感情は嘘を
表面上は幾ら取り繕えても、内面的な部分は
――そう、己はこの世に降ろされて思った。
己の主は、自分達に対しては比較的素直に物を口にする方の者であった。しかし、同時に、本当の本心の部分は上手く隠してしまい、語ろうとはしない、ある意味器用な人間であった。
慎重な
我が主たる女人は、嘘を
――或る日の事だ。
つい先程まで書物を読んでいた筈の主が、床に伸びて顔を伏せていた。疲れてそのまま寝てしまったのだろうかと思って、手近な処に置いてあった肩掛けを持って側へ寄った時である。ほんの小さく微かな音であったが、確かに主の方から鼻を啜るような音が聞こえたのだ。驚いた己は、数秒間程固まってそのままその場から動けずに居た。そうすると、続け様に彼女が嗚咽を堪えて吐息を飲み込む音が耳に届いた。
いつも気丈に振る舞っている主が、一人の人間に等しく、感情を外へ溢している。常ならば、あまり見せてもくれない内側の部分を。今は、何かしらを切っ掛けに見せてくれていた。
彼女とて、一人の人間だ。ならば、人並みに悲しみもすれば泣きもするだろう。人の子は、皆等しく愛しい存在だ。其れは、完璧でない程尚愛しいものである。
己はそっと側に寄り、今しがた耳にしたものは聞かなかった事のように振る舞う事にして、口を開く。
「……そんな処で何も掛けないまま寝転んでいては、風邪を引いてしまいますよ。せめて、何か掛けておかなくては……ね」
努めて優しく、何でも無い風に、いつも通りを装って、寝転ぶ彼女の背にする方側へ腰を下ろし、呟く。
「……あまり、無茶はするものではありませんよ。貴女は、私共にとって、大事な主なのですから……。本丸を導くべく気を張るのも結構ですが、時には肩の荷を下ろして気を抜く事も大事ですよ。そうでないと、人の心など簡単に壊れてしまいますからね……。休む事だって必要不可欠な事です」
己の正面は彼女とは真逆を向いたまま、手のみを後ろ手に回して彼女の頭を撫ぜる。初めてまともに触れた人の子の温度は、何とも温かく、そして優しい手触りがした。
泣いたって良いのだ。我慢するばかりでは、心が磨り減っていってしまうから。時には、感情のままに、思うままに心揺らし正直になっても良いのだ。其れが、生きとし人の持ちし感情というもので、我々が最も愛しく思う部分であるから。
武器の中にも、戦を嫌いとする物も居る。例えば、己のように。だが、其れは人の間でも同じ事が言えるのだ。争う事を良しとせず、また、忌避して、なるべく
――ただ、愛しい。其れだけに尽きるように思えた。
気付けば、審神者は横たえていた身を起こして、後ろ背に己の肩へ身を寄り掛かっていた。己に見えるは、思ったよりも細く華奢な肩と彼女の後頭部に、其処から垂れる柔く細い髪の毛の一部だけである。此方側からでは、顔色は窺い様も無かった。けれど、其れで良かった。彼女は、自身に背を預けた。肩口に頭を預けてくれた。言葉は無くとも、彼女が取った行動が信頼の証のように受け取れたから。
己は、静かに再び口を開く。
「……お疲れ様です、主」
単なる労いの言葉に過ぎずとも良いだろう。その一言が、この哀れにも愛しい人の子の心が救われるのならば。幾らでも口にしてやろうではないか。些細な言葉一つで、この若き人の子の心根を癒してやれるのであれば。何かを説いたり語り聞かせるくらいの事しか出来ぬのであれば、其れくらいは出来よう。凡そ、己も武器として生きるには不器用なのであるから。互いに不器用同士、補い支え合っていけたら僥倖である。
「――……有難う」
小さな感謝の言葉の呟きが後ろ背より聞こえてきた。恐らく、今の感謝の言葉には肩掛けに対する意味だけでなく、様々な意味を含んだ礼の言葉だったのだろう。そう、己は短い言葉に込められたものを解釈して受け取った。
彼女は、己に対し言葉を発した。別に、黙り込んだままに口を利かずとも良かったのに。泣いたという事が丸わかりな鼻声の状態で、敢えて言葉を発した。この事に、自身は彼女なりの信頼感を感じたのであった。
――其れから、幾月と年月を重ねての事。
あの時よりは確かに立派に、また少しは強みを増した彼女が声をかけてくる。
「江雪
「主がそのようにしたいのでしたら、私はその采配に従いましょう」
「つまり、異存無しって事でおk?」
「ええ。貴女の居る泰平の世を守る為ならば、戦にて
「ふふっ……随分と信頼されたもんだ」
「貴女の元に戻ってきた、貴女の刀ですから」
「ふふふっ、極めて色々吹っ切ってきた江雪兄様は前にも増して強そうで安心した!」
「ふふっ、貴女の刀ですから……当然の事でしょう」
「ふはっ、当然の事と来たか。こりゃ参ったな」
「貴女の為でしたら、戦を嫌うこの刀も力をお貸しますよ。私で良ければ、貴女の力にお使いくださいね」
さあ、今日も今日とて、彼女の為に
執筆日:2023.01.24