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花と夢と白黒貘



 とある本丸に顕現した槍が居た。
 その槍は、長く続く戦の為に時の政府より催物の報酬として賜わされた槍だった。
 その槍は、新参者で、三名槍が揃えられた以来久しくの槍であった。
 元の主を真田の者とし、真田が象徴とする赤備えを彷彿させるような赤色を身に纏って顕現した長身の男。名を、大千鳥十文字槍と言い、真田左衛門佐信繁――つまりは、の有名な真田幸村の事――その人の愛槍であると名乗った。
 彼が顕現し、まず目に飛び込んで来たのは目に映える赤だったが、その次に映ったのは、顔と白黒半々色をした頭であった。
 この時、本丸の皆を束ねる主君たる審神者は、その色合いを見て。
(どうしてこの子は、白黒半々なんて色合いをしてるのだろう……?)
 純粋な気持ちで不思議がっていた。
 その後、彼は本丸へ案内され、戦に出ぬ時は田畑を耕したりなどの内番をこなして、体の動かし方や体力を身に付けていこうと教わる。いざ、戦装束を脱ぎ、内番着とされる衣服に着替えてみれば、これまた不思議。頭の色と合わせたかのように、上の服も白黒半々に分かれた色合いになっていた。下は、勿論、赤色のズボンであったが。
 その様を見て、審神者はこう感想を洩らした。
「あらまぁ、こっちの服は髪色とおんなじなのねぇ。白黒半々に分かれた色だなんて、まるで貘みたい」
「“ばく”……? 其れは、一体何の事だ?」
「“貘”ってのは、今の大千鳥を見たままみたいな白黒半々の色をした生き物でね。人が見た怖い夢や悪い夢を食べてくれる幻獣だと、昔から言い伝えられているのよ。元は隣国の中国――つまりは、外つ国から伝わった生き物でね。本当かどうかは、実際のところは分からないけれども……私が子供の頃から、“夢見が悪い時は、貘の絵を書いた物を枕の下に敷いて寝なさい”って親に教わって。言われた通りにした後の夜は、怖い夢を見なくなるようになるの。不思議な話でしょう?」
「単なるまやかし事のようにも思えるが……主がそう言うのならば、そうなのだろう。そんな不思議な生き物と俺が、似ていると……?」
「白黒半々に分かれた色なところがそっくり」
「そう、なのか……。俺は、ただの槍で、信繁が使ったとされる十文字槍。其れだけが、この槍の語り種だと思っていたが……」
「えっと……気になるようなら、貘の書かれた文献を読んでみる? 私の私室の資料棚に、個人的に集めた資料・文献が置いてあるから。興味があるなら、暇潰し用の書物と一緒に持ってきてあげる」
「感謝する」
 そうして、彼は顕現して日が浅い内に、貘というのは何者なのか、という事を記した詳細の文献を読み、貘についての知識を得るのだった。


 彼が来てから幾日が経った、とある日の事である。
 近侍の者が朝、その本丸の審神者を起こしに行くと、枕元で涙ながらに魘されていたのを見付けた。
心配した近侍は、当然の事に彼女を起こし、寝ながら泣いていた理由を問うた。すると、彼女は、怖い夢…嫌な夢を見たと正直に告げる。
 おお、なんて可哀想に……。起こしに来た近侍の者は、夢から覚めてもはらはらと涙を流す審神者を見て、お痛わしやと慰めた。
 その日の朝は、彼女の見た夢の話題が本丸中にのぼった。何が原因でそんな夢を見たのか、話を聞いた彼女を痛く心配する者達は、その夢を見る前日の夜から遡り分析した。
 夢には、その人が見聞きした事や、心理状態が関わってきたりする。其れによって、良い夢や悪い夢を見たりと、夢の内容が変化するという。
