▼▲
不器用同士だからこそ



 感情は嘘をかない。
 表面上は幾ら取り繕えても、内面的な部分は何時いつだって素直なものだ。人間という生き物であれば、愚かな人間であればある程尚更に。
 ――そう、己はこの世に降ろされて思った。

 己の主は、自分達に対しては比較的素直に物を口にする方の者であった。しかし、同時に、本当の本心の部分は上手く隠してしまい、語ろうとはしない、ある意味器用な人間であった。
 慎重なたちをしているからなのか、自身の中の奥深く核心に迫るような部分には何重にも蓋をして触れさせてはくれない。けれど、彼女は素直な性格の持ち主でもあったから、存外自分達へ身の内に纏わる事を打ち明け語った。
 我が主たる女人は、嘘をかない。確かに、嘘を吐く事は無いのだろう。しかし、裏を返せば、本当に思っている肝心なところの言葉や思いを口にする事は憚り、敢えて先を語らず口を閉ざしている事と同義であったり。心を閉ざされるよりはマシであるからにして、我々も何も言いはしない。だが、本音を語れば……きっと、人で言うところの“寂しい”という感情を抱いていたのだろう。


 ――或る日の事だ。
 つい先程まで書物を読んでいた筈の主が、床に伸びて顔を伏せていた。疲れてそのまま寝てしまったのだろうかと思って、手近な処に置いてあった肩掛けを持って側へ寄った時である。ほんの小さく微かな音であったが、確かに主の方から鼻を啜るような音が聞こえたのだ。驚いた己は、数秒間程固まってそのままその場から動けずに居た。そうすると、続け様に彼女が嗚咽を堪えて吐息を飲み込む音が耳に届いた。
 いつも気丈に振る舞っている主が、一人の人間に等しく、感情を外へ溢している。常ならば、あまり見せてもくれない内側の部分を。今は、何かしらを切っ掛けに見せてくれていた。
 彼女とて、一人の人間だ。ならば、人並みに悲しみもすれば泣きもするだろう。人の子は、皆等しく愛しい存在だ。其れは、完璧でない程尚愛しいものである。
 己はそっと側に寄り、今しがた耳にしたものは聞かなかった事のように振る舞う事にして、口を開く。
「……そんな処で何も掛けないまま寝転んでいては、風邪を引いてしまいますよ。せめて、何か掛けておかなくては……ね」
 努めて優しく、何でも無い風に、いつも通りを装って、寝転ぶ彼女の背にする方側へ腰を下ろし、呟く。
「……あまり、無茶はするものではありませんよ。貴女は、私共にとって、大事な主なのですから……。本丸を導くべく気を張るのも結構ですが、時には肩の荷を下ろして気を抜く事も大事ですよ。そうでないと、人の心など簡単に壊れてしまいますからね……。休む事だって必要不可欠な事です」
 己の正面は彼女とは真逆を向いたまま、手のみを後ろ手に回して彼女の頭を撫ぜる。初めてまともに触れた人の子の温度は、何とも温かく、そして優しい手触りがした。
 泣いたって良いのだ。我慢するばかりでは、心が磨り減っていってしまうから。時には、感情のままに、思うままに心揺らし正直になっても良いのだ。其れが、生きとし人の持ちし感情というもので、我々が最も愛しく思う部分であるから。
 武器の中にも、戦を嫌いとする物も居る。例えば、己のように。だが、其れは人の間でも同じ事が言えるのだ。争う事を良しとせず、また、忌避して、なるべくいさかいを起こさないようにと自分を抑え込んで生きる、不器用な人間が。我が主は、其方側の人間だったらしく、人並みに生きるだけで苦しみを抱くような不器用人間であった。だが、其れで良いのだ。皆が皆して完璧でない事は、誰しもの知る事。ましてや、何も知りもしない内から完璧になど成れやしないのだから。器用でも不器用でも、関係は無いのだ。
 ――ただ、愛しい。其れだけに尽きるように思えた。
 気付けば、審神者は横たえていた身を起こして、後ろ背に己の肩へ身を寄り掛かっていた。己に見えるは、思ったよりも細く華奢な肩と彼女の後頭部に、其処から垂れる柔く細い髪の毛の一部だけである。此方側からでは、顔色は窺い様も無かった。けれど、其れで良かった。彼女は、自身に背を預けた。肩口に頭を預けてくれた。言葉は無くとも、彼女が取った行動が信頼の証のように受け取れたから。
 己は、静かに再び口を開く。
「……お疲れ様です、主」
 単なる労いの言葉に過ぎずとも良いだろう。その一言が、この哀れにも愛しい人の子の心が救われるのならば。幾らでも口にしてやろうではないか。些細な言葉一つで、この若き人の子の心根を癒してやれるのであれば。何かを説いたり語り聞かせるくらいの事しか出来ぬのであれば、其れくらいは出来よう。凡そ、己も武器として生きるには不器用なのであるから。互いに不器用同士、補い支え合っていけたら僥倖である。
「――……有難う」
 小さな感謝の言葉の呟きが後ろ背より聞こえてきた。恐らく、今の感謝の言葉には肩掛けに対する意味だけでなく、様々な意味を含んだ礼の言葉だったのだろう。そう、己は短い言葉に込められたものを解釈して受け取った。
 彼女は、己に対し言葉を発した。別に、黙り込んだままに口を利かずとも良かったのに。泣いたという事が丸わかりな鼻声の状態で、敢えて言葉を発した。この事に、自身は彼女なりの信頼感を感じたのであった。


 ――其れから、幾月と年月を重ねての事。
 あの時よりは確かに立派に、また少しは強みを増した彼女が声をかけてくる。
「江雪兄様・・ぁ、次の作戦についての侵攻で周回用部隊編成に江雪兄様も組みたいと思うんだけど……良いかい? レベリングに当てたいんだよね。丁度、江雪兄様経験値二倍組メンバーに入ってるし」
「主がそのようにしたいのでしたら、私はその采配に従いましょう」
「つまり、異存無しって事でおk?」
「ええ。貴女の居る泰平の世を守る為ならば、戦にておのが刃をふるう事も惜しみませんとも。其れで、貴女のお力になれるのでしたら、努力は惜しみません」
「ふふっ……随分と信頼されたもんだ」
「貴女の元に戻ってきた、貴女の刀ですから」
「ふふふっ、極めて色々吹っ切ってきた江雪兄様は前にも増して強そうで安心した!」
「ふふっ、貴女の刀ですから……当然の事でしょう」
「ふはっ、当然の事と来たか。こりゃ参ったな」
「貴女の為でしたら、戦を嫌うこの刀も力をお貸しますよ。私で良ければ、貴女の力にお使いくださいね」
 さあ、今日も今日とて、彼女の為におのが力を揮おう。平和な世の歴史を取り戻す為に。引いては、彼女の生きる歴史を守る為に。


執筆日:2023.01.24