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君の付けた噛み痕から血が滲む



 極めてから久しくの実戦への出陣だったからだろう。
戦から帰ってきてすぐ見えなくなった部隊長の姿を探したら、本丸の隅……資材などを仕舞っている蔵の奥隅っこで蹲るようにして座り込んでいた。まだ戦装束から着替えていないどころか、付着した返り血も落とさないまま、己の本体を抱いて壁に背を付けるように蹲っていた。
 なるべく刺激しないようにと、努めて優しく声をかけながら近付く。
「どうしたの……? 久々の出陣だぁーって、あんなに嬉しそうに出て行ってたのに。何がどうしたらこんなとこでボッチで居るんですかねぇ、御手杵さん…?」
 ここ暫くは前線に回されず、後方部隊での支援に回されていたが故に、切っ先でも鈍ってしまったのだろうか。其れならば、責は采配を振る私にあるのだが……。しかし、彼の口から直接聞かねば、本当の訳は分からない。
 彼の前で一緒のポーズを取りながら、待った。すると、暫くして、顔を上げずのままの彼が掠れた声で答え始めた。
「……俺、今回…久し振りの出陣だったからさぁ……本当は、凄く嬉しかったんだぜ…? また、戦に出してもらえる…あんたの役に立てるんだ……って」
「うんうん……其れで?」
「部隊長を任された事も嬉しくってさ…俺、滅茶苦茶張り切っちゃったんだよなぁ……」
「そりゃ良かったじゃないの。だのに、どうして君はこんなとこで腐ってるんだい…?」
「俺は、良かったんだけどさ……そのせいで、あんたに迷惑掛ける訳にはいかないと思って……帰城してすぐあんたから避ける為に此処に逃げた…」
「……うん? 何で今の流れで俺に迷惑掛けるだなんて思ったんだ?」
 彼の言っている意味が分からずに、首を傾げて怪訝な顔を作って問うと、此処に来て初めて顔を上げた彼がやけに熱の込もった目で此方を見遣る。
「今の俺…たぶん、今のあんたには手が余る状態だろうからさ……あんたには良くない事だろうと思っての事だったんだ…。何も言わずに居なくなっちまった事は悪かったけどよ……あんたを傷付けたくは無かったんだ。……あと、嫌われたくもなかったから……その、御免…」
 そう申し訳無さそうに吐露した彼は、気まずげに顔を背けて目を逸らす。心無しか、顔が少し赤らんでいるように見えた。
 ……成程、久々の戦に昂った己を律する為にも一人此処に居たという訳らしい。なんて気の優しい奴か。そんなところが嫌いになれないところだという事を、彼は気付いているのだろうか。否、気付いていないのだろう。故に、今、目の前の彼は申し訳無さげに大きな体を小さく縮こまらせて蹲っているのだ。なんてい奴なんだろうか。
 無性に愛しくなってしまって、私は火照る体を持て余しているらしい彼の横顔へと触れた。刹那、一瞬だけビクリと跳ねた肩に、内心でクスリと笑む。構わずに、彼とは違って温度の低い掌をヨシヨシとするみたく滑らせていると、息を詰めていた彼が堪らず盛大に吐き出して此方を向く。漸くまともに視線が合ったな、と思った。彼が、不貞腐れた風に眉間に皺を寄せて、唸るように地を這うみたいな声を発する。
「俺…今、警告したよなぁ? 容易に近付いてくれるなよって」
「おや、そういう事だったのかい…? 遠回しに言われちゃあ、俺莫迦ばかだから分かんないよ。何か伝えたい事あんなら、もっとはっきりと言ってくんなきゃ」
「…っはぁーーー……。此れじゃあ、俺が自制してる意味無いんだけどなぁ…?」
「ははっ、何を我慢する必要があるの?」
「……俺は一応警告したからな。其れをあんたは無視したんだから…何されたとしても文句は言えないぞ」
 最後の警告とばかりに宣言した彼に頷き、だがその場から去る素振りすら見せなかった私に、とうとう彼は陥落したらしい。おまけの言葉がコレだ。
「もう好きにしてくれ……っ」