 そういえば、夢見が悪かった日の前日、彼女は職場の上司に嫌味を言われ、暫く落ち込んでいた事があった。本丸に帰ってきた時、話を聞いた面々が慰め、一時は元気を取り戻したかに見えていたが……。しかし、彼女は失敗や過去を引き摺りやすい質の者であった。もう気にしていないと本人も思っていた事でも、心の奥深くに隠れた深層心理の感情は誤魔化せない。故に、その事が影響して、夢見が悪かったのだろう。
 一先ずは、今日一日楽しい事や明るい事を考えて、昨日あった暗い気持ちを塗り替えよう。一振りの刀が提案すれば、皆が其れに賛同し、さあ仕事をするのも良いが、偶には休みを設けて気分転換しようと、彼女の手を取り本丸の外へと導き連れ出していく。
 今日は一日休養日だ! 初期刀の者を筆頭に、あれやこれやと審神者と楽しみたい案を提示し、引っ張っていく。次第に、明るい表情を取り戻していった彼女は、彼等に釣られるように笑みを浮かべて笑った。
 その日の晩は、夢守ゆめもりの番と称して、小さな刀の者が御守りに自身の刀を預けた。
ついでに、絵心のある者達が総出で貘の絵描き大会を披露し、その会で生まれた数々の絵達は全て彼女へと手渡された。
 此れだけあれば、夢見は悪くなくなるだろう。審神者は、それぞれに皆が描いてくれた沢山の貘の絵を、御守りとして枕の下へ敷いて眠る事にした。効果は抜群だったのか、その晩の夢は何とも明るく楽しい夢だったそう。


 しかし、御守りの効果は次第に弱まっていってしまったのか……。またある日の晩の事である。審神者は夢見の悪さから跳ね起き、年甲斐も無く子供のように泣いてしまった。このままでは眠れぬと思った審神者は、近場の者の処へ移動しようと、真夜中の暗闇の中、寝間の部屋を抜け出た。そして、彼女が向かったのは、とある者が使う部屋である。
 其処は、まだ刀派の者や繋がりのある者が居ない者が一人で使用している部屋であった。その部屋のヌシとは、大千鳥であり、唯一ゆいいつ一人部屋で使っている者だった。
 真夜中の事で、夜目が利かぬ身ではあったが、廊下の床の板を踏み締める足音を察知して起きたらしく。彼女がやって来た時、一瞬驚いたものの、訳を聞くなり、「そういう事ならば致し方無かろう」と快く入室を許し、今晩だけの事と条件付けて共に寝させてもらった。
 彼を見た初めの時に、“まるで貘のようだ”と言った言葉を覚えていたか否かは定かではないが。もしかしたら、その事が切っ掛けだったのではないかというくらいに、彼女は真っ先に彼を頼ってこの部屋へ来た。まぁ、彼女の寝室がある離れの間から、母屋の刀剣部屋で最も一番近くにあった部屋が、偶々大千鳥の部屋であったというだけかもしれないが。
けれど、お陰でその晩は、悪い夢は一度見たきりで、後はぐっすりと眠る事が出来たらしい。
 悪い夢を見た時、審神者は断続的な眠りしか取れぬ事が多かったのだが、不思議な事に、彼の側で眠ると、夢を見る事も無くスヤスヤと健やかに眠れたのである。
 審神者は其れ以降、夢見が悪かった翌日の晩は、彼に夢守の番を任せる事にした。早い話、夜眠る時に、枕元へ置く御守りに、彼の本体を借りるという事であった。勿論、念には念を入れてと、皆が新しく描いてくれた貘の絵達も枕の下へ敷いて寝付く。
 そうやって、夢見の対策を改めてから暫く経った、或る日の事であった。
 朝目覚めて、気持ち良く眠れたなと気伸びをして身を起こしかけ……。ふと、枕元にちらほらと、幾つかの花が転がっているのを目にした。その花は、美しく色鮮やかな赤色をしていた。綺麗な花だけれど、何でこんな処に置いてあるのだろう。昨晩、寝る前に花なんて物は枕元には無かった筈だし。床の間に飾られている花とも違うから、何処か別の場所からやって来た、もしくは持ち込まれた花という事になる。
 さて、このような驚きをサプライズしてくれた者は、一体何処の誰ぞ……?
