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夢幻の狭間で見る蝶の夢



 或る時、愛しい人の夢を見た。
 正確に言えば、その人は“ヒト”ではなく、“刀”であり“神様”であったけれど。
 夢の中で出逢った彼は、愛しげに目を細めて此方を見つめてきていた。向けられる視線が、表情が、全ての感情を物語っているとばかりに熱く、優しく温かい慈しみに溢れていた。
 彼がゆるりと此方へ手を伸ばし、己の片頬へ触れてくる。その愛しげな温度に、夢の中の私はきっと堪らなくかんばせを崩しているのだ。
 己の頬に触れる彼の骨張った男らしい熱い掌に、己の手を重ねるようにして触れる。そうして、彼の掌へ頬擦りするが如くに顔を傾けて、少し恥じらいを見せつつも彼の方を真っ直ぐと見つめ返すのだ。互いの視線が合わさるように、真っ直ぐと己の瞳を彼へと向ける。
 すると、何という事だろう、彼が凛々しいかんばせを少しばかり崩して笑うのだ。まるで、愛しくて堪らなく零れ出てしまったみたく。
 そのまま、夢の中の私達は二人だけの逢瀬を重ねるが如く、何方ともなく顔を近付けさせて、恋人らしい雰囲気を漂わせるのだった。
 まさに、夢物語みたいな話だった。
 何故ならば、実際に彼と逢う事など叶わないし、何より、本当に彼と逢う為には次元という壁や画面という壁を越えねばならぬのである。現実的に考えれば、無理という話であった。
 まぁ、刀その物ならば、展示の機会に合わせて遠征すれば、逢えなくはないが、其処に付喪が宿っていなければ意味が無い事だ。美しい姿を拝める事自体は僥倖であるが。

 そんな夢想的な夢物語を夢に見た或る日から、私は愛しの彼と逢う夢を見るようになった。
 時には本丸の一室で、時には何処か外の場所で。その時々で逢う場所も時間帯も異なるようだったが、総じて二人きりだったように思う。
 夢で逢う彼は、常己の事を愛して然るべき者と言う風に熱の込もった蕩けた視線を送ってきていた。そんな瞳で見つめられる度、私は酷く心乱されたし、胸を焦がされて、羞恥から鼓動の速まりと体温の上昇を抑え切れなかった。本当の本当に、愛しの彼からそのような眼差しを投げかけられては、きっと一堪りも無く、熱に溶けて蒸発してしまうだろう。其れ程までに、夢の中の彼の視線は熱かった。
 そんな目で見つめられてしまっては、勘違いしてしまうだろうに……。
 なぁんて、今更な事を考えてしまうのだけれども。
 まごう事無く、私は彼の事を本気で好き慕っていた。しかし、其れは、謂わば一方通行の片想いに過ぎず、秘密の恋心であった。何故ならば、此れ程までに陶酔している相手は、現実世界には居ない筈の人だからだ。だから、この想いは募れば募る程積み重なり、その丈を重ねるだけで、相手には届かぬもの。けれど、其れでも構わぬのだ。
 私は、恋い焦がれるまま、彼を想い続け、生きていく。例え、この想いが報われずとも。


