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犬歯



 ふと、或るものが気になって、目を留めた。
 其れは、近侍を務めていた、膝丸の八重歯……もとい、犬歯だった。
 私は何気無く目に留まった其れを見つめながら、徐に口を開く。
「弟者の犬歯って、めっちゃ鋭いよね……」
「うん? 確かに、俺と兄者のものは、他のものと違って些か鋭いとは思うが……其れがどうかしたか?」
「いや、何となく目に留まったから言ってみただけ。特に深い意味は無い」
「そうか……」
「まぁ、でも……犬歯っていうか、八重歯見えるのって良いよね。俺は好きよ。だって可愛いし」
「変わった趣味趣向をしているのだな……?」
「いや、別に俺が特別変わってるとかじゃないから。八重歯キャラ好きな人は、この世に一定数居ますからね! だから、俺が変とか可笑しな事は断じてありません!!」
「すまん。俺はあまりそういった事に詳しくない上に、何方かと言うと疎いからな。気を悪くしたのなら詫びよう」
 唐突に振られた話題にも関わらず、律儀に付き合ってくれる膝丸は真面目で良い子だ。普段、兄の髭切に振り回されてばかりなのが、哀れでならないが。まともに名前を呼んでもらえずとも健気に付いていく可愛い弟分なのだ。きっと、彼もそんなところが愛おしくて、つい意地悪したくなってしまうのだろうな。まぁ、彼のひた向きさは、見ていていじりたくなる気持ちは分からんでもないが。
 ――なんて、明後日な方向に思考を飛ばしていたら、まだ会話を続ける気があったのか、口を開いた膝丸が訊ねてきた。
「主は、何故犬歯が鋭い者を好くのだ……?」
「え……? さぁ、何でだろう? あんまり深く考えた事無かったから分かんないや。そもそも、必ずしも八重歯キャラ好きになるとは限らないし」
「そうなのか」
「いや、そらそうだろうよ。八重歯あるだけがその人の魅力じゃないんだし、他に魅力的なキャラが居たらそっちに惹かれる事もあるさな。八重歯とか犬歯は、悪までも萌えポイントに過ぎないって事」
「成程。……では、何故主はその話を俺にしたんだ?」
「え、偶々弟者の犬歯に目が行ったからだけど……? 最初に言った通り、深い意味は無いよ」
「だが、兄者ではなく俺の犬歯に魅力とやらを感じたから、その手の話をするに至ったのではないか?」
「あー……まぁ、細かい流れを考えたらそうなるのかもしんない、かねぇ……? 俺の方は全く何も考えずに話した話題だったから、何とも言えんのだが」
 まさかそんな風に掘り下げられるとは思わず、私は少し困惑した。そんな興味引くような話だったかな、と。いまいち理解が及ばず、首を捻る。すると、向かいで湯呑みを手にしていた膝丸が、お茶を啜るのを止めて再び口を開いた。
「俺は、兄者より先に此方へ参ったからな。其れも、鍛刀ではなく、戦場にて君の声を聞き届けた事によって、自ら馳せ参じて顕現した身だ。自慢じゃないが、少なからず兄者よりは俺への方が思い入れが強いのではないかと、個刃的には自負している……っ」
「長谷部みたいな事言うじゃん。弟者にしては珍しい。というか、泥って顕現した事をそういう風に言い表すの面白いな!」
「俺は事実しか述べていないぞ」
「ふふっ……確かに、俺も何となく弟者への方が目をかけているかもしんないね。ほぼほぼ無意識だろうけども。……まぁ、理由挙げるとしたら、君が可愛くて仕方ないからかな」
「俺が、可愛い……」
「うん。髭切の事を“兄者”と呼んで慕うところも含めて。故に、其れに便乗した形で、俺もお前の事を“弟者”って呼んでるんだよねぇ〜。お陰で、偶に兄者みたく名前ド忘れしちゃうんだけど……」
「頼むから、主まで俺の名前を忘れないでくれ……! 君にまで忘れ去られてしまったら、流石の俺も悲しいだけじゃ済まないぞ……っ!?」
「御免て。悪気は無いのよ……っ」
「尚、質が悪いわ! 素で忘れ去られる方が傷付く!!」
「いや、本っ当にすまん……っ。俺の記憶力がポンコツなばかりに……」
「記憶力云々の問題か!? 頼むからしっかりしてくれ! 君は本丸の主だろう……っ!」
「ごもっともでして……ほんまに申し訳ないと常日頃思っておるよ……っ。こんな駄目でへっぽこな審神者が君達の主で……」
「あ、いや、何も其処までの意味では無かったのだ……! すまない、俺は兄者に対しては器用だが、他の者に対してとなると些か不器用になるというかな……。別に、くどくどと口うるさく説教をする気などは無かったのだ。気を悪くしてしまったのなら、すまない……っ」
 しゅんとしてしょげてしまった彼が愛らしくて、つい手を伸ばして頭を撫でてしまった。撫でられた側の彼は、何が起こったのやらとポカンとした表情を浮かべて見る。
