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一人暮らし始めました



 ある日、審神者が言い出した事であった。
「えっ、主が一人暮らし始めるって……!?」
「うん」
「本気で言ってるの!?」
「うん、マジだよ。親にも既に話通してあって、ちゃんと了承も得てる。家賃の支払いとかも、最初の内は親が負担するって聞かなかったから半年くらい……? は払ってもらう予定だけども、自分の給料だけでもやっていけるってなったら、自分の貯金の方から支払うって約束してる」
 話を聞いた光忠は、大層驚いた様子で色々と質問攻めにしてくる。
「どうして、急に一人暮らしするって決めたの……? ご実家の方で何かあった?」
「いや、そういう訳では無いから……っ。あと、実質的には前から考えてた事だから、そんな急って程でもないよ」
「でも、今までそんな素振りというか、そういう空気微塵も無かったように思えるけど……」
 これまで本丸で過ごす時の彼女の様子を思い返し、頭を捻る彼は納得の行っていない顔付きで聞き返す。其れに、審神者は少し俯きがちになって答える。
「実家が嫌になった訳じゃないのは確か……。だけど、ずっとこのまま燻って引き籠ったままなのも駄目だと思ったの。少しずつで良いから前進しよう、色んな事に踏ん切り付けて歩き出そうって……。俺が今みたいに人間不信になった理由は、前に話した事あるだろ……?」
「あぁ…うん。主が審神者になる前に勤めてた会社が実はブラックで、いざこざあった結果心身共に病んじゃって、家庭の事情も重なって辞めちゃった……って話だったよね。其れが、今回の話と何か関係があるのかい……?」
「いい加減、俺も動き出したいんだ……。何時いつまでも家に引き籠ったまま燻ってるのは、もう飽々あきあきしてるんだ。同じ景色ばかり見てるのも飽きた。だから、そろそろ一歩前へ歩み出したくって……っ」
「そうか……。うん、良い決断だと思うよ」
「実はね、一人暮らし始めようと思った切っ掛けも、とある友人が手紙でくれた言葉が切っ掛けなんだ」
「そのお友達さんは、何て……?」
「その人は、俺が高校ん時の先輩に当たる人で、今も変わらずずっと交流を続けてくれてる凄く優しい先輩で……俺の事情も全部分かってくれてる上で、“ウチで一緒に働かないか?”って誘ってくれたんだ。先輩のご実家が内装業やってて、先輩自身も家業を手伝う形で働いてるらしくってね。一緒に働いてくれる相方さんが欲しかったそうなんだ。其処で、俺へお誘いの声がかかったって訳でなぁ……」
 そう話す彼女の柔らかな表情に、まだ見も知らぬ相手のその友人さんとやらが随分と彼女の中で大事な人の分類にある事を知った光忠は、表情を和らげて頷いてみせた。
「良いお友達さんと巡り逢えてたんだね……。その先輩さんとやらは、主にとって、とっても大切な人なんだね?」
「えっ……? まぁ、事実そうだけども……何で?」
「その先輩さんって人の話を始めた途端、主、良い顔してたから……。最近見てきた表情の中でも一番穏やかというか、凄く優しい雰囲気の顔してたよ…? 主は、その先輩さんの事がとっても好きなんだね! ……ふふっ」
「否定はしないけど……そんな風に言われると、何か擽ったいっつーか、むず痒くなるからやめて……!」
「ふふふっ……! 主は相変わらず照れ屋さんだよねっ。其れで、話を戻すけれど……つまり、今回主が一人暮らしを始めるのは、再就職の為って事だよね?」
「うん、早い話がそういう事になる。ただ……、」
「ただ……“ただ”、何だい…?」
 途中で歯切り悪く言葉を切った彼女のその先を聞くべく、話を促す。すると、審神者は腕組みをして言葉の続きを話し始めた。
