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言霊に生きる



 最近、この本丸の主の姿をとんと見なくなった。
だがしかし、本丸に棲まう刀剣達は、皆平然と変わらぬ日々を過ごしている。
何故なのだろうか。
己の主が居なくなっても、寂しくないのだろうか。
其れとも、元より鋼であるが故、そんな感情すら抱かないのだろうか。
 分からぬが、何とも寒々しく思えてしまって、遂には口にしてしまった。
「当本丸の主は、一体何処へ行ってしまったのやら……。このところ、とんと姿を見ぬが……はて、どういう事だろうか?定期の報告書は、定期的に欠かさず送ってきているし、定期の連絡にもきちんと応答を見せている。しかし、いざ実際に本丸を訪ねてみたら、不思議な事に、審神者の姿を見ぬではないか。此れは、一体どういう事ぞ?」
「え?何言ってんの、アンタ。主なら、ちゃんと居るじゃん」
「………はて、“居る”とは口にするものの、何処に居ると言うのだ?」
「目に入んないの……?彼処あそこ…東の棟側の縁側で、祢々切丸が膝に抱いた猫が居るじゃん。アレだよ」
「…………はて。此処の本丸の主は、人が勤めていると聞き及んでいた筈だが……よもや、知らぬ間に入れ替わっておったのか?」
「はぁ?何可笑しな事言ってんの?もし、審神者が変わる事があったりしたら、そっちから連絡が入るし、手続きやら何やらが入ってる筈でしょ。そうでもない限り、ウチの審神者が変わる事は無いし、変えられるような不祥事とか、これまで一度として起こした事無い優秀な本丸だから。つーか、んな問題起きてたら、政府の方が知らない訳無いでしょ…?何馬鹿な事言ってんだか。アンタ、疲れてんの?上司に言って休み貰ってきたら?」
 そもが、私の方こそ可笑しな事を言っている風に怪訝な顔をされて見られた。
 いや、しかし、書類上では、当本丸の審神者は人間で、人外とは記されていなかった筈。なのに、本丸に棲まう刀剣達は、依然として変わった事など無いように過ごしている。
何故に、審神者は人から猫に化けたのか。
どんな奇っ怪な術を使ったのだろうか。
 一先ず、当本丸の主へ一言挨拶をするべく、教えてもらった場所へ向かう事にした。
 この本丸の初期刀である加州清光曰く、審神者は人だが、いつの日やらから猫の姿をして、本丸内を闊歩するようになったとの事だそう。
 はて、一体どういう事なのやら、てんで分からぬ。
 しかし、教えられた通りに、縁側で佇む、山の神たる大太刀の付喪・祢々切丸の元へ訪ねてみた。
「ご機嫌如何かな、祢々切丸殿よ」
「おお、政府から遣わされた役人か。御苦労」
「当本丸の審神者様にご挨拶したく参ったら、此方に居ると窺ったのだが……」
「うむ、合っているぞ。この本丸の主は、今、我の膝上で休んでおった。……主よ、政府役人が来たぞ」
 祢々切丸が、目の前の猫へ向かって声をかけた。
大柄な男相手の前でも驚かず、膝上で寛いでいたらしい黒猫が、ぴくり、身動ぎ、ゆうるり両の目を開いた。
次いで、ゆるゆると気伸びをして、寸の間体を震わし、落ち着くと。
彼の膝の上を降り、傍らの床板へお澄まし、綺麗なお座り姿で此方を見上げてきた。
「ぅあん」
 此処に来て初めて口を利いたかと思えば、そう、一声鳴いただけだった。
なんと、まんま猫の鳴き声であった。
 猫らしく金色の双眸を覗かせる主らしき者に、私は言葉を失った。
正しくは、何も言えなかったのだ。
 人である筈の審神者が、今や目の前でまことに猫の姿形をしている。
一体全体、何が何やら、とんと分からなかった。
 呆けてしまった私の代わりに、側に居た祢々切丸が口を開く。
「驚いたか。まぁ、知らぬで参ったのならば致し方あるまい……。我等の主は、元はきちんとした人であった事は知っておるな?」
「………え、えぇ……そりゃあ、当然でして……」
「其れが、何故ゆえ、このような姿で居るのかと……そう、御主は問いたいのであろう?」
「ええ、ええ、仰る通りで……っ」
「答えは、簡単な事よ。我等が主は、他より言霊の力が強くてな。其れは、他者に対しても同じく、また己に対しても同じであった。故に、予てより積み重なった言霊が力を持ち、主の姿を変じてしまったのよ。勿論、おのが身を変じるなどと言う芸当は、ただの人では出来ぬ事だ。しかし、彼女は審神者であり、その身には霊力を宿していた。其処に、自らの意思が混ざれば、言霊はまことの力を発揮する……。故に、主は、人でありながら、猫の姿をしている訳である」
「なんと、言霊が原因、ですか……?」
 確かに、例が無いとは言い切れなかった。