 審神者は布団の上で起き上がり、枕元に転がっていた花の一つを手に取り、よくよく見ようと顔の前に掲げてみた。
(あら、良い香り……っ)
 すると、手に持つ赤い花からとっても良い香りがするではないか。寝起きに嗅ぐ匂いにしては、素晴らしく心地の好い香りがした。
(其れにしても、この花……何処かで見た覚えのある花なのだけど…いつ、何処で見たのかしら?)
 記憶を手繰り寄せようと、花を揺らしながら寝起きの頭を働かせていた、その折。仕事部屋と奥の寝間とを隔てる襖が開かれ、一言短く「入るぞ」との断りと共に部屋へと入ってきた者が居た。大千鳥だ。夢守の番で預かっていた本体を受け取りに来たのだろう。
 彼がやって来た事で思考を中断した審神者は、明るめな声音で挨拶を告げる。
「おはよう、十文字君」
「嗚呼。今朝の気分は如何どうだ…?」
「お陰様で、すっきり快調なのですよ!」
「其れは良かった。……して、その花はどうした?」
「あ、此れね。昨晩眠る前は無かった筈なのだけれど、朝起きた時には枕元にちらほらと……。誰が何のつもりで用意(?)したのかは分からないけども…綺麗だし、とっても良い香りがするのよ。ほら、ちょっとだけ嗅いでみて」
 彼女に言われ、腰を下ろした大千鳥は、花に顔を近付けて一寸ばかりすんすん…っ、と匂いを嗅ぐ。そして、彼女が初めにした時と同様に、目をしばたたかせ、口を開く。
「嗚呼…確かに良い香りがするな。おまけに、見覚えのある花だ」
「おや、十文字君もかい?何だか奇遇だねぇ。実は、私も同じ感想を抱いたのだよ。この花、何て言う花だったかな……十文字君は知ってる?」
「……否、すぐには思い出せぬようだ。しかし、嘗て何処かで見た覚えのある物であるのは確かだ」
「そっかぁ。じゃあ、せっかくだから、この花は全部十文字君にあげよう…!」
「良いのか……?」
「うん。だって、ここのところ、毎日夢守の番でお世話になってるしね。その御礼みたいなものかな。それに……こう言っちゃあ悪いのだけれど、こんなに沢山貰っちゃっても、後の処理に困りそうだから…っ。花は好きだし、素敵な贈り物だし、見ていて心が安らぐ物だと思うけれども……私、無精な性格だから、せっかくの花を駄目にしてしまいそうで…。良かったら貰ってくれる?」
「俺が相手で良いのだろうか……。花ならば、他の者の方が適しているのではないか?」
「十文字君が良いと、私は思ったの。だって、綺麗な赤色してるし、十文字君にぴったりじゃない!」
「……そうか」
 少しばかり逡巡するように俯いて考える様子を見せた彼であったが、彼女の言葉に納得したのか、一つ頷いた後に首肯を示す返事をくれた。審神者は、綺麗な無地の赤色の風呂敷包みを用意すると、其れに枕元に散らばっていた花全てをくるんで手渡した。受け取った大千鳥は、其れを大事そうに受け取ると、本体と共に自室へと去った。
 自室にて、改めて風呂敷包みの中身を開けて見た大千鳥は、赤い花を見つめて独りごちる。
「それにしても…見事な赤だ」
 まるで、己の中にある僅かな真田に居た頃の記憶を蘇らせるような彩色だ。先の審神者がしていたように鼻先へ近付けて匂いを嗅ぐ。花の香りが、遠く深い処に眠る嘗ての記憶を呼び起こすようだった。
 ただ、其れとは別の感情を彼は抱いていた。
(美味そうだな……)
 主たる彼女の御前であったが手前、堪えていたのだが、一目花を見た時から、大千鳥は己の空腹が刺激されたように感じたのだ。
 今は自分一人だけ。他には誰も居ない。朝餉の前であると自覚はしていたが、主より賜った赤い花を、大千鳥はぱくりっ、口にしてしまった。途端、何とも言い難い甘美な味わいが口の中を駆け巡った。
 彼は密かにこっそりと、無我夢中といった様子で貪り食べた。花はすぐに無くなり、後には風呂敷包みが空しく残るだけである。
 果たして、彼女より賜った花は、食べても良い代物であったのだろうか……?