 或る時の夢だ。
 愛しの彼が、私へ贈り物をくれたのだ。綺麗な綺麗な、蝶をモチーフとした簪だった。精巧な細工の其れは、夢の中でさえ美しく光り輝いていた。
 彼は、其れを微笑みながら私の髪へと挿してくれた。彼からの贈り物だ、一生の宝にして生涯大切に持っていると言った。そしたら、彼はとても嬉しそうに目を細めて笑った。
 嗚呼、なんて幸せな夢なんだろう……。夢から覚める時、私は大層そう思った。いっそ、夢から覚めるのが勿体無いとばかりに名残惜しく思えた。けれど、目が覚めてしまったからには仕方がない。起きて、いつも通りに朝の身支度に取り掛からねば。
 そうやって目蓋を開き、眠気の残る頭をもたげつつもとこから起き上がる。徐に枕元へ視線を投げた際に、ハタと気付いた。昨晩は無かった筈の物が、枕元そばに鎮座している事に。
 もしや、未だ夢見心地で寝惚けているのだろうか。つい先程夢に見た簪らしき物が、現実の枕元へ置かれていた。自分は、まだ夢でも見ているのだろうか。
 驚きつつも、瞬きを繰り返し、一応はと目を擦って見つめ直してみるも、其処にある物は変わらない。試しに、手に取って日の光りに翳して見てみたらば、夢と違わぬ姿で美しい物だった。
 一体、どういう事だろうか。夢で見た物が現実に現れるだなんて。其れこそ、嘘みたいな話であった。
 原理はとんと解らぬが、ある物はあるのだ、一先ずはそう納得し、夢の中でしたように胸元に抱えて抱き締めた。


 また、或る時の夢だ。
 愛しの彼より、贈り物を戴いた。今度は、立派な立派な櫛である。
 きっと、値段にしたら大層お高い良い品物なのだろう。そんな上品な品物を、私なんかに良いのだろうか。
 一つどころに思うと、疑問は、不安は、次々と浮かんで胸中を占めてゆく。暗くなっていく気持ちに従って、顔も表情も俯きがちになっていると、彼は私の不安なぞ吹き飛ばすように力強い肯定の言葉をくれた。“お前相手だからこそ贈るのだ”と……。
 彼のその真っ直ぐな言葉一つでちっぽけな悩みも不安も消えて無くなるのだから不思議だ。
 私は、貰った櫛も簪同様に生涯大事にして持っていると告げた。その返事に、彼は眩しげに目を細めて微笑んだ。
 夢から覚めると、例の如く、枕元には夢で見た美しい櫛が置かれてあった。何だか、まだ夢を見ているような気分になるが、夢から覚めた今や現実の事である。
 私は、簪の時同様に日の光りに翳して見つめ、その美しさにホゥ……ッと溜め息をいた。
 はてさて、この不思議な現象は何時いつまで続くのだろうか。


 また、或る時の夢だ。
 またしても、愛しの彼より贈り物を戴いてしまった。今度は、美しき赤色が目を引く、紅の髪紐だった。赤色とは、彼を彷彿とさせんばかりの色合いである。
 先日からの立て続けの贈り物から思うに、何だかすっかり彼色に染められて行っているように見受けられた。其れを口にすれば、彼は何て事無いように“そのつもりで贈っていたのだが?”と返してきた。当然のようにそう言える彼の堂々とした様に、私は一瞬呆けてしまった。
 彼は、そんな私へ、相も変わらず熱い視線を向けてくる。見つめ返すのが恥ずかしくなってきてしまうくらいの熱視線だ。
 取り敢えず、いつもの如く受け取れば、彼はその赤い髪紐を左手首に巻いて結び付けてきた。綺麗な蝶々結びがちょこんと手首を飾って愛らしい。思わずクスリ、と笑みを零せば、彼も安堵したかのように目元を緩めて笑った。
 次いで、彼は夢の中で私を引き寄せて耳元でこう囁いた。
 ――次にまたお前とこうして逢う時は、お前を拐いに参上つかまつる。その時まで、精々俺への想いで身を焦がしておけ。俺がお前を迎えに行く際は、俺が贈った品で着飾っていてくれ。俺は、其れを目印にお前の元へ逢いに行こう……。
 彼の言葉を最後に、夢は途切れて、ぱちりと目が覚めた。
 私は床に寝転んだまま瞬きをし、夢か現実か判らぬ夢の余韻を引き摺って、寝起きに関わらず高鳴る胸に手を当てた。
 そういえば、今回も彼から贈り物を戴いたが、枕元にあるのだろうか。ふと、起き上がろうと身を捩って布団に手を付けば、就寝前には何も無かった筈の左手首に、夢で見た如く赤い髪紐が綺麗に巻き付いていた。まるで、彼とを結ぶ赤い糸のようである。または、夢とうつつとを繋ぐ架け橋か。
 愛しい彼が、私を想って結んでくれた物と思うと、ほどくに解けなかった。
 結局、私は、その日一日紅の髪紐を付けたまま過ごしたのだった。


