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年寄り刀の余計なお節介



 前々から気になっている事があった。其れは、一文字のご隠居こと一文字則宗の事である。
 元監査官であり、元政府刀でもある彼は、これまで本丸で鍛刀したり催物の報酬で獲得してきた刀等とは異なる顕現の仕方及び配属の仕方をしている。其れで言うと、特命調査組は皆同様の参入の仕方をしてきている事になるのだが……。
 彼の場合、見た目は若々しくとも、中身は老齢としたもので、刀その物が打たれた時代を表している風にも受け取れる。しかし、その成り立ちが逸話派生のものとすると、中身は此方が思っていたよりも若々しく、また自分達に近い質を持つのかもしれない。
 というのも、彼が根底に抱く逸話は、飽く迄も物語として語られてきた沖田総司のものとなる。其処に別の根として、福岡一文字一派の祖たる“菊一文字”としての諸々が加わっている。故に、“いびつ”を唱え、愛しているのだと謳う。彼の唱える愛が、向けられる対象が、一体どういった感情によるものか、予てより気になっていたのだ。不可解とでも言うように心に引っ掛かりを覚えたその謎を、今こそつまびらかに紐解こうではないか。
 雪傘を被る冬牡丹の花をひとり縁側より眺むる彼を捕まえて、単刀直入に問うた。
「ねぇ、御前や」
「ん? おや、主じゃないか。何か僕に用事かい?」
「一つ訊きたい事があって、丁度周りに御前以外の誰も居ないから訊きたいのだけれど……」
「ほぉ。他の者等には聞かせたくはない話と来たかい。其れで? 僕に何を訊きたいんだい?」
「御前は定期的に自分は歪なものが愛おしいって言って、この本丸に参入してから俺に対しても同じ事を言ったよね。御前から見た俺は歪で、だからこそ美しいって。アレ、言われてからその意味を何度か考えて、自分なりに噛み砕こうとしたんだけど……何となく不可解な気もしなくもないというか……端的に言って未だ腑に落ちてなくて。もうこの際本刃にぶっちゃけて訊いた方が早いなって思って今に至るんだけどさ……御前は、俺の何処に歪を見出して言ったの?」
「僕の軽弾みな発言が、そんなにも主の頭を悩ませているとは思わなんだが……。そうか。思えば、僕の思う、僕の目線から見た主の本質を口にした事は無かったか……。いやはや、無駄に頭を悩ませるつもりはこれっぽっちもなく、下手に言って君の気を揉ませるのも悪いと思って直接伝える事を避けていたんだが、其れが逆効果だったとは……歳を取るとこういう時ばかり変な気遣いばかりしてイカンな。まずは、その件に関して気を揉ませてしまった事を謝ろう。すまなかったな」
「いや……別に、そういうつもりで口に出した訳でもないし、謝らないでよ。御前に真面目な口調で謝られると、其れこそ俺が何か後ろめたい悪い事したみたいな罪悪感に駆られるから、やめて……っ」
「僕は、ただ主に申し訳ないと思ったから謝罪の言葉を口にしただけなんだが……全く、変な時ばかり君は主らしくないなぁ」
「余計なお世話だよ!」
 日本という国においては古くからある古刀の内の一振りに数えられる、一文字則宗。御番鍛冶の中でも一等偉い位に数えられた人に打たれし、刀。人の歴史の中で愛されてきた物語より生まれし、愛を謳う刀。フランス人形みたいな古刀の中では別の意味で浮世離れした見た目の、今は当代の座を山鳥毛に譲りし隠居生活を謳歌する、その硝子玉みたいな瞳に映すのは一体どんな景色なのだろう。虹色のような虹彩を持ちし、凡そ日本人らしかぬ人間離れした色素の薄い瞳に対して、そんな事を思わなくもなかったり。
 真面目な話をしたくて切り出したものと察してか、この時ばかりはいつもの食えない好々爺の空気は鳴りを潜めていた。真面目腐った風な態度を向けてきた彼は、閉じた扇の先端を顎に押し当てて神妙な顔付きで零す。