 いまいち疑問は残るが、今までに感じた事の無い衝撃を受けたのと同時に、何処か満たされぬままであった飢餓にも似た感覚が満たされたようであった。此れは、一体何なのだろうか。異常……という症状に当たるのか、否か。しかし、体を動かすのに支障は無い。寧ろ、逆に良過ぎるくらい体調は頗る良くなった気がする。戦に出れば、確実な戦果を挙げれる自信さえある。
 彼は、今件の事は、己の胸の内だけに留め置く事にした。審神者の方も、花の件について特に他の誰ぞに触れ回る事もせずのままだった。
 其れからというもの、一人と一振りの間で黙然と密事は行われた。審神者が何か夢を見た翌日の朝起きれば花が湧き、その度に花を貰い受けた大千鳥は、自室へ持ち帰った後、ひっそり静かに花を食べ、腹に収めていった。
 いつしか花は夢を見た時に生まれる物だと考えるようになった。差し詰め、花は夢の欠片のような物なのだろう。
 彼に渡してそう経たぬ内に、綺麗さっぱり消えて無くなる花に、不思議がった彼女は或る時彼に問うてみた。
「そういえば、十文字君…毎度の事あげてるあの花の事だけども、いつもどうしてるの?何か、気付いたら綺麗さっぱり無くなってるみたいだから、どうしてるのか気になってさ」
「アレは……その、一つ残らず全て俺の腹の中に収めてしまっているのだ…」
「えっ……あの花、全部食べちゃってたって事かいな?」
「あ、嗚呼……主から賜った物の手前故、なかなか言い出せぬ事であったが…」
「あれまぁ……こりゃ驚いた。今までの全部食べてたって事だけども、何も異常とか無かったのかい…?というか、食べて平気だったの?お腹悪くなったりとかしてない?」
「心配は無用。体調に不調は見られぬ。其れどころか、寧ろ真逆な程に好調だぞ」
「ひゃあ〜……っ、こりゃまた驚きだね。夢の欠片みたいに湧き出てくるアレを食べるだなんて、本当に貘みたいだね」
「…其れも語り種となろうものなら、全て我への恵みとして受け取ろう」
「いや、まぁ…処理してもらってる分もあるから有難いけどもねぇ……。本当に異常とか起きてない…?何かあったらすぐに私に言うんだよ?」
「分かった」
 審神者から生まれ出る物ならば、害は無いのではないかという事でその場は纏まり、一先ず様子見する事に決まった。故に、その日以降も変わらず、夢を見て花が湧き出れば、其れを全て彼が食す。
 花を食す事以外は、他の者達同様の生活をしていた為、審神者も余計な事は言わないようにと、二人きりで話す時以外では例の話題は他言無用と噤んでいた。


 其れからまた幾月かが過ぎ、この本丸に新たな刀が顕現した。
 大千鳥と元の主を同じくする、脇差の者である。名を、泛塵と名乗った。大千鳥と同様に赤色の装束を纏っていた。
 真田の仲間が増えた事で、其れまで一人部屋だった大千鳥の部屋は、二人部屋となった。所縁ゆかりのある者が来てくれたのが嬉しかったのか、表情変化の少ないあの大千鳥でさえ喜びを表すように小さな笑みを浮かべていた。共に真田の元に居た者同士、泛塵も嬉しそうである。
 本丸の主である彼女もまた新たな刀が来てくれた事を喜び、歓迎会を催した。一時、本丸は賑やかな宴会騒ぎとなった。
 泛塵は大千鳥と似て、よく働き、よく気が付く、気遣いの利いた働き者であった。特に掃除には力を入れており、彼の磨いた場所はピカピカに輝いていた。