 その日の真昼の事、私は母に一つの話をした。
「ねぇ、母さん……もしもの例え話として聞いて欲しいのだけど……。もし、私が夢でしか逢えない人に求婚されたとしたら、どうする……?」
「あんたが誰かに求婚されるって……? そりゃ嬉しい事だわよ。その時は、喜んでお赤飯用意するわね」
「……可笑しな話だって、笑わないんだ?」
「夢であろうと無かろうと、これまでひとっつも男っ気の無かったあんたに好い人が出来たってんなら、相手がどんな人だろうと、まずは喜ぶわよ。あんたにも、遂に春が来たのね〜って……!」
「そっか……一応は喜んでくれるんだ……っ、有難う」
「……何よ、もしもの例え話だったんじゃないの?」
「えへへっ……ちょっと最近立て続けに不思議な夢を見るんだけどさ……私が好きな人がね、その夢で“私の事を愛してます”って印に贈り物をくれるの。其れには、それぞれ意味があって……まぁ、敢えて此処では詳細は省かせてもらうけども、要はプロポーズ紛いの事されたの。……で、私も本気でその人の事を好いてるから……もし、また夢で出逢える事があるのなら、彼に“yes”って返事をしようかなと思ってるの」
「あら、良いじゃないの。プロポーズに贈り物だなんて素敵じゃない? 夢だろうが現実だろうが、好きな人相手なら喜んで受けなさいな。あんたも立派な大人の女なんだから、何時いつ結婚しようったって構わないのよ。お互い好き合ってるなら、良い事じゃない! そのまま貰ってくれるんなら貰われときなさいよ」
「うん……っ。だから、今宵の夢でまた彼に逢えた時は、私、彼の元へお嫁に行くわ。例え、夢物語の話であろうとも、私は彼以外を選ぶ気は無いし、彼も唯一の相手として私を選んでくれた……。私は、そんな彼の想いに応えたいの。だからね……もし、明日私が居なくなってたとしても、私は彼の元へ嫁ぎに行ったんだと思って欲しい訳」
「へぇ〜……っ。ちなみに、あんたの言うその“愛しの彼”とやらは、どんな人なの……?」
「紅蓮の焔みたいに逞しくて、益荒男ますらおと呼ぶに相応しい、とても美しい美丈夫の姿をした刀の神様よ。彼を表すなら、燃えるような赤色や蝶ね」
「あぁ、丁度あんたが今付けてるみたいな髪飾りとかね?」
「んふふっ……そうよ。此れ、全部彼からの贈り物なの。彼色に染めたいって欲をアピールしてるんでしょうね、きっと」
 手首に巻き付くように結ばれた赤い髪紐を愛しげに撫ぜていれば、母は私の方を見つめて一瞬不思議そうな顔をした。
「あら……? 気のせいかしら……今、一瞬あんたの髪が赤っぽく見えたんだけど、あんた髪染めたりとかしてなかったわよねぇ?」
「えっ……?」
「やっぱり気のせいかしら? いやぁね、私ったら〜……っ。疲れてるのかしら?」
 ひたすら目をしばたたかせる母の言葉に、私は思い当たる節があって、ひっそりと小さく微笑んだ。
「やだ……何時いつの間にそんなに染められてたのかしら……全然気付かなかったなぁ。……でも、本当の本当に彼色に染められていたのだとしたら、此れ以上に嬉しい事は無いわ……! ふふふっ……嗚呼、早くあの方に逢いたいな……っ」
 言われた通りに、彼へと想い焦がれる内に髪も瞳もすっかり彼色に染められていただなんて、気付かぬは本人だけだったり。
 と言っても、一瞬の事のように、光の当たり方次第でそう見えなくもない……という具合の変化に過ぎなかったが、まぁ極端な変化が見られなかったのは現実たる故の事か。


