少しだけ息抜きをしようと、籠り切っていた部屋から出て、離れの間より母屋の棟へと移動する。そしたらば、道中、通りすがりの大倶利伽羅と顔を合わせる事となった。
審神者は、疲れの色の見える顔を隠しもせず、軽く手を上げて彼へ声をかけた。
「や、伽羅ちゃん。調子はどう…?」
「特に変わりは無い。俺の事を心配するよりも、まずは自分の心配をしたらどうなんだ……? あんた、今、自分がどんな顔をしてるか自覚してないだろう」
「うぇ……そんな疲れた顔張り付けたみたいな顔してまっかね……?」
「疲れ云々を通り越して、少し顔色が悪いように思える。血色も良くないな……」
「あ゛ー……まぁ、俺、ずっと起きてるし、前日の寝不足も祟ってるだろうからな…。あと、この大事な時期に生理来てさ……ちょっち体しんどい」
「月のものか……。其ればかりは俺達が代わってやれるような事じゃないからな…何とも返しづらいな。だが、今、無理をする事はお勧めしない。花冷えも重なっている事だ、なるだけ体を冷やさないように上着を重ねて温かくしていろ。前にやった俺の古い腰布があるだろう…? アレでも羽織るか腰に巻くかしておけ」
「嗚呼、伽羅ちゃんのお古のヤツね。うん、後で部屋に戻ったら腰にでも巻いとこうかな。……あ、でも、この後の事考えたら一旦休むの挟んだ方がえいかなァ…」
額を押さえるようにして俯いた審神者は、溜め息混じりにそんな事を呟く。発する声音からも疲れが滲み出てきているのを察した彼は、こんな廊下のド真ん中などではなく、きちんと休める部屋にでも移動するかと思索し、然り気無く彼女を誘導するように促す。
「立ち話をするのは構わんが、籠り切りだった部屋から出て来たのを見るに、何かしら用があって移動してたんだろう…? そっちの方は良いのか……?」
「あぁ、うん……。実は、さっきこんちゃんから戦況の報告を受け取ったんだけど、どうもまた群敵の侵寇が予測されたらしくって…其れが、到達する時刻は今日の夕方十八時頃だって話で……。こんちゃん曰く、その侵寇が敵増援の最後となるだろうって……。その件を皆に伝達しようと思ってたとこだったんよ。今のとこ、ウチの部隊は、おもに残党狩りにしか出撃出来てないから、出来たら今回こそウチもと思ったんだけど……俺、この状態だから…ちょっと、夕方まで持たないと思うんだよね……っ。本当情けなくて申し訳無い限りなんすけども……」
「嗚呼…あんたは無理せず、休める内に休んでおけ。幸い、今はどの防衛ライン上も落ち着いていて、戦況は全線有利の状況でオールグリーンを保っている。仮に、一つ分の本丸部隊が一時後退したとしても、常に何処かしらの他本丸の部隊が出撃していて、随時敵の撃破に当たっている……。あんたが無理を重ねずとも、防衛ラインは守られているから安心しろ。三日月の防波堤も問題無く機能しているし、あんたが休んでいる間も俺達が警戒を怠らない」
「うん……そうする。伽羅ちゃんの方は…?」
「俺は、今しがた寝ずの警戒に当たっていた部隊と交代してきたばかりだ。だから、暫くは動き通せる」
「じゃあ…千代ちゃんと交代で近侍役、頼んでも良い……? ちょっと交代には早いかもだけど、もしもの時に備えて夜戦対応出来る子の方が良いように思えてさ」
「分かった。なら、このまま俺は千代金丸や他の奴等に伝えてくる。あんたは先に部屋へ戻って寝ていろ。水分補給用の水なら、後で持っていく。……もう其れ以上余計に動くな、体に障る…。大人しくしていろ」
「はぁい……っ」
言い聞かせる
彼は俄に眉根を寄せて、そっと手を離し、踵を返す。
「すぐに戻る。だから、そう心配するな。あんたの事は、何としてでも俺達が守る。俺達の強さは、あんたのよく知るところだろう……? 言っておくが、此れは過信で言ってるんじゃない。俺は、あんたのその信頼を裏切るつもりは無いという事を示す為に言ってるんだ。履き違えてくれるなよ」
淡々とした口調ではあったものの、耳に届いた声音は優しいものだった。審神者は、小さく笑みを浮かべて頷きだけを返す。そして、のそのそと鈍い足取りで自室へと引き返していった。
その背中は、随分と小さく、不安定なように見えた。大倶利伽羅はなるべく早く彼女の元へ戻ってやれるよう、足の動きを速めるのだった。
少しして、水差しを乗せた盆を携えて彼女の部屋へと訪れた大倶利伽羅。
彼は、其処で寝ずに居る……というよりかは、眠れずに手持ちの小型の端末で現況を確認している彼女の姿を目にし、溜め息を
大倶利伽羅は徐に口を開いて苦言を呈した。
