其れは、とてつもなく冷えた夜の事だった。
師走の候とは言え、あまりの寒さに手足が冷えて冷えて仕方なく、なかなか温もらぬ末端に厚着した布団の中に籠もっても尚震え凍えていた。足元にはきちんと
師走にしては過ぎる寒さは、恐らく冬至も迎えぬ内から寒の先取りをしてしまった所為にあろう。床に入る前に見た気象予報で言っていた。例年よりも低いこの気温は、本来であらば年明けの睦月頃の寒さであると。どうせ頑張るなら、暦通り季節に応じた頑張りを示して欲しいと、本当に居もするか分からぬ冬将軍へ向けて思う。そんな者に恨みつらみを募ったところで、詮無き事だが。
兎に角まぁ、其れ程に寒かったのだ。寒過ぎて、一向に体が温もらず、眠れずのまま時間だけが過ぎ去るのを感じていた。すると、どうだろう。遠くから誰かが
不意に、審神者部屋の前で足音が鳴り止んだ。其処から先に入って来れるか否かで、此方の出方は変わってくる。静かに音の
審神者部屋は、パッと見はただの二間続きの和室なだけと思われるが、その実は、敷居を境目にぐるりと部屋を一周するように結界で守られている。その境目を越えられたという事は、まず異の者ではないとして、一先ず安堵に胸を撫で下ろした。
執務室を抜けた先に在るのは、審神者の私室兼寝室となる、通称奥の間と呼ばれる場所である。そして、其処には、床に就きながらも眠れず寒さに震え凍える哀れな人の子が布団の中で身を丸めて居た。
隣室で畳を踏み締める音が、奥の間の襖の前で一度立ち止まる。少しばかり中の様子を窺うような間を空けた後に、襖の片方を横へ引いた何者かは、そろり、その足を室内へと踏み入れた。僅かな間とて無駄な冷気を入れたくはないのか、軽い身のこなしで素早く戸を閉め切ると、再び静謐な夜の間が降りた。身動ぎ一つせず身を固めて冷えを耐え忍ぶ審神者は、寝る為にと閉じた両の目を瞑ったまま相手の出方を待つ。一寸の間が空き、枕元付近に動く気配を感じたのち、布団の上に降る声が一つ。
「寝たフリをしているのは分かってるぜ。大方、この寒さから体の芯が冷え切って寝ようにも眠れなかったんだろう? 君は
此方からの返事を必要としない、ほぼ一方的に降ってきた言葉は、此方を気遣ってのものであった。一部、私情が挟んでいなくもなかったが。聞き覚えのある、低く耳障りの良い声音に、無駄に張り詰めていた警戒を解く。体の力を抜き、そのまま声の
「そのまま丸まってても寒くておちおち寝てられもせんだろう。今宵は一段と冷える……。そんなちっこい懐炉なんか抱いてないで、此れを寝間着の上から着込みな。ちょっと寝づらいかもしれんが、今よりかは多少マシになるだろうさ。断りも無しに夜半の刻に閨へ押し入った詫びだ。せめてもの償いとして、君の体を起こして着せるくらいの世話は焼いてやろう」
「ん゙ん゙……寒いんだから、布団取らないで……」
「ちょっとの辛抱だからちょびっとばかし堪えてくれ」
そう言って、夜闇に浮き出るくらい頭から足先まで真っ白な姿をした男は、布団のかまくらを一部崩してその中で固く丸まっていた猫の子みたいな人の子をずるり起こすと、己の腕に抱いていた衣を羽織らせた。寝ている間も脱げぬようしっかりと着込ませたいのか、袖先にまで腕を通させる世話焼きっぷりだ。此処まで来れば、流石の彼女とて暗闇に慣れた目を開かざるを得なかった。そうして覗いた先で映った相手は、声から察していた通りの
