へ向けて言葉を投げる。
「夢見でも悪かったか。さっきまで泣いてたろ。啜り泣いてる声が微かに聞こえた気がして、部屋前まで来てたんだ。敢えて声はかけなかったけどな。…泣いてんの、聞こえてたぞ」
 寝てはいないのだろう。
ただ静かに彼から投げられる言葉に耳を傾けているのだ。
僅かに布団の山がもぞもぞと身動ぐ。
「目が覚めて起きる気あんなら起きろ。んで、せっかくアンタの為に持ってきた白湯を飲め。その後の事は俺ァ知らねぇぞ。まっ、成るように成んだろ」
 言葉はぶっきらぼうだが、其処に込められた想いは優しく温かいものだった。
 まるで寄り添う如くな其れに励まされたのか、布団の山から頭を覗かせた彼女が言葉を発する。
「……何か、さっきからやたら良い匂いするんだけど…何の匂い?」
 亀がひょっこり引っ込めていた首を甲羅の内から伸ばすみたいな姿で出てきた彼女に、フッと零れかけた笑いを内だけに押し留めた同田貫は答える。
「此れの匂いじゃねェーの」
 もそもそと布団の山が動き、のそりと起き上がった山が捲れて、その下から姿を現した寝起き姿の主。
当然、寝癖だらけで、肩下まで伸びる髪はぐちゃぐちゃのしっちゃかめっちゃかである。
その寝癖のせいで見えぬ視界を、掻き分けるように顔の前に垂れる髪を横に避けて彼の方を見た。
 ぶっちゃけ貞子である。
真夜中に遭遇してしまったら、確実に誰ぞ飛んで逃げてしまうレベルに恐ろしい寝起き姿であった。
 まぁ、同田貫の身から見たら見慣れた朝の光景である故に、何とも思わぬが。
新刃の刀が見たら驚く事間違い無しである。
 そんな酷い寝起き姿の審神者には動じず、同田貫は傍らに置いている盆の上を指し示した。
彼の指し示す方向を追って取り敢えず理解したらしい審神者が感想を零す。
「…何で焼き立てらしきパンが此処にあんの?意味分からんのだけど」
「アンタに食わす為だが」
「朝飯用にって事…?だったら、起きて身支度整えた後に広間で食べるけども…」
「腹減ってっからんな風になるんだろ…?なら、何でも良いから何か食って腹満たしとけ」
「いや、飯はちゃんと食うってば。顔洗ったり何たりした後にな」
「取り敢えず、起きたんなら此れ飲め。寝起きは白湯の方が胃に良いんだろ?」
「うん…まぁ、そうだし、有難く頂きますけんど…」
 起きるなり問答無用に手渡された湯呑みに“何やねん”という顔を貼り付けながら受け取り、口を付ける。
中身はただの白湯だが、猫舌な彼女が飲みやすい温度にされていた為か、すぐ半分程にまで飲み干された。
 温かく丁度良い加減の白湯を飲んでホッと息をいたところへ、すかさず口許へと差し出された焼き立てのパン。
ほとんど突き出されるようにして持って来られた其れに、彼女は寝起きも相俟って目を白黒させ、困惑したようにパンを持つ手のヌシを見遣った。
「ちょっ…いきなり何…、」
「食え」
「いや、別に後からでも食えっから、先に身支度させろて」
「良いから食え」
「ッもぶゥ」
 強引にも口の中へ捩じ込まれたパンに、仕方なしに押し込まれた部分の頭を一口齧って咀嚼し始めれば、ようやっと押し付けるようにしていたパンを口許から離してくれた。
 焼き立てであったのは香り立つ匂いから分かっていた。
ただ焼いただけで何も味付けされていない塩パンであったが、美味しいのは事実であった。
だが、其れを起き抜けにいきなり口に押し込んでくるのは如何なものか。
 色々と思うところはあったが、最終的に辿り着いた答えは温かな優しさというところであった。
彼の何気無い優しい気遣いが沁みた彼女は、またもや目に涙を滲ませて、みるみる内にホロリと一粒の涙を伝わせた。
 今の流れで、泣くつもりなんて無かったのに。
