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鳥の如く囀ずる者は猫になる



「そうしていると、まこと鳥のように思えるなぁ…小鳥よ」
 大きな木の太い枝の上、幹に凭れ掛かるように腰掛け、気持ち良く鼻歌を歌っている時だった。
 不意に、本丸を見回るついでの散歩中にふらりとやって来たらしい山鳥毛より、声をかけられた。
「宛ら、鳥の囀りのようだ」
「ちょもの方は、お散歩中ですかい?」
「嗚呼。今日は、よく晴れた心地の良い日だからな。偶には、外の空気でも吸おうと、羽を伸ばしに来たのだ。……小鳥は、日向ぼっこの最中だったかな?」
「ふふふっ……如何にも。我は猫と等しき者故に、こうも日射しが心地好いと、微睡んでしまう訳よ。其れでは仕事にならんと、気晴らしに庭先まで出て来たのさね」
「まぁ、部屋に籠り切りというのも良くなかろう。気が済むまで、ゆるりと羽を伸ばすが良い」
 眼下に見えるすぐ側の下の位置に近寄ってきた彼が、ふと首を傾げた。
「つかぬ事を訊いても良いだろうか…?」
「何ぞ」
「小鳥は、どうやってその木の上まで登ったのだ?誰か通りすがりの長物の者にでも頼んで、枝まで乗せてもらったのか?」
「否、自分で登ったが……其れがどうかしたかね?」
「……いやはや、鶴丸ではないが、此れは驚いた。我が小鳥は、木も登れるのか…っ」
の昔、幼子であった頃は、よくやったものよ。我は田舎に住んでいた者故なぁ、木登りも山や野を駆ける事も一通りにやったものだ。半ば野生に近き感性を持っていたのであろ…。風や草木の揺らぐ音、花の匂いを感じるのが好きだった。其れは、今も同じよ。自然に生きる獣と同じように、自由に生きたい。……いつかは、そのようになれたらと、思うばかりよ」
 木の上に居れば、視界は広まり、遠くの景色まで拝める。
 この本丸の審神者は、まこと人のようで居て、獣のような者であった。
人の腹より生まれし人の子であるのは、まごう事無き事なのは確かなのだ。
けれど、彼女を見ていると、時折此方側の者なのではないか・・・・・・・・・・・・と錯覚してしまうような時があった。
 其れが、今であった。
 木の上で穏やかに風に吹かれつつ寛ぐ審神者は、上機嫌そうに再び歌を口ずさみ始める。澄んだ歌声であった。
 女子おなごとは、七色の声を持つ生き物であると聞き及んでいたが…成程、確かに其れは言えていた。
普段発せられているものとは異なる声音で、彼女は歌っていた。
 まこと、鳥のようである。
そのまま、彼女の背に翼が生えて、人の手など届かぬ何処か遠くへ飛び去ってしまいそうな……。そんな風にすら思えた。
 途端、彼は肝が冷えたのか、焦ったように口を開いた。
「小鳥よ、頼むから…そのまま知らぬ間に何処かへ勝手に飛び退すさってくれるなよ?」
 しかつめらしい顔を向けて言う山鳥毛に、歌を口ずさむのを止めた彼女が、視線を此方へ投げて寄越し言った。
「ふふふっ…そんな怖い顔をすなや。何ぞ、我がまことの鳥にでもなったような口振りではないか」
「すまない……っ。だが、今の小鳥を見ていたら…そのように思えたのだ」
「時に、歌を口ずさみ囀りようとも、我がまことの鳥になる事はあらん。始めに言ったであろ…?」
 言葉を言い終わらぬ内に、木の上よりするり、猫の子のように飛び降りてきた彼女を、寸でのところで滑り込み、抱き留める。
 しっかと受け止めた彼の腕の中で笑う彼女は、こう言った。
「我は人の子――なれど、所詮は猫ぐらいにしかなれぬ、とな」
「……飛び降りるならば、一言そう先に言ってくれ……っ。そもそも、こんな危ない事をそう易々とするものではない。君は嫁入り前の娘だろう…傷が出来てはどうするつもりだったんだ?」
「その時は、誰ぞ貰ってくれるような物好きを探すさ。まっ、暫くはそんな予定も無いから、心配する必要も無いがな。ふはははっ」
「全く……君に、“おしとやかな淑女”という言葉は似合いそうに無いな…」
「良くて、“破天荒”といったところだろう?大人しく娘らしい娘の皮を被っている程、我は女らしく居るつもりは無いぞ。そうさな……いっそ、性別の括りすら要らないくらいの世に居るのが正解な程、曖昧な者さ。其れが、我という人間性を表す。元より、性別なぞただの記号にしか過ぎぬのだから…女も男も好きに居れば良い」
 からからと笑って返す審神者に、反省の色は無い。
此れはまた、堂々と同じような事をやらかすつもりである。
 山鳥毛は呆れた風に溜め息をいて、腕の中に抱える彼女を抱え直した。
万一に落とす事など無きよう、しっかと腕に抱え込んで。
 一文字の組頭に大事に大事にされる審神者や、宛ら“お嬢”と称されるような出で立ちであった。彼女にその自覚があるかは、知らぬ話であるが……。


「ところで、小鳥よ……履き物はどうした?」
「始めから木に登るつもりで居たから、そもそも履いてきていない」
「つまりは、裸足のまま縁側から降り、じかに地を歩いてきた訳か……。室内に上がる前に、一度足を洗わねばならんな。でなければ、歌仙や燭台切といった綺麗好きな者達に、廊下を汚すなと怒られてしまう」
「泛塵の奴にも言われそうだな!」
「僕を呼んだか…?」
「おや、噂をすればというやつかな。すまない。小鳥が裸足のまま外を歩いて木に登っていたのでな、室内へ上がる前に足を洗ってやろうと思っていたのだ」
「何でまた裸足なぞで出歩いたんだ…?」
「いやぁ、何となくそんな気分になったからかねぇ?はははっ!」
「慣れぬ者がきちんと履き物を履かずして歩けば、足の裏を怪我するぞ」
 泛塵と共に縁側の先よりやって来た大千鳥が、淡々とした口調で注意する。
しかし、審神者は相変わらずからからと笑って、意に介した様子は無い。
「裸足の者なら、我以外にも居るぞ?小烏丸や祢々切丸なんかがそうだな」
「屁理屈を言うな。全く…そのまま上がっては廊下が汚れる、このごみが水を張った桶を持ってきてやるから、其処から動くんじゃないぞ主」
「すまん、助かる」
「泛塵が動くのなら、俺は拭く物を持ってこよう」
「嗚呼、頼む」
 ぱたぱたと忙しく去っていく真田組の二人を見送って、二人は並んで縁側へと腰掛けた。
「よく出来た部下だな」
「おうともさ。我の自慢の刀達よ。無論、貴殿も含めてのな」
「ははは……っ、此れは参ったな」
 審神者はまた、嬉しそうに笑い、鼻歌を口ずさみ始める。
鳥が囀ずるように、澄んだ歌声を響かせて。


執筆日:2022.02.12