孫六兼元は困っていた。うっかり髪留めを失くしてしまったのだ。
風呂に入るまでは髪を結っていた為、手元にあった事はしっかりと覚えている。だがしかし、浴室へ向かう前に外して脱衣籠に服と一緒に纏め置いた後から行方知れずとなっている。要は、入浴を済まして脱衣所に戻ったら失くなっていたという事なのだ。
念には念をと、自身の服を入れた籠を引っくり返して探してみるも見付からず。一応、自身が利用した脱衣籠の近くの棚を利用した他の者達にも訊いてみたが、皆一様に首を横に振って見ていないと口を揃えて言った。
さて、困った。本丸に顕現してから日が浅い故に所有物が少ない事もあって、仮に大した拘りは無くとも、顕現した時から身に付けている唯一無二の私物であった。其れを失くしたともなれば、少し残念に思う。代わりの物は、探せば幾らでもあるだろうが、出来れば自分の物を使用したいところ……。下ろしたままでは邪魔になるからと纏めるのに使っていた髪留めを失くしてしまった。
取り敢えず、一旦自室にと用意された部屋へと戻って今一度風呂に入るまでの記憶を思い返してみようと、碌に髪も乾かさずのまま足を向けた。そうして、刀剣男士等の自室が連なる棟を進んで角を曲がった先で、ばったり審神者と出会した。考え事に耽るあまりうっかりぶつかりかけるも、何とか勢いを殺して寸でで踏み止まる。
「おっと、此れは失礼。まさか主人とぶつかりそうになるとは。大丈夫か?」
「うん、孫六さんがぶつかる寸前に止まってくれたから大丈夫よ。孫六さんは、お風呂上がりかい?」
「あぁ、汗を流してさっぱりしてきたよ。今日は畑当番だったからねぇ……すっかり泥だらけさ。まぁ、何度か内番をこなしたからか、だいぶ体の動かし方には慣れた感じではあるが」
「其れは重畳。内番を苦手とする子も何振りか居るけれど、皆が成長する為でもあり、また、本丸を運営していく上での糧にもなるから。今後も定期で内番に組み込んて行くんで、頑張ってくだせぇな」
「はは、はっ……こりゃ手厳しいね。まぁ、主人のご命令とあらば頑張らない訳にはいかないか」
会ったが縁とちょっとした会話を交わすのは、親密度を上げていく為でもある。幾ら主従という関係と言えど、良い関係を築けていなければお互いに気まずく、円滑に事を進められなかったりと何かとやりにくいだろう。ましてや、孫六は此処本丸においては新参者だ。周りに馴染む為なら、会話というのは最も有効な手段であった。
一先ず、挨拶がてらにそれとなく話してさっさと部屋まで戻り探し物の続きをしようと考えていると、タオルを首に引っ掛けた状態で濡れ髪を放置していたのを見咎めたのか、審神者の視線が彼の頭へと留まる。
「お風呂上がりすぐだからかな、孫六さんが髪下ろしてるとこ初めて見た。普段髪結ってる人が下ろすと雰囲気変わるね。てか、孫六さん、もしかして髪濡れたまんまかい? 見るからにビショビショやんけ」
「あー……一応ざっと適当には拭いたんだが、完全に乾き切るまで拭くのは面倒で……つい」
「無精しちゃ駄目だよ〜。今時季はちゃんと髪乾かしとかないと風邪引いちゃうよ? 脱衣所にも共用ドライヤー置いてあった筈なんだけど、使わんかったん? それとも、ドライヤー苦手で敢えて使わない派だったり?」
「いや、そもそもアレの使い方がまだ分かっていなくてな……。一応、段だら模様の奴等に教わりはしたんだが、いまいち掴めなくて……結局拭くだけに留めて後は放置していたんだ」
「おやまぁ。そいつぁしゃーないわな。アレだったら、俺が乾かしてあげようか? 使い方慣れるまでは誰かに乾かしてもらうのも手だから、遠慮無く手の空いてそうな誰かに頼むと良いよ。ウチは全振り揃ってる本丸だから、刀剣数多い分世話焼くのが好きな奴も多くてな。短刀や脇差の子等なら喜んで引き受けてくれると思うから、次の時声かけてみんしゃいな」