「先輩が住んでる処は、ウチの実家から離れた地域に在るから、働かせてもらうにしても、家から通うにはちょっと離れ過ぎてて……。其れで、先輩のお宅近くでアパートを借りるって話になってさ。運良く丁度近場で安いアパートあったから、其処を借りる事に決まったんだ。実は、もうその準備も整ってて、生活するのに必要最低限の荷物も全部揃ってて……つか、お姉のお古を全部そんまま貰ったってだけなんだけどな。あとは、俺が行くだけになってるんだ」
「あっ、もう其処まで事は進んでたんだね……?」
「うん。これまでは審神者業一本で来てたけど、仕事始めたら生活面だけでも色々と大変というか、忙しくなるだろうから……今まで以上に顔出せなくなるかもって事で、皆にも話通しておきたかったんだよね……っ。まぁ、これまでとそんな変わりは無いと思うけども、一応はさ」
「成程ね〜。長谷部君辺りは、きっと滅茶苦茶心配するんじゃないかなぁ〜……っ。彼の事だから、“一緒に付いていきます!!”って言って聞かなそう……」
「うん、リアル話してみたら、マジでみっちゃんが言った事とそっくりおんなじ事言ってたよ〜」
「あ、やっぱり? 予想を裏切らないねぇ、長谷部君って……」
 話の流れに納得したらしき光忠は、手元に置くお茶を啜って喉を潤し、再び口を開く。
「ところで、この話を僕にしたのって……詳しく踏み込んでも?」
「どっちみち話すつもりだったから、単刀直入に言うけど……荷解きの手伝い手が欲しいんだ…切実に。必要な荷物は全部揃えて、全部部屋に運んである。……問題は、其れを各々の場所に設置していかにゃならんって事でして……っ。俺一人だとちょっと骨が折れるし、すぐ腰やらかす人間だから、手伝ってくれる人探してて……」
「あー、其れで僕にって事かな?」
「うん……。ものごっつ私事に巻き込んですまなんだが……」
「あ、いや、その事自体は全然構わないというか、頼ってもらえて逆に嬉しかったくらいで……! 君さえ良ければ、手伝わせて欲しいな…っ」
「有難う……めっちゃ助かるわ」
 荷解きの手伝い手が見付かったからか、安堵の溜め息をく審神者。安心感から自身の湯呑みへと口を付け、卓上に置いていた茶菓子へと手を伸ばす。彼女が掴んだのは、一個包装されている、小袋のチョコレート菓子であった。手元に掴んだ其れを開封し、中に入っているチョコレートの掛かったビスケットを一つ手に取り、お口へぱくり、放り込んで咀嚼する。
 光忠は、ただその様子を眺めたのち、頬杖を付いて口を開いた。
「差し支えなかったらで良いんだけど……どうして僕相手だったのか訊いても?」
「ん……? 特に深い理由は無いよ。みっちゃんに頼んだのは、単純に体力面や力持ちなとこを見込んでだし。親や家族に頼めば良かったんじゃない? って話かもしんないけども……ウチの親、もう良い歳だし、あんま無理して欲しくないからさ。あと、家からだいぶ離れてる分、来るだけで大変だし疲れるだろうからね。付け加えて、お姉はあんまりアテにならんというか、戦力外だ。だから敢えて始めから頼まんかった……。お姉が借りてたアパート引き払う時も、なかなか進まんかったぐらいだしな。おまけに、彼奴…免許持っててもほぼほぼペーパーであんま意味無いっつーか、端的に言って車の運転出来ねぇから……来るにしても高齢のオトンに頼む事になる。そうなるくらいなら、始めから本丸の誰か頼った方が早いかな? って……。まぁ、自分一人でやっても良いんだけどな。自立すんなら、其処までやって当然の話だろうし」
「先輩さんに頼むって選択肢は無かったのかい…?」
「いやぁ、流石の其処まで面倒かける訳にもいかんだろって話…! ただでさえ今までも色々とお世話んなってる身で、其処まで厚かましくも図々しい真似は出来んよ!」
「主は元々生真面目な質だものねぇ〜。おまけに、思い遣りのある子だ……!」