 その台詞は、何方かというと私が言う立場だったんじゃなかろうか。相変わらず優しく甘い彼に、私は笑いを堪え切れずに零した。
「じゃあ、遠慮無く、お前の気が済むまでこの場に居座らせてもらうよ」
「あんたなぁ……っ、少しは危機感ってものが無いのか?」
「危機感も何も、相手は俺の槍で大事な部下だぞ…? 何を遠慮する必要があるんだか、逆に問いたいくらいだね。俺は其れくらいお前の事信頼してるし、我が儘言われても良いって思ってる」
「……その言葉、あとから後悔しても遅いからな」
 冷めやらぬ熱を持て余した彼の熱い手が、私の手首を掴んだ。そして、そのまま、太く長い四肢の囲いの中へ私の身を引っ張り込んで閉じ込めてきた。抵抗はしない。というか、端からする気も起きない。ただ黙って彼の遣りたいようにを見守った。すれば、私の身を抱き竦める彼がぽつりと口を開く。
「抵抗しないのか……?」
「全然。する気も無ければ、する必要も無いと思ってるから、しないよ」
「少しはしてくれた方が、俺も収まるんだけどなぁ……っ。このままじゃ、変な勘違いしちまうかもだろ…?」
「良いんじゃない、今くらいは」
「怖く、ないのか……?」
「相手がぎねじゃなかったら怖かったかもしんないけども、相手がぎねだからねぇ…怖がる必要性も無いかな」
「……あんたって、何で其処まで肝が据わってるんだよ…」
「さぁな! 少なくとも、今のくらいでお前の事を嫌いになんてならないから、安心しな」
「……本当、あんたのそういうとこ狡いと思う…」
 そう呟いたキリ、彼は項垂れたように私の肩へ頭を凭れ掛からせて沈黙した。あまりに動かなくなったから、心配して「ぎね……?」と小声で声をかけると、返事を返す代わりに強くぎゅっと抱き締められた。ちょっと苦しい。けれど、やはり許して、そのまま彼の背をぽんぽんと叩いてやっていたらば、私を抱き竦めたままの状態で彼が熱い息を長く盛大に吐き出した。本当に熱い吐息で、息の触れた箇所の熱さに驚く。其れでも尚彼の好きにさせていたら、彼が堪え切れぬといった風に想いを吐露してきた。
「ちょっとだけ…このままで居させて……ッ。あんたは擽ったいかもしんないけど……」
「いや、別に構わないから良いんだけどさ……」
「悪い……暫くしたら、収まると思うからさ……そしたら、あんたの事も解放してやるから…其れまで付き合ってくれ……ッ」
 何処となく辛そうな、苦しそうな訴えだった。そんな訴えに断る術も何も無かった私は、ただただ首を縦に頷いて受け入れるだけだった。
 頬に宛がったままの手が、掴まれたままの手首が、燃えるように熱かった。火照る彼とは対照的に体温の低かった私は、彼の熱を冷ます為の良い材料だったようである。末端冷え性である私の冷たい手に、縋るように頬を擦り付けてくる彼。次いで、熱で潤んだ瞳に射抜かれたみたく捕らえられた。
「嫌なら、拒んで…逃げて」
 そう告げた彼の熱い唇が頬へ落ち、首筋へと滑っていく。彼の昂りが伝染したみたく私も次第に火照っていくのを感じた。けれど、やはり彼と比べたらまだまだの温度で、生温いものだった。
 片手に槍の柄を握ったまま、私を抱き込み、露出した肌の部分へ口付けていく。堪らなく擽ったいものだと思ったが、決して嫌ではないと思ってしまった。其処が付け入る隙なんだ、という話であろう。
 ちゅ、ちゅっ……と静かな口付けは至るところへと落とされた。掌の内側や、手首の裏側、頬、目蓋、額、鼻頭、耳、首筋、鎖骨……兎に角、服に隠れず露出していた部分は全てといった具合に口付けられた。いい加減、もどかしいような焦れったい気分になってきた。肝心な場所へは口付けられなかったせいである。恐らくは、敢えて避けているのだろうとさえ思えた。耐え切れなくなった私は、とうとう自ら強請ねだるみたく告げてしまった。
「ね、ねぇ、ぎね……っ? さっきから色んな場所にキスしてくるけど…肝心な場所へはしなくて良いの?」