「話を戻すが、僕が何故君に歪を説いたかを聞きたい、という事で合っているな……?」
「うっす……」
「では、改めて話すとするが……。僕が歪を愛でる理由は、今更わざわざ説明せずとも、何となく理解しているんだろう?」
「うん……何となくだけど、御前が人に語られてきた物語を顕現する逸話としているからなんじゃないかなぁ、とは」
「ふむ。では、そっちについては改まって話す必要は無いな。主が気にするのは、僕が君へ説いた歪についてだったが……何故、僕が君を他の者等と区別して特別視して愛でるか、その意味を考えた事は?」
「えっと……精々、俺が本丸の主で審神者で、持ち主だから故の事なのかと。そうでなきゃ、俺みたいなチンケでちんちくりんな奴を寄って集って猫可愛がりなぞせんだろう」
「まぁ、自己評価の低い主ならそんなところだろうとは思っていたよ。にしても、改めて思うが、君のその自己評価は低過ぎやしないかい?」
「偉ぶって踏ん反り返っているよか、余っ程謙虚らしくてマシだろう」
 二十四節気の中でも冬の景趣である、冬至の景趣が広がる庭は寒々ひんやりとした冷たい空気で満ちていた。其れもそうだろう。白銀の世界とも言い表せる程の雪で地面一面が覆われているのだから。地元は南の方住みだった為に、雪掻きが必要な程雪が降った事は無い。故に、雪掻きなんて経験をしたのも本丸を持ってからの事だし、所謂雪国ならではの冬支度をしたのも審神者になってからの事だった。其れも、五年目ともなれば“またこの季節か”と、一種の風物詩と化していたが。
 冬生まれの冬好きだけれども、身がなく痩せぎすの身に沁みて、寒いのには弱い。特に、今年は異常気象の連続で気温差のジェットコースターに見舞われてばかりだった分、体に堪える。まぁ、どうしようも出来ない夏の暑さに比べれば天と地程もマシというもの。冬の寒さは、着込めばどうにか耐え凌げなくもない。だから、毎年この季節は着込みに着込み過ぎて着膨れを起こして、見た目が不細工に丸くなる。しかし、其れを脱いだ途端骨と皮だけみたいな細っこい体が出て来るので――例えて、まるで毛足の長い猫がずぶ濡れた後のように変貌して見えるそうで――こぞって周りの者達が肥えろと何かと物を与えてきたがる。そんなに沢山貰っても受け取る口は一つで、胃も同様に一つ且つ刀剣男士等とは比べ物にならない程小さいのだが。
 上着にと着込む半纏の袖に両腕を引っ込めて、首はハイネックを着込んだ襟の上より巻いたネックウォーマーへすっぽりと埋めて白く染まる息を吐き出した。すれば、一緒に眼鏡までもがぶわり白く霞んで視界がよく見えなくなる。そんな視界の隅で僅かに身動いだ菊の花たる君が此方へ半身体を傾けたのを見留た。ひたと向けられる視線に目線を合わせるように寄越せば、ぴたり合うような視線が交わった。黒と淡い色素の視線とが、真っ直ぐ直線上に繋がる。
「僕が君を歪に思うは……まさしく、その在り方からだよ。君の、若くして死を望みながらも、我々を愛しと慈しむが故に抱く離れ難さから生き長らえ続けている様がな……何とも歪で、愛おしく思えるのさ。既知の通り、僕は自分の在り方を熟知しているが故に、歪を慈しむ。この世の美しいものも、そうでないものも、僕にとっては大層大事なものだ。君も、その内の要素の一つに過ぎないという事さ」
「……確かに、傍から見たら、俺の在り方は理解し難い在り様だろうね。でも、そんな俺でも此処では否定されないし、反対に認めてもらえた上で温かな真綿で優しく包んでくれる……。俺は、君達の審神者で居続けられる限りは、今あるこの温かさを手放す気は無いし、縋れるだけ縋って生きていくつもりだよ。京極君も言っていたしね……縋れるものには縋って良いんだって。お陰で、浮世と違って此処は居心地が良くて敵わんよ」