 審神者になる者は、皆少なからず力を有しており、其れは言葉にも通ずる。
力ありし者が発した言の葉には、其れだけ影響力が及ぶ。
つまりは、言霊の力が反映して、当本丸の審神者は姿を変えたと言うのだ。
 いやはや、此れは驚きだ。
しかし、猫の姿でどうやって執務を行っているのだろうか?
戦の采配や、指示は、如何様にして行っているのやら。
謎が深まるばかりである。
 そろそろ頭がパンクしそうだという頃合いになって、不意に、女の人の声を耳にした。
「そんなに珍しかな事でもないでしょう。此処は、そういった事が平気で罷り通るような場所なのですから」
 はて、今の声は何処から聞こえてきて、誰が喋ったのだろう?
一寸ばかり、辺りをきょろきょろと見回し、声のヌシを探す。
すると、いつの間にやら目の前に現れていた女子おなごが、鈴の音を転がすかのように笑っていた。
 ……もしや、彼女が声のヌシだろうか。私は首を傾げた状態で見遣った。
「もし……今、言葉を発せられたのは、貴女ですかな…?」
「如何にも、今喋りましたのは私でございまする」
「……はて、いつ頃いらっしゃったのでしょう?私、とんと気付かなかったようで、面目無い……」
「いえいえ、此方こそ、ご挨拶遅れまして申し訳ございませぬ…。私こそ、当本丸が主を勤めさせて頂いております、審神者の猫丸でございます。本日は、お忙しい中での定期監査及びご来訪、お疲れ様です。ささっ、客人に茶の一杯も出さぬとあっては失礼でございます、どうぞ中へお上がりくださいまし。今、客間へ案内致しましょう」
「はぁ…、此れは此れは、どうも有難うございます……っ。しかし、私この後も予定が控えております故、どうぞお構い無く。お気持ちだけ頂いておきましょう」
「其れは其れは、大変ご多忙でいらっしゃるようで、お疲れ様でございますね。せっかく来ていらっしゃったにも関わらず、何もお構い出来ずに申し訳ありません。せめてもの気持ちとして、我が本丸の者が作りました菓子をお持ち帰りくださいませ。疲れた時に甘い物を食しますと、疲れも和らぎますよ」
 帰り際、この本丸の審神者より菓子を持たされてしまった。
そんなに疲れた顔を張り付けていただろうか。
 一先ずは、礼を告げて、有難く頂戴させてもらった。
 そういえば、此処のところ、甘味など久しく食べていなかったなぁ。
職場に戻ったら、ゆっくり茶でも飲みながら味わわせて頂こう。
 其れにしても……この本丸の審神者、突然現れたから吃驚した。
何だか、にわかに信じ難い話を聞いた後に現れるから、正直なところ、アレは厄介な客人である私を追い払う為の方便だったのではなかろうか。
だって、そうでないと、あまりに現実離れした話であろう。
 取り敢えずは、審神者の姿も見れたし、無事挨拶する事も叶ったのだから、早々とおいとまさせて頂こう。
よく分からぬが、何となく、あまり長居してはならぬ気配を感じていた気がしたから……。
 そういえば、今日漸く会えた此処の審神者……書類の写真にあったように、猫みたいな綺麗ななりをした女子おなごであったなぁ。赤い紅で引かれた化粧など含め、吊り気味の目尻やぱっちりと開いたまなこは、ほんに猫のようであった。
もしや、其れで揶揄からかわれたのだろうか。
 ……其れにしても、あの黒猫は、一体いつ私の目の前から消え去ってしまったのだろう?考えても分からぬ事は仕方がない。
 早く職場へ戻って、小休止でも良いから休みを取ろう……。
さっきから目の奥が痛い。嗚呼、頭の奥も鈍く痛む……。


 政府役人が帰った後、審神者は自室で貰った茶を飲みながら、まったりと寛いでいた。其処へ、この日の近侍を勤めていた祢々切丸が鷹揚おうようにやって来る。
「良かったのか?」
「何の事でしょう…?」
其方そなた、本丸に居る者以外とは極力会わぬようにしておったではないか。人付き合いが面倒だからと、定期の報告会やら以外で本丸の外へ外出するのを嫌っておっただろう?どういった風の吹き回しだ……?」
「どうしたも何も…単なる気儘に顔を出したに過ぎませんよ。あまり顔を出さ過ぎぬのも、変に疑われてしまいますから。気紛れを起こしただけです」
「成程……まぁ、其方の事だからな。何事も形に嵌まらぬまま、自由で居るが良い」
「では、その通りに」
 美しく微笑んでみせた審神者は、にこりと笑みを浮かべて笑った。
だが、その瞳には、先の役人が見たであろう金の眼がきらりと乗っかっていた。
 そして、最後におまけと言わんばかりに、一つ、鳴いてみせた。
「にゃおーん」
 猫の目をした人の子が、器用に目を細めて笑っていた。


執筆日:2022.02.08