 そうやって茶化してきた彼に、審神者は微妙な顔を作って、手に持っていたチョコレート菓子の一つを光忠の口許へ突っ込んできた。いきなりの事に驚きはしたものの、照れ隠しを誤魔化す体での行為と分かり切っていた彼は、にこにことした笑みを崩さず、大人しく咀嚼する。彼女のお気に入りのチョコレート菓子だ。照れ隠しとは言え、その一口をくれた行為は、幸せのお裾分けに等しい。
 光忠は顔を綻ばせて口を開いた。
「ふふっ…! 力仕事なら僕に任せてよ! 手早くパパッと終わらせちゃって、主の新生活スタートの御祝いをしよう!!」
「そんな張り切らんくてもえいんよ……? 言うの遅くなったけど、手伝い頼んでるのみっちゃんだけやのうて、長谷部も居るから。長谷部居ったら、何かテキパキと事がスムーズに進みそうで……」
「ああ……うん、彼ならそうだろうねぇ…。というか、やっぱり僕だけじゃなかったんだね……」
「一人よりは二人、二人よりかは三人居った方が早く事は進むし終わりそうじゃろ?」
「まぁ、そうだけど……一瞬期待した自分の格好悪さに泣きたい……っ」
「御免て。今度、美味しいお店連れてってやるから……其れで許してちょ」
「ん……っ、分かった……。二人きりでのお出掛けって話なら、許す……」
「みっちゃんて、そんな俺と二人きりでお出掛けしたかったん……?」
「だって、今じゃ大所帯だから……始めの頃みたいに君と二人だけって事少なくなったから……其れで」
「あーね……なるほろ。なら、今度絶対にどっかで予定作って、現世の美味しいお店探ししようなぁ」
 自分一人だけを頼ってくれた訳じゃない事を知って地味に落ち込んだ光忠は、卓上に顔を伏せてしょげた。其れを、向かいに座る彼女が頭を撫でる事で慰める。まぁ、落ち込ませた原因を作ったのも彼女自身であったが。
 二人だけの約束を取り付けた事に立ち直ったのか、顔を上げた彼は擽ったげな困ったような表情を浮かべて笑った。


 ――当日。
 荷解きをするべくやって来た、これから審神者が住む事になるアパートを見上げ、手伝いに来た二人は揃って興味津々げに口を開いた。
「此処が、主のお住まいとなるアパートですか……っ」
「普通の処で何の驚きも無いだろうが、日当たりは良いし、オートロック式で安全性もちゃんとしてるから、物件としては良い処よ。家賃もそんな高くなくて安めな処だし、比較的近所にお店もあるから買い物も困らなそうだし」
「主が借りる部屋は、どの部屋になるんだい…?」
「この三階建てアパートの二階の角部屋だよ。角部屋って、その階にある他の部屋より広めな設計になってたりするから、人気の物件なんだよ。俺は、偶々空きの出てた其処を借りた訳だけども。……さっ、何時いつまでも玄関口前で突っ立ってないで、行くよ。遣る事山程あるんだから。君達はその手伝いで呼んだんだぞ? しっかり働いてくれなきゃ困る」
「ハッ……! すみません、主! 今すぐ行きますので置いて行かないでください…!」
「此処来る前にも言ったけど……現世に居る間での俺への呼び名は、役職名での呼び方じゃなくて、本名の方で呼んでくれ……っ。無理なら苗字呼びでも構わんから……」
「うん、分かっては居るんだけども……何だか慣れないというか、舌に馴染まなくてムズムズするというか、そんな感じで……っ」
「一応、担当さんやこんちゃんにも許可取って、特殊なテクスチャ掛けてもらった上で許してもらってんだ。こんな機会無けりゃ、俺の本名呼ぶ事なんて無かろう……? すぐに慣れろなんて無茶は言わんが、その内慣れてくれ。じゃないと、俺の私生活に響く……っ。なるべく他人との問題は起こしたくないんでな。協力頼むぞ、皆の衆…!」
「う、うん……了解だよ、あるっ、――璃子ちゃん」
 頬を掻きながら、ようやっとと言った風に口にした彼女の名は、随分と慣れておらず、ぎこちないはにかんだ色の滲んだ響きであった。

 女の一人暮らし故に、男二人も居れば荷解きはすぐに済み、思っていたよりも時間が掛からずに後片付けも終わった。