「だが、僕の主の心の片隅には、未だ燻る仄暗い蟠りが蔓延っているんだろう……? だから、定期的に情緒不安定にもなるし、度々その頭に“自死”の二文字を思い浮かべるんだろう。そんなだから、あんな七面倒な刀を喚び付けちまうんだ……っ」
「え……まさかだけど、その“七面倒な刀”って、もしかしなくても孫六さんの事じゃないよな……?」
「其れ以外に当て嵌まる刀が何処に居るって言うんだい」
「孫六さんの事を“七面倒な刀”だなんて言い表すの、御前ぐらいしか居ないんじゃない……? つか、コレ、たぶん本刃が聞いたら確実に一触触発の火種にならんか??」
「もし仮に、今のを奴が聞いていて喧嘩を吹っ掛けられたところで、力量で勝つのは太刀であるこの僕だがな」
「遠戦使われたら、避けない限り刀装削られて押し負けるの御前なんだけど……其処は良いんか?」
 至極まともな回答を零せば、途端無言を返してきた。その顔は物凄い渋面と化していて、ちょっと可笑しさに小さく吹き出してしまった。其れに殊更不貞腐れた面になりながらも、片膝に頬杖を付いて此方から視線を外さない彼は言う。
「いよいよ年の瀬も迫ってきて感傷に浸るのも悪くないが、お前さんにゃ明日を憂うよりももっと遣るべき事があるんじゃないかい? 老い先短い老いぼれなら兎も角、まだまだこれからが芽の咲きどころだっていう若造が、そんなに暮れた顔をするんじゃない」
「……そんなにつまらなそうな顔してたかい?」
「つまらないというよりは……人生の岐路に立たされて、何方の道に進むべきか迷いに迷って、途方に暮れたような顔付きをしている風に見えた。……まぁ、君はまだ歳若いんだ。幾ら悩んだって迷ったって構わないし、間違っても失敗したっても次があるんだ。変に焦らず、ゆっくり熟考しなさい。その上で何度でも挑戦し、新たな道を拓き、進み続けて行けば良い。そうすれば、自ずと先は拓けてくるだろうさ。捻くれ者の卑屈な主には、此れは余計なお節介になるかもしれんがな……っ。どうか、言葉のまま受け取っておくれ」
 クスリ、仕方がないと言いたげな笑みを浮かべた彼が、横合いから指抜きタイプの手袋を嵌めた手を伸ばしてきて、頭に触れた。そのまま、その手はゆるりと真上を撫ぜる。どうしてか、今この時はその掌の温もりが愛おしくて、離れ難く思えて……。結局、成すが儘に撫でられた。屹度きっと、何も知らぬ者が傍から見れば、爺孫の其れのように思われるだろう。今はそんな風に思わせておけば良いのだ。こんなにも心地好い距離感での戯れ合いなのだから。


 ――一頻り、黙って撫でられた後。徐ろに腰を上げた彼は、後ろ手に拳を作って爺臭く腰を打ち付けて立ち上がる。
「さぁて、こんな処で長く居座っていたら体が冷え凍ってしまったな。今日は確か冬至の日だったよなぁ? 山鳥毛の奴が、冬至の日だけは特別な柚子湯に浸かれると心無しかはしゃいでいた。よしっ……僕等も入って来るとするか!」
「おぉ、良いんじゃね? どうぞ、行ってら」
「何を言う。君も一緒に入るんだぞ?」
「は? 今何と?」
「偶の日くらい、のんびり広い湯船で足を伸ばして浸かってみたいと思わないかい?」
「いや、別に」
「其処は嘘でもうんと頷かんかい。つまらん」
「いやいや、幾ら俺がノンバイナリー女子で男っ気が強いからって、君達男士等と一緒に湯船浸かれる訳も浸かる勇気も無いに決まっとろう!? 気は確かか!?」
「何だい。もしかして裸の事を気にしているのか? 其れなら、僕達の方で勝手に用意した水着と湯帷子ゆかたびらという風呂専用の浴衣なる物があるから、其れを身に着ければ良い。そうすれば、肌が見える事を気にせずとも良くなるだろう?」
「そういう問題じゃなっ………………いや、ちょっと待って?? 今、俺専用の水着用意してるって言った??」