 彼が来てから少し経った折である。大千鳥が、朝、審神者の部屋を訪れた後に持っている花を、こっそり己の部屋で食べているところを見てしまったのだ。同室で生活していた故に、知られてしまうまでは時間の問題という具合であった為、大千鳥は主以外には他言無用とした上で正直に話した。
 何よりも大千鳥の事を大切とする泛塵は、其れはもう当然の如く心配した。
「そんな得体の知れない、よくも分からぬ物を食べるなんて……っ!体は大丈夫なのか大千鳥!?」
「今のところ、何の問題も無い。寧ろ、好調過ぎるくらいだ。故に、そう心配する事は無い」
「しかし…っ、本当に大丈夫なのか?二人共、あまりに普通に受け入れ過ぎなのではないか?」
「そう、なのだろうか……」
「少なくとも、僕は異常のように思える」
「だが、主は有るがままの俺を受け入れ、良しとしてくれた…。俺は、その想いに報いたい」
「大千鳥……」
「俺は、所謂“十文字槍の集合体”というやつなのだろう……。故に、存在は希薄…曖昧な定義で以て顕現を受けている。……俺の中には、信繁と過ごした筈の記憶が確かにある筈なのだが、其れすらも本当の記憶なのか疑わしいものだ。故に、俺は、種を欲するのだろうな…。今、この俺に与えられた役目は、これからを生きる為の大事な語り種だ。主がくれた、大事な語り種を、今更失いたくは無い……っ」
「嗚呼、嗚呼、すまぬ大千鳥……!そこまで考えていようとは思わずに、軽率な事を言ったな…っ。すまない、大千鳥……けれど、ごみのような己には、やはり理解が及ばぬようだ…。嗚呼、すまない大千鳥……っ」
 事の次第を聞いた泛塵は、我が身の事のように苦しげな表情を浮かべて項垂れた。しかし、大千鳥本刃ほんにんは、何故彼がそんな風に項垂れるのかの理由が、とんと分からなかった。恐らく、欠けているのだ。他の多くの者達とは異なり、在るべきものが根底に無くして顕現を果たしている。其れが、集合体の身で顕現した者に見られた特有のものであった。その隙間を埋めたのが、大千鳥を顕現せしめた張本人である、審神者だったのだ。善くも悪くも、大千鳥は其れを受け入れ、現状に至る。
 だがしかし、本来の彼は元々こうであっただろうか……?
 嘗ての記憶にある大千鳥の事を思い出そうとして、暫し黙り込んだ泛塵。其れを、会話は終了したものと受け取った彼が、話題を転換するように再び口を開いた。
「一先ず…朝餉にしよう。腹が減っているだろう?共に大広間へ行くとしよう」
「あ、あぁ……っ、そうだな、そうするとしよう…」
「今日は何が出て来るだろうか…?此処では、山の恵みも海の恵みも贅沢に食せて、飽きぬぞ」
「ふふっ……大千鳥らしいな。僕は、ごみ故、誰かに意見するなど畏れ多い事だ。…まぁ、強いて言うならば、大千鳥の好物であれば良いな」
「お前は其ればかりだな」
「僕は、大千鳥が幸福であるなら、其れで良いんだ…」
 二人は揃って大広間へと向かっていった。食堂の如く、皆が揃ってそれぞれに楽しく食事する中には、審神者の姿もあった。どうやら先に来ていたようである。
「あっ、十文字君に泛塵君も…!おはよう!座るとこ迷ってるなら、こっちへお出で…っ!」
「え…?でも、ごみの僕まで一緒に居て良いのか……?」
「良いから声かけてるのよ!さぁ、こっちへいらっしゃいな。一緒に朝御飯食べましょっ」
「遠慮は無用。ほら、行くぞ泛塵」
 彼に促されて朝餉を摂る為の卓に同席させてもらう。慣れぬ様子で審神者の方を窺っていたが、彼女は他の者へ接する時と同様に普通に接してきていた。だが、性分が邪魔をして縮こまっていると、彼女の方から話しかけてきた。
