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闇夜に潜む不気味なナニカ



 不意に目が覚めた。
まだ夜明け前の室内は暗く、目蓋を開いた先に映った視界は、寝起きも相俟ってぼんやりとしていてよく見えなかった。
 どうして目が覚めてしまったのだろう。さっきまで夢を見ていた気がするのに。目が覚めてしまったせいか、先程まで見ていた筈の夢は既に朧気で、霞の向こうに消えてしまったかのように記憶が曖昧だった。どんな内容だっただろうか。少なくとも、嫌な夢や怖い夢の類では無かったと思われる。
 ぎしり、畳を踏み締める音が近くから聞こえてきた気がして、其方の方へと意識を移し、寝惚けまなこを向けた。
 すると、暗がりの中、自身が横たわる布団の側に何者かが立っていた事に気付く。
 こんな時間に誰ぞが訪ねてくるなんて、有事の時を除けば無い事だと思っていたのだが……。一先ず、相手は誰だろうかと、寝惚け眼ながら暗闇の中、目を凝らして見つめてみた。
 しかし、幾ら目を凝らそうとも、相手の姿はぼんやりとしか浮き上がって見えず、誰なのかはっきりとは判別出来なかった。其れでも、僅かに見えた緑色らしき色をしたズボンの裾や、頭のてっぺんの見えぬ身長の高さから、槍である彼だろうかと当たりを付けて名を口にした。
「御手杵、なの………? こんな朝早くに…どうしたの……?」
 寝起きだからだろうか、己が発した声は掠れ気味で小さな声音でしかなかった。だが、相手には届いたのか、側に突っ立っていた彼が僅かに身動ぎ、その場から動く事無く此方を覗き込むように背中を丸めてきたように見えた。
 そして、彼がにんまりと大きく口を開いて笑ってみせた。
『ぁ゛あ……る、じぃ…?』
 刹那、御手杵と思っていた彼は御手杵ではないのだと気付いた。
 彼は――否、此奴は、一体何なんだ……?
 瞬間、言い知れぬ恐怖が全身を駆け巡り、支配した。残っていた眠気など、すっかり霧散している。瞬時に頭は覚醒し、事態の異常さを理解した。
 相手がどう動くかの予測が出来ず、下手に動けないと、嫌な緊張が体の動きを金縛りで布団へ縛り付けてくる。
『あ゛、る、じぃ……? そこに、いるんだろぉう?? あぁ…る、じぃ……っ』
 割れたような声を発する奴は、相変わらず不気味な笑みを浮かべて此方を見ていた。
 背中を薄ら寒いものが駆け下りていく。思わず、息を詰めて、敷き布団のシーツを握り締めた。
 直後であった。
 突如、ずぷりと障子越しに目の前の存在へ長く太い棒状の物が突き刺さる。そして、目の前の存在を貫いた鋭き切っ先から赤い何かが滴り落ちる。
「俺の主に何の用だ…? お前みたいな得体の知れない奴、主の知り合いに居ない筈なんだけど……どっから入り込んできた? 目的は? 主に危害加えるつもりなら、容赦無くお前の事殺すけど――良いか?」
 障子越しに、はっきりと確かな御手杵の声がした。言葉は可否を問い掛けるような響きであったが、実際のところは一つの選択肢しか許さぬものであった。
 けれど、真の彼の声に、少しだけ安堵の気持ちが戻ってくるのを感じた。嗚呼……この声は本物の声だ、と。姿は見えなかったが、何故か不思議とそう確信出来たのである。
 目の前の存在が狼狽えたような様子を見せて蠢く。
『ぁ゛、ぁああ……? あぁ゛るじぃ、あ゛…る、じぃ……っ、』
「だからさぁ……其奴、俺の主だから。お前のじゃないし、お前みたいな奴に絶対渡してなんかやらねぇから」
『う゛ぁ、ぁあ゛ぁ゛………っ、――る、じぃ…』
「しつこいぞ、お前。消えろよ」
 ぶしゃり、貫いていた切っ先がそのまま横へと薙ぎ払われた。途端、大きな血飛沫が障子戸へ盛大に飛び散り、白き紙面を赤く染め上げた。薙ぎ払われた存在は、その後、靄が消え失せるみたくボワリと不気味な色を残して霧散し、消えて居なくなった。
 あっという間の、一瞬の出来事であった。
 緊張が解けぬまま呆然と布団の上で固まったままで居ると、カタリと閉め切っていた障子戸が引かれ、抜き身の本体を携えた状態の御手杵が室内へと入ってくる。
 次いで、外からの月明かりで、彼が真に御手杵である事を認識した。
「いきなりの事で吃驚したろ。大丈夫だったか…? 今の奴に、何かされたりとかは無かったか……?」