明かりも落とした薄暗がりの中でも分かる程眩い金色の眼を覗かせて見下ろす、末端とは言え平安生まれに等しいくらいには神位性を発揮する刀の一振りが居た。何くれと己の世話を焼きたがるは、伊達の血筋か。今宵の厄介焼きも利害の一致を求めての思い付きであろう。冬仕様のもこもことした暖かい生地の寝間着の上から着込まされた衣に視線を落として、僅かに眉間の皺を寄せた。
「……寝るのに何で戦装束の上っ張りなんか着せるの……?」
「君があんまりにも寒がってたんでな。寒さを凌ぐ為の足しにしてくれと思って持ってきたのさ。あぁ、ちゃんと戦の後洗濯に出して光坊が洗ってくれてるんで綺麗さに関しては保証しよう」
「そういう問題ではないと思うのだけれど…………」
「まぁまぁ、この際細かい事は気にしない方向で行こうぜ! ほら、俺も寝間着だけで寒いんだ。ちょっと端に寄って隣に入れさせておくれ」
「……何でこの時間此処まで来るのに何も羽織って来なかったのよ……」
「其れは、まぁ……ほら。こういう事の為だよ」
するり、猫が擦り寄る如く寄せられた身に抱き寄せられて、一方的に再び布団の中へ居戻る事になった。初めから寝るつもりで床へ就いていたので、寝る体勢へ戻してくれるのは有難い。けれど、添い寝もしくは共寝を許した覚えは無いと、勝手に湯たんぽ或いは抱き枕の如しと抱き込み横臥した男の腕を
「ちょっと……っ、まだ何も許可してないんだけど……?」
「必要無いだろう。敢えて問わずとも分かり切っている事を、わざわざ訊くのも悪いしなぁ。寒くて眠れなかった者同士仲良くしようじゃないか」
「コレじゃ別の意味の仲良しになりそうだからお断り致します……」
「ははっ、一国一城の
寒過ぎて眠れなかったのは自身も同じだ。けれど、そう簡単に許しても良い事なのか、一瞬迷いが生じて口籠る。こういう
言い訳にすらならない建前を脳内で並べて、大人しく端に寄って彼が寝やすいスペースを空ける。すると、薄暗がりの中でも手に取って分かる程破顔した男は、彼女に衣を着せる為にと一時的に起こして剥いでいた布団の一部を勢い良く戻した。少しばかり手荒な其れに文句を言おうと開きかけた口は、しかし、寸でで頭ごと胸元へと引き寄せられた事で噤む他無く。先までとは大いに違う、人肌の温もりが触れる直ぐ側の傍らにある事に絆されて、ついでとばかりに甘やかすように髪を梳く手に眠りを促されて黙って目を閉じた。
常ならば、己よりも低いと思っていた男の体温は、想像していたよりも温く、冷え凍った足先や手の指先を温める湯たんぽには丁度良かった。何なら、寝間着の上から着込まされた衣がある分、暑くなりそうな程に。けれど、今暫くはこのまま居ようと頭の隅で考えた審神者は、素直にされるが儘で居た。彼女の其れに、その身を抱く男は愛しげに目を細めて見つめる。
「どうだい、一人で布団に籠もっていたよりもずっとマシな感覚だろう……?」
「……うん」
「朝までずっとこのままで居れば、俺も君も気付かぬ内に眠気が来てちゃんと寝れるさ。大丈夫、君が望まない限り下手な真似はせんと誓おう。そもが、元よりそのつもりもなく来た訳だしな。今回のは、飽く迄も互いが互いを温め合う為の意図としてだけを目的にしている。其れ以上も其れ以下も無い」
「……下手な真似って?」
「ふふ、そりゃ訊くのも野暮ってもんだろう……? 湯たんぽに抱く以外は何もしないから、君はゆっくりお休み。良い夢を、な」
眠気を促すように前頭部付近へ口付けを落とされて、とっとと寝るよう胸元へ抱き込まれる。悴みが解けて強張りの緩んだ手指を絡め取るように握られるも、人肌から伝わるじわじわとした熱に芯がぽかぽかとしてきたのに促されて、結局審神者はそのまま寝付いた。そんな彼女の身に温もりを求めて懐へ抱いていた男は、審神者が寝付いた後も暫し真顔で彼女の寝顔を見つめる。