「泛塵君、本丸の生活はどう…?もう慣れた?」
「そうだな……こんなごみである僕に対しても、皆優しくしてくれるぞ」
「ふふふっ…優しいでしょ、ウチの子達…!皆、私の自慢の子達よ。貴方もその内の一人なんだから、そんな卑屈にならなくっても良いわよ」
「僕は塵芥ちりあくたと化す事しか出来ぬごみ……其れは変わらぬ事実だ」
「あら、なら似た者同士ね。私もメンタル弱々の豆腐並みの脆さを誇る塵屑ゴミクズ野郎だから。嘗ては、社会の塵屑だとか言わしめたゴミっぷりよ……?最早、ゴミどころか、クズにも成り得ないちりレベルの人間さね。其れ故に、貴方が来てくれたのは奇跡に等しい事だったわ」
「誰だ、主にそんな事を言ったのは……仕置きが必要だな」
「よして頂戴な、歌仙。もうずっと前の事だし、過ぎた事を今更どうこうする気は無いわ。ただ、“そんな事を言われた事があった”……其れだけの事よ。社会の塵屑であったのは事実なんだし」
「えっと……その理由は、訊いても良い事なのだろうか…?」
「良いわよ、全然。嘗て私が審神者になる前の話よ。偶々運が無くて、社会の底辺みたいな生活を続けてた折に、呆れて愛想を尽かした人がそう評価したってだけ。手に余ってたんでしょう、その頃の私は。ただ其れだけの事。…誰がんな事言ったんだ、って話なら敢えてしないわよ?相手の名誉の為にもね。そこまで私頓着してないし、恨んだりとかも一切してないから。……だぁーから、本体持ち出すような真似は止めてね、清光?其処、鯉口こいくちを切らない、物騒な顔しない!済んだ過去は過去なの!大切なのは今よ。今を生きる事を大切にしなさい」
 その語り口に込められた審神者の言葉には、深いものが滲んでいた。聞く者によっては、重い話だと思うだろう。だが、言葉通りに受け取った泛塵は、しみじみと感想を零した。
「……主も、なかなかに大変だったのだな…。まだ年若いであろうに、どうしてこうも貫禄あるように見えてしまうのだろうな」
「そりゃあ、伊達に審神者続けてないもの」
「俺は、まだ一年弱しかこの本丸に居らぬが、主はこの本丸を築いて三年半は経ったと言う……当然の話であろうな」
「此処に来てまだ一月ひとつきも経たぬ僕からしたら、そう見えて当然だったか。波乱万丈の時を生きる女子おなごは、時に逞しく思えるから凄いな…」
「焦らなくても、ゆっくり成長していけば良いのよ。私も、泛塵君も」
 人の生きる生涯は、まほろばの時に生きる彼等と比べて、短い。故に、早く過ぎ行く時の中で、ひたすらに悩み、考え、己の人生を歩んでいくのだ。人の世は複雑だ。けれど、与えられた時間は少なく、時は待っちゃくれない。だから、人は進むのだ。時には折れ、躓き、挫折しようとも、ドン底から這い上がってでも生きようと足掻き、藻掻く。其れが、人というものであった。
 とある刀は斯く語る。短き儚い時を生きるからこそ、自然の豊かさや風情に耳を傾け、心豊かに歌を詠み、物語を綴ってきた。我等はそんな一部なのだと。人の側に根付き、人の側で人の世を眺め暮らしてきた“物”だからこそ、共に理解し合える事もあるのだと、そんな風に語った。
 或る日、審神者は言っていた。例え、何度夢の中で親しき者に裏切られ、この身朽ち果てる事となろうとも、現実にしなければ良いのだから、どうとでもなると。
