▼▲
陰気な刀は細やかな甘えを乞う



 審神者は項垂れたように顔を覆い隠して歩いていた。正確には、頭痛が酷くて辛いから堪え切れずに頭を抱えるようにして歩いていただけだったり。その内訳をつまびらかにすると、季節の変わり目にはよくある気圧変動からの気象病――早い話が、片頭痛であった。
 今回の片頭痛は、初めて秋の花粉症を患っての影響も多大にあるだろう。今までは冬から春(蓄積分が治まるまでを考慮した場合、最悪初夏の頭までも含む)の季節限定で苦しめば済むと思っていた。一年の半分を我慢すれば良いと思っていたのが、今年度ばかりは変わってしまったようである。秋の花粉達が居たのだ。伏兵とばかりに襲ってきた奴等は、ただでさえ何時いつまでも残っていた夏の名残りに弱り切っていたところへ畳み掛けるように猛威を振るってきたのである。当然、これまで何とも無かった筈の季節故に備えなど一切しておらず。案の定標的となった審神者は、見事秋の花粉症まで発症するに至ったのである。おまけに、其処に片頭痛まで追加された。弱り目に祟り目とは、控えめに言って泣きたい気分だ。せめてもの慰みは、今年度は特に酷いとの事で各地で秋の花粉症患者が続発している為に同じ症状に苦しむ仲間が数多く居る事だ。
 医者に処方してもらったアレルギー薬を飲んで症状を抑えていても尚辛い花粉に加えての片頭痛に、早くも泣きそうになっている審神者は、そそくさと目的地までを急く。そうして辿り着いた一室の前は、刀剣男士等が主に生活拠点とする棟の一角であった。幾ら相手は己の部下とは言え、親しき仲にも礼儀ありだ。入室する前に一言断りを入れた審神者は引き戸を横へスライドさせた。
「光世ちゃあ〜ん……っ」
「どうした、そんな弱り切った声を上げて……。俺に何か用か?」
「ちょいとお力お借りしても宜しいでしょうか〜?」
「俺の霊力が役に立つならば、力を貸す事もやぶさかではないが……用件は何だ?」
「うへぁ……っ。まぁ〜……その、光世ちゃんはそのまま寛いだままで構わないので〜……ちょっとだけ、肩なりお膝なりを貸して頂ければ、其れで……っ」
「別に、好きにしたら良いが……」
「ご協力あざまっす……。んだば、ちっと失礼させてもろて……っ」
 一応はのつもりで訊いてみたものの結局要領を得なかった事に男は首を傾げつつ、よたよたと四つん這いでにじり寄って来る審神者を許す。力無い返答を零すなり彼の側へ寄って行った審神者は、其れだけで力尽きたとばかりに彼の心臓裏辺りへ頭突きする形で止まった。そのまま頭を支点に凭れ掛かるようにして引っ付いた審神者は嘆息く。そうして、思い浮かんだ事を取り繕う事も無くストレートにぼやいた。
「あ゛だま゛……い゛たい゛ぃ゙〜……ッ」
「……成程、そういう事だったか……」
「ふんぎゅぅ〜……ッ」
「おい、そのままじゃ辛いだけだろう? もう少し楽な体勢に変えたらどうだ?」
「……最早、動くのもしんどいんじゃぁ……っ」
「其れは散々だな……。俺は、病や怪異は斬れるが、ただ其れだけで、天候までは変えられん……そんな刀だぞ。そんな刀相手で良いのか……?」
「……こんな時は、光世ちゃんしか頼れないから来たんだよおぅ……っ」
「薬研藤四郎や実休光忠だって居るだろう?」
「……一番効果高そうなのは光世ちゃんにゃんだって、分かれよぉ〜……っ」
 すっかり弱気な声になってしまっている様子に苦笑を漏らした彼は、後ろ手に腕を回して頭を撫でる事で慰めとした。其れを素直に受け取った審神者は甘えたように殊更擦り寄る。然し、このままでは少々体勢にキツさを感じたのか、徐ろに半身振り返るとぺたんこ座りで座り込んでいた審神者の両脇を抱え上げ自身の正面へと移動させた。そして、胡座座りで寛いでいた股の上へ下ろすと、其処がお前の定位置だと言わんばかりにクッションか何かのように抱え込んだ。尚、一連の流れは全て無言で行われている。
「…………えっと、光世ちゃん……?」