「……口へのキスは、俺みたいなのが安易にしちゃ駄目だろ…? 其処は、大事な奴の為に取っておきなよ」
「其れじゃあ生殺しみたいな状態になるんですけど………ッ」
「えっ……?」
 不意に、彼が意表を突かれたとばかりに驚き、行為を中断させる。私は、そんな彼を涙目の上目遣いで見上げながら軽く睨み付けた。
「でも……俺、単なる昂りを抑え込む為にあんたを利用してるだけだぞ? 其れなのに、ちゃんとした口付けまでしちまったら…俺、正気保てるか自信持てないぞ……」
「そ、そんな建前、今更どうでも良いからさ……! この期に及んで、まだ遠慮する気…? というか、この先を女の俺に言わせる気かよ」
「ッ……!? で、もだぞ……! 本当に良いのか? 後悔しないか?」
「だから、今更だっての……。早くキス、してよ……このまんまじゃ、どっちみちお互い生殺しでしょ? だったらするの一択しか無いじゃん」
「ッ〜〜〜! ……本気で後悔しても知らないからな!」
 言い終わるや否や、ぶちゅっと勢い良く唇へのキスをかましてきた彼。その勢い故に、噛み付かれるかと思った。口へのキスで、些か箍が外れたのか、其れから暫くは遠慮が無かった。彼の大きな口で口を塞がれ、此れでもかという程に蹂躙される。
 ひたすら苛め倒されて、私がすっかり力の抜けてしまう頃になって、漸く長くしつこい口付けから解放された。その頃には骨抜きになっていて、彼の支え無しではまともに座っている事さえ出来ぬ有り様であった。其れに気付き、慌てた彼が焦ったように謝罪を口にしてきた。
「おわぁあーっっっ!? ご、ごごご御免!! すっかり俺のペースだったよな!? 途中からマジになっちまってたよな!? 本っ当御免……ッ!! だ、大丈夫か……?」
「た、食べられるかと思った…………っ」
「へっ? た、食べるって…何の事だ??」
「お前に…俺が、食べられるかと思ったって言ってんの……」
「なっ……!? あ、あんたを食べる訳無いだろぉ!? 縁起でも無い事言うなよぉ…っ!!」
「……らって……ぎね、体大きいし、口もデカイから…キスされてたら……何か、食べられてるみたいな気がしたんだもん……っ。嫌じゃ、なかったから…良いんだけども……」
「ん゛ぐッ……! 確かに其れはそうだったかもしんないし否めないけどもさぁ……ッ、今この時にソレ言うのは不味いって………」
「え……何れ…?」
 今の長いキスで舌が痺れたのか、喋ろうとすると縺れて若干呂律が怪しかったが、何とか喋り、そう問うて彼を見つめたら、彼が大層真っ赤な顔をして固まっていた。何だ、今度はどうしたと言うんだ。力の入らぬ体でコテリと首を傾けたら、喉の奥で獣みたく唸らせた彼が堪えた風な顔をして言う。
「ただでさえ理性保つのがやっとの状況で、んな煽られる事言われちゃ……勢い余って組み伏せちまうかもだろ? 現に今…二人きりの状況だし、誰の邪魔も入らない場所だし……っ。だから、此れ以上煽るような真似やめてくれよ……ッ。本気でどうかしちまいそうだからさ………」
「……仮に、煽ったらどうなんの…?」
「あんたの事、犯しちまうかもな……此れは冗談抜きで言ってるんだぜ?此れ以上は、もう止められる余裕残ってないんだ……っ。逃げるなら今の内だから、嫌なら逃げた方が良いぜ……ッ。此れは、あんたの為を思って言ってるんだ……頼むから、拒んで、俺を止めてくれ……ッ。でないと、本気であんたを犯しそうで――…」
「嫌じゃないって言ったら、どうすんの……?」
「はっ…………?」
「ぎねになら、そういうの…許しても良いよって言ったら……怒る?」
 途端、彼は硬直した。変な顔だった。私は、本気だった。今なら、彼に全てを委ねても良いと思えたのだ。気が狂った訳では無かった。
 暫し、彼は顔を覆い、天を仰いで深呼吸した。のちに、欲にギラつく目を隠す事無く此方を射抜いてくる。
