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真夜中に聴くラジオ



 ラジオから流れてくる時報を耳にしながら、珈琲片手に本を読む時間が最高に平和で贅沢だ。
 明日は仕事も休みで日がな一日のんびり出来る。かと言っても、朝の洗濯はあるから、あまり夜更かしのし過ぎはお勧め出来ない。けれど、偶には真夜中という時間にじっくりのんびりゆったりとした時間を過ごすのも良いものだろう。こういう時間も、時には大切である筈。
 今夜は外も静かで、飼い猫もぐっすり健やかな寝息を立てていて大人しい。
 さて、今日は何をして過ごそうか。珈琲を飲みながら、日が昇った先の事を考える。
 一先ず、一寝入りする前に洗濯を回して、軽く適当に御飯を腹に入れて、ついでに猫にも餌をあげて。その後は、洗濯物を干すだけ干したら、のんびり夕方過ぎまで寝てしまおうか。
 赤の他人の目線で端から見たら、怠惰が過ぎるようなふしだらでぐうたらとしたスケジュールだろうが、偶の一日くらいこんな日があったって罰は当たらないだろう。
 嗚呼、なんて平穏で健やかな時間なのだろう。私は、この穏やかな時間が、一等好きだ。


 ――お昼過ぎ、古来、いにしえの頃より“八つ刻”と呼ぶ時分程の事だ。
 不意に、来客を告げるチャイムの音が鳴り響いた。其れまで静謐を保っていた家に、唐突に鳴り響いた呼び鈴の音。肝心の家主が眠っていた為か、飼い猫も大人しくしており、其れ故物音は最低限しか立つ事は無くずっと静かだった。そんなところへ、来客のチャイムだ。
 間を置かず何度も鳴らされる呼び鈴の音に、堪らず動いた飼い猫が飼い主の元へ出向き、言外に“起きろ”と手荒な仕草で起こしに掛かった。其れに漸く現実世界へ呼び戻された家主は、無理矢理叩き起こしてきた飼い猫の存在の次に、喧しい程に鳴らされまくる呼び鈴の存在に気付く。
 取り敢えず、寝惚け眼ながら身を起こして、枕元に放っておいた携帯を確認する。しかし、特に何の連絡もメッセージも送られた気配は無い。ならば、全くの未定の相手という事だろうか。
 一先ず、あまりにも何度も鳴らされるチャイムの音が五月蝿うるさくて、飼い猫が迷惑そうに不満げに鳴くので、早いところこの喧しい音を鳴り止ませなければ。そう思って、寝起き頭を何とか働かせて、最低限の身支度を整わせてから玄関先へと赴く。
 寝付いてから思ったよりも時間が経過していないせいか、滅茶苦茶に眠い。全く、予約も無しの来客とは、一体誰だろうか。せめて前日までにアポ取りをしてからの来訪にして欲しい。
 欠伸を噛み殺しながら鍵を開けた扉の先には、偶の極稀に姿を見せる知り合いが相変わらずの様子で佇んでいた。
「やぁ。久しいな。あまりに鳴らしても出ないから、出掛けて不在なのか、知らぬ内に死んでしまったのかと思ったぞ」
「……お前ェかよ、うぐ……。来るなら来るって、前日までにはアポ入れろって、前にも忠告した筈なんだが……忘れたのか?」
「嗚呼……そういやぁ、前回訪れた際にでも言われた気がするが、今の今まですっかり忘れていたな。すまん。ところで、絶賛物凄く眠たそうな顔をしているが……どうした? 見たところ、カーディガンは羽織っているが、その下は寝間着だろう?」
「つい今しがたまでぐっすり爆睡中だったんだよ……。完全来客の予定も何も無かったからな……いきなりの来訪でビビったわ。お陰様で、折角せっかく気持ち良く寝てたところ、お前の来訪で喧しい程鳴らされたチャイムの音聞いたウチのお猫様が迷惑そうな顔で“早よ五月蝿うるさい音止めさせてこい”って起こしに来たわ……。マジで勘弁してくれ……っ」
「ふむ。つかぬ事を訊くようで悪いが、お前昨日何時に寝たんだ……?」
「昨日っつーか、今朝んなってからだけど……。今日は仕事休みで一日フリーだったから、此れ幸いにと読み溜めしてた小説を、夜中にラジオ聴きながら珈琲飲みつつ読破してて……其れで、朝までずっと起きてて。早朝帯ん時間なった頃に洗濯機回して、お猫様に餌遣って、適当に飯食って、その間に回り終わった洗濯物干してから寝たから…………うん、今凄く眠いな。まだ寝足りないせいで物凄く眠いよ…………」
「ははぁ〜っ。成程、其れでか。其れにしても、随分と不健康な事をする。夜更かしのし過ぎは体に毒だぞ……?」
「今日は偶々そんな気分だっただけで、毎晩夜更かししてる訳じゃないから誤解すんな……」
「そうか。にしても、本当に眠そうだな。此れは、今回ばかりは出直してきた方が良さげか……?」
「うるせぇー……っ。迷惑に思うなら、せめてアポ入れてから来いやぁ……っ。次は絶対に連絡寄越してからにしろよ……じゃなきゃ家に入れてやんねぇからな……っ」
 眠たいながらもブチブチと文句を垂れ、慣れた風に部屋へと上げる。案内は適当に、突然の来客に「何だ、誰だ此奴は?」と足元へ付き纏い、半ば纏わり付いてくる飼い猫を仕方なく抱き上げ、やはり此処でも欠伸を噛み殺しながら、アポ無しでやって来た男へ押し付ける。
 そして、寝惚け眼を擦りつつ最低限の事を告げる。
「お茶なら奥の戸棚のいつもの場所にストックしてるのがあるから……好きに淹れて好きに飲んで。あと、家留守にするなら鍵掛けて出るの忘れないでね。鍵はポストにinさえしてくれれば後で回収するから……。ふわぁ〜ぁっ……ねむ、寝る……っ。おやすみ〜……」
「何だ。折角せっかく来てやったというのに、また寝てしまうのか。が……まぁ、此方が其方の都合も聞かず考えずの勝手に来た訳だしな……。致し方なしとするか」
「来たタイミングが悪かったな……。じゃ、私部屋戻って寝るから……留守居役宜しく頼んだぁー……っ」
「あぁ、宜しく任されるさ。お猫様の面倒も喜んで引き受けよう。俺の事には構わず、気にせず安心してゆっくりと眠ると良い。おやすみ、璃子」
 一先ず、最低限伝えねばならぬ事だけ伝えて、部屋へと戻ってベッドへと潜った。相当眠かったのか、其れとも単純に寝足りなかったせいか、布団に横になるとおやすみ三秒の早さで寝付いた。
 その間、別室の居間で我が物顔で寛いでいたふわふわ頭の男は、飼い猫をゆうるり構い倒しながら呟く。
「ふふっ……そういう訳だから、今日のところは俺が遊び構ってやろう。飼い主は盛大にお眠の様子だからな。こういう時くらいのんびり寝かしてやろう。彼奴も大概、昔から・・・生き急いでいるような奴だからなぁ。偶の一日くらい、のんびりとした穏やかに過ごす日があったって良いだろう。なぁ、ハチ……?」
 男の穏やかな笑み付きの呟きに、飼い猫の蒼眼でロシアンブルーな毛並みをした猫は「なぁーん」と一鳴きして返事を返すのだった。


執筆日:2023.03.08
公開日:2023.03.10
加筆修正日:2023.12.21