「わざわざ主人の手を煩わせるのは忍びない……と言いたいところだが、
「ふふっ、素直なのは良い事だ。ドライヤーなら俺個人専用に使ってるのが部屋にあるから、付いておいで」
「おや。主人は何か用があって
「うんにゃ、別に特に用は無いで。寝るまで暇やったから、ちょいと本丸内でもぶらつこうかと思うて適当に歩いてただけッス。誰かしらと会ったら暇潰しにその子と駄弁るか〜的にしか考えとらんかったし、全然構んよ」
「ふむ、そういう事なら安心して付いていくとしますかね」
主人たっての申し出を断るのは忍びない。此れは本音だった。よって、素直に甘える事にしたのは良かったのだが、よくよく考えれば今の主人は女人であった。口調が男寄りの勇ましいものだった印象故にうっかり忘れかけるところだったが、そういえば女人だったのである。そんな相手の部屋へ夜も更けた時分に訪れるのは、些か不味い事になるのではないか。主従という建前がある以上、其れを侵すのは御法度になるだろう。刀剣男士と恋仲にある審神者が居るという話も全く聞かない訳ではないが、自分と主人がそういう関係ではない為、迂闊に出入りするのは不味い気がした。そう思い至るなり、孫六は審神者へ問うてみた。
「あのー……今更なんだが、夜も更けた時分に主人の部屋に立ち入っても良かったのかい? ほら、俺は此処に来て日の浅い新人風情だろう? そんな男がそうひょいひょい出入りしても良いものか気になってね……」
「あぁ、ウチはその辺ゆるっとしてっから心配ご無用さね。そりゃ流石に俺が人払い命令出してる時に用も無く来られんのは困るけど、今回はちゃんと用があって来るんだし。誰も文句言ったりせんて。仮に言ってくる奴が居たら勝手に言わせとけ。まぁ、出来る限り喧嘩はやめて欲しいけど……物壊して膨大な修繕費用掛かるのだけは勘弁願いたいんでね」
「はははっ…………そういう意味で言ったんじゃなかったんだが、まぁ良いか」
「うん……? 孫六さん、今何か言った?」
「いや、何も」
一先ず、変に気にするだけ無駄らしいという事だけ把握して、今は大人しく審神者の後を付いていく事にした。
斯くしてやって来た離れの審神者部屋、もとい執務室兼私室。自室故か、審神者は堂々たる姿で部屋へと入っていく。その後ろを、ちょっぴり緊張しながら一言断りを入れつつ付いていく。
襖で仕切られた部屋は小ざっぱりとしていて、整理整頓の行き届いた雰囲気の部屋だった。入ってすぐの部屋は執務スペースという事もあって、主に書類作成や整理の為に使われるのだろう。資料を纏めた本棚や種類別にファイリングされた物が仕事机周辺に置かれているのが真っ先に目に付いた。用があるのは私室兼寝室の方なのか、襖で仕切られた奥の部屋へと入っていく審神者。流石に其処まで付いて入っていくのは憚られ、手前の位置で手持ち無沙汰に腕組みをして佇んで待つ。寸分経たずに戻ってきた審神者の手には、目的のドライヤーが握られていた。
「ほい、此れが俺のドライヤーね。俺は基本髪は乾かす派やから、風呂入った後は必ず使うんよ。人によっては、濡れたまんま枕にタオル敷いて寝る派の人も居るけど、そうすっと翌日寝癖酷うなったりするけんね。あと単純に風邪引く要因にもなるし。髪傷むっつーのも逆に手入れ面倒になって嫌やから、なるだけ乾かした方が良いよ〜。もしドライヤー苦手やったら、せめてしっかり水気は取ってね。風邪引いてもアカンし」
「まぁ、まだ片手で数える程しか使った事がないんで何とも言えないが……主人がそう言うのならば今後の参考にする事にしよう」
「ほいたら、一旦適当な処に座ってもらおか。そんままやと流石に乾かされへんし。あっ、座布団使うなら此れどうぞ」