 とある日の審神者の夢だ。其れは、怖くて嫌な、悪い夢の話であった。夢の中の彼女は、何故やら身内の者に他者の元へと売られてしまったらしい。相手曰く、大金が目的だったそうな。報酬が手に入れば、高級な店の飯が食える権利が貰えると喜んでいた。余りは余生を謳歌するのに使うとの事。恐らく、きっと、遊んで暮らせるだけの大金が報酬であったのだろう。ただの金欲しさに娘を売るのかと、夢の中で彼女は大層悲しくなり、涙を堪え切れずに顔を覆い、泣き崩れたと言う。
 時に、人という生き物は醜い生き物へと変貌する。その最も簡単な原因に成り得るのが、金であった。金欲しさに娘を売るなど、いつの時代だと、夢から醒めた時の彼女は思ったそうな。夢の中では、現代の事のように平気に物事は進んでいたらしいが、そんな売春やら人身売買なんて事が行えたのは、遥か昔の過去の時代の話である。今の世の中でそんな真似をすれば、一発でお縄にされ監獄行きである。其れだけ罪の重い事であり、時代が変わった証拠であった。
 まぁ、所詮は夢の話、現実で起こった話ではないのだから、然して気にする事でも無い。夢を見てすぐは気分を害するかもしれないが、要は其れだけなのだ。だが、この本丸の審神者の場合、其れだけで済まなかったのだった。どうも、他者に比べて夢見が悪過ぎる。おまけに、善くも悪くも夢見の力を持っているようで、稀に予知夢のような先見の力を発揮したりするのだ。
 夢というものは、見ている本人の意識せぬところ…無意識下で見るもの故、他人がどうこう出来ぬものである。せめて対策としては、夢見の悪さが少しでも改善するよう祈祷したり、徳を積んだり、心のケアに努めたり等々してみる他無い。大千鳥が現在受け持つ役目は、そういった事なのであった。
 彼を夢守の番に据えて以来、夢を見た暁には赤色の花が生まれ、彼は其れを美味と食し、己の糧としている。分かりやすく言って、ギブアンドテイクの関係であった。花は夢の欠片であり、其れを食す彼は謂わば貘なのだ。
 貘は、悪い夢を食べる生き物である。白黒半々の姿をしていて、其れに似た姿をしていたが為に、大千鳥は“貘のようだ”と称されたのだ。善くも悪くも、言霊の力が働いていたのである。故に、この本丸の大千鳥は、真田の槍であるのが本分……傍らで貘としての務めを果たしていた。
 夢は貘の食糧だ。審神者の見る夢には霊力が込もる。力の宿る夢は、貘にとって極上の餌であり御馳走であるだろう。だから、彼は一目見た時から夢より生まれし欠片の赤き花を“美味そうだ”と思い、口にしたのだ。花は、最早、大千鳥の御馳走に数えられてしまっているのだ。今更変えられようも無い。
 本丸に顕現して日の浅き雛鳥の如き頃に、親鳥たる審神者より何気無く零された言の葉には力が宿り、言霊となって彼の存在を歪めてしまったのかもしれぬ。でも、のちに本丸の皆に周知されようと、害は無し、寧ろ好都合だと、事の異常を良しとした。此れもまた、個体差のようなものだと受け入れて。
 其れからというもの、審神者も大千鳥も周りに隠さなくなり。夢を見れば花が湧き出でて、其れを喰らいに貘の役目を担う大千鳥がやって来る。


 とある日の朝の事である。
 またぞろ悪い夢でも見たのだろう。起き抜けに枕元を見遣れば、“いつぞやに此処は花畑になったのかな?”という具合に沢山の赤い花で埋め尽くされていた。そんな中に寝ていたらば、宛ら、お伽噺にでも出て来る眠り姫みたいな光景に映る事だろう。最早慣れた事であるが、夢見の悪さに反映して花の量がえるのは如何にもし難い。まぁ、とても香りの良き花であり、どんなに見ていても不思議と飽きぬから構わないが…。