そんな思いさえ滲ませるように顔を俯けて肩を震わし始める。
 泣かせるつもりは無かったが、しかし、我慢する事が癖になっているせいで己の言いたい事などをすぐ飲み込んでしまう彼女の発散方法の術として見守る同田貫は静かに口を開く。
「美味ェか」
 ただの一言。たった其れだけなのに、更なる涙を誘ってしまうのは何故か。
ひとえに言って、彼が優しい刀だったからである。
勿論、其れは他の刀達にとっても同じであったが、彼女にはより一層の優しさと慈しみが含まれている気がした。
 審神者はもぐもぐと緩慢に口を動かしながら小さく頷く。
そんな彼女の頭へ手を伸ばした彼は、武骨な手付きながらも柔く優しく撫ぜた。
 優しさが沁みて更なる涙が生まれる。
頬を伝う涙が煩わしくなってきて、両手の甲でぐしゃぐしゃと乱暴に拭う。
其れを止めるように彼女の手を掴んで避けると、彼が代わりと言わんばかりに自分の服の袖を伸ばして拭ってやった。
彼の着ていた内番着の上着の布地が濡れて濃く色を染めた。
 其れを見て、審神者は申し訳なさそうにした。
「御免…もう落ち着いたとばかりに思ってたのだけど…」
「気にすんな。俺がしたくてした事だ。アンタはただ黙って受け入れてろ」
「…うん……新年早々朝から御免ね」
「其れこそ気にすんなっての」
「うん…、有難うたぬさん…いつも気付いてくれて」
「…………」


 口の中の物がすっかり無くなって、気分もすっかり落ち着いた頃になってから、再び審神者は口を開いた。
「…ふぅ。毎度世話掛けてすまんね」
「良いよ、別に。好きで焼いてる事だしなァ」
「ふふふっ…有難いばかりだね、こうして誰かが側に居てくれるっていうのは」
「存外アンタは寂しがり屋だからなァ…ほたっといたら、一人勝手におっちんじまいそうで怖ェよ。だから、しっかり見とかねぇとさ」
「ははっ、そりゃ言えてら」
「少しは否定しろよ…」
「だって事実だもの」
 さっきまであんなにこの世の憂い全てを背負ったみたいな風に泣いていたのに、喉元過ぎれば何とやらなのか、けろりとした顔で言い放つ。
全く以て厄介な御人おひとである。
 …まぁ、そんな女に惚れた自分も自分だが。
本丸の皆に公然と口にした訳ではないが、この二人(一人と一振り)、実は恋仲に近しい間柄であった。
何故、“近しい”としたのかは、本人達の口から直接大っぴらに語られた事ではないから、敢えての表現である。
 だが、実際のところは、ほぼほぼ皆に知れ渡っている事で、皆より認められた仲なのである。
気恥ずかしいからと口にしないのか否かは不明だが、まぁ兎に角懇ろな仲なのだ。
 全幅の信頼を与る彼だからこそ許されたお役目といったところなのだろうか。
人知れぬ場所で彼女が涙していたらば、必ずと言って同田貫が真っ先に駆け付け宥めていた。
 其れは、彼女を慮ってが第一ではあるが、その他は己が彼女を好いていたが為である。
要は、惚れた晴れたが切っ掛けだったのだ。
 そんな話はさておき。
 彼の存在のお陰で気を落ち着ける事の出来た審神者は、少し冷めてしまった残りのパンを貰い受け、残り半分の白湯も飲み干してようやっと布団の上から抜け出した。
突然の訪問やら何やらで忘れ去られていたが、未だ審神者は寝起き姿の情けない状態であったのだ。
 いつまでもこんな情けない格好では恥ずかし過ぎると、朝の身支度を整える旨を告げ、てい良く彼を寝間から追い出した。
追い出された彼は、空になった器を引っ提げて一人厨へと去っていった。
 再度厨に顔を見せた同田貫に、朝餉の準備を終えたらしき燭台切がにこやかな声音で声をかける。