「じゃあ、遠慮無く」
「ほーいっ。んだば、まずは先にタオルである程度拭いてからにしような〜。一応、力加減優しめに拭くけど、痛かったりしたらちゃんと言うんやで?」
「承知した」
「んじゃ、リラックスしてゆるっとしとってね〜」
恐らく外つ国の言葉だろう。あまり聞き慣れぬ横文字らしき言葉で言われた事で一瞬意味を理解するのに遅れたが、何となくの雰囲気で察し、言われた通りに肩の力を抜き、大人しく髪を拭かれるだけに身を委ねる。
人の身を持って経験するのはあらゆる事が初めての事ばかりだったが、誰かに髪を拭かれるという行為もなかなかに良いものである事を知った。自分で拭く時は、適度に水気を拭き取るぐらいの感覚で適当にわしゃわしゃと手を動かしていただけだったが、他人からされる場合に限りそうではない。端的に言って、何とも心地の良いものである。ただでさえ風呂の後で気分が良くなっているところに此れは、更に気持ち良くなってしまって睡魔が襲って来そうだ。うっかりうとうとと舟を漕いでしまわないように、内心気持ちを引き締めて拭く作業が終わるのを待つ。
「んー……もうだいぶ良さげかな? ある程度水気は取れたから、今度は本格的に乾かす為にドライヤー使ってくね〜。始めは熱風で乾かしてくから、熱かったりしたら言ってね。あと、慣れない内は音にビビるかもやから、怖くなった時もちゃんと申告してね? ドライヤーってかなり音
「了解した」
事前に次は何をするかを逐一口にしてくれる辺り、気遣いが行き届いていて慣れない自分には有難い。ドライヤー初心者に優しく、乱藤四郎が見ていた動画のように美容院の美容師みたく自身の手に一度試しに熱風を当てて温度を確かめてから髪へと当てていく。風量もターボよりも優しめのモードでゆるっと乾かしていく。審神者の気分は、すっかり美容師さんである。だからなのか、乾かす合間に掛ける言葉も何処となく美容師っぽい会話となっていた。
「孫六さん熱くはないですか〜?」
「うん、今のところは平気だな」
「はーい、じゃあこのまま乾かしていきますね〜」
ドライヤーを使う前に
最後に、肩をとんとんと軽く叩いて作業が終わった事を告げ、一言添える。
「ほい、作業終わり! お疲れ様でした〜っ」
「おぉ……いつの間にかすっかり乾いているな。いやぁ〜、世の中便利になったもんだ」
「せやろ〜! 今の時代色んなところで便利になっとるき、超絶楽になったで〜。うん、今に
「ははっ、確かに。既に便利な利器があると知ってしまった訳だしなぁ。あと、主人の手付きが心地好い事も」
「ふふっ、お気に召したんでしたらまたの機会にご利用くださいな。……ところで、寝る時髪どうするんか聞いてなかったけん、ただ軽く整えるだけに留めたんやけど。寝る時も結ったりすんねやったら、俺がついでに髪も結っといたろか? 髪留め貸してくれたら結ったるけんども……どうする?」
「あ゛ー……その、非常に言いにくいんだが……其れが、どうも失くしちまったらしくて見当たらないんだ。風呂に入る直前に脱衣所で外したまでは覚えているんだが、その後が何処を探しても見付からなくって……っ」
「ありゃ、そら大変。其れじゃあ髪邪魔になっても結えんくて困るやんなぁ?」
「まぁ、今日はもう時間も遅いし明日にでももう一度同じ場所を探してみようと思っていたんだがね。出て来なかった場合はどうしたものかな、と……。代わりの物は探せば幾らでもあるとは分かっているんだが」
「あいやー。髪留めとかの細かい装飾品はよく紛失しやすい物やからね〜。皆も一度は必ずやらかす事やから怒ったりとかはせーへんけど、使い慣れた物が失くなると途端に不便なるもんなぁ。んーっと……間に合わせの代替品で良いなら、俺のヘアゴム貸そうか? 俺ヘアゴム幾つか持ってるから」