「あ、主……?」
「あっ、嫌だったら御免ね。何かしゅんとしょげた弟者が可愛かったから、つい……」
「嫌ではない故、構わぬのだが……いきなりの事だったので少々驚いたぞ」
「御免ね、今度からはちゃんと断り入れてからにするね」
「ま、まぁ、主に頭を撫でられる事自体は嬉しいから、全く構わないがな……!」
「そっかそっか。じゃあ、思い切り撫で繰り回してやろう。えいっ……!」
 予想外にも、半ば衝動的に頭を撫でた事を喜ばれてしまったので、この際だと思ってわしゃわしゃと盛大に撫で繰り回してやった。大人しく撫でられるだけで居た彼からは無言で桜の花弁が舞い散った。満更でも無さげに嬉しそうだ。此れ幸いと撫で続けて髪をぐしゃぐしゃに乱しまくっていたらば、流石に限度があるとストップが入った。すまんやで、膝丸や。
 気を取り直して腰を落ち着け直していると、乱れまくった髪を手早く整え終えた彼が再び口を開いてきた。
「先の話に戻るが……君は、俺の犬歯の何がどう好きなんだ?」
「えっ……どう、と言われましても……何となくとしか言えないぞ?」
「しかし、何かしら琴線に触れるから好きなんだろう? その理由は何だ?」
「えぇ……改まって訊かれると困っちゃうなぁ……っ。うーん……強いて言うなら、如何にも獣感あるところ……かなぁ?」
「獣感、とな?」
「うん。源氏二人の犬歯って、何だか獣っぽいよなぁ〜って思って。例えるなら、蛇とか爬虫類系だよね! 鋭さ的に言ったら、そんな感じかな!」
「ほぉ……獣みを感じる、と……」
「うんっ。俺は人間だからさ、ちょっと尖ってるくらいはあっても、弟者達程鋭くはないからさ。ほら、俺のも其れなりにはっきりくっきり尖ってる方だけど、弟者程ではないでしょ?」
「ふむ……確かに、主のものは、俺達のに比べて随分と愛らしいな」
「此れでも俺の、他の人に比べて尖ってるから、猫みあると自負してるんだぜ!」
「君はやけに猫に拘る節があるな?」
「だって、俺、猫好きなんだもん。もし人間じゃなかったら何になりたい? って訊かれたら、俺確実に猫になりてぇって答えるぜ! 其れだけ俺は猫が大好きなんだぜ!!」
「うん、君が猫好きなのは十分に分かった」
 半ば呆れた風な返事を返され、私は笑った。しかし、徐に頬へと手を伸ばされ触れられた事に驚き、きょとりと目をしばたたかせる。急に頬へ触れられた意味が分からず、不思議に思って小首を傾げたら、何やら意味深な事を呟かれてしまった。
「今しがた口にした通り、君のものは実に愛らしいな……。いっそ、愛でてしまいたくなるくらいには、小さく、そして愛らしい……」
「え…っと、弟者さーん……? どうしましたぁー……? あの、大丈夫です?」
「なぁ、主よ……俺が君の愛らしい犬歯に触れたいと言ったら、引くか?」
「え、な、なんっ、何て……??」
「君の、犬歯に、触れても良いかと訊いたのだ。嫌なら断ってくれて構わない。普通他人が触れるような場所では無い故、不快に思うところだろう。無理はしなくて良いぞ」
 まさかの突然の申し出に、一瞬脳内宇宙猫となった。私の犬歯に触れたい、だと……? 思わず混乱してしまって、返答に窮した。何でそんな流れになったんじゃ。一旦、今しがたに至るまでの記憶を遡ってみた。けど、具体的な事などは一切分からずに思考が停止した。
 彼は大人しく此方の返答があるまでを待っている。一先ずは、何かしらのリアクションをするべきだろうと、もごつく口を開いた。
「えっと……何でか理由を問うても?」
「君の犬歯がとても愛らしかった故な、もう少しじっくり見てみたいなと思ったまでだ。深い意味は無い」
「其れだけっすか……??」
「うむ、其れだけだ。別に、疚しい事をする気は無いから安心しろ」
 まぁ、真面目な彼の事だから、そんな変な事には至らないだろうという妙な信頼感はあるが、事が事なだけあって、少々頷き兼ねた。けれど、別段其処まで嫌という感じもしなかったので、結局は首を縦に振る事にしたのだった。つくづく、私は自分の刀に甘い奴である。
 満を持して許可を得た膝丸は、わざわざ私の側へ移動してきて、改めて私へと触れる断りを入れてきた。
「では、いざ」
「ど、どうぞ……?」
 所謂“顎クイ”の体で顎を掬われるように顔を上向けられ、そっと頬へ手を添えられる。私は戸惑いつつも、小さく口を開いて、歯が見えるようにした。けれど、恥ずかしさや気まずさが勝って、上手く開けていなかったのか、口の開き方が足りないと指摘を受けた。次いで、グイ、と少し強引に口を開かされ、口の中を覗き込むように観察された。正直、恥ずかしい以外の何物でもない。私はぱちくりと瞬きをしながら、器用に目を逸らしつつ言葉を発した。