 何の前置きも無しの展開に審神者の頭の中は疑問符が占めた。咎めはしないが、せめて一言何か言って欲しい。一貫して無言の彼に一瞥を寄越せば、視線を察したのか、ちろりと一瞥を返した彼が口を開く。
「偶の空き時間くらい甘えてくれたってばちは当たらんだろう……?」
 今のを意訳して解釈すると、“自分に対してはあまり甘えてくれないんだから今日くらい甘えて欲しい”という事を言いたかったのだろう。普段無欲的な男からの甘えの訴えに乙女の純情はキュンッとときめいた。青っちろい顔色に笑みを浮かべて此れを良しとした審神者は、彼の言葉に甘えるように逞しい胸元へ抱き着く。表情こそ分かりづらいが、その反応を嬉しそうに受け入れた彼は僅かに口角を上げて抱き込んだ。相思相愛か。
 己の胸へ頬擦りをする審神者を愛しげにすら見つめる男は、彼女の髪を梳くように頭を撫ぜる。少しでも己と居る事で彼女の痛みが和らぐのならばとの念を込めて、優しく優しく。
 その内、心地良さから小さく欠伸を漏らした審神者。寝不足が祟って睡眠負債が増えてばかりいた所為だ。察しの良い男は此れに気付き、労る姿勢を見せた。
「眠くなったか……? なら、そのまま寝れば良い。……どうせ、非番で何も遣る事が無くて暇だったんだ。俺の事は寝具だと思って気にするな」
「いや、流石の其れは申し訳なさ過ぎるよ……っ」
「だが、移動するのも辛いんだろう? 遠慮せず、俺の事など構わず寝ておけ。その方が、後々にも良いだろう……?」
 明らかに気遣われている。其れを如実に悟った彼女は、苦い笑みを零して首肯した。この際、恥も矜持も捨てて甘えてしまうが吉だ。彼の提案を受け入れた審神者は、彼の懐でもそもそと身動ぎ楽な体勢に整えると、一息いて落ち着く。端から見て、審神者は男の懐でよこしに体を丸めた状態であった。
 改めて落ち着いた様子に幼子をあやす其れみたくポンポンと背を叩けば、此れに柔ら笑みを零した審神者は、ゆるりとした瞬きを落としたのち目蓋を伏せた。そうして、一度だけぎゅっと眉間に力を入れて顰めっ面を作った彼女は、その顔を見られたくないとばかりに俯き胸元側へ擦り寄る。完全に己の胸元で見えなくなる一瞬見えた眦の光る粒に、何も見なかった事にした男は細長い息をいて寛ぐモードへ戻った。
 ――そうして、静かで穏やかな沈黙が二人を包んで暫く経った頃。開いた障子戸からひょっこりと顔を覗かせた第三者が中の様子を見るや否や、不思議そうな表情を浮かべた。
「なぁ、何してんだ其れ……っ?」
「ん……? あぁ、兄弟か」
 同派の陽気な弟分の掛け声に部屋の外へと視線を向ければ、首を傾げながらも兄弟の側へやって来たソハヤノツルキが、陰気な男の懐で丸くなっている塊を覗き込むようにして屈み込んだ。此れに、男は一瞬兄弟へと視線を寄越したが、すぐに懐の塊へと視線を落とし、ついでにいつも以上に声を落として呟いた。
「ただでさえ秋の花粉症で辛いところに、片頭痛まで加わって辛いんだそうだ……」
「あ゛ー……っ、そいつぁ辛いわなぁ。……ところで、主のその図は何してんだ?」
「少しでも回復に努める為に、今はほんの少し眠っているところだ……」
「あっ、其れ寝てたところだったのか……っ。悪ぃ、邪魔しちまったかな?」
「いや、兄弟ならば構わないだろう。……ただ、もう少しだけそっとしておいてやってくれ」
「了解……っ! 他の奴等にも其れとなく伝えとくわ。何なら、主の為の冷えピタ、持ってきといてやろうか?」
「……頼んだ」
「へへっ、任せろ……!」
 兄弟に頼られた事が嬉しかったのか、内番ジャージの上着を翻して静かに去って行く。その背を見送った男は、再び懐の彼女へと目線を落として一つ微笑む。
「…………偶の一時くらいは、こうしていたって悪くはない、か」
 すっかり己の懐で健やかな寝息を立てる審神者の横頬を親指の腹で撫ぜる表情に、蔵に籠もってばかりな天下五剣の姿は無かった。


執筆日:2023.10.26
公開日:2023.10.28