「良いのかい?」
「構わんよ。丁度飾りも付いてないシンプルなヤツがあるし、出て来るまでは其れ貸したるわ。一応、出て来なかった用に予備で孫六さん用のヘアゴム作っとこうな。自分のヘアゴム作る用に買って余らしてたゴムの束あるから丁度良いわ」
ドライヤーを元の位置に仕舞うついでに再度奥の部屋へと引っ込んだ審神者。次に戻ってきた時には、自身が普段使いしている茶色のヘアゴムとヘアゴム製作用のセットを持っていた。ちなみに、此れは余談だが、普段使い用の物はヘアセット用具を纏めたポーチにいつも仕舞っている物である。彼と同じく風呂を済ませた後だったので、襟足が首裏までしかない髪は下ろしたままにし、其れまでに使用していたヘアゴムは外して仕舞っていたのだ。
戻ってくるなり手に握っていた茶色のヘアゴムを孫六へ手渡し、そのまま先程の位置に腰を下ろした審神者は持ってきたゴム束と鋏を手にして早速ヘアゴム製作に取り掛かる。
「孫六さんが使ってる髪留めがどんなんかよく知らんから、適当に俺のと
「ふむ。大体主人の物と似たくらいだったと思うが……」
「おk。ほんじゃ、そんくらいで行こか」
母親にヘアゴムを作ってもらった端からよく失くしていた子供の頃とは違って今はそんなに失くさなくなった審神者だが、髪が結えるくらいの長さになるといつも纏めてしまっている故に、髪留めの使用頻度は高い方だ。その為、劣化から結わえている途中でブチンッと千切れてしまう事が稀にある。その度に新しく作ったりしていたもので、最早慣れたものである。其れ故、作る時間も然程掛からずあっという間に完成してしまう。何せ、作る過程がゴムを適度な長さに切って後は輪っか状に結んでしまえば出来上がりだからだ。なんて簡単。
数分と掛からず出来上がった代物を手渡された孫六は、掌に乗せられた其れをしげしげと見つめて感嘆の声を漏らした。
「ほい、完成。どや? 大体
「ほぉ〜っ、こりゃ見事なもんだ。こんな短時間であっという間に出来ちまうなんて。手慣れた手付きなのも驚きだ」
「そりゃあ、俺も昔はよく失くしてた頃があってやねぇ〜。まぁ、子供ん頃の話やけども。失くす
「成程。そういう過去があったから作る手付きが手慣れていたって訳か。いやはや、恐れ入った」
「ははっ、こんくらい孫六さんだってすぐに出来るようになるさね」
「じゃあ、次の機会の際は、是非とも手取り足取り教えて頂くとしようかね?」
「俺自身は全然構わんけども……ヘアゴム作るぐらいなら、他の子も出来るで? わざわざ俺を頼らんくてもそっちに頼む方が孫六さん的にはええんやないの?」
「うーん、別に俺は特に拘りを持っている訳じゃあないからなぁ。主人さえ良ければ、また手の空いている時にでも頼んでも良いかい?」
「孫六さんが俺が良いって事なら、了解したわ」
自身の手の上にある髪留めは、自身の髪と同じ黒色であった。髪が細く猫っ毛質である審神者の髪を纏めやすい細めのヘアゴムは、作り手が審神者自身であるからか僅かに霊力が込められている。恐らく、作る過程で無意識に込められたものだろうが、まるで御守りのような温かみを感じた彼は小さく口角を上げて微笑んだ。
「こいつぁ大層失くせない代物になっちまったなぁ……」
「え? もしや、審神者である俺が作ったからって事かいな? いやいや、たかが髪留め如きに大袈裟だよ〜! こんなん俺じゃなくても誰でも作れるし、そもそもそんな大層な
「其れでも、主人であるアンタが手ずから作った物であれば何だって有難みが増すってもんさ。有難く頂戴
「ふふっ、真面目さんというか何というか、律儀な子やねぇ」
「誠意を尽くしてくれる者には其れ相応の敬意を払うのが忠義ってものだろう? ましてや、相手は俺の主人たる御仁と来たもんだ。礼を言うのは当然の事さね」
