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死の間際に思う事



 何もかも考えるのが煩わしくなった。
 己を取り巻く全ての事象が、厭になったのだ。
 だから、安易に死を選んだ。
 生きるのに疲れた。生きる事を諦めた。もう何もかもが耳障りだ。
 辛い、しんどい、死にたい。その三つの言葉が思考を占めた。
 もうこんな辛いのから逃げてしまいたい。早く楽になりたい。
 そんな思考から弾き出された答えが、“自殺”だった。
 一度や二度じゃない。“死にたい”という感情は、幾度も抱いた。けれど、今回のは、これまでの比じゃない。本気の本気で死ぬ事を決意した感覚を受けた。故に、思考は次の段階へ進む事を考えた。
 己が最も楽に死ねる方法は何か。色々模索して、最も簡単な方法を導き出した。其れは、眠りながら死ぬ事――つまりは、睡眠薬を利用しての自殺方法だった。
 遣り方は簡単。ただ、眠る前に薬を沢山飲むだけ。通常、薬というものは、用量用法を順守して初めてちゃんとした効果を発揮する。異常な使い方をすれば、忽ち毒に成り変わる。薬とは、古来よりそういったものだと教わった。だから、其れを逆に利用してやるのだ。
 丁度、このところ不眠気味だ。眠れても断続的だったりと、まともな睡眠が取れていない。此れには、精神的な問題や神経的な話が関わってくる訳だが……今はその件については置いておこう。
 ――兎に角、不眠気味を解消する為と偽ってでも手に入れれば良いのだ。そしたら、好きなタイミングで多量に服用し、死ねる。理想通りに、眠ったままあの世へ旅立てるのだ。その他にも自殺方法など幾らでもあるが、なるべく苦しまずに痛みも無く楽に死ぬ方法は此れ以外に無かろう。
 家族には悪いが、適当な言い訳を言い付けておく事にしよう。どうせ、元々厄介者扱いされている身分だ。今更、一人身内が居なくなろうと構いはしないだろう。
 学生時代から引き籠りがちの不登校者、体調不良からの出席日数の不足、全日制から通信制への転学、ストレートでの就職を目指しての専門学校への進学、就職、心身が追い付かなくなったが理由での辞職。見事なまでの、人生失敗続き。
 人生、失敗を経験してこそ強くなる……なぁんて言葉を度々聞くけれど、失敗の数が多過ぎる程、人は落ちぶれていくものだ。其処から立ち直るか、道を外れるかは、人それぞれだが。
 少なくとも、自分は他者に要らぬ迷惑を掛けたくないという風に育ってきた故、極力他者の迷惑にもならぬ形で死にたいと思う。極力、誰も巻き込まない形で、自分だけで事が済むように。
 でも、結局、死んだ後、その後始末を遺された者達に押し付けて逝くのだから、世話ない話か。
 しかし、穀潰しなだけで役立たずな人間が居なくなったら清々する事だろう。要らぬ金を掛けなくて済むようになるのだから。人は生きているだけで金が掛かる。一人分の金が浮くようになる分、生活は少しでも楽になるだろう。まぁ、其れは、金勘定のみでの事を言ったまでで、別の観点から言えば、また異なる答えが見えてくるだろう。
 例えば、貴重な家事の担い手が一人減ると考えれば、どうだろう。当然、分担して受け持っていたであろう事が一遍に一人に集中したりするようになるかもしれない。そうなれば、仕事が増えて良い迷惑だと思うかもしれない。
 または、貴重な稼ぎ手が一人居なくなるとしたら、どうなるか。当然、稼ぎ分が減る為に収入が一気に減る。生活が苦しくなるかもしれない。でも、元より穀潰しで居ただけの役立たずな人間が居なくなったのだ。要らぬ金を掛けずに済んで、結果オーライだろう。
 其れでも、まぁ、死んだ直後というものは、どうしても後始末に金が掛かるものだ。その点に関しては、恨み言を呟かれるかもしれない。しかし、そんなもの、死んだ人間からしてみれば知ったこっちゃない。
 時に、誰彼が死んだ際、このような言葉を耳にした事はないか。“遺された人達の事を考えろ”……などといった言葉を。個人的、此れには少々物申したく思う。何故ならば、死に前に、自殺した人間の発した言葉やメッセージにきちんと向き合ってやったのか否か。もし、この問いに否と答えるならば、そもそもがそんな言葉を吐き捨てる資格も無い事を思い知れ。