「あの……まだっすか……?」
「あまり良い気持ちはしないと思うが、もう少しじっくり見させてくれ」
「ア、ハイ……ッ。じゃあ、あとちょっとだけね? あんまずっと口開いたまんまなのも疲れるし、口ん中乾燥しちゃうから……」
「嗚呼……。其れにしても、やはり君の歯は愛らしいな……」
「んん゛っ……其れ、何か変な感じするからやめへ」
 まるで愛撫するみたくするり、と犬歯へ触れてきたから、思わずそう言ってしまった。別に、歯に直接触られた事が嫌という訳ではないが、あまりに慣れない故の反射であった。だが、触れる事を止めた代わりに、彼は飛んでもない事を求めてきた。
「手で触れてはならぬのなら……口付けても良いだろうか?」
「へ…………っ? 口、付ける、とな……??」
「君さえ良ければ、だが……」
「え、や、あの……ちょっといきなりの事過ぎて、何言ってるか分かんないなぁ〜……??」
 突拍子も無さ過ぎて、思わず身を引いてしまいかける。……が、其れを許さなかった彼に、後頭部と腰の辺りへ腕を回されて逃げる事すら出来なかった。彼の瞳に、底知れぬ色が宿ってギラリと煌めく。
「拒絶の意思を見せぬとあらば、是と取るぞ」
「え……あの、弟者……? 急に、どうし――…、」
「本当に嫌ならば、拒んでくれよ」
「えっ、ちょ、待っ……! ンんッ――!」
 此方の戸惑う様子にも構わず先へと行動を移してきた彼に、宣言通りに口付けられた。咄嗟に、口付けられる寸でで口を閉じたが、完全に閉じる事を許さなかった指のせいで隙間が出来、其処から舌を挿入されて、歯列をなぞられた。途端、背筋をゾクリとした感覚が走り、腰の辺りがむずむずと疼いた。堪らず、腰が引けるが、其れを阻む彼の腕により引き寄せられて、最早密着するみたいな距離へと抱き寄せられる。その状態から、じっくりねっとりと口内を暴かれるみたく舌でねぶられ、次第に体の力が抜けて、彼に縋り付くような姿勢となる。其れでも尚、彼は私の犬歯へと舌を這わせ、口付けた。
 その内、彼の舌は私の舌を捕まえ、甘く吸い出し、牙を立てた。言い得ぬ快感が押し寄せてきて、口から甘く掠れた吐息が漏れた。其れに気を良くしたらしい彼は、口付けを深くして、上顎を擦った。先程感じたよりも如実にはっきりとした快感を感じて、堪らず腰が揺れ、背中が反る。彼に口内を暴かれるに連れて段々と変な気分になってきて、体の奥が疼くように熱くなってきた。
 私の体がすっかり火照って蕩けてしまう頃になって、漸く彼は私の唇から口を離した。途端、互いの口端を透明な銀糸が伝った。最早、何方のものかは分からない。
 彼は、すっかり蕩け切ってしまった私を恍惚とした表情で見つめて言った。
「嗚呼、君はほんに愛らしく、愛おしいなぁ……。一切拒まぬという事は、俺を受け入れてくれたものと取るが……良いよな? ふふっ……驚かせてしまったのなら、すまない。始めに疚しい真似はせぬと言っておきながら、君に手を出してしまった事を許してくれ……。君の牙があまりに愛らしくて堪らなかったものだから、つい我慢出来なくなってしまったのだ……っ。此れでも、自制していたつもりだったのだが……堪え性が無いと言われれば其れまでだ。……この先へと及ぶ事さえも嫌でないのなら、俺は君を抱きたいと思っているのだが……君の答えはどうだろうか?」
 返事を問うているようで、実のところは拒否権など用意されていないのだろう。その証拠に、拒めと言う割りには一切離してくれる様子は無かった。おまけに、下腹部に触れる下半身の硬い物を此方へ主張するように押し付けてきていた。完全に彼方へと意識が振り切ってしまっているようである。
 私は些か戸惑ったが、最後の最後までも嫌とは思えなかった故に、恥ずかしながらも、静かにコクン、と首を縦に振らざるを得なかった。どっちにせよ、逃げ道など与えられているようで与えられていないのだから。大人しく身を任せ、頂かれる他無いのである。
 頷いた私に、彼は見るからに嬉しそうに目を蕩けさせ、獣の如き鋭い犬歯を見せて笑った。
「安心してくれ……っ。極力痛くないよう優しくする。……嗚呼、あと、此ればかりはちゃんと言っておかねばな……」
 そう言って彼は私を抱き寄せ、脳へ直接捩じ込むみたく、耳元へ艶かしく言葉を囁いたのだった。
「俺は、君の事を抱きたいと思うくらいに君の事を好いていた……だから、君が俺を受け入れてくれると知って、誠に嬉しく思うぞ。俺の愛らしき主よ……君は、俺の手の中で、如何様に啼くのだろうな? 今から楽しみで仕方ないなぁ」
 嗚呼、私はきっと、触れてはならぬところに触れてしまったようだ。彼の獣としての本能が牙を剥き、此方を今に喰らわんと爛々と目を煌めかせていた。


執筆日:2022.05.15