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愛しの存在と指輪の音



 あったかくなってきたかと思ったのに、急激に冷えた夜中のせいであまり深く眠れなかった。朝日の眩しさを透かし通す真白い障子紙を睨んで思った。
 今年の春は、例年以上に気候変動が激しいようだ。凍て付く冬の寒さが綻び、春の生暖かな風が大地に根付く命を芽吹かせ始めた……かと思いきや、季節をひとっ飛びするように夏日を思わせる気温にまで上昇したのが、ここ最近の話である。春は何処に行ったのやら。まだ四月も半ばに差し掛かったばかりの頃であった。
 しかし、春の台風が出来た途端、夏日を記録していた気温は一気に平年の春らしいものへと下がっていった。暑くなるんだか寒くなるんだかどっちかにして欲しい。こうも季節が行ったり来たりしては、体が付いていかなくなる。
 眠った筈なのに寝れた気がしない顔を張り付けて、床の間を出た。途端、待っていたかのように顔を見せた近侍の刀が、スン…ッと澄ました表情を朗らかに綻ばせてそっと朝の挨拶を告げてくる。
「おはようございます、主。何処となくまだ眠たげなご様子でいらっしゃいますが、昨晩はあまり眠れなかったのですか……? また夢見でも悪かったのです?」
「おはよう、長谷部……。寝れたには寝れた筈なんだが…昨日の晩、急に冷えただろう? きちんと毛布やら布団を着込んで寝てたんだが、寝相で一枚毛布がずり落ちていてね……其れで、寒くて目が覚めた」
「其れはさぞ眠れなかったでしょう。俺が側に付いておりましたら、そんな事無く眠れたでしょうに……。やはり、今夜からでもしとねを共にするべきでしょうか」
「いや、流石の其れは公私混同し過ぎなようで頂けないというか……端的に言って私が恥ずかしくて耐えられないから、もう少し先送りにして欲しいかな……っ」
「ですが、また今日のように寝不足となってしまっては、主がお辛いでしょう? 何も、いきなり同衾しようなどとは思っておりません。自分の寝る布団はきちんと用意しますし、共に寝る時もただ一つ同じ部屋というだけで布団を二組並べて眠るだけです。まぁ、俺自身は本当に共寝したって良いんですけれどね。主の健やかな睡眠を妨げたくはありませんので、今暫くは我慢致しましょう。……しかし、俺もそう気は長い方ではありませんので、近い内に慣れてくださいね。取り敢えず、今日は午後のお勤め前に一度仮眠を挟みましょうか。その時は、是非とも俺の膝をお使いください。主の安眠をサポートするのも、夫たる俺の務めですから」
「ぅ゛っ、善処はする……っ。でも、私、マジで寝相悪いし、寝起きも酷いからあんま見せたくないっつーのがあってだなァ……」
「今更何を仰います。貴女は、俺の主で上司たる人ではありますが、同時に愛しき人であり今や俺の妻でもあるんですよ。いい加減、その辺りの自覚を持たれては? というか、この期に及んでその程度の問題、瑣末事さまつごとにもならぬ事ですよ。寝相の悪さが何ですか、寝起きの悪さが何ですか。俺にとってみれば、そのどれも全てが愛しく尊いものですよ。どれだけ寝癖で頭が爆発していようが、貴女は俺の愛しい人に変わりはないんです」
「あ゛ー、分かった…分かったから……っ、その如何にもな眩しい微笑みやめろ。寝起き頭にゃ毒だ」
「おや、酷い。夫が妻を慈しんで何が悪いんです?」
「分かったから……! 身支度整えるまで待ってて! 髪整えたり顔洗ったりしてくるから……っ」
「何でしたら、お召し替えの手伝いを致しても……?」
「自分でやるから良い……っ! 長谷部は大人しく私の身支度終わるまで待ってて!!」
「承知致しました。では、俺は、主が身支度を整えている間に、布団の敷布の交換や押入れへ仕舞うなどの作業をさせて頂きますかね。本日は、雨続きの束の間のお天気日和だそうですので、洗濯係がやる気に満ちた事です。他に洗う予定の物がございましたら、今の内に出しておかれるのが宜しいかと」
「あーっと…じゃあ、つい最近まで着てた厚手のカーディガン、洗濯に回しといて〜」
「畏まりました。部屋の隅に掛けっ放しになっている毛糸のカーディガンですね。取り替えた布団の敷布等と一緒に、洗い場へ出しておきましょう」
 慇懃たらしく一礼してハンガーに掛けてあった毛糸のカーディガンを受け取る長谷部の忠臣っぷりや。極めて約一年、夫婦としての契りを交わして以降も相変わらずである。
 彼が布団を片付けてくれたりしている間にテキパキと身支度を整え終えた審神者が改めて声をかける。
「終わったよー」
「では、大広間まで一緒に参りましょうか。俺は、回収した洗濯物を出してこなければなりませんので、途中ランドリールームへ寄りますが、宜しいですか?」
「良いよ。ついでに、洗濯係の子達にも朝の挨拶しとこう」
「それでは、行きましょうか」
 両手に洗濯物を抱えた長谷部が先立って部屋を出て行く。その後をくっ付くようにして付いていく彼女は、手ぶらなままなのを気にしてか、横へ並びながら口を開く。
「どっちか持つよ」
「いえ、此れくらい余裕で持てますから、ご心配には及びません」
「でも、階段降りる時、片手空いてないと手摺掴めないでしょ」
「掴まずとも降りるのに支障はありませんが……?」
「万が一、足滑らしたりとかして落ちたらどうすんの? 危ないから、どっちか片方頂戴」
「ふふっ……心配性ですね。分かりました。では、カーディガンの方をお願いしますね」
 妻たる彼女に気遣われた事が嬉しかったのか、擽ったげな笑みを零して左腕に抱えていたカーディガンを審神者へと受け渡す。素直に言う事を聞き入れてくれた事に満足げな審神者は、「ふんすっ」と鼻息を漏らしながらカーディガンを抱え、共に目的地を目指すべく階段を降りていく。
 この本丸では、審神者部屋兼執務室は二階の奥、角部屋の処に位置していた。故に、食事をする際は、一階の大広間まで向かう必要があった。
 二人は、朝のゆったりとした時間を堪能するように、仲睦まじく寄り添って階段を下っていく。その折に、手摺に触れた先で、カツンカツンッ、と金属のような物が手摺とぶつかり合う音が響いた。気付いた審神者が、隣に居る彼の手元を見遣って言う。
「指輪……手摺に当たってる音すんね」
「今は手袋をしていませんでしたからね。……気に障るようでしたら、外しますが?」
「いや、そういうアレで言った訳じゃないから! ……ただ、何か、指輪してくれてるんだなぁ〜って思っただけ。指輪してると、手摺とか握った時どうしてもぶつかっちゃうもんね。其れが嫌で敢えて外してる人とかも居るけれど、ふとした時にこうして指輪の存在を認知出来ちゃうのって…何か良いね」
「ッ………! 俺の妻が尊いっ……!!」
「え、急にどうしたの」
 唐突な態度の変わり様に、若干引き気味な態度で以て返す。しかし、其れよりも今しがたの可愛らしいデレ方が愛しくて堪らなかったらしい長谷部は、超絶悶えた顔で言葉を漏らす。
「俺は、貴女と結婚出来て幸せです……ッ!!」
「ハイハイ、其れは私もおんなじよ」
 最早慣れた口調である。
 何ともお似合いで夫婦仲円満そうな二人であった。


執筆日:2022.04.19