「俺は、休むよう告げた筈で、余計な真似はせずに居ろと言った筈だったんだが、何であんたは今も尚端末に齧り付いているんだろうな……?」
「すまん……つい、気になって寝れる気がしなくて……っ」
「不安な気持ちは分からんでもないが、今は少しでも休んでおけ……っ。さっき見た時よりも血色悪くなってるぞ…」
「一応、布団に横になってるから、少しはマシかなぁーって思ったんだけどなぁ……」
「ただでさえ連日の寝不足なのが祟ってるところに、大侵寇のせいで気が休まらないのも理解している……。だからこそ、今は少しでも良いから寝ろと言ってるんだ。今なら戦況も落ち着いていて、休憩を挟むには丁度の頃合いだろう……? 分かったのなら、もう目を閉じていろ。目の充血も酷いの、気付いてないだろ……」
「あ゛ー……寝不足だったからなぁ…おまけに、ずっと起きてた&ぶっ続けの目ェ酷使でドライアイやべぇ。目薬は定期で
「出来れば、その口も閉じて黙って休んでいて欲しいんだがな……。今は話す事よりも休む事のが優先なんで。あと、見え透いた空元気装ってるの、バレてるからな。……だが、まだ何かあるなら、今の内に吐いておけ。聞いておいてやるから」
「ん……伽羅ちゃんは相変わらず優しい子やね」
「良いから早く吐け。でなければ、俺は出て行くぞ。話し相手なら光忠や貞宗のが適任だろ」
「すまんて。天の邪鬼故のムーヴだから許して。今、話すから、伽羅ちゃん行かんといて……!」
盆を枕元側に置くなり部屋を出て行こうとする動きを見せてやれば、慌てたように切実な訴えで以て引き留めてきた彼女。最初から回りくどい事などせずに単刀直入に言えば良いものを……と思いはしたが、口には出さずに内心だけに留めておく事にした大倶利伽羅は、浮かしかけた体を元の位置に戻しつつ話を聞く姿勢に入る。其れに安堵した審神者は、彼の方へ寝返りを打ちながら口を開いた。
「前以て謝っとく……俺、たぶん、今寝たら、最悪群敵接触予定時刻になっても起きれないかも……。そん時は、御免……っ」
「何故謝る……?」
「いや…だって、こんな非常時に“何暢気に構えてんだ”って追及されても、マジでぐうの音も返せねぇ立場だからさァ……っ」
「他所には他所の遣り方があるように、俺達には俺達の遣り方があるだろう。あんたはあんただ、他と比べる必要は無い。今、重要なのは、休める内に休む事……其れだけだ」
「うん……其れは、もう十二分に分かってんよ。流石に、頭重いし、何か奥の方が鈍く痛み出したのもあるしね。元より、血の道症からか腰の痛みやら体の倦怠感やら来てたし……そろそろ限界だったんだろう事も把握してるさね。だから、此れが最後……!」
「…何だ」
布団の上に横たわる彼女の傍らに座して優しげな声音で聞き返す彼が、労りの視線で以て見つめてくる。其れに甘えるように、一つ瞬きをして、胸で疼く蟠りを吐き出した。
「……もしもの事があったら、容赦無く叩き起こして。そうじゃなくとも…侵寇近くの時間になったら起こして……。最悪、ウチの本丸に影響出そうな兆し見えた時でも構わん…。非常時に役に立てないのは、嫌だからさ………ッ」
周りの目を、言葉を、誰よりも気にしてしまう質故の事なのだろう。彼女は眉間に皺を寄せて苦しそうに、そう吐き出した。
そんな審神者の不安を聞き届け、彼は静かに口を開く。
「宣言通り、あんたの言いたい事は聞いてやったからな……。いい加減、もう寝ろ。此れ以上寝なければ、あんたの一番の信頼を寄せる初期刀様とやらを呼んでくるぞ。其れか、同田貫辺りとかな。いっそ、他の奴等も皆纏めて呼んできて、強制的に寝かし付けてやろうか……?」
「其れだけは御免被り
「なら寝ろ」
不意に、サッと目の前の視界が暗闇に閉ざされる。彼が目蓋の上に掌を翳し、無理矢理にも視界を閉ざしたからだろう。些か強引ではあるものの、その優しい温もりに彼女は大人しく目を瞑った。
審神者が大人しく眠る体勢へ移ったのを認め、目を塞ぐように翳していた掌をそっと目蓋の上から退ける。そして、その手の甲をそのまま頬へと滑らせ、緩く撫ぜた。触れた頬は、血の気の薄れた、低い温度であった。
その柔肌を、彼は労るように触れ、静かに零すのだった。
「あんたを曇らすものは、俺達が払ってやるから……今は静かに寝ていろ。寂しがり屋のあんたの為に、目覚めるまでずっと側に付いていてやるから…」
本丸の要のもう一つを守る倶利伽羅龍は、ただただ優しい温度で傍らに寄り添うのであった。
執筆日:2022.04.02