 そうこう花の一つの匂いでも嗅いでいると、ゆらり、御馳走の匂いを嗅ぎ付けてやって来た貘の大千鳥が姿を見せる。
「やぁ、おはよう十文字君。例に漏れず、昨晩も夢見が悪かったようでね。今朝は一段と沢山咲いてしまったみたいだよ」
「まるで、花畑に佇む精霊のようだな……」
「凄いお世辞が飛び出してきたもんだねぇ?いやはや、こりゃ驚きだ」
「此れ等全て、俺が貰い受けて良いのだな…?」
「どうぞどうぞ。お好きなだけ貰っちゃって」
「では、馳走になる」
 ここまで来ると、彼もこの行為を一種の食事だと思う事にしたのか、ご丁寧に食前の挨拶までして手を付け始める。きちんと手を合わせて“戴きます”をしてから、彼女の手より差し出される一つを受け取って、ぱくりっ。次第に無我夢中になって貪り出し、枕元を中心に寝場を占拠していた花達は次々と彼の腹へと消えていった。
「毎度訊いてる事だけども……美味しい?」
「嗚呼…大層美味で、甘美な味わいがするぞ」
「美味しいのなら良かった。元は悪い夢なのに、其れがこうして夢の欠片となって花になって現れるなんて……不思議な現象だなぁ」
「俺には、ただただ恵みにしか過ぎぬ物。他にも遣らず、くれると言うのなら、有難く頂戴するだけだ」
 むしゃむしゃと絶えず花へと伸ばす手を止めぬ大千鳥は、本当に美味しそうに食す。但し、そこで自身も食べようとは思わなかった。何故ならば、この花達は総じて己の夢が原因で生み出された物であり、其れを自身が食べるという事は、自ら吐き出した物を内に戻す行為に等しい。故に、静かに彼が食べ終わるまで眺め、付き合っていた。
 数多と散らばっていた花の処理は、気付けば終盤に近付いていた頃、別のお客が顔を覗かせにやって来た。
「大千鳥……お前はまたそんな物を食べていたのか?」
 何やら吸引力の凄そうな掃除機を携えてやって来た、泛塵である。彼は、半ば呆れた目で花を貪り食う大千鳥を見ていた。
「ただの残飯処理の如く見えるかもしれぬが、美味いぞ」
「よくも分からぬ物を平気な顔で食べるな。次に花が咲いた時は、僕が掃除機で吸い込むと言っていたのを忘れたのか…?」
「お前にはただのごみと思えようと、俺には極上の恵みなのだ。邪魔立てするなら、お前とて容赦はせぬぞ」
「其れは、主の身より要らぬ物と吐き出されたごみだ」
「違う」
 双方譲らぬ姿勢だ。このまま下手に放っておいたら、部屋が大変な事になる。審神者は努めて控えめな口調で諌めの言葉を投げかけた。
「これ二人共、喧嘩はおよし……っ。泛塵君の気持ちも分からないでもないから」
「なら、今すぐ大千鳥を止めてくれ、主」
「いや…出来たなら早々にやってる事だけども、こうなったら梃子でも頑として動かないor受け付けなくなるから、無理!」
「大千鳥ィ〜……ッ!」
 彼は、痛く大千鳥の事を大事にしているから、心配なのだ。しかし、一方の大千鳥はというと、何処吹く風である。相方である泛塵から幾ら声をかけられようとも、花を食べる手は止めなかった。
 泛塵は溜め息をき、まだある花の一つを拾い、呟く。
「この花が赤くなければ……或いは、………の花でなければ、こうは成らなかったのかもしれないな…」
「え……?」
「いや、ごみの戯れ言だ……気にしないでくれ」
「はぁ……、」
 今日も今日とて、審神者は花を咲かせ、貘たる大千鳥は夢を花を喰らう。


執筆日:2022.01.24