今年も例外無く年末の忙しさに色んな意味で忙殺され、心を磨り減らしている人間が居た。
当該本丸の審神者を勤める彼女の事だ。
彼女は、現世の実家をそのまま拠点に動いているような者であった為、審神者としての業務と家庭においての家事と板挟みになっていた。
……と言っても、家事においては、それぞれで分担してこなしている故に、其れ程苦ではない。が、年末と言えば、其処に日常家事以外に大掃除等の作業が入ってくる。しかも、其れ+審神者業務も付いてくるのだ。
此れに、元より家事が苦手で要領も悪い審神者は、溜め息と共にボソリと悪態を
「ただでさえ、いつも小言ばっか言われてんのに、年末は毎年の如く増えるから厭になるわ…………っ。おまけに、年々辛辣さ増してくるし」
何が、“必要ならば指示を出せば良いだけ”なのか。肝心な時に限ってその“必要な指示”を出さずに、全て自分の中でだけスケジュール管理をして、其れを人に押し付ける。自分だけの都合で動き、また、自分だけの都合で物を言う。
世の中、自分の思い通りにならなければ気が済まないタイプの人種は、一定数居る。そういうタイプの人間は、決まって自分の理想に叶っていなければ、根本を正す前に気に入らない事を不満として兎に角ぶちまける。そのぶつけにぶつけまくったただの不満の塊な言葉に、傷付いた人間が居るとも知らずに……。
まぁ、人間という生き物は、総じて愚かな生き物である。故に、同族であろうがなかろうが、傷付け傷付き合う。此れを、愚かと言わずして何と言えよう。
年末故の忙しさに忙殺されて、尖った気持ちそのままに苛々を剥き出して、挙げ句の果てに他人へ当たり散らす。愚かな人間としての典型的パターンだった。
そんな人間達の間に挟まれ、肩身の狭い思いを抱えながらも、自分の出来る限りの事は尽くした。其れが、見る側の人間からしてみれば、大した成果とは成っていなくとも。
年の瀬というものは、時にして、最も心が弱る時期でもある。周りの物事に忙殺され、兎に角時に追われ、心も体も置いてきぼり。酷ければ、最悪死を望むようになったりするのだ。
冬の寒さ厳しく陽の閉ざされた季節は、人の心をも暗くし、影を落とす。季節柄、陰の気が最も強まる所以だ。
新しい一年を迎える為の準備に追われる傍らで、其れを望めんとする人が居る。当該審神者も、その一人だった。
辛辣な心無い言葉に傷付き、元より弱っていた心が折れる寸前かの如く、仄暗い目をしていた。
――“来年の今頃も、同じように此処に居るかは判らぬぞ”。
つい漏らしたこの言葉に、或る人物はこう返した。
――“否、十中八九、居ない訳が無い”、と……。
年末故、基本的には誰だって実家に帰ってくるものだと、審神者が必ずしも家に居るものと信じて疑わぬ物言いであった。
だが、こうは考えてみなかったのか。今、この時も、自分の生を呪い、己の存在など無かった方が良いと……あまつさえ、本気で死ぬ事を思い描いていようなどとは。
人は、愚かだ。愚か故に、己の命も他と変わりなく等しく、この世で唯一無二の尊いものであると知りながら、自ら擲ち殺すのだ。
命の尊さをよく知る、心優しき者程、その念が強かったりする。その事を知っていて、胸に留めている者は、恐らく極一部の僅かであろう。其れ程に、世の中は冷たく、心の余裕を失った、生きづらい世界なのだ。
そんな中でも、懸命に藻掻き、命を磨り減らしてでも生きようとした人間は数多の数居よう。けれど、その内の幾人かは、生きるのに疲れ、諦め、死を望み、身を擲っている事を知っているだろうか。否、知っていようとも、きっと目を背けている人間が大多数だろう。
何度も生きるか否かの選択を突き付けた。そうして、結局はずるずると生を貪ってきた。だが、とうとう死を覚悟する時が来たのではないか。
忙殺の最中に心を磨り減らし過ぎた審神者は思った。他人から見たら、“たかが其れくらいの事で”と映るかもしれない。けれど、彼女からしてみれば、一つ一つの選択肢を選び抜く間でさえ、思考の隅では“自殺”の二文字がちらついていたのだ。