 逸る気持ちを抑え、彼への想いを胸に寝付いた夜……私はまたとなく夢を見た。
 愛しの彼と逢う夢だ。
 今宵の夢は、一味違うのか、彼は正装姿でおのが本体を腰元に帯びて待っていた。
『この時を、れ程待ち侘びた事か……っ』
 嗚呼、嗚呼、愛しの彼が……き尽くさんばかりの熱を込めて私の事を見つめている。このまま絡め取って離さないと言わんばかりの想いの強さが、注がれる視線から溢れていた。
『今宵、お前を貰い受けに来た。否は受け付けぬぞ。時間はたんまりやった。もう逃しはせん。お前は、もう俺のものだ――璃子』
 彼に初めて名前を呼ばれて、心臓がキュッと締め付けられた。
 嗚呼、とうとう私は彼のものになってしまうのか……。この日を、何度夢見た事か――!
 私は堪らず、彼を求めて手を伸ばし駆け出す。其れを彼は導くように手を差し伸べ、私の手を取った。互いの手が触れ合った瞬間、何方共無く抱き合っていた。まるで、離れていた時間さえ寂しかったのを埋めるかのように……。
『もう、お前を離してはやれぬぞ……。お前が後悔する隙も無い程、これから愛し尽くしてやろう』
『嗚呼、愛しの人……っ、まるで夢のようだわ……!』
『ふっ……夢なものか……。今宵、お前は真に俺の元へ嫁ぐんだ。名誉に思うが良い。今更文句など言わせはせんからな?』
 獣のような獰猛な目付きで笑った彼の艶やかな事。これから己は、この欲を宿した瞳に文字通りかれるのだ。骨抜きになる程に、骨の髄まで彼のものたるやと染め上げられるが為に。

 その日を境に、私は不思議な夢を見なくなった。
 答えは簡単である。
 時空を超えて、私はの神様に輿入れしたからである。故に、今や夢でなくとも彼と逢う事が出来るし、言葉を交わす事も出来る。
 毎日が幸せな日々を過ごしている。


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 とある一家の娘が一人、忽然と姿を消したらしい。
 家人の者は誰一人としてその行方を知る事は出来なかったが、母親のみ、娘が行方知れずとなる前に一つ奇妙な話を聞いたと証言した。
 何やら、彼女は消える前、“夢で逢う御仁の元へ嫁ぎに行く”だとか何とかと口にしていたらしい。世迷言のようなその証言は何の証拠にも成り得なかったが、奇妙な言葉を残した後に娘が神隠しにあったかのように忽然と姿を消した事は、間違いようの無い事実であるようだ。


※簪の贈り物……お守りや魔除けを意味し、「一生あなたを守ります」という意味が込められている。つまりは、精神的にも物理的にも“守る”意味合いである。また、愛する女性に愛を伝えたり、結婚して欲しいと伝えたりする、ロマンチックな贈り物でもある。
※櫛の贈り物……プロポーズの意で贈る場合は、「結婚生活は幸せな事も多いが“苦しい”事も多い。共に“死ぬ”まで寄り添って生きていこう」というポジティブな意味が込められている。端的に言うと“苦死すらも共に”という意味合いである。プロポーズ以外で贈る場合は縁起が悪い物とされている為、贈り物には向かない。
※その他、髪飾りの贈り物……常に自分の存在を周囲や彼女自身にアピールすると同時に、彼女が可愛らしく着飾っていて欲しいという意味がある。
※夢で髪飾りをプレゼントされる……吉夢であり、「人から羨ましいと思われるような愛」を意味する。


執筆日:2022.08.01