「あぁ、嘘じゃないぞ? 君が以前海辺の合宿期間中に自分専用の水着を持たないと漏らしていたのを聞いたウチのが、こっそり内密に裏で用意してそのままになっていたのがあってな。君の体型が早々変わらない事は知っているから、たぶん合わない事はないと思うが? 君の趣味に合うか否かは別だろうが、まぁまぁな線は行っていると僕的にも思うがね」
「え゙……待って……? 俺のスリーサイズ、一文字に把握されてんの……?? というか、何時いつ把握したん……??」
「君が定期的に出している洗濯物を干す際に、上杉短刀の者の力を借りてちょこっとばかし確認させてもらったらしい。嗚呼、一応誤解の無いように言っておくが、君の服の寸法を確認したのは、飽く迄も君へ服の類を贈る時の参考にする為だと言っていたぞ。そもが、君が洗濯物を畳みながら直接口にしていた事もあったから、其れも大いに含まれるんだろうが……。そういう意味では、君は些か無防備が過ぎるというものだぞ? 淑女たらしく在りたいのなら、少しは口を慎んだ方が良い。うっかり必要以上の事を言って、水着以上の事を招きたくはないだろう……?」
「お゙ぁ゙ッ……怖っ。一文字、こんッッッわ」
「そんな訳だから、君も一緒に入るぞ。こんな機会は早々無いんだ、折角せっかくなら背中を流してもらうとするかね。そうと決まれば風呂の支度をせねばな……!」
「待って?? 俺まだうんともすんとも言ってないんだが?? ねえ、御前てば。ねえ!? 待ってったらァ……!!」
 言い出すなり人の手を取って強引にも引っ張ってズンズンと先を歩き出す。其れに半ば引き摺られるようにして付いて行く事になり、ほぼほぼ強制的に風呂の支度を整えさせられ、通常は刀剣男士等が使用する大浴場の方へ連行されたのである。
 その後、無理矢理押し付けられ――否、丁重に手渡された水着と湯帷子一式を手に先に脱衣所へ押し込められ、風呂を共にする事を断る隙すら与えられず。結果的には一緒に柚子湯に浸かる羽目となった。
 ガラリと戸を開けた先には、むわりと温かな湯けむりが立ち込めていて白く霞んでいた。其れが晴れると、普段審神者個人専用として使っているこぢんまりとしたユニットバスとは比べ物にならない程、広々とした空間が広がる。思わず、唖然とした口がポカンと間抜け面を曝した。
 審神者になった際に、初めこそ刀数は少なかったものの、いずれ大所帯になる事は必至と思い、其れなりに大きく広めのスペースを大浴場に取った事を覚えている。その後、風呂好きな刀が増え、本丸内を増設していく内に露天風呂までも拵え、今や旅館等を利用せずとも温泉気分までも本丸で味わえるのだ。……まぁ、飽く迄も刀剣男士等の為に審神者が用意した物で、審神者個人は殆ど利用する事は無かったのだが。
 湯船に浸かる前に備え付けの個室シャワールームへ突っ込まれたので、其処で体中を粗方流して身綺麗になってから出る。そうして、おねだりされた通りに、日頃本丸の為に頑張ってくれている労いとして丁寧に背中を流してやった。その為か、大層機嫌良さげに満面の笑みを口元に浮かべた彼は、体を流し終わった後、水着の上からそのまま湯に浸かっても良い湯帷子も着用した己を傍らに侍って湯船に深々と浸かりながら縁へ踏ん反り返る。
「はぁ〜っ、少し熱めの湯が心地好いな……!」
「そりゃ良う御座んしたね」
「そら、君もそんな風に隅っこなんかで縮こまっていないで足を伸ばしてみろ。気持ちが良いぞぉ〜っ。此処の湯船は広い造りをしているからなぁ。君が足を伸ばしたところで悠々と余る程だ。お陰様で、毎日風呂で汗を流すのが楽しみになったくらいには気に入っているよ」
「ははっ……其れは何よりだなぁ」
 切っ掛けは成り行き且つ強引なものだったが、喉元過ぎれば何とやらか。大層自分の刀に甘いところがこんなところで発揮するなぞ、誰も思うまい……。