常より、“死にたい”、“人間を辞めたい”などという世迷い言のような戯れ言を呟いてきた人間だ。だが、たった一つの些細な事が切っ掛けで、自殺志願者の内の均衡は崩れ去るものである。掬い取ってもらえなかった、汲み取ってもらえなかった言葉に、小さなメッセージが隠れていたとしても。気付いてもらえなければ、其れは塵に等しく。思いは霧散して、忘れ去られていくだけ。
生きる価値など無い、
次の年も変わらず己が居るものと信じて疑わなかった我が家族よ、もしその思いに違う事があろうと咎めるな。きっと、其れは間違いでは無かったのだから。間違ってしまったのは、きっと、己の方なのだ。
言えずのままの嘆きを、思いを、口の中でのみ呟いて、飲み込む。流さなくて良い涙も一緒に飲み込んで、己が最も苦しまずに死ねる方法を模索する。
現状、年末の大掃除やら何やらに時間を取られた結果、審神者としての肝心な仕事の方が完全に滞ってしまった。遅れを取り戻すには、大分骨が折れるだろう。ただでさえ、年末年始は遣る事が多い。大幅な遅れは、己の首を絞める事となろう。
今年は、昨年と異なり、体調も著しく優れなかった。故に、仕事の方のスケジュールと年末故のスケジュールとが上手くこなし切れなくて、片方に集中せざるを得なかった。
おまけに、まともな睡眠も取れなくなっているという始末であった。断続的にしか眠れない、眠れたと思っても夢見が悪かったりだとか何とか……理由は様々だ。要するに、神経が立っているせいもあっての事であった。此ればかりは、年末故、致し方なかろう。
ちゃんとした睡眠が取れなくなれば、自然と人の心など荒んでしまう。死をより強く切望するようになるのも、其れが一因となろう。
諸々分かってはいるのだ。分かってはいるが、感情は其れを御せない。だから――。
「理由付けなど、どうでも良い。お前は、其れで本当に納得しているのか?」
傍らに立った、何処までも真っ直ぐに物事を見る刀が言う。
「もし、お前が本当に納得した上での判断ならば、従おう。主たるお前が死を選ぶならば、その臣下たる俺も付き添おう。黄泉の道とて、一人きりで逝くには寂しかろう。逝くならば、伴に俺も連れていけ。覚悟ならば、お前の刀として降りた時より出来ている」
眠る事が困難になったならば、薬に頼らざるを得ないか。睡眠薬でなくとも、導入剤ぐらいなら、今時何処ででも手に入る。
体質的に弱い薬でも効果が強く出るようならば、手頃に使えそうな物は沢山ある。其れこそ、テレビに流れる宣伝広告などの中に。
「生きるも死ぬも、お前次第だ。お前の命は、お前だけのものだからな。何方に転んだとて、俺は何処までも付いていくが」
本当に、厄介なものだ。身近な人間は、自分の本質を見ようともしてくれないが、代わりに、己が降ろした神様達は、
生きるも死ぬも己次第と、敢えて否定も肯定もしないでくれる。特に、否定されない事は嬉しかった。二十数年余りしか生きてきていない小娘だが、その間、肯定は数少なく、否定ばかりされて育ってきた。何が間違いで何が正しいかなどと講釈を垂れる事無く、ただ在るがままを受け入れてくれた。その思いにくらいは、報いたいと思うのが人の子たる優しさなのだろうか。
散々頭の中で、胸の内で、死ぬ事ばかりを考えていた思考に僅かな陽光が射し込む。
「…………己の命よりも大事な君達を、私なんかの下らない思考で死なせるくらいなら、生きる方を選ぶよ」
何処までも真っ直ぐで温かい眼差しが、審神者を見つめる。その慈しみすら受け取る資格があるのかを躊躇いながらも、苦く苦く不器用に笑って応える。
「――ならば、俺は、その選択を取った事を悔いぬように、お前が進み続ける限り共に付いていく事を誓おう。俺は、俺を愛する者達に報いたい。故に、お前が俺を愛してくれるのならば、どのような形であれ、俺は其れに応えたい」
傍らの紅蓮の刀が、頼もしい言葉と共に審神者の手を取る。導くように、差し伸べられた大きく温かな掌に引かれて、審神者は立ち上がる。
何度挫折しようと、彼等が共に居る限り審神者は折れない。否、折れさせてはくれぬのだ。在るべき歴史が改変されぬ限り、この人間は死なぬのかもしれぬ。其れくらいには、神様達からの念を感じた。
――愛しき人の子よ、迷え。そして、抗え。其方が下した判断に、我等は何処までも付き添おう。例え、その先が、修羅の道、地獄の果てであろうとも……。
公開日:2023.01.16