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不器用人間



※Log伍収録の『鎌首をもたげる影に、季節の巡り、三月みつきの訪れを映す』の続編。
※単体でも読めます。


「貴女、生きるの下手ですね」
 春近くなってきたという兆しを見せた季節の候に、彼は部屋へやって来るなり突然そう言った。
不躾にも程があると思った。だが、口には出さなかった。
 彼は、溜め息混じりに二の句を告げる。
「貴女って人は……もっと器用に生きてみてはどうです?」
 どうやら、審神者の何かしらが彼の癪に障ったらしい。
何が、までは分からなかったが……どうも自分はなじられているらしい、という事だけは理解した。
「不器用なのは今更だろ」
 二の句にして、漸く口を利いたように反論の意を唱える。
しかし、彼は依然として変わらぬ態度で返してきた。
「だから僕は言ってるんですよ、もう少し上手く生きてみてはどうかと…」
「生きるのに、上手いも下手もあるのか?」
「あるから言ってるんじゃないですか……。貴女って、本当鈍いというか、馬鹿というか…」
「はははっ、馬鹿なのは事実だから否定出来ねぇなァ…っ」
「少しは食って掛かるくらいの意地、見せたらどうなんですか」
「いやぁ…いがみ合うのとか、何かもう無性に疲れたというかな……まぁ、そんなんだから、特に何もしねぇかな。黙って受け止めて聞き流してりゃ、その内相手も飽きるだろうしさ」
「其れは、呆れるの間違いなんじゃないです……?」
 呆れた様子でそう言ってやれば、彼女はからからとした笑みを浮かべて笑った。
「かもな!でも、余計拗れて面倒な事になるよかは、黙って嵐が過ぎ去るのを待ってる方が性に合ってる。いちいち色々言い返すのもめんどいしな。何より……前みたいに張り合うみたく言い返す気力も残ってねぇよ。今の自分は、ただなあなあで生きてるだけだから…。争い事は極力避ける。其れでも争い事に巻き込まれた時は、収まるまでをひたすら待つか、仲裁に入って憎まれ役になるだけ。そんなもんだよ、俺の人生。生きてきた価値ってのはさ」
 なんてくらい目して笑ってんですか。
言外にそう言うみたく目を鋭く細めた彼が言う。
「全く……だから、僕は言い続けるんですよ。貴女は不器用過ぎだって」
「はははっ、すまんねぇ。けど、俺は、こんな生き方しか知らねぇんだわ。ずっとコレで来てるからさ。苦労掛けて御免よ」
 そう言って、平気そうな顔を張り付けてからからと笑ってみせる主の憎たらしい事……。
 しかし、宗三は、深く溜め息を吐き出しながらも、喋る事を止めなかった。
「……僕、貴女のそういう変に強がりなところ、嫌いです」
「そりゃ、すまなんだや」
「そうやってすぐ簡単に謝るところも、嫌いです」
「ヘイヘイ、すんませんでしたね、変に癖付いてて」
 どうして、いつも一人で抱え込もうとするんですか。どうして、悲しくて辛くて泣きたくなったとしても、誰にも頼ろうとしないんですか。
 喉まで出かかっていた先の言葉は、言えなかった。
正確には、言わせてもらえなかったのである。
 彼女は……審神者は、そういう人だったから。
故に、敢えて憎まれ役を買って出た彼が、言葉を募らせたのだ。
(辛いなら辛いって、言えば良いじゃないですか。文句なり愚痴なり、溜め込むんじゃなくて、吐き出せば少しは楽になるでしょうに……。“良い主の仮面”を被っていたいのか、いつだって貴女は本音を建前の裏側の遠いところに隠す。…もううんざりなんですよ、いい加減。貴女が一人で苛まれている姿を見るのは……)
 だからこそ、彼は口を開き続けた。
「貴女を苦しめるだけでしかない過去なんて、さっさと忘れておしまいなさいな。貴女は貴女に変わりはないんですから……」
 今の言葉に返される言葉は無い。然り気無く外された視線も合わぬままだ。
 だが、宗三は構わずに続けた。
「過去の為に、繰り返し貴女が苛まれる必要は無いんです…。何故なら、過去はうに過ぎ去った事だから……今を生きる上での通過点にしか過ぎないんですよ。だから、いつまでも引き摺ってないで、そろそろ前を向きましょうよ」
 宗三左文字は、彼女の傍らに静かに座し、言葉を紡ぎ続ける。
 彼の周囲を漂っていた蝶が、彼女の膝元に置かれていた手の上へと止まる。
「過去の悔恨を全て許せとは言いません。…ですが、貴女が貴女で無くなってしまう前に、僕達を頼ってください。何の為に僕達が居ると思ってるんですか?」
 一瞬、彼女の口が何言かを返そうと開きかけた。
――が、其処へ間髪入れぬ様子で再び彼が口を開いた。
「分からない、忘れただなんて誤魔化しは聞きませんからね」
 その言葉に、僅かに開閉はしたものの、結局は其れだけで、何も言わぬまま噤んでしまった。そんな審神者の様子をじ…っ、と見つめたまま、相も変わらず彼は一人でつらつらと言葉を投げかけた。
「愚痴なら幾らだって聞いて差し上げますから、僕達がずっと見守っててあげますから……一緒に先へ歩き出しましょうよ。いい加減、貴女だって飽々あきあきしてるんでしょう…?変わらぬ日々に、景色に、退屈してるんでしょう?なら、とっととその重い腰を上げてお立ちなさいな。貴女に、大人しく鳥籠に収まって鳴いてるだけの姿なんて、似合いませんよ」
 暫く聞くだけに徹していた彼女が、途端、口許を歪めて皮肉そうに笑って返してくる。
「ハッ……言ってくれる」
「何度だって言ってやりますとも。貴女が貴女である為にならば、僕だって世話を焼いて差し上げますよ。大事な貴女を失っては堪りませんからね」
 そう言って、彼は清々しいまでにふてぶてしく笑ってみせるのだった。
なんとまぁ、いけしゃあしゃあと言ってのけてくれるのだろう。
思わず、皮肉にも自嘲とも取れる乾いた笑みが浮かんだ。
 皮肉でも良い、笑ってさえ居てくれれば、まだ大丈夫……。
言外にそう言うかのように、彼は目元を優しげに緩めた。

 春が近付いてくる頃になると、思い出したように陰で苦しみ涙する審神者の為に。ただつらつらと辛辣な言葉を投げかけているようで、実のところは彼女の心に芯から寄り添っていたのである。
 何とも意地らしく思えるのは、果たして何方か。


執筆日:2022.02.14