「やあ、同田貫君。丁度良かった。朝餉が出来たから、起きてる子は順に広間へ持って行って食べてくれるかい?僕達も手分けして運んでいくから、主や他の子達への声かけをお願いするよ」
「分かった。此れ片付けたら伝えに行くよ」
「あ、主、パン食べてくれたんだね。という事は、今日は比較的食欲はあるって事だね!良かった!」
「まぁ、ほぼ無理矢理食わしたようなもんだけどなァ〜」
「おやおや、其れは雅じゃない話だねぇ。その話、詳しく聞かせてくれないか?」
 すぐ側で話を聞いていたらしい自称雅な刀の歌仙が話に混ざってきて問う。
隠す必要も無いかと有りの儘を口にする事にした彼は言う。
「詳しい話はこれから聞く事になるだろうが、十中八九ありゃ夢見が悪かったパターンだな」
「新年早々に可哀想に…」
「まぁ、ウチの主の夢見の悪さは筋金入りだからね!新年早々にだとかは今更さ!」
「歌仙君、言い方ァ…ッ」
「事実だし、本人の認めるところなら何の問題は無ぇだろ」
「そうだとしても、もうちょっとオブラートに包むとか何か無いのかい!?あまりにも直球的過ぎるよ君達!!」
「それこそ“いまさら”というやつなんじゃないのかな?はい、これ、おつけもののたくあんなのだぞ」
 歌仙に続けて話に割って入ってきた小豆が、笑顔で添え物の沢庵を盛った小鉢を燭台切の持つ盆へと寄越した。
 完成した朝餉を運んでいく途中だったのを思い出した燭台切は、我に返ったように礼を述べて、いそいそと厨を出ていった。
話している最中に短い作業を終えた彼もその後に続くように出ていく。
 そうして、離れの間へ再び向かいに行く道中ですれ違った面々へ朝餉が出来た事の旨を伝える。
 辿り着いた先の離れで、彼が来るのを待っていた風に部屋から出てきた主が口を開く。
「おはよう、たぬさん。お待たせしてすんませんっしたね」
「おう。朝餉、出来たらしいから、呼びに来た」
「おー、わざわざあざっす。今行こうと思ってたから丁度ええわ」
「ん。…じゃ、一緒に行くか」
 そうするのが当たり前のように彼女の隣へ立ってゆっくりと歩き出す。
 泣いていた跡はちょっと残るが、あまり気にした風も無しに振る舞う彼女に合わせて、彼も特に触れる事も無く隣を歩く。
 道中、同じように朝餉を食べに起きてきた面々とすれ違い様に挨拶を告げる。
途中、この本丸の初期刀とされる刀の加州に目敏く泣いて腫れた跡の残る目元を指摘されるも、主は小さく笑って受け答えていた。
「おっはよー主。主、今朝起き抜けに泣いたでしょ。目蓋腫れてるよ。前髪下ろして誤魔化してっかもしんないけど、俺にはバレバレだかんね!」
「あっははー、バレちまいやしたかぁ〜」
「端っから隠す気無い癖に…」
「まぁね。どうせ、いつもの事だし」
「主ったら、また悪い夢見たの?新年早々嫌にならない?ソレ」
「いやぁ〜、此ればっかしはどうにもなりませんて!夢は見ようと思って見るもんちゃうしな」
「前向きに言うけど、そんな頻繁に嫌な夢とか見たら、僕なら嫌気差しちゃうよ〜」
「前向きっつーか、諦めて開き直ってるの間違いじゃね?」
「そうとも言う」
「いや、ソコ認めるんかーい!」
 加州とニコイチのように共に居た大和守も話に混ざって彼女の夢見の悪さに感嘆する。
辟易している者も少なくないようだが。
 審神者に対して過保護で心配性な者が耳にすれば、忽ちやれ祈祷だ何だのと言い出すだろう。そうでなくとも、心配する者は出て来るというもの。
 しかし、この主、慣れが板に付いてしまったのか、開き直った調子で受け入れてしまっている。
此ればっかしはしょうがない事なのだと、半ば諦めているのだ。
遺憾の意である。
 一先ず、朝餉を貰う為に一行はぞろぞろと厨へと向かい、それぞれに受け取って大広間へと移動し食べ始める。
