朝方、ふと、厠に行きたくなって目を覚ました。
まだ誰も起きてこない時間だった。
他の奴を起こさないようにと、そろりと布団を抜け出て、部屋を出る。
さっさと用を足して、厠から部屋へと戻ろうとして、ふと空を見上げた。
(三日月か…まるで、政宗公の兜みたいだな…。)
ふ…っ、と浮かんだ考えに笑みを浮かべていると、ある部屋から灯りが漏れている事に気付いた。
丁度、二階の審神者部屋からだった。
(アイツ…まだ起きていたのか?)
今は、まだ空は暗いが、もうじき日が登り始めるくらいの時刻ではあるだろう。
そんな時間まで起きているとは、夜更かしも良いところだが…。
そんな時間まで起きていなければいけない程、〆切の迫った書類は無かった筈だ。
主に、光忠が近侍を務める為に、そういった類の話は自然と俺の方まで届いていた。
ならば、何故、もうじき朝になろうとしているような時間まで起きているのか。
少し気になって、様子を窺いに、部屋へと向かう為に向けていた足を変えた。
音を立てぬよう、階段を上がれば、灯りが漏れていた件の部屋がある。
躊躇う事無く襖に手を掛ければ、簡単に襖は横へと滑り開いた。
見れば、窓際近くにある文机に、彼女は居た。
部屋の中の灯りは、文机にあるスタンドのライトのみで、他の電気は点けられておらず薄暗かった。
「こんな時間まで仕事か…?随分と仕事熱心な事だな。」
ある種の皮肉を込めてそう呟いてやると、耳に嵌めていたイヤホンを取り、此方を振り向く。
『伽羅、ちゃん…?どうしたの?こんな時間に…。』
「それは此方の台詞だ。今、何時だと思ってる。いつまで起きているつもりだ、アンタは。」
『あっはは…っ。いや、ちょっと眠れなくてね…っ。』
「それで、今やらなくて良い仕事をわざわざやってたのか…?」
『あー、まぁ…確かに、この書類の〆切はもうちょっと先だけど…。別に、早く片付けておく事に越した事はないからさ…!それに、仕事してたのもついさっきまでで…今は、本読みながら、静かに音楽聴いてただけだから…っ。』
明るく振る舞おうとして、無理をしたように笑う奴だったが…変に引き攣って笑えてなかった。
だから、少し低めの声で核心を問うた。
「…本音は?違うんだろう…?」
そう言えば、彼女は一瞬躊躇うように口を噤んだ。
そうして、観念したように溜め息を吐けば、乾いた笑みを浮かべて笑った。
『何だ…バレてたか…。』
「寧ろ、今の下手な嘘を、俺が信じると思ったか…?」
『いや…伽羅ちゃんには、バレるんじゃないかなとは思ってた。』
「それで…本当のところはどうなんだ?」
『はは…っ、伽羅ちゃんには敵わないや…っ。』
「良いからさっさと言え。」
『はいはい…っ、言いますよぅ…。』
そう返事をした奴に、少なからず安堵した俺は、入口に立ったままだった身を動かし、襖を閉める。
そして、奴の前に腰を下ろして見据え、先を促してやると、言葉を続けた。
『本当は、さ…。最近、何でか解んないんだけど、怖い夢や変な夢をよく見るんだ…。それが嫌で…怖くて、眠りたくなくて……。』
「それで、こんな時間になるまで起きていたと…?」
『うん…っ。音楽を聴いてたのも、気を紛らわせる為とか、余計な事を考えないようにする為とかでさ…。』
「酷く眠れないのなら、誰かを呼んで、寝付くまで一緒に居てもらうなり何なりすれば良かっただろう…?」
『それだと、迷惑かかっちゃうから…あんまし良くないかなって思って…。』
「はぁ…っ。光忠なら、喜んで一緒に居てやったと思うがな…。」
『えぇ…っ!でも、こんな事まで頼むのは、気が引けるっていうか…っ、常に頼りっぱなしだから、申し訳ないかなぁ、と……っ。』
「はぁ〜…っ。面倒くさいな、アンタ…。」
『ゔ…っ、ごめんなさい…っ。』
少し棘のある言い方をしてしまった。
つい癖で素っ気ない態度を取ってしまうが、今は、そういう態度を取りたいんじゃない。
今の言い方で、解りやすくしょげてしまった彼女を慰めてやる為、弁明をしておく。
「別に怒ってる訳じゃない…。ただ、そんなに眠れないのなら、誰かを頼れば良いって言いたかっただけだ。俺だって、アンタに頼られれば、其れに応えるつもりだ。」
真摯に真っ直ぐ見つめてやれば、誤解は解けたようで、ゆるく頷かれる。
だが、しかし、まだ彼女の不安の種は解消されてはいない。