 “死にたい”と思う人の中には、辛くとも何とかして生きたいと願う者も居る。故に、何かしらの形で、メッセージを発信しているのだ。“自分はもう限界だ、助けてくれ”という思いを込めて。そうして発されたメッセージやアクションの中には、分かりづらく隠されたものもあるかもしれない。けれども、どうにかして何か一言でも伝わって欲しいという思いが込められていたりする。其れに、気付けるか、否か。ほんの僅かな、些細な変化なだけかもしれない。しかし、其れで一つ一人の命が救われ、無為に失われずに済む事だってあるのだ。
 だが、世の中は厳しく、そんなに甘くはないとも知っている。実際は、誰にも気付いてもらえないまま、辛く悲しい思いを抱いたまま自殺に至るケースだってザラにあるのだ。恐らく、己もそうなるのだろう。
 死んでも悔やみ切れない思いが、未練となってこの世に残るかもしれない。でも、所詮其れだけで終わる。
 ――きっと、自分が死んだ後、家族は悲しむ以前に死んだ己の事を恨むのだ。やれ、葬儀代が掛かるやら、大量にある遺品整理が大変やらと恨み言を呟かれるのだ。生きていても死んでいても恨まれるとは、何とも浮かばれないものだが。先に挙げた事のように、自分が死した後、つらつらと呟かれるのだ。間違いなく、確信がある事である。
 己という存在は、居ても居なくたっても、厄介事を運ぶ面倒な奴らしい。嗚呼、そうだとも。この世は、自分が居なくとも、変わらず回り続け、時は過ぎ去っていくものだ。故に、自分みたいな人間は、死んだ後、その存在は風化して忘れ去られていくのみだろう。はじめから、そう決まっていたのだ。今更思い至ろうと、何とも思わない。
 ……さて、そろそろ色々と講釈を並べ立てるのも厭きてきた。思考し続けている間は、生きている証拠だ。もう、何かを考えるのも疲れた。

 皆が寝静まった深夜の丑三つ時、居間の部屋にて、薬を手に改めて覚悟する。今宵、己は、己の手で自らの人生に終止符を打つ。
 思えば、生まれてこの方二十数年と余り、短い人生の割りには散々なものだった。時には、ありふれた穏やかな日々もあった事だろう。だが、辛く苦しい日々が、其れに蓋をしてしまうくらいには数が多過ぎたのだ。
 いい加減、耳障りな雑音を聞いているのにも疲れてきた。遠くで耳鳴りがする。遺書すら残して消える事も煩わしい。もう、兎に角、放っておいてくれ。一人になりたい。静かに穏やかに過ごしていたいんだ。……最早、そんな感情を抱く事すらも苦痛に成り得るが。
 水を入れたコップをテーブルに、薬の小瓶を開けてザラザラと錠剤を掌の上へぶちまける。さてはて、どれだけ飲めば死ねるだろうか。取り敢えず、大量に飲めば死ねるだろうな。
 寸分ばかり、最後の思考を傾ける。其れすらも何だか莫迦ばからしくなってきて、ふっと乾いた笑みが漏れた。
 さぁ、この世に最後の挨拶を告げておさらばしよう。これまで生きてきた短い生の内にて、関わりを持った者達へと小さな懺悔をしながら。
 掌に掴み取った薬を口許へと運ぶ。
 ――瞬間、何処か遠くの意識で、カチリッと時計の針が合わさる音が聴こえた気がした。
 直後、頭の奥で、聞き覚えの有るような無いような声が、電子的な物を通して響く。
『貴女様には、まだ生きていてもらわねばならない使命が有ります。よって、汝をもって、貴女様を此方側へ転送致します。多少脳にダメージを来すかもしれませんが、ご安心を。仮に、気分を害したとしても、一過性のものに過ぎませんので。――其れでは、転送を開始致します』
 途端、暗転する意識と体中の力が抜けていく感覚に、目蓋を閉ざさざるを得なかった。どうやら、薬を口にする前に、自分はどうにかなってしまうらしい。
 半ば自棄糞に、“もうどうにでもなれ”と思った。
 ――そうして、再び目を覚ました先で見た光景は、思いもしない処であった。


「どうも、おはようございます、審神者様。意識はしっかりしているようですね。体の方は、感覚の方は如何でしょう? 手足共に正常に機能していますか?」
 目の前の視界いっぱいに、何時いつの日か画面越しに見た、毛色違いのもふもふとした獣擬きが、自分に向かって人語で以て話しかけてきている。実際に目にする事は初めてだが、そもそもが実在していた事に驚きを隠せない。