 何処から持ち出したのやら、徳利とお猪口のセットが入った桶を湯に浮かべ、取り出した徳利を此方に差し出して言う。
「こんな機会、次何時いつ訪れるとも分からんからな。愉しめる内に愉しまんと損だ! 柚子を浮かべた熱めの湯に浸かりながらに、冷酒を一杯クイッと引っ掛けようじゃないか……っ!」
「そういうの、本来は露天風呂に浸かりながら遣るもんなんじゃないの……?」
「この際、細かい事は気にするな……! ほれ、君もどうだい? 齢は既に成人を迎えて暫く経つんだろう? なら、酒を飲めん歳でもなかろう。君も一緒に飲んでみるかい?」
「いや、俺は下戸ってレベルに酒弱いの知ってるし、逆上せると悪いから遠慮しとくよ。代わりに、お酌くらいは付き合ってあげるから、其れで大目に見とくれや」
「おぉ、こりゃ願ってもない申し出だな! では、お言葉に甘えてお酌役を頼もうか」
「ハイハイ、喜んで」
「うはは! 偶のおねだりも言ってみるもんだなぁ!! 今日はとびっきりの良い日となった!!」
 酒も入って殊更上機嫌になった彼は、鼻歌を口ずさみながらお酌して注いだ酒をちびちびと口にした。出来れば、逆上せぬ内に上がりたいところなのだが……。
 そうこうしていれば、ガラリと脱衣所と繋がる戸の開く音がして、くるりと背後を見遣れば、黒髪の男士が腰にタオルを巻き片手にお風呂セットを携えてやって来た。間もなくして、視界に金髪の男士以外の人物を入れたのだろう。入口辺りから入って来てすぐの位置でギョッと目を剥いて大仰なくらいに驚いてみせた刀が、足を止めて声を発した。
「主人ッッッ!? なんッ、何っでアンタが男湯の方に……!??」
「いやぁ〜……其れが、斯々然々かくかくしかじかの成り行きでなぁ。半ば強引に連れて来られて今に至るのよ」
「はぁ〜ッ!? アンタ、自分の身が女だという自覚を無くしたのか!!?」
「其れは一ミリ足りとて無くしてはおらなんだが……一文字の面子に、水着一式と何の為に用意したんか分からんこの湯帷子一式を俺のスリーサイズ把握した上で押し付けられたら……何かもう従わざるを得ない流れが出来上がっててなァ。いやぁ……しみじみと思うが、一文字は恐ろしいよ」
「いやいやいやいや……っ。平然とお酌までしながら何を言ってるんだかな?? というか、そのわざとらしく用意された飲みセットはどうしたんだ?」
「御前がいつの間にか用意していた模様でしてな。俺は飲まない代わりにお酌役を買って出てるだけッス。まぁ、此れに付き合ってやるのも俺が逆上せない内だけだがな」
「どうだい、お前さんも飲むだろう?」
「酒は好きだし誘われれば断らんが…………アンタ、主人を何て事に付き合わせているのか、分かっているのか?」
「そう言いつつも満更でもなく思ってる若造の癖して何を言うのか。お前さんも十分助平な質である事を、この僕が知らないとでも……?」
「………………」
 図星だったのか。物凄い渋面を作った後に、足早に近場の洗い場へ置かれた風呂椅子にガタンッと高い音を立てながら腰を下ろしたかと思えば、頭から思い切り湯を被り始めた。そのまま一通り汗を流し切ってしまうのだろう。何となく洗う場を覗き見てはならんだろうと思って、素直にくるりと視線を正面へ戻してお酌を続けた。
 すると、ものの数十分程で体を流し終えてきたらしい孫六が、長く濡れた髪を軽く纏めた上で落ちてくる前髪を掻き上げつつ、タオルを腰に巻き直した状態で彼とは反対側の隣にざぶりと入って来る。そして、憮然とした顔付きは変わらずに、「ん」との一音と共に彼へと片手を寄越した。たぶんだが、審神者が飲む用にと用意した空のお猪口を寄越せと仰せなのだろう。其れにぐい呑みを傾けたまま、片眉を上げてにやりと口端を吊り上げるに留めて何も応じない彼に。仕方なしとばかりに代わりに此方が取って渡してやった上でお酌までもしてやれば、多少は機嫌を直したらしい。眉根に寄った縦皺はそのままに、グイッと一気に呷った孫六へ「おぉ……っ」との感嘆の声を漏らした。