 その後、彼女の新生活スタートを祝うべく、近場のスーパーで買ってきた食材を使って小さな祝賀会を催した。謎の面子三人での祝賀会であったが、それぞれが思い思いの事を掲げて祝杯を交わす。アルコールが苦手な審神者はノンアルコールのチューハイで、手伝い役で来ていた二人はアルコール入りのビールとチューハイで乾杯した。
 光忠特製の御飯に舌鼓を打ちながら、しみじみと語り出す。
「いやぁ〜あの主が一人暮らしだなんてねぇ……っ。君もすっかり成長したんだなぁ〜」
「おい、此処では名前を呼べと再三言われていただろう。“璃子さん”、もしくは、“猫丸さん”と呼べ」
「言っておくけど、名前の呼び方云々については、君達においても言える事だからね…? まぁ、長谷部は“長谷部”で通るし、みっちゃんも“光忠”で通るから、敢えて別の呼び方考える必要も無いけども……。他の子達が来る場合は気を付けなきゃだね。万が一、そんままで呼び合ってるとこをご近所さんに聞かれて変な疑い持たれんのも嫌だから」
「以後、気を付けます……!」
「しかし、お前の事を“光忠”と号ではなく銘で呼ぶのは新鮮だな…。いつも“燭台切”と号の方で呼んでいたから」
「僕の方は、元々“長谷部君”って呼んでたから、何の変わり映えもしないけれどね…!」
「右に同じく」
 デザートに添えられていたずんだ餅を食べながら答える審神者は、ずんだの美味しさに顔を綻ばせてふにゃりとする。光忠の作るずんだ餅は天下一品の美味しさを誇る故、一口食べるなり皆顔を蕩けさせるのである。
 まだまだ殺風景なワンルームのリビングでお摘まみの枝豆を囓る光忠は、お酒の入ったテンションで明るく訊ねた。
「其れにしても……璃子ちゃんが一人暮らしとは、何だか不思議な感覚がするよ」
「おい、失礼だぞお前……っ。口を慎め馬鹿」
「だって、璃子ちゃんって言ったら、家事能力ゼロの女の子だよ……? そんな子が、よく一人暮らしする決意したなぁ〜って! ねっ、璃子ちゃん!」
「うん。まぁ、事実今も変わらず家事能力ゼロの駄目人間っぷりを曝して此処に居るからな。今食べてる料理も全部みっちゃんと長谷部二人が用意してくれた物だし……。ぶっちゃけ、俺は調理場には戦力外も良いとこの人間のままよ」
「じゃあ、これからどう生活なさるおつもりで……?」
「今の時代、お一人様の食事はお店行きゃあ簡単に手に入るので、飯は米炊けば食えるし、おかずはインスタントや冷食、お惣菜諸々を頼れば何とかイケるぞ」
 直後、凍り付いたかの如く固まった二人は、一瞬黙り込んだ。彼女は一人構わずずんだ餅に食らい付き、ホクホクとした表情を浮かべる。其処へ、復活したらしき光忠がぽつりと呟きを零す。
「……やっぱり、僕、此処に残る」
「は……?」
「主一人だけで生活なんてさせたら、どうなる事か分かり切ってるだろう……!? 長谷部君や同田貫君達と一緒で、“食事=腹に溜まれば何でも良い”って思考で、食事は体を動かす為の燃料摂取くらいにしか考えてないんだから!!」
「おい、光忠落ち着け……っ」
「そうだぞ。アパート内での大声は控えろ。近所迷惑で苦情or追い出される原因になる。トラブル起こすのだけは勘弁願うぞ?」
「兎に角、僕も一緒に此処で生活するよ! 君一人での生活なんて、心配でならないんだもの!! 何を言われたって僕は此処に残るからね!! 断固として動きません!!」
「おいコラ、酔っ払い! 駄々を捏ねるな! 主を困らせるな!!」
「絶対にだからね!? 君がうんって言うまで僕は訴え続けるんだからぁ……っ!!」
「近所迷惑になると言っているだろう……っ! 声を落とせ馬鹿ッ!!」
「お前も十分デケェよ、長谷部や……」
 斯くして、審神者の新生活は幕を明け、一人暮らし生活は光忠の家事補助付きでの条件付きでスタートする事となったのであった。
 続く……?


執筆日:2022.04.09
公開日:2022.04.23