 取り敢えず、理解が追い付かないなりの動揺もそこそこに、質問に対してのリアクションを返す。すると、順次何やらモニターらしき画面と端末とを確認しながら、チェック項目へペケ印を付けていく。
 諸々の確認作業が終わると、横たえられていたベッドごと起こされ、医療機器まみれの空間の地に立たされた。そうして、次の段階に進むべく、新たな説明を受けながら着替えとなる衣服を、その場所の職員らしき人から手渡される。
「此れより、審神者様は、本丸付き審神者というお役目を解任され、政府付き職員への転属及び就任が決定致しました。此れにより、審神者様が運営なされていた本丸は、政府管理のものへと移ります。よって、権限についても政府管理のものへ移行。本丸への沙汰につきましては、追ってお知らせする次第です。此処までで、何かご質問はありますか?」
 右から入って左から抜けるとは、まさにこの事なり。黒いこんのすけ――もとい、くろのすけの言う言葉が、耳から入って頭の中をすり抜けていく。理解の範疇を超えた話であった。
 何かしらを問おうと口を開きかけるも、咄嗟の事過ぎて何も言えず終いとなる。此方が凄まじく混乱しているのにも関わらず、無情にもくろのすけは、ただ淡々と事務口調で用意された言葉を続けた。
「無ければ、このまま次の説明へと移らせて頂きます。よろしいですね?」
 否を唱える隙も無く、有無を言わさぬ圧力で首を縦に振らされた。其れを今の問いへの反応と受け取った管狐は、もふんと尻尾を一振り揺らして次の段階へシフトインしていく。
「本日付けより、審神者様は政府付き職員となられました。此れにより、審神者様には所属部署を宛がわれております。所属先は、審神者様の特性諸々とを配慮した結果、事務方に回されております故、仕事その物につきましては、そう難しくはないでしょう。内部調査報告より、審神者様は、極度の人見知りと人間嫌いという特質がありました為、此れからご案内します部署の配属職員達は、主に“人外”の者達で構成されております。また、配属先の者達へも、既に事情等諸々説明済みですので、その点のご心配は無く。今しがた支給致しました衣類は、此れから配属される職場指定の制服となります故、ご出勤の際は必ず着用願います。付属する腕章も、配属部署を示す証明書みたいなものですので、忘れずに付けるようにしてくださいね。其れでは、着替えが済み次第部屋を移動しますので、済んだら一声お声がけを」
 何もかもが置き去りで進んでいく話に、ウンともスンとも言う隙無く、一旦会話という名の説明は終了。一方的な会話が途切れた事で、少しはまともに思考出来る余裕も生まれたが、やはり諸々が置いてきぼり過ぎて感情やら何やらが付いて来なかった。
 一先ず、言われた通りに渡された制服と思しきスーツ一式に袖を通した。着替え終わった後、忘れずに左肩近くに腕章を付け、最後に髪の毛を軽く適当に整え、職員の人より閉められたカーテンを開ける。真新しい革靴故、少々履き慣れないが、まぁ今はあまり気にしない事にしよう。
 頭から足先までのチェックを終え、場所を移動する。案内役は、勿論くろのすけのみである。ほぼほぼ終始一方的な説明だけを受け、目的地までの道を歩かされる。
 思考する隙があるようで、困惑が過ぎるが故に無いようなものだ。そんな中、ふと或る事に思い至った。
「――俺、結局死ねなかったのか…………」
 此処に来て初めて口を利いて発した言葉は、何とも感情の薄れた言葉だった。
 別に誰へ問うでもなく落とした呟き――もとい、結果に対する感想であったが、其れを偶々拾い聴いたらしいくろのすけが、足元で此方を振り向きながら言う。
「審神者様には、まだやってもらわねばならない使命があります故。此方の把握する歴史上にて、改変以外の事象で無為に散らされては困ります。貴女様は、審神者です。我々にとって、審神者の力は必須となります。その力を有し貴女様を、無為に失うのは戦力面から見ても痛い。故に、生かす方向で、此方側へお呼びしました・・・・・・・。戦力は、刀剣男士等のみとは限りません。審神者という、その役職にて背負ったお役目を、どうか果たされませ」