審神者は、朝は食が細いからと、自分で自分の食べるパンを焼く為、厨の一角に置いてあるトースター前に陣取った。
 各々が膳に食べる分の食事をよそい運んでいく姿が行き交う中、皆と同様に朝餉を摂りに厨へ訪れたらしい一文字の頭が主の姿を見留て声をかける。
「やぁ、おはよう小鳥。起きていたのだな。今は何をしている最中かな?」
「おはよう、ちょもさん。今はパンを焼いてる最中でーすよ〜。一応、既に一個先に頂いてるんすけど、一個だと足りないからもう一個焼いてるんです〜」
「そうだったのか。…うん、とても香ばしい良い匂いだな」
「ちょもさんもパン食べます?要るなら焼きますよぅ」
「いや、私は遠慮しておくよ。せっかくの申し出だがね。既に私の膳は用意されているだろうから、また別の機会にお願いしよう」
「あぁ…日光さんが先に持ってっちゃってるかな。うん。まぁ、俺は朝大抵パン食べてるし、パンは常時備蓄してあるんで、食べたければ好きな時にどうぞ〜。言ってくれれば、トースターで焼いたりとかしますんで。たぶん、日光さん辺りとかにゃん泉君辺りもトースターの扱い出来ると思うから、言えばやってくれると思うっすよ」
「そうか。では、今度身内の者と一緒に食してみようかな。お薦めな焼き加減などあれば、ご教授願おう」
「俺のお薦めというか好みの焼き加減は、じっくりこんがり綺麗なきつね色になるまで待つ事かな…!ちょっと焼き過ぎちゃったかな〜くらいにこんがり焼くと、カリッとした食感して美味しいんだよねぇ〜!あと、焼き立てのトーストにマーガリンを惜しみ無くたっぷり塗ったくって食べるのもうんまいっす!!」
「成程…勉強になる。是非とも今度試してみよう」
「一文字の頭としてる会話がまさかのパンのネタとか、聞く奴が聞いたら卒倒しそうだな」
「え、何でや。パン美味しいやん。今焼いてんのは、ド定番の食パンやのうて、まあるい塩パンやけど」
「塩ぱん、とやらは他と何が違うのだろうか?」
「えっと…自分作る側じゃなくて基本食べる専門やから詳しい事は知らんけど、生地に岩塩とか塩系の物を練り込んでるんじゃなかったっけな?うん、たぶんそうだと思うよ」
「超絶アバウト」
「いや、でも、今ので大体大まかな感じの事は伝わったやろ」
「うむ、教えてくれて有難う小鳥」
「今ので伝わってんのかよ、凄ェな」
「まぁ、言うてウチの本丸の子やし、俺の元から顕現してんねんから、似たような思考しとっても可笑しないで」
「お陰でウチは血の気の多い奴等ばっかだけどな」
「はははっ!戦闘狂大いに結構!!俺も大概馬鹿で脳筋で文系ゴリラだからさ、戦好きで猪突猛進にぶつかってくるくらいが丁度良いのよ!」
「誰が“文系ゴリラ”だって…?」
「歌仙の事言うたんちゃうって。俺の事言うてただけやで」
 そうこう駄弁っている間にパンは焼き上がり、山鳥毛を迎えに来た日光が回収とばかりに大広間へと連れて行き、主達一行も移動し席に着いて食べ始める。
 其処で、漸く今朝の夢見が悪かった話の詳細は語られた。
「其れで…?今回はどんな悪夢を見たんだい?」
「何や食い気味に訊いてくるやんけ」
「まぁまぁ、嫌な夢を見た時は話してしまった方がスッキリするんじゃない?」
「うーん…言うて悪夢と言うまででは無いと思うんやけどなぁ…」
 朝餉に手を付け始めるなり歌仙にさっさと話してしまえと催促を受け、その声に乗っかるように蛍丸からの言葉も貰い、食事をする片手間に話す事にしたようだ。
 こういう時ばかりは、“食べながら話すのは行儀が悪い”との叱責は飛んで来なかった。

 ―彼女が見た夢の始まりはこうだ。
 何処かの古本屋らしき店のような場所に、数人で来ていたらしい。