「……本気でもうやめられないぞ、良いのか? 俺は幾つも逃げ道を、逃げれる選択肢を与えた……でも、あんたはそのどれもを跳ね退けた。……俺に喰われるかもって覚悟は出来てるんだろうな?」
「どっちみち…お互いこのまま放置はキツイだけだと思うんだけど……」
「…本当に、冗談抜きで戻れないからな……。この先、待てって言われても止まれる自信無いから……やめるなら今だぜ?」
「ぶっちゃけ言わせてもらうけどなぁ……今こうして問答繰り返してる間も既に結構限界来てるんですけど……その責任は取ってもらえるんですかねぇ?」
「ッ〜……!! もうどうなっても知らないぞ……!?」
 直後、ガランッと大きな音を立てて放られた本体の槍に、驚く間も無くがぶりと首筋へと噛み付かれた。途端、意図せぬ声が口から迸っていき、反射で体を捩った。けれど、力強い彼からの拘束が其れを制した。
 次いで、袴の開いた隙間から熱い掌が差し込まれ、腿の裏側からお尻の方へと這われる。堪らず、ビクリと体を跳ねさせ、腰を引きかけた。勿論、其れも彼によって妨げられ、より一層腰を引き寄せられた後、硬くなった猛りへと押し付けられた。
 熱い吐息が、乱れ洩れ出た喘ぎ声が、耳から直接脳へ捩じ込まれるみたいな感覚に陥って頭が蕩けてしまいそうだった。ドクドクと五月蝿うるさい鼓動が耳元で聴こえてくるようだ。
 ――その内、沸騰したみたいに熱くなった頭に気を遣ったのか、意識が遠退き、気付けば自室の布団の上に寝かされていた。
 首を巡らせると、側には私が失神するに至った原因の本刃ほんにんが看病の為に付いていて、氷嚢を乗せる代わりに冷水で濡らした手拭いを額の上へ乗せている最中であった。目を覚ました事に気が付くと、彼は慌てて謝罪を口にしてきた。デジャヴである。
「あっ…気が付いたか!? 良かったぁ〜……っ!! 俺、遂に暴走してあんたを殺しちまったのかとヒヤヒヤしたよぉ〜! 無事に目が覚めたみたいで、本当に安心したぁ〜……っ!!」
「……え…な、え…? 御免…俺、途中から記憶無いんだけど、あの後結局どうなったの……?」
「俺が勢い余ってがっついてたら、あんた目ぇ回してたみたいでさぁ〜。もう本っっっ当焦ったんだぜ? 突然死んだみたく動かなくなるし……冗談抜きで肝が冷えたぞ……っ」
「あーっと……何か、御免……」
「良いよ。元々悪いのは俺の方だし。兎に角、今度からはもうちょいセーブしながらする事にするわ……。取り敢えず、あんた、強気な割には案外初心ウブというか、純真無垢だったんだな…?」
「うるせぇやい……っ」
「へへっ……でも、あんたのそんなところも可愛いし、好きだぜ、俺」
 いっそ殺してくれた方が良かったというくらい恥ずか死ねる展開であった。
 次は気絶しないようもっと頑張ろうと誓った。絶対気絶しない自信は無いけれども。
 その後、何だか首筋がヒリヒリする気がして鏡を覗き込んでみたら、彼に噛み付かれた場所にくっきりとした大きな歯形の痕が付いている事が判明した。思わず噛み付いた張本人を振り返り見たが、罰の悪そうな申し訳無さそうな眉を下げた情けない顔で以て見つめ返された為、何も言えなかった。代わりに、無言の圧力だけを掛けて正面へと顔を戻す。此れは、暫くは消えないだろうな……と半ば諦め、取り敢えず微妙に血の滲む様子を見せる痕に、治療の為の薬を薬研に貰いに行こうと腰を上げた。ついでに、このくっきりと残る盛大な噛み痕を隠せるような何かを貰って来ねば……。恐らく、野次ヤジられるのは確実だが、まぁ原因は背後にくっ付いてくる男のせいなので、容赦無く責任を押し付けてやろうと思うのだった。
(まぁ、其れだけ愛されてた……って事にしとこうかね)
 血が滲む程に、くっきりと痕が残る程に噛み付かれたのは、きっと其れだけ好かれていたんだろうと自惚れるくらいは許してもらえるだろう……?


執筆日:2022.03.20
公開日:2022.03.24