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猛獣を飼い慣らすあなたは宛ら猛獣使い



 街中でひとり、人待ちをしていたら、見知らぬ男に声をかけられた。
所謂、ナンパという流れである。
 これまで何度か似たような経験をした事のあった女は、軽やかに断るついでに、わざと明らかに婚約指輪であろう指輪を付けた左手を掲げる如く見せ付けて追い払おうとした。……が、この男、なかなかにしつこい奴であった。
 どう考えても脈が無く、相手にされていないのにも関わらず、執拗に女へと迫る。女の方も、面倒に思いつつも、めげずにはっきりとした口調で断る旨を突き返している。
其れでも引かぬ様子の男に、段々と嫌気が差してきた女は、“この際、最終手段を使うか?”と思案し始めた。
 その時だった。
相手の後ろから、何やら黒いオーラを纏ってズンズンとやって来る者が居た。
明らかに不機嫌な雰囲気であった。
 女がその存在に気付くと同時に、男の背後からやって来たその人物がむんずと肩を掴み、彼女へと触れようとしていたのだろう、女へと伸ばされていた腕をミシリという嫌な音を立てて掴み、口を開く。
「おいアンタ、他人の奴に手ェ出すたぁ頂けねぇなァ。其奴ソイツ、俺の女なんだけど……何か用かよ、ぁ゛ア゛?」
 端から見て、どう見てもメンチを切っているとしか思えぬ形相であった。
おまけに、パッと見“ヤの付く自由業されていますか?”な強面顔に凄まれれば、そりゃあ恐ろしく怖くて逃げても当然だろうという感じで。
 あっという間に逃げていったナンパ男の背を見送りつつ、“寿命が延びて良かったな”とか斜め上な事を考えていたらば。
普段の調子に戻ったらしき彼から、「大丈夫か?」と問われた。
女は、その言葉に平然とした様子で、「うん、平気」と答えた。
 実は、彼女が待っていたのは、この人物だったのである。
彼女は、今しがたの事を振り返りながら、こう感想を零した。
「さっきの“俺の女”発言、地味にキタなぁ〜…っ。だって、生でリアルに聴けるとは思ってなかった類の台詞だったからさぁ。……うん、実際言われてみると結構良いね。ふふふっ、少女漫画みたいな経験しちゃった!」
「実際そうなんだから、“俺の女”で合ってるじゃねェーか」
「うん、や、まぁ…そうではあるんだけどね」
「…にしても、今の奴、璃子が婚約指輪してんの気付いてただろうにわざわざ声かけてくるとはなァ……」
「こっちも、敢えてわざと分かりやすいように左手で牽制してたんだけどねぇ〜。まぁ、世の中には婚約してようが人妻だろうが気にせず引っ掛けてくる野郎も居るから、たぶんそういう類の人だったんでしょ、今の人も。……にしても、声かけた相手が悪かったなぁー。よりにもよって私とはな、命知らずも良いとこだよね」
「ハハッ、其れな。確かに言えてるわ。“俺のモン”に目ェ付けるたぁ良い趣味してるぜ。お目が高いって点だけは認めてやる――が、手ェ出す事までは許した訳じゃねぇからなァ。次に逢った時は容赦してやらねぇぜ?」
「ふふっ、……嫉妬?」
「当然だろ」
「立派な独占欲です事……!でも、これからもその調子で私の側にずっと居てね?たーぬさんっ」
 愛しの彼氏ならぬ将来を誓い合った旦那様へ、はにかみ笑顔を送って笑う。
さっきの一瞬ばかりは、人を視線だけで射殺せるのではないかという雰囲気で殺気を醸し出していた彼であったが、今や何とも穏やかそうな表情かおで微笑み返している。
次いで、二人は、互いに揃いのリングを付けた手を重ね合わせて繋ぎ、歩き出していく。
 どうにもお似合いなカップルであった。

 ――猛獣を飼い慣らすあなたは宛ら猛獣使い。


執筆日:2022.01.29