其処で各々好きに棚を見て回っていたのだが、ふとした時に何やら身内の者と言い争いが始まったそうで。
何故、言い争いに発展したのかは、その夢を見ていた本人も分からぬらしい上に、何を言い争っていたのかもとんと分からなかったそうな。
 兎に角、夢の中で自分は誰かと言い争っていたと言う。
その相手は、母と姉であったそうな。
 しかし、言い争う内に声を荒げていた主は、泣き喚いて訴え出す。
だが、その訴えを聞き入れてくれる者は居らず、反対に跳ね除けられてしまい、その内彼女に愛想を尽かした二人は目の前から去り、何処かへ行ってしまったと言う。
 残された彼女の視界に移り込んだのは誰ぞの金で、言い争う声を近くで聞いていたらしい見知らぬおじさんに声をかけられ、その金を差し出されたとの事。
 金が欲しい訳でも何でも無いのに、慰めとして差し出されたのが金で、思考はぐちゃぐちゃ、てんでよく分からぬ内に夢の中の彼女は酷く項垂れていった。
 実際に悲しくて泣いたのかは不明だったが、夢の中で一人泣き暮れる場面で夢は終わりを告げ、目が覚めたと言う。

 ――此処まで話した上で思うも、別に大層悪い夢の内容ではなかったように思える。
しかし、彼女にとっては嫌な夢の部類に分類されてしまったのだろう。
目覚めた時には目から涙が伝っていて、暫く気分が落ち込んでいたらしい。
 まだ薄暗い、夜明け前の話であった。
今は冬の季節で、暦は睦月と最も寒い季節である上に、夜が明ける時刻は未だ遅い。
薄暗い時分に目が覚め、寒々しい離れの間に一人の身は心細かったろう。
 そうして一人布団の中に籠って啜り泣いていた声を、偶々近くを通り掛かった同田貫が聞いたそうだ。
瞬くして一人ではなくなった主は、気が落ち着くまでの間、彼に優しく宥められていたとか。
 夢見の詳細を語った上で、彼女は言った。
「夢見に引き摺られて泣いてた時思ったんだけどさぁ…たぶん、“子供の自分が泣き喚いてるんだなぁ”って感じだった」
「子供の自分が泣き喚く、か……」
「うん。俺は、夢で泣いてた自分を見て、リアルに泣いてしまったのを何で今泣いてんだろって泣きながら分析して、そう思った。たぶんだけど…別に悲しいとか辛いとかの感情から泣いてる訳じゃなかったんだと思う。んーっと、何て言えば良いかな……えっと、普段から俺ってあんまり自分の言いたい事って口にはしないタイプでしょ?原因はそこにあるんだと思う…。現在も過去も含めて、俺は素直に正直に自分の感情を口にする事を苦手としてるからさ、其れが夢にも反映というか影響してるんだろうね。深層心理って言うんかな?たぶん、そんな感じ」
「つまり…普段我慢してる事の表れ、って事か?」
「そうなんじゃないかって、前にお姉に話した時言われたよ。俺も“深層心理”って言葉聞いた時には頷けたもん。事実、現実では言えなくても、夢では好き放題言えるもんね。実際にヒステリックに泣き喚いて訴え掛けたって、相手はまともに聞いてくれやしねぇさね。現実ってそんなもん。だから、夢に見るんだろうよ。俺、メンタルゴミ屑だから。ハハハ…ッ」
 自嘲気味にそう話を締め括った主だったが、しかし、黙って話に耳を傾けていた歌仙は感心するような感想を洩らした。
「君は、時折詩的な表現をするよね…。うん、実に素晴らしい感性だよ」
「あー…もしかして、さっきの“子供の自分が泣き喚いている”とかっての話か?」
「そう。普通、ただ夢の中の自分が泣いていたのを見て実際にも泣いてしまっていた事を、そんな風には表現しないだろう?詩的な表現の出来る感性が備わっていなければ出来ない表現さ。ねぇ、主…君は以前何か詩や歌を詠んだりした事はなかったかい?」