「……だ、大丈夫……っ、何もされてない……っ」
「そっか。無事に済んだのなら良かった……っ。今の奴、一体何時いつどっから入ってきたのかは、後で源氏やにっかりとか御神刀組に調べてもらうとして……取り敢えずは安心して良いと思うぞ! 害のある奴は、俺が追っ払ったからさ!」
 そう安心させるように柔らかに穏やかな表情で笑んでみせた彼に、一先ず安堵して、金縛りにあったみたく体の自由を奪っていた緊張の糸を解いた。
 眠気はすっかり吹き飛び、目も冴えてしまった。二度寝しようにも、部屋の惨状が惨状なだけに出来そうもない。
 明かりを点した部屋に広がる惨状を目にしながら、憂鬱な気分になった。
 此れは酷い……としか言えないような状況が、先程まで寝ていた筈の部屋には広がっていた。
「うわぁ〜、結構派手に飛び散っちまったな……。血飛沫、天井にまで飛んじゃったかぁ……悪い。もうちょい考えてから殺れば良かったな〜。せっかく寝てたとこの部屋汚して御免なぁ〜、主…っ」
 返り血を滴らせる切っ先を腕に挟み袖口でグイと拭い去る彼が、同じく惨状の有り様を見遣りながら呟く。その申し訳無さそうな謝罪に、一先ず助けてもらった事の御礼を述べた。
「いや…助けてもらった側としては、其処まで咎めたりはしないよ。寧ろ、こんな夜明け前の時間帯にも関わらず、私の危機に気付いて駆け付けてくれて有難うって思ってるから。本当に助かった。心の底から感謝してる……っ」
「ん……でも、主を危険な目に遭わせちまった事は事実だし…変な奴の侵入を未然に防げなかった事も事実だ。綺麗だった布団も血で汚しちまったし……っ」
「終わった事を何時までも引き摺ってても仕方ないよ。私はお前のお陰で助かった。其れだけで十分さ。布団は……上に被せてるカバー棄てるだけで事は済むから大丈夫よ。部屋も、きちんと落とせば元通りになるから。……まぁ、障子は流石に全部張り替えになりそうだけども。血の付いた木枠の部分も落とさなきゃね」
「うへぇ……っ、歌仙とか長谷部にこっぴどく叱られそう……っ」
「その時は私から口利きしてあげるから、そう落ち込まないで……! ほら、御手杵も服汚れちゃってるし、着替えてきなよ。私は、今の騒ぎで起きただろう短刀の子達と一緒に居とくから」
「あー…其れもそうだな。既に其処まで来ちまってるみたいだし、事情は俺から話しておくから、主は気にせずゆっくりしててくれ。…あ、でも、報告書作成とかしなきゃいけないなら、そうゆっくりしてる暇も無いかぁ……っ。今回の事、きちんと上に報告しとかなきゃ不味いもんなぁ〜。お役所勤めってのも楽じゃないなぁ……」
 そう言われ、彼の投げる視線の先を追うと……。確かに、短刀の子達のものと思われたし影が障子戸に映り込んでいた。次いで、先頭に居たのだろう平野と前田が、開かれたままの入口から顔を見せる。
「ご無事で何よりです、主様。後の始末は我々にお任せください」
「主君の御身は、僕達が御守り致します故……! ささっ、此方へどうぞ。その場に居座るのは些か居心地が悪いでしょう? 皆の居る部屋まで一緒に移動しましょう」
「あ、部屋出る時、足元気を付けてくれよ。畳の方にも少し血ィ垂れちまったみたいだから」
「入口近くの畳は、もう駄目ですね。後で処分に回すよう、回収班に伝えておきます」
「俺達が来たからには、もう大丈夫だぜ、大将」
「うわ、心強い」
「にしても派手にやったなぁ〜、御手杵」
「俺もコレはちょっとやっちまった感あるから、言わないでくれよぉ〜……っ」
「取り敢えず、御手杵さんも早く服着替えてきなよ!」
「おう。でも、皆に事情伝えとかねぇといけねぇからさ〜」
「あ、其れならもう俺達が伝えておいたから、大丈夫だよ!」
「粟田口連絡網を舐めるなよ」
「うわ、仕事早いッ」
「そーいう訳だから! 御手杵さんはちゃっちゃと服着替えて、主のとこに戻ってあげてねーんっ!」
 鯰尾と骨喰の二人が無邪気にウインクを飛ばして報告してくる。本当に仕事が早い限りである。
 粟田口の短刀の子等に連れられて自室兼寝室を出る。
 夜が明けて日が昇った後は、大変な事になりそうだ。
 今日一日の始まりの壮絶さを思いつつ、私は粟田口部屋で夜が明けるまでを待つのだった。


執筆日:2022.03.28
公開日:2022.03.30