「ほら、本やら何やらは片付けて、さっさと横になれ。アンタが寝付くまで、俺が側に居てやるから…。」
『え…っ、でも、それじゃあ伽羅ちゃんが寝れないんじゃ…。』
「なら、アンタの隣で一緒に寝てやるから。それなら、文句も、要らない心配をする必要も無いだろう…?」
『お、おぅ…。伽羅ちゃんが良いのなら、それで良いけど…。』
「解ったんなら、早く寝ろ。俺は眠い。」
『ご、ごめん…っ。今、寝るから…!』
慌てて急いで机の物を片す奴に、溜め息を吐く。
漸く寝ようとする意思を持ったか、此奴は…。
何もかも、一人で抱え込もうとするのが、此奴の悪い癖だ。
横になって、肩まですっぽり布団を掛けたまでは良かったが…一向に目を閉じる気配は無かった。
「……おい。いつまでそうしているつもりだ…?」
『あ…ごめん…っ。何か、目を閉じたら真っ暗になっちゃうから…また変な夢見そうだ、とか思っちゃったら、不安で…っ。』
「まだ、心配か…?」
『…うん…。』
「そうか…。」
『あっ、別に、伽羅ちゃんが頼り無いとかは思ってないよ!?まだちょっと気持ちが落ち着かないだけで…っ!』
「わざわざ言わなくても解っている…。もう、黙ってろ。うるさいから。」
『……うん…。』
再び、二人の間で沈黙が下り、静かになる。
一呼吸挟んで、静かに告げた。
「俺には、倶利伽羅龍の加護がある…。その俺が側に居れば、アンタにも加護が届くだろう。例え、また嫌な夢を見ても、龍がアンタの事を守ってくれるから、心配しなくて良い。アンタは静かに大人しく寝てろ。俺が側に居るから…安心しろ。」
不安で握り締められていた掌を取り、優しく握ってやる。
冷えて白くなった手を温めてやるように。
俺の温度を分けてやるように。
安心させてやる為に、龍の紋を描かれた左腕を彼女の背中に回してやり、ポンポンと一定のリズムを刻んで叩いてやる。
確か、以前、光忠が言っていた。
「人の子を寝かし付ける時に、ポンポンと優しく一定のリズムで叩くのはね。それは、人の鼓動の音と似ていて、落ち着くからなんだって。母親のお腹に居る時に、胎盤を通じて聴こえる母親の鼓動の音とそっくりだからっていう説もあるらしいよ?」
…と。
その後、続けて、「まぁ、本当かどうかは、刀である僕達には解らないけれどね。」とは言っていたけども。
彼奴が言っていたのは、どうやら正しい事だったようだ。
優しい手付きでゆっくりと叩いてやっていれば、次第に眠くなってきたのか、目蓋を閉じ始めた。
「眠いのか…?」
『んぅ…っ。』
「なら、無理しないで、寝ろ。」
『…ぅん……。』
「おやすみ…璃子。」
名前を呼んでやったのを最後に、奴は目を閉じた。
聞こえてくるのは、規則正しい寝息だけだ。
(漸く寝付いたか…。全く、世話の焼ける奴だ。)
さらりと頭を撫でてやれば、柔らかな髪が指の隙間を通り、淡い石鹸の香りが漂った。
嫌いじゃない匂いだ。
仕方ないが、俺は彼女のお頼み通り、少しだけの間、一緒に寝てやる事にしたのだった。
―暫くして、近侍として彼女を起こしに来た光忠が部屋へと入ってきた。
「あれ…伽羅ちゃんじゃないか。どうして、伽羅ちゃんが璃子ちゃんと一緒に寝てるの…?」
「夜明け前まで起きていた此奴を寝かし付けてやってたついでに、一緒に眠ってやっていただけだ。」
「えっ?そうだったの…!?」
「寝付いたのがついさっきなんだ…寝かしといてやれ。仕事も、多少午後にずらしても差し支えはないと思うぞ…?眠れないと言って、まだ先の〆切の書類を少しばかり片付けていたみたいだからな。」
「もう…また無茶な事して…っ。」
「今夜寝る時は、光忠、お前が付いてやれよ。俺はもう勘弁だからな。」
そう言って部屋を出て行こうとすれば、光忠の奴に引き止められた。
「何処に行くの…?」
「自分の部屋だ。俺はまだ眠い…。自室に戻って寝直す。朝餉が出来たら起こしてくれ。それまでは寝とくんでな。」
もう用は済んだと、部屋を出る。
後から、光忠が何か呼びかけていたような気もしたが…無視した。
「あっ、待ってよ伽羅ちゃん…っ!ちょっと伽羅ちゃん…!!もー…っ、勝手に言い逃げていくんだから…っ!!」
朝餉の時間になり、叩き起こされた後、奴の件で光忠に質問攻めにされたのは、言うまでもない。
が、俺は馴れ合う気はない為、全て聞き流すのだった。
執筆日:2018.04.24