(君は恐らく気付いていないんだろうが……こう見えて俺は、生き急ぎ過ぎて早死し兼ねない君が心配で堪らないのさ。存外、俺は君が思っているよりも君に入れ込んでいるんでな……。出来る限り長生きしてくれなきゃ寂しいし、つまらんだろう。明日を憂いて泣くばかりの日々が過ぎたのなら、少しは生きる事に重きを置いてくれ)
寒さから低下した体温による所為か、血の気の引いた蒼白い色を曝した頬へぺとり、素肌のままの掌をくっ付けて思う。するり、撫ぜたところから自分の体温が移れば良いと、猫のような目を細めて無言で眠る彼女の額へ擦り寄った。
男は、誰にも聞こえぬような声で潜めて呟く。
「君は、少し
審神者の知らぬところで、鶴丸国永はうっそりと嗤う。
――翌日。予想していた通り、寝ていた途中で暑さに蹴脱いた布団に、半分以上はだけた衣。おまけに、寝相で捲れた寝間着に、加えるように無防備にも布団からはみ出た真白い腕と足先を。寝起き一番の視界に入れた男は、むくりと起き上がった男としての
「おぉーい主、朝だぞ〜。光坊達が朝餉を作って待ってる頃だから、起きろ〜っ」
「…………ぅ゙ん゙〜……ん…………っ」
「こら、起きないと駄目だって。朝餉を食いっぱぐれちまうぞ?
「ん゙ん゙………………寒い」
「そりゃそんな乱れた格好のまま居れば寒かろうさ。冬の寝起きは
「…………んぅ、御飯……食べりゅ」
「なら、起きて身支度を整えてきな。俺も部屋に戻って着替えてくるから……。ついでに、寝覚ましに冷たい井戸水で顔でも洗ってくるとするかね」
「えぇ……何でこんな寒い中わざわざ冷たい井戸水なんか使うの……。蛇口捻ったら出る温水で良いじゃん……」
「ははっ。君からしたら辛く思えるんだろうが、俺は平安生まれの爺刀だからな。昔からやってきてる習慣は、そう簡単には変え難いものなのさ。……ついでに言うと、頭を冷やすのにも丁度良いんでな……。俺には構わず、君は君で寝起きの顔を洗ってくると良い」
そう言い残して、男はさっさと部屋から出て行ってしまった。昨晩、冷えから眠れずにいた彼女を気遣って持ち込んだ衣の存在を引き取るのも忘れて。
寝惚け眼で男の出て行く背を見送った審神者は、寝相で中途半端にはだけて引っ掛かっていた衣を着直すと、きちんと通し直した袖口を口元に引き寄せて、すん、と匂いを嗅いだ。すると、昨晩己を抱き締め眠った男から香っていた匂いと同じものが鼻腔を擽る。装飾の類は外された、極めて本物の鶴の羽を帯びたその衣に包まれて眠る夜は、存外悪くはなかったように思えた。
▼以下、タイトルの語彙について一寸ばかし説明なり。
『夜の鶴』……先に上げた山鳥毛掌編『焼け野の雉子』作中で出て来た、“焼け野の
『鶴の毛衣』……赤子に着せる産着の事を“鶴の毛衣”と呼ぶ事がある。元は鶴の羽毛を指す言葉だが、鶴が長寿である事、子を思う情の深い事にあやかって名を付けたんだとか。つまり、何方も同様の意味を含んだものとなります。
※二つの言葉を掛け合わせた構成にしたのは敢えてです。後書きとして紹介した意味も踏まえてもう一度お話を読んだら、初めに読んだ時とは異なる感覚が楽しめるかもしれませんね。宜しければ、是非噛み砕いた意味も踏まえて読み返してみては如何でしょうか? 見えてくる世界がちょっとだけ変わるかもしれませんよ。
公開日:2023.12.25