「ははっ。まぁ、ヘアゴム作っただけでそんな風に喜ばれるんなら幾らでも作るけど」
「では、お言葉に甘えてもう一つ同じ物を作ってもらっても? 間に合わせの代替品として先に渡された物は、主人の私物だって言うしな。俺は今貰った
本音と建前を上手く混ぜて自然な形で返却してきた孫六。其れに審神者はキョトンとしながらも、「確かに言われてみればせやったな」という風に納得した様子で肯定を示し素直に受け取った。そして、頼まれた通りに二つ目のヘアゴムを生成するなり先程と同じように手渡す。
「もしまた失くすのが不安やなって思うんやったら、今度髪留め仕舞う用の収納箱か何か見に万屋へ一緒に行こうか?」
「おや、一緒に見に来てくれるのかい?」
「孫六さんはウチの本丸に来て日が浅いきね、まだ万屋には行った事無かったろう? 初めては基本自分の買い出しついでに御伴がてら俺が道案内で付き添うのよ。中には、同じ刀派同士で連れ添って行く事もあるけども。孫六さんが嫌じゃなければ俺と行くかい? 丁度近い内に買い足したい消耗品あったから、その買い物ついでになるけど」
「こりゃ思ってもみないお誘いだ、断る理由が無いね。そんな訳で、是非とも御伴願いたく」
「へい、畏まり〜っ! じゃあ、早い方が良いから、早速明日の空き時間にでも見に行こうか。たぶん、午後からなら仕事落ち着いて時間出来ると思うし。確か孫六さんは明日午前のノルマ周回後は非番で時間空いてたよね? 疲労してなさそうだったら、昼餉食べて腹休めした後にでも行こうか! 初めての万屋は楽しいぞ〜! 何でも揃ってるからな! 外から眺めるだけでも楽しめるよ!」
「ほぉ、そいつぁ楽しみだな! では、明日に備える為にも今宵はもう休むとしますかねぇ」
「せやな。其れが良かろうねぇ。俺も厨で白湯でも飲んだら寝るとしようかね」
自室へ寝に帰ると言う孫六を見送るついでの流れで、そのまま厨へ寄って行くとした審神者が後に続こうと腰を上げる。そうして、二人して一人部屋である母屋の一室前まで歩いて来て、さてお別れという瞬間になったところで、ふと孫六は障子を開けた手前で背後を振り返った。そのまま腕組みをしたポージングで少し屈み込み、すぐ真後ろへ引っ付くように付いて来ていた審神者の顔を覗き込むようにして呟いた。
「そういえば言い忘れていたと思って今更になるが……。夜半に自ら男を部屋に招くというのは、些か危なっかしく思えるんだが……自覚有ったかい?」
「えっ……?」
「その返事は“自覚無し”という風に受け取るが……そいつぁ少し俺の事を甘く見過ぎだぜ、アンタ。新参者とて、俺も男の身……夜半に
「ひょえ……ッッッ」
分かりやすく身を縮こまらせてビビる様子を見せた審神者に、分かりやすくわざと其れらしき態度を取ってみせた孫六はニヒルな笑みを浮かべて、彼女の目元を隠すように落ちていた前髪を横髪と纏めて一掬いに耳へ掛けた。そして、トドメとばかりに耳元へ唇を寄せ囁く。
「――まぁ、アンタが夜伽をお望みなら、このまま主従の垣根を超えてアンタを抱く事も
明らかに
「にゃっ、ななな何か飛んでもない誤解を受けそうな事を仕出かしたのは俺が悪かったけども! そそそ、そういうのは一切募集してないんで、欲求不満の発散をお求めなら花街の方をご紹介させて頂きますんで、そちらをご利用なさってもらってもよろしくって!? 俺なんか貧相なお相手するよか、遊郭でご活躍なすってる姉様方のがべらぼうに美人且つ女も羨む程のナイスバディで溢れてると思いますんで……!! 何なら、未経験の俺よか経験豊富なテクニシャンな筈だから!? もしご利用の際は申請さえしてくれれば経費で専用手形配布出来るんでご参考程度にッッッ!!」