 静かにただ淡々と諭す為に告げられた言葉全てが、ついさっきまで生を擲とうとしていた身には重く感じた。儘ならない感情を抱えたまま、また自分は生き続けなくてはならないのか。そう思った途端、何も無い自分に無性に不安を抱いた。
 導かれるがまま進めていた足が、不意に止まる。足が、地に縫い止められたかのように鈍く重く動かなくなったのだ。
 人間とは、時に感情に素直になる生き物だ。“心身”という言葉が存在するように、心と体は繋がっているからだ。
 くろのすけは、足を止め、遅れている己の元へと戻り、再び口を開く。
「貴女様は、かの“大侵寇”を乗り越えた、立派な審神者様です。そんな貴女様の守った歴史と本丸は、確かに今もすぐ近くで息衝き、存在しているのです。大丈夫です、貴女様の本丸は無くなったりなどしません。ただ、管理の権限のみが政府へと移行するだけで、彼等の主たる審神者様は貴女様お一人のみです。政府付き職員へとお役目が変わったとしても、当該本丸の主様は貴女様だけ。諸々等が落ち着きましたら、顔を見せに行かれたりなどしては如何でしょう? 我々は、其れを制限するつもりはございません。しかし、今や貴女様は、本丸付きの審神者では無くなった。政府権限のもと、勝手ながら我々側にて変更した事ではございますが、その事につきましては重々ご理解頂きますよう。……最後に、せめて此れだけの謝罪はさせてくださいませ。我々の勝手で、貴女様の生殺与奪の権利を奪ってしまった事、誠に申し訳ございませんでした」
 丁寧に、慇懃にも詫びの一礼をしたくろのすけが頭を下げる。その一連の流れを、茫然と眺め、漸く行き着いた答えに、ただ淡々とポツリと零した。
「――嗚呼……そっか、……俺、死ぬ事すらも許されちゃいないのか…………そうか……そ、か………………」
 行き着いた答えは、あまりにも残酷で無情なものだと思った。
 “死ぬ事すらも許されない”とは、逆を言えば、其れだけ“生かされている”という事なのだ。己はただ死にたいと願ったのに、どうやら己の預かり知らぬ世界の枠組みの内ではまだまだ生きねばならぬようだ。死ねぬ代わりに、その力を必要としている処へ行けと……そういう事らしい。
 この世で最も一番皮肉な事だと思った。悲しいと感じたと同時に、嬉しいとも思ったのだから。最早、感情はぐちゃぐちゃの綯い混ぜ状態であった。
 感情のやり場を失って、どうしようもなくなって、仕方なく俯く。そしたら、滲んでいた視界が余計に揺らいで、意思とは反対に勝手に溢れてきた涙が零れ落ちて、足元の床へ点々と染みを作った。そのまま暫く面を上げられずに嗚咽を押し殺していたら、不意に履き慣れぬ真新しい革靴の先っぽへ小さな足先が乗せられた。くろのすけの前足であった。
 慰めか分からぬ言葉であったが、その場から身動き取れぬまま立ち尽くしていると、彼は徐に口を開いてこう言った。
「――貴女・・は、間違い無く審神者・・・なのだ。気をしっかり持て。そうでなければ、貴女を加護する数多の刀剣の付喪等にどのような顔向けをしろと言うのか……」
 まるで、彼の口から発せられたとは思えない口振りの言葉であった。例えば、そう……“大侵寇”の折に一度だけ通信画面越しで見た、あの三日月宗近より"クダ屋"などと呼ばれていた、某役人のような――管狐を通して誰か別の人物が話しかけてきたかのような――そんな感覚を受けた。
 神妙な顔をしたくろのすけが、自身の顔を見上げ、再び口を開く。
「今はただ顔を上げ、前を向き、胸を張れ。貴女は、かの“大侵寇”を乗り越え生き残った、立派な審神者の一人だ。自信を持って良い、此れは自信を持って言い切れる。貴女は、彼等・・の意思によって生かされた・・・・・人の子。ならば、その命、生きる為に使え――……此方からは以上です」
 靴先から前足を退けたくろのすけがくるり身を翻し、前を行く。己も其れに付いて行くべしと歩き出す。亀のようにノロマな歩みであったかもしれないけれども、確かにその場から先へ進もうと歩み出した瞬間であった。
 先を行くくろのすけに導かれるようにして歩き続ける。こうして、私という人間の第二の人生は動き始めるのだった。


執筆日:2023.01.18