 同田貫の問うてきた言葉に頷いた歌仙は、彼女に問う。
 彼女は其れに己の過去を振り返りながら答える。
「あー…まぁ、歌仙さんみたく歌を詠んだりはしてなかったけど……昔、数年程作詞とかしてた時期はあったかな。趣味の範囲でだけど。作曲まで出来たら完璧だったんだけど、流石のそこまでの技術は備わってなかったもんで、作詞だけに留まってたかなぁ。…あ、ちなみに何処ぞに何かの形で発表するとかいうのは全く無く、単なる趣味で作ってただけだったから、精々仲の良い友達に見せてた程度だよ。おまけに言っとくと、趣味の範囲ではあったけど、言葉を綴ったりするのは好きだったから、地味に三桁の数行くまで作品数あるよ。全部ルーズリーフの紙に書き殴り留めただけの代物だけども」
「三桁もあんのか…!?」
「えーっと、学生の頃までの話だったから、もう正確な数覚えちゃいないんだけど…確か百は超えて+数十か数作品は書いたと思うよ」
「是非とも今度見せてもらえないかい?」
「良いけど…歌仙さんが期待するような程のもんじゃないよ?まぁ、実家の押入れスペースにある段ボールの中に仕舞い込んでた筈だから、どっちみちすぐには無理だけどね。あと言っとくと、シャーペンで紙に書いただけの物だったから、経年劣化で文字薄れて読みにくくなってるかも。当時書いてた時でさえ、そん時の筆圧加減で文字の濃さ違ったし、最後の方は腱鞘炎で手首痛めて以降書いた物もあるから。…まっ、その文字書きが活きて今の創作活動に繋がってんだけどね。小説、とまでは行かなくとも、物語を書く事は子供の頃から好きだったからねぇ。実家で俺の私物漁ったら出て来ると思うよ〜、過去の遺物みたいな書きかけで放置された作品」
「其れは凄いですね…!」
「僕、主君の書いた作品読んでみたいです…っ!今度見せてください!!」
「書きかけの尻切れ蜻蛉状態の物で良ければね〜。何なら、俺が小学生ん頃に描いてた絵本らしき落描き帳も見せてやろうか?下手くそな絵柄の頃だし、これまた途中のまんま力尽きたんかほっぽってたヤツだけどもさ」
「ほう、絵本ですか…っ。其れは大変興味深いですな」
「どんなお話の絵本なんですか?」
「えっとねぇ、確か、猫の一家が楽しく団欒しながらカレー作って食べてる感じのお話だったかなぁ…?当時から俺猫好きだったから、猫を題材にする事は多かったのよねぇ〜」
「に゛ゃ゛っ!?だから俺は他本丸の同位体に比べて猫の呪いの影響が強いのか!?ん゛に゛ゃ゛あ゛ー!!何てこったぁー!!……ゴロゴロゴロゴロ…ッ」
「はぁーい、にゃん君はこっちで俺と遊んでようね〜。今は主のお話遮っちゃダァーメ」
「姫…あまりどら猫を甘やかさないでください。怠け癖が付いてもらっては困ります」
「良い気味だね、猫殺し君?」
「うるせー!!好きでこうなってるんじゃね……んにゃうにゃぅ…っ」
「姫鶴よ、其れくらいにしてやってくれ。子猫が本当に猫になってしまいそうだ」
「別にぃ、仮ににゃん君が本物の猫みたくなってもかぁいいと思うけどねぇ。主も猫仲間が出来たって喜ぶんじゃなぁい?」
「ウチの主は歴とした人間ですんで、勝手に猫にしないでクダサーイ」
 夢の話は何処へやら…。
すっかり話がすり替わってしまっていたが、今は此れで良いのだろう。
 主も気にせず笑って南泉の嘆きに応じている。
食事時も関係無く、絶えず賑やかな笑い声響く本丸であるならば。
其れだけで彼女は笑っていられるのだ。
 些細な事でさえも共に笑って過ごせたらば、其れが彼女の望みであり、彼の望みでもありし。

 ―病める時も健やかなる時も、彼女の傍らに在り続けられますように。


執筆日:2022.01.09