「……へぇ、そう来るかい。いや、今回はそんな気分じゃないから花街云々の件は丁重にお断りさせて頂くがね。今しがたの返しにまさかの返答が返ってくるとは思わなかった所為で、現在進行形で俺は少しばかり衝撃を受けているんだが……。てっきり完全
此処まで言えば、今後暫くは警戒心を持って迂闊な行動も言動も控えるだろう。臣下が主人と別れる別れ際に告げるには飛んでもない爆弾を落とした気もしなくもないが、此れくらい言っておかねば天然鈍ちんの生娘には効かない事は明らかであった。結果、想定以上の効果があったのか、審神者は茹で蛸の如く顔を真っ赤に火照らせて戦慄き、最後に「み°ッ」という鳥の声らしき鳴き声を上げて以降人としての言語を失っていた。思ったよりも効き目があったようで何より。
普段男口調の振る舞いがテンプレートであるが故に忘れがちだが、我等が主人は女人である。例え振る舞う性が男寄りとて、中身が女寄りならば、言い寄り様によっては簡単に落ちてしまうかもしれない。馬の骨とも知れぬ下賤で不埒な輩にくれてやるくらいなら、己がと声を上げる者は数多い筈だろう。本丸に顕現して日の浅い自分とてすっかり入れ込んでいるのだから、
宇宙猫空間とやらに意識を飛ばしてしまったのか、すっかり思考停止し硬直してしまっている彼女の意識を呼び戻す為にも、もう一声だけかけておく事にした。
「おーい、大丈夫かぁ? おーい、しっかりしろ主人〜?」
「――ハッ……!? いっけねぇ! 思わず完全にスペキャに嵌って現実逃避しかけてたわ……ッ!!」
「おう、戻ってきたようで何より……っ。まぁ、色々言っちまったが、今日のところは後は余計な事はせずに大人しく部屋へ戻って休め、ってな事が伝えたかっただけだ。他は、まぁ……忘れてくれて構わないからさ」
「つい先程の衝撃で今すぐ忘れられるとお思いか??」
「おや。主人さえその気なら、このまま俺の部屋で色事に洒落込むのも
「失言大変申し訳御座いません!! 念の為誤解の無いように言っておきますが、孫六さんの事は決して嫌いではありませんので御免遊ばせ……っ!! 本音ぶっちゃけましたら心の準備が出来てないどころが色々と既に重傷ダメージを負っております故ね!! 今回ばかりはお気持ちだけ頂いて丁重にお断りさせて頂きますわ!! またの機会が御座いましたらその時は考えさせて頂きますね!! それでは此れにておさらばご機嫌ようお休みなさいませぇーッッッ!!!!」
「お、おぉっ……おやすみぃ〜……??」
照れ隠しか独特な口調とテンションで何やら盛大に飛んでもな事を暴露してから走り去って行った審神者の背中を、呆然と見送って今度こそ自室の戸を閉めて床に就く孫六。審神者から貰ったお手製の髪留めは頭の上――枕元に置いた衣服の上に御守りの如く纏め置いた。布団に横になってから改めて彼女が最後に言い残して行った台詞を思い返してみたら、なかなかな事を言われた事を遅れて自覚し、既に布団の中へ入ってしまっているのに口元を隠すように呻く羽目になった。
(よくよく考えると、“またの機会があればその時は考えさせてくれ”って事はつまり……? まだ諦めるには早いって事なのでは?? 逆を言えば、期待しても良いって事の裏返しなのでは……??)
ちょっと大人の余裕を見せ付けて
「はあぁ〜……ッ、参ったねこりゃ…………。クソッ……明日二人きりで向こうが仕掛けてきた時我慢出来る自信無いぞ……ッ!! 全く、こうも俺を翻弄してくれるとは……飛んだじゃじゃ馬娘なご主人様だッッッ……!!」
――翌日、朝餉の時刻に間に合う頃に起きれば、失くしたと思った髪留めは、別の刀が間違って自身の脱衣籠を触った際に己の物と勘違いして持って行ってしまっていたと判明した。次いで、その
☆斯くして、二人の行く末や如何に――!
公開日:2023.11.12
加筆修正日:2023.11.16