「一気に呷ったねぇ、孫六さんや」
「主人がお酌役に徹してくれてるんだ。おまけに、こんな濡れて色っぽい格好でだぞ……飲まなきゃやってられるかっての」
「うははっ、若いの〜」
「喧しいぞ、助平爺」
「変態加減はどっこいどっこいだろう?」
「わざわざ風呂に主人を連れ込んだ上でこんな物まで用意してる用意周到なアンタにゃ負ける。…………にしても、主人のその浮き彫りになってる体の細さは如何なものかね? ちゃんと飯は食ってるのか心配になるくらいの細さだが?」
「一応、起きてる時は一日三食+間食の御八つ付きできっかり食べてるよ。一度寝たら丸一日寝てる事もある所為か、食ってるようで食ってないように思われるかもだけど」
 右隣から頂いた流し目と問に淡々と答えてやれば、今度は左隣からの訝しんだ声音で以ての問を貰う。
「つかぬ事を訊くが……君、今の体重はどれくらいだ?」
「おい、其れは流石に踏み込み過ぎだろう……っ」
「えっと……俺の身長に対して平均体重を当て嵌めたら、最低でもあともう二・三キロばかし無いとアカンのやが…………」
「ほぅ。で、何キロだった?」
「先日偶々気紛れの思い付きで量ってみたら、以前医者に其れ以上痩せるなって言われた最低値と比べて、気持ち+したくらいにまた落ちておりました(笑)」
「つまり……?」
「平均以下という結果ですなァ」
「「阿呆」」
 明後日な方向を眺めて遠い目をしながらぼやけば、二人共から口を揃えて辛辣なツッコミを頂いた。加えて、女人に向けて放つには相応しくない言葉第一位とも取れる“太れ”よりも酷い“肥えろ”との感想を頂く。そう言われる程にまで痩せぎすであれば、魅力を感じる前に心配をしてもしょうがない事だろう。思わず死んだ魚の目を浮かべながら乾いた笑みで笑うのだった。
 此れでは、折角せっかくの柚子の香りも霧散してしまいそうだ。そう思って、もう十分にお酌はしてやったという事でここいらでお暇させて頂こうと、まだ中身の残る徳利を左隣の彼の手に返してざぱりと湯から上がる。其れに残念そうに眉尻を下げた彼が振り返り様、名残惜しげに引き留め文句を垂れた。
「何だ、もう上がるのかい……? もう少し付き合ってくれたっても良いだろうに」
「いや……すまんが、これ以上浸かってるとマジで逆上せ兼ねないんでな……っ。こっちの湯は、普段俺個人が浸かる湯よりも幾分温度が高い所為か、さっきから軽く茹だってたもんで……。悪いが、先に上がらせてもらうとするよ」
「おいおい、其れを早く言わないか! この馬鹿者が……っ!! すまないが、後片付けはお前さんに任せるぞ! 僕も先に上がらせてもらうからな!!」
「あっ、おい……ッ!!」
「えっ? 何々、何なんっ……、あびひゃッッッ!! えッ!? なんッ……ほあ????」
「脱衣所へ向かうまでの距離でうっかりふらついて倒れられても困るんでな。僕が我が儘言って連れ込んだんだ、その対価として最後まできちんと面倒は見るぞ……ッ」
「えッ?? 其れで何で姫抱きされるんかの意味が繋がらんのだが……っ」
「これ以上の無駄な問答は無用だぞ、主。今は大人しく僕に運ばれておけ、良いな?」
「こういう時に限って有無を言わさぬオーラ出すところが一文字の怖ェところだって言ってんだよォ〜ッッッ!!」
 背後に孫六の何とも言えない視線を貰いながらも否を唱える隙など一切与えない彼のゴリ押しなところに、情けない声を上げて今更過ぎる謎の羞恥と緊張から身をガチガチにして運ばれ。ついでに、着替えを終えるまでの世話まで焼かれるのであった。飛んだ余計なお節介だ……!


執筆日:2023.12.